十七日目:最も長い一日の始まり7
食事を終えた美咲たちは、各自武装して持っていく道具類の分配と最終点検に入った。
命が掛かっている以上、忘れ物をしたではすまないので、念入りに確認しなければならない。
「えっと、装備は勇者の剣に鎖帷子、加護の服。加護の外套。道具は傷薬が五つに毒消しが三つ。あと、……何ですかこれ」
限りなく黒に近い濃緑色の液体が入った小瓶を見て、美咲はシステリートに不審げな表情で尋ねた。
システリートは美咲の手元を覗き込むと、頷いて美咲に笑顔で告げた。
「ああ、これは薬草に紛れてた毒草から作った毒薬ですよ。もし手についたりしたらすぐに洗い流してください。間違っても舐めないでくださいね。死にますよ」
あっけらかんと言うシステリートに、美咲は目を剥いた。
「何てもの作ってるんです!?」
思わず睨む美咲に、悪びれなくシステリートは肩を竦める。
「だって、もったいないじゃありませんか。誰かが間違えたとはいえ、折角採取してくれたのに使わないなんて」
「それはそうですけど」
もっともらしいことを言われた美咲は、最初よりも丁寧な手つきで毒薬が入った小瓶を眺める。
(もし落としたら、酷いことになるわね……)
まかり間違って、道具袋の中で小瓶が割れたりしても大惨事になる。
「あ、使う場合は武器に垂らすのがお勧めですよ。傷口から毒が染みこんで、かすり傷でもぶっ殺せますから」
にこやかに口にする言葉としては、バイオレンス過ぎる台詞に、美咲は反応に窮した。
「システリート、それくらいにしておいてください」
凍り付いている美咲を見かねて、ディアナが口を出す。
非戦闘員で、システリートやセニミスとは違い、調整も受けていない正真正銘の人間であるディアナは、今回の戦争では美咲の剣傭兵団の後方支援を勤めることになっている。主な仕事は、糧食の準備や薬などの物資の管理だ。馬車などの保守もシステリートと分担して任せることになっている。
そんな理由でシステリートと接する機会が増えたせいか、ディアナはシステリートと急激に仲がよくなった。二人とも何だかんだいって自分の仕事に対しては真剣になる性質だし、非戦闘員という立場でも、二人は似通っている。
ディアナはシステリートほど破天荒な性格はしていないが、身を張って主を逃がそうとした過去からも窺える通り、自分が主と定めた人物に対する忠誠心は深い。
「美咲様。毒薬は奥の手にすれば宜しいのです。確かに取り扱いには細心の注意を払わなければなりませんが、危険に十分見合う効果を得られます。もしかしたら、魔王にだって通用するかもしれません」
「……そっか。格上との戦いなら、確かに使えるかも」
美咲は毒薬の小瓶を大事に布に包んで、割れないように懐に忍ばせた。
懐で瓶が割れたら大惨事だが、布で包んである瓶が割れるような衝撃を受けたなら、どの道毒薬が無くても美咲は無事ではいられない可能性が高い。
「お姉ちゃん」
くいくいと服の袖を引かれ、美咲が振り向くと、ミーヤが仁王立ちしている。
「じゃーん。ミーヤ、格好いい?」
ミーヤの装備は、いつもの服に子供用のマント、道具袋、魔物使いの笛と簡素なものだ。
何しろまだ子どもなのでほとんどの防具はつけられないし、武器らしい武器も扱えない。非戦闘員に近いが、唯一の違いかつ、ミーヤを美咲たちと同じ土俵に押し上げているのが、魔物使いの笛で手懐けた魔物たちの存在だ。
彼らのおかげで、ミーヤは他の皆と同等の強さを手に入れている。基本的に仲間頼りだが、仲間にした魔物の中にはマクレーアのような結構強いモンスターもいるので、あまりミーヤは気にしない。
準備をする美咲の近くでは、セザリー、テナ、イルマも同じように準備に大忙しだった。
「弓の弦は緩まないようにしておくのよ。いざ使う時になって弦の調整が無駄になってましたじゃ済まないわ」
