十七日目:最も長い一日の始まり6
着替え終わり、傷薬の調合も済み、ちょうどいいタイミングで昼になった。
用事を済ませて戻ってきたアリシャとミリアンが、大きな紙袋を抱えながら鎮座する美咲の装甲馬車を見て目を丸くする。
「お、ずいぶんでかい馬車を買ったんだな」
「いいわねぇ。頑丈で実用性重視みたいだし、いい買い物したじゃない」
ひとしきり美咲の馬車を褒めたミリアンは、にっこり笑って美咲を褒めた。
「ありがとうございます。ミリアンさんのお陰ですよ。私だけじゃ買えっこなかったです。それであの、返済のことなんですけど」
はにかむ美咲に、ミリアンは気さくに笑った。
「いいのよ。これも将来の投資って奴なんだから。私たちの勝利に貢献してくれれば、それでいいわぁ」
暗に返す必要は無いと太っ腹すぎることを言うミリアンに、美咲は慌てた。
「そういうわけにもいかないでしょう!」
「いいんだよ。好意は素直に受け取って置け。第一、お前だってすぐに返済を求められても困るだろう」
「う……」
やんわりとアリシャに窘められ、美咲は言葉に詰まる。
確かにアリシャの言う通りだ。持ち合わせが無いので、美咲はすぐに返したくとも支払えない。所持金のほとんどを馬車と皆の装備を整えるのにつぎ込んだので、今は自由になる金が極端に少ないのだ。
「中を見ていいか?」
「もちろんです! ミリアンさんも良かったらどうぞ!」
「そうねぇ。じゃあお邪魔しちゃおうかしら」
美咲は張り切ってアリシャとミリアンを馬車の中に案内する。
「そういえば、美咲たちはもう昼食は済ませたか?」
「いいえ、先ほど作業が済んだばかりなので、まだです。これからどこかに食べに行こうと思ってますけど」
「そうか。ほら、ついでだからメシも買ってきてやったぞ。皆で分けて食え」
アリシャとミリアンが紙袋を引っ繰り返し、中に入っているものをどさどさどさと引き出し式のテーブルにぶちまける。
紙袋の中に入っていたのは、三十個もある紙の包みだった。
一つ一つは大人の握り拳二つ分くらいの大きさで、包みからは食欲をそそるいい匂いが立ち上っている。
甘い菓子系ではなく、ソースなどの香ばしい匂いだ。
テーブルを占有した食料の山に、美咲が目を剥いた。
「こ、こんなに!? 高かったんじゃないですか!? もらえませんよ!」
「だから遠慮するなって。私たちにはどうせこれもはした金さ。それに貰ってくれないと無駄になっちまう。私とミリアンの分は別に買ってあるから、食いきれずに余っちまうぞ。第一、お前たちだってハラ減ってるだろ?」
「う」
図星を突かれ、美咲は沈黙する。
朝早くに朝食を食べたきりだったから、確かに昼になった今、美咲は空腹を覚え始めていた。それに、身体を動かすようになってからというもの、美咲は明らかに燃費が悪くなっている。量が増えてたくさん食べるようになった割には、結構すぐにお腹が減るのだ。
「仕方ないか。すみません、アリシャさん、ミリアンさん。お言葉に甘えます。ディアナ、皆に配ってくれる?」
「承知しました」
「私たちも手伝います。テナ、イルマ、いいわね」
「別に構わないわよ」
「分かりましたですぅ」
ディアナにお願いすると、セザリー、テナ、イルマの三人も手伝いを申し出たので、四人の協力により、昼食は速やかに皆に配られた。
(これ……ハンバーガーみたい)
包みを開いてみると、上下に切られた白パンの間に、野菜とソース、肉が挟まっているのが見えるのだが、その肉が、どう見てもひき肉を成形して作ったハンバーグにしか見えない。よく見ると、みじん切りになった野菜も混ざっているので、ますますそれらしく見える。