扱いは得意とはいえ、弓の命中率は弦の状態に左右される。いくら調整してもすぐに弦が緩んでしまうようでは、感覚が変わってしまってろくに当てられないのだ。
「ねー、テナの毒薬の瓶どこー? 見当たらないんだけど」
「ちょ、テナちゃんそれ失くしちゃダメェ」
きょろきょろと辺りを見回すテナに、顔色を青くしたイルマが詰め寄る。
「二人とも安心しなさい。三人分の道具は私が纏めて管理してるわ。だってあなたたち、そこら辺に放っておいてすぐ失くすでしょ」
さすが長女であるセザリーは、前以て三人の道具を回収済みだった。付き合いが長いからか、義妹二人の性格を熟知しているようだ。
「ほら、確認を始めるわよ。まずは武器。青銅の剣は持った?」
セザリーが自分の腰に吊るしている青銅の剣の鞘に手をかけて言うと、テナとイルマは己の腰に手をやった。
「もちろんよ。このテナちゃんソードで悪者をばったばったとなぎ倒してやるんだから!」
鼻高々な様子でふんぞり返るテナの横で、イルマはふと疑問に思ったことをセザリーに問いかけた。
「どうでもいいですけど、ミスリルの剣は使わないんですかぁ? 折角買ったのに」
武器屋で全員の買い物をした時、青銅の剣の他に、セザリー、テナ、イルマに対しては一本のミスリル製の剣が買い与えられているのだ。
「ああ、それね。美咲様は私たちに買ってくださったけれど、私たちはどちらかといえば弓の方が得意でしょう。だから、あの剣はもしもの時のために取っておこうと思うの」
どこかもったいぶったセザリーの言い方に、テナが首を傾げた。
「もしもの時?」
オウム返しに尋ねたテナに、セザリーは頷く。
「そう。例えば美咲様の勇者の剣が、折れてしまった時とか」
勇者の剣ほどミスリルの剣は軽くないが、それでも金属剣の中では軽い方だ。今の美咲ならば、扱うことは難しくないだろう。
「でも、美咲ちゃんの剣は遺失武器ですぅ。そう簡単に折れるとは思えないですぅ」
イルマが疑念を呈する。
楽観的なテナとイルマに対して、セザリーは慎重だった。
「遺失武器とて、何があっても折れないというわけではないでしょう。備えをしておいて損はないわ」
セザリーの言うことはもっともなので、テナは頷く。
「まあ、確かにね。それに、向こうが壊れなくても、私たちの剣が壊れないとも限らないし」
「というか、確立的にはそっちの方が高そうですぅ」
自分の青銅の剣の柄に手を当てて、イルマがため息をついた。
青銅の剣は鉄の剣より重く、脆い。
壊れやすさでいえば、断然こちらだろう。
「そうね。その時のためにも、やっぱりこの剣は取っておきましょう」
「まあ、良いんじゃない?」
「異議なしですぅ」
三人は満場一致でミスリルの剣を取っておくことに決めた。
というわけで、三人は自分たちの獲物が弓矢と青銅製の剣であることを再確認した。後は防具だ。
「鎖帷子に、革の胸当て。後は加護服に外套。どうかしら? 似合う?」
完全武装したセザリーは、テナとイルマの前でくるりと回ってみせる。
加護服はふんわりしていて鎖帷子などの重さを上手く吸収しており、重さをあまり感じさせない。
どちらかといえば遠距離で戦うことが得意であるにも関わらずここまで重武装なのは、遠近両用を意識しているためだ。状況に合わせて、弓矢による射撃と青銅の剣による白兵戦を使い分けるのである。この使い分けは、美咲の供回りとして働く際にも役に立つ。美咲が後ろで指揮を取っている間は弓兵に徹し、自ら突撃するようなことがあれば、武器を剣に持ち替えて同行するのである。まあもっとも、セザリーに言わせれば、美咲が前に出ることなど無い方がいいのだが。
「うん、似合うわ。テナちゃんの着こなしも上手でしょ?」
ポーズを取るテナの服装は、戦装束であるにも関わらず、何故かステージ衣装のように華やかだった。全体的に色彩が明るめで、溌剌とした印象を与える。どちらかというと落ち着いた印象のセザリーとは真逆だ。
「二人とも、ファッションショーしてるわけじゃないんですから」
苦笑したイルマに窘められ、セザリーは僅かに顔を赤くした。浮かれていた自分にようやく気付いたらしい。浮かれる原因は、装備を一新したためか、それともようやく明確に、美咲の役に立てる時が来たからか。
イルマの格好はセザリー、テナと同じで、色彩はセザリーよりもさらに暗く、寒色系で纏められている。自然と三人の中では一際地味になっているが、かえってそれが視認のされにくさに繋がっている。暗がりならばほぼ完全に溶け込んでしまうし、そうでなくても場所を選んでじっとしていれば、見つけるのは困難を極める。
続いてセザリー、テナ、イルマの三人は、各人の道具袋に入っている道具を確認する。
「傷薬が三本、魔法薬が二本。システリートたちは頑張ってくれたわね。ここまで行き渡るなんて。まあ、毒薬なんて余計なものもついてるわけだけど」
時間が無い中で用意した割には、それなりの量が確保できていて、セザリーは満足そうに笑った。途中で美咲の道具袋に入っていたのと同じ濃緑色の小瓶を見つけ、笑顔は苦笑へと変わる。
「テナたちにとっては毒薬もプラスになるからいいんじゃない? 傷薬はともかく、魔法薬の使いどころには注意しないとね。傷の程度によって効果を及ぼす範囲が違うし」
魔法薬の瓶に貼られたラベルを、テナは読む。ラベルにはシステリートの字で、魔法薬の効能と使い方が書かれている。システリートは意外にマメのようだ。
「一時はどうなることかと思いましたけど、結局は騎士団に渡す前と殆ど変わらない量を確保できましたし、これで一安心ですぅ」
薬が足りない状態では、いざという時に手当て出来ないということになりかねない。危険性を排除できて、イルマはほっと胸を撫で下ろした。
自分の準備を終えた美咲が、周りを見回す。セザリー、テナ、イルマは見た限り放っておいても良さそうだった。
次に美咲が目をつけたのはペローネだ。
彼女は普段の私服であるスーツに似た服を脱ぎ、買ったばかりの加護服に着替えている。
均整の取れたプロポーションに、美咲は見とれた。
美咲を慕ってくれる仲間たちは皆美女美少女ばかりだが、裸の状態で審査したならば、一番美しいと判断されるのは、ペローネだろう。
顔の造作ももちろん、特筆すべきは身体の美しさだ。後姿から見えるうなじは色っぽく、尻の形さえ美しい。前から見ても、鎖骨のラインや形良く張った乳房やきゅっと締まった腰、上半身に対する下半身のバランス、特に足の細さなど、全体的な調和が取れている。
無論、ペローネは一番胸が大きいわけでもないし、一番足が細いわけでもない。これといって特徴を持たないペローネは、肌と髪の色が珍しいという一点を除いては、誰よりも優れている身体的特徴はない。
だがそれは、ペローネの美しさを否定することにはならない。身体的特徴に特筆すべき点が無いということは、ペローネの場合、全てが高次元で纏まっているということと、イコールで繋がる。
裸になったペローネは、まるで女神像のような神秘的な美しさを秘めている。ペローネの真の美は、裸になってこそ見られるのだ。
ペローネが自分を見つめる視線に気付き、美咲を振り向いた。
「どうしたの? あたしに何か頼みたいことでもあるの? なら遠慮せずに何でも言って」
「い、いえ、何でもないです!」
妖しく微笑むペローネに思わずドキッとするほど艶美な流し目を送られ、同性だというのに美咲はカチコチに固まって後ろを向いた。
胸に手を当てれば、どっどっどっと、心臓の鼓動が早鐘のようにビートを刻んでいる。胸に手を当ててみると、心臓の動きが良く分かる。さっきまで正常だったにも関わらず、一瞬で全力疾走した後のような状態になっている。
(何あれ! 何あれ! 色っぽいってレベルじゃないんですけど!)