また、ソースとはいっても、美咲の知る中濃ソースのようなソースではなく、緑色のソースと赤色のソースの二種類がたっぷりかかっていて、鮮やかな見た目をしている。緑の野菜には赤いソース、肉の部分にはうまく緑のソースがかかるように調節されており、彩りが美しい。
「わあああああ……」
ミーヤがずっしりと重い包みにまず驚き、包みを開けて眼を輝かせている。
「ねえアリシャ、これ食べていいの!?」
「おう、食え食え。子どもが遠慮するなよ」
「子どもじゃな……ミーヤ子どもでもいいや!」
アリシャの子ども扱いに反射的に反抗しかけたミーヤだが、包みから立ち上る美味しそうな匂いにあっさりと陥落し、子ども扱いを受け入れた。完全に食欲に負けている。
「へえ、美味しいじゃない」
ハンバーガーもどきを一口食べて、ペローネが驚いた声を上げる。
優雅に食べ進めるミシェーラも、満足そうに頷いている。
「肉の味が強いけど、ソースの辛さと野菜の味でかえってバランスが取れているわ。ところでこの肉、何の肉なの?」
「ああ、グラビリオンだ」
「ブッ!」
何気なく尋ねたミシェーラにアリシャが返した答えを聞いて、美咲は思わず口に挟んでいた肉を噴出した。
「冗談だよ。正確には、色んな肉の合い挽き肉で、どんな肉が入ってるかは私にも分からん。でも美味いだろ?」
からから笑いながらアリシャが訂正するが、美咲としては肉の正体がはっきりしないのではまるで冗談になっていない。
(な、何の肉なのよこれ! 食べるけど! 美味しいから食べるけど!)
恐れ慄く美咲は、食欲に負けているので食べるのを止めない。
だって本当に美味いのだ。
肉はまるきりハンバーグそのもので、表面はこんがり焼かれていて中は肉汁が滴るジューシーさが素晴らしいし、一緒に挟んである野菜も瑞々しくて美味しい。今まで食べていたかさかさの乾燥野菜とは全然違う。乾燥野菜もものによっては甘みが増したりして美味しいのだが、やはり野菜特有の新鮮さがあるのと無いのとでは雲泥の差がある。
「美味しいね、これ。手が汚れないし、食べ易いし、気に入ったよ、ボク」
小さな口ではむはむ食べているマリスも、上機嫌だ。食器というものを使わないことも多いベルアニア料理は、食べた後に手を洗わなければいけないことが多々あり、マリスはそれが嫌いらしい。美咲も同意見である。
一方で、美味しいことは認めつつも、不満そうなのがイルシャーナだ。
「悪くありませんけど、ゴージャスじゃありませんわね。わたくしには合いませんわ」
「合わないなら食べなくてもいいんじゃない? 残りはボクが貰うよ」
「なっ! 食べないとは言っておりませんわよ!」
ひょいと手を伸ばすマリスから、イルシャーナは間一髪で己の食事を守った。食べられてなるものかと、イルシャーナはむぐむぐとハンバーガーもどきを頬張る。一度に口に入れすぎて、目を白黒させながら必死に咀嚼する様子は、まるでリスのようだ。
「これは中々いいですねぇ。その気になれば片手で食事を取れますし、何か作業しながらでも食べられます」
上機嫌にハンバーガーもどきにかぶりついているのはシステリートだ。収納式のベッドを引き出して、その上に座って椅子代わりにしている。これ幸いと空いているベッドのスペースにはアンネルが潜り込んでいた。睡眠に関することについては、アンネルは無駄に抜け目の無さを発揮する。
「最高。寝ながらでも楽に食べられる」
横になった状態でもそもそ食べているアンネルに、ラピが眦を釣り上げて注意した。
「起きて食べなさい。行儀が悪いわよ」
「だが断る」
間髪入れずに放たれたアンネルの返答を聞いて、ラピの額に青筋が浮かんだ。
「へえ、そういう態度取るんだ……」
「煩い。エァネェアテヌゥオミィエノォイヘウォムオィボツソケアゥタァウレネオ」