流し目を送られただけなのに、美咲の顔色は真っ赤だ。もし流し目を送られたのが男性だったなら、その時点でどことは言わないが、大事な場所がフルエレクトしていてもおかしくない。
(平常心、平常心)
美咲は頭の中で念仏のように唱えながら、再びペローネの方を向いた。
もう裸ではなく、ペローネは加護つきの服を着込んでいた。
それだけで、美咲の動悸は治まっていった。
「さっきから愉快な反応してるね」
「ペローネさんの裸は、反則だと思います!」
「えっと、訳が分からないよ」
突然脈絡無いことを言われたペローネは、目を白黒させて美咲を見た。
美咲はその気もないのに変な気分になってしまったせいか、まだ少し頬が赤い。だが、血色が良く見える程度にまで落ち着いていたので、以前の状態と見比べていたわけでもないペローネには違いが分からなかった。
「いいんです。続けてください」
「え? ああ、それはもちろん、続けるけど」
その場に留まる美咲に首を傾げながらも、ペローネは革の胸当てをつけ、腰に巻きつけたベルトの鞘に、自分のダガーを納めていく。ダガーは綺麗に研がれて油を塗布されており、綺麗な鋼の光沢を放っている。
武器と防具を装備し終えると、ペローネは続いて道具袋の中身の整理に入った。
今回の調合で新しく手に入った傷薬と魔法薬の隣に、元から入っていた中身を並べていく。
小さな陶器に入った軟膏のようなものが多く、それだけで何種類もある。
「何ですか、これ?」
興味を引かれた美咲が尋ねると、ペローネは一つ一つ手にとって美咲に説明を始めた。
「ああ、美用薬よ。手の荒れを押さえたり、肌に瑞々しさを与えたり、荒れを防いだりするの」
「へー。これ全部、買ったんですか?」
何気なしに尋ねると、ペローネが視線を泳がせる。
「うん。別の買い物してる時に、つい気になって買ってたら、いつの間にかこんなに増えてた」
引き攣った表情のペローネを見て、美咲は彼女たちの所持金が自分の財布から出ていることを思い出した。
「……足りなくなったら言ってくださいね。もっとお金が欲しいなら補充しますから」
「……怒らないの?」
きょとんとしたペローネに、美咲はニッと笑う。
「どうして怒るんですか。私は命を守ってもらうんですから、そんなの、正当な権利で許される範囲内ですよ」
呆然とした表情で美咲の笑顔を見つめたペローネは、やがて微笑んだ。
「……手、出して。荒れてるでしょ。私の手荒れ薬、塗ってあげる」
「わあい。ありがとうございます」
いそいそと手を差し出す美咲の手に薬を塗り込みながら、ペローネは小さな声で言う。
「お礼を言いたいのはこっちの方よ。ありがとう。私を助けてくれたのが、美咲で良かった」
「ん? 今何か言いました?」
小さな声だったので聞き取れなかった美咲が尋ねると、ペローネは首を横に振った。
「いいえ、何も。それより、塗り終わったわよ。ちょっと待ってて。手荒れ薬と肌荒れ薬なら予備があるから、あげるわ」
ペローネは塗り薬が入った陶器を二つ、美咲に押し付けた。
「やった。大事に使いますね」
美咲とて年頃の女の子。日に日に荒れていく手や肌に何も思わなかったわけではない。
それらの悩みを解消できそうなものを貰って、美咲は素直に喜んだ。
手荒れ薬は早い話がハンドクリームで、肌荒れ薬は軟膏というには緩くて液体に近く、どちらかというと化粧水に近い。
女の子としてスキンケアができるというのは嬉しいもので、美咲はうきうきしながらペローネから離れた。