不機嫌そうにアンネルが魔族語を呟くと、急にラピが目を瞬かせた。
「あっ、あれっ!? 姉さまがいっぱいいる!?」
どうやらラピはアンネルに魔法で幻影を見せられているらしい。
「え!? 姉さま皆が私のためにご飯を作ってくれるの!? そんな、嬉しい!」
ラピはにやにやと笑いながら腰をくねらせ始めた。幻聴も聞こえているようだ。
「どうするんだ、これ」
トリップしているラピに抱き付かれ、ドーラニアが困った顔をする。
どうやらラピは皆の姿を隠すように美咲の幻影を見せられ、幻聴を聞かせられているらしい。
「こうすればいいのよ」
苦笑した美咲が、ドーラニアからラピを引っぺがした。
「あれっ? 姉さまハーレムはどこに行ったの? 私の桃源郷は?」
慌てた様子で、ラピはきょろきょろと周りを見回す。
「なるほど。主様なら触れただけで魔法を無効化できますから、解除にはもってこいですね。ニーチェはもう面倒くさくなったので、殴り飛ばして気絶させようと思っていました」
握り込んでいた拳を開いたニーチェが物騒なことを言い出したので、美咲は引き攣った表情を浮かべる。
「すぐバイオレンスな選択肢に走るのはやめようね!?」
美咲がニーチェを宥める横では、ようやく状況を理解したラピが真っ赤になってぷるぷる震えていた。
「なんて醜態……く、屈辱だわ!」
「まあ、とにかく後はアンネルに折檻したら、ニーチェも食事の続きをするのです。……あれ?」
アンネルの下へ行こうとしたニーチェが、素っ頓狂な声を上げた。
手に持っていたはずのハンバーガーもどきがいつの間にか無くなっている。
周りを見回すと、美咲を含め、皆の視線は一点に注がれていた。
向けられた視線の先では、既に空になった紙包みを放り捨てたレトワが、二つ目の包みを開けていた。どこからどう見ても、ニーチェが食べかけていたハンバーガーもどきだった。
「レトワは二個目を食べるのだー」
「待つのです! 全く、油断も隙もない!」
さっそくかぶりつこうとしていたレトワから、ニーチェは間一髪で自分のハンバーガーもどきを取り返すことに成功した。俊足は伊達ではない。レトワが反応できないほどの速さだった。
「ああー。レトワのお代わりがー」
空になった両手を見て、レトワががっかりした顔をする。
「これはニーチェのです! レトワは自分のはどうしたんですか!」
「食べちゃった」
目くじらを立てるニーチェに、レトワはけろりと悪びれずに言った。
「なら我慢しなさい。全くもう……」
ぶつぶつ文句を言いながら、ニーチェは食事を再開する。
レトワの方が年上なのにも関わらず、完全に扱いが逆転していた。
普段なし崩しにレトワやアンネルのストッパー役になっているセニミスは、二人をそっちのけで食事に没頭していた。
やや緊張した表情でハンバーガーもどきを食べ終えると、包み紙で口元についたソースを拭う。
「ちょっと物足りないけど、後のことを考えたらこれくらいが丁度いいんでしょうね」
セニミスの意識は、既にこれから始まる戦争へと向いていた。別におかしくとも何ともない。むしろそれが普通である。
「どうしてですか? 戦争前なら、しっかり食べた方が力が出るし、動けるのでは?」
不思議そうな表情のメイリフォアに、セニミスは答えた。
「未消化の食べ物が胃に残ったままだと危険なのよ。もし腹を斬られでもしてみなさい。傷口から消化途中の食べ物が溢れて酷いことになるわよ」
「なるほど。そんなことになってしまったら、治療するほうも大変だものな」
感心した様子で頷くアヤメに、セニミスは肩を竦める。
アヤメの手には既にハンバーガーもどきはない。もう食べ終わったらしい。
「そうなのよ。まず異物を取り除かなきゃいけないし、その間も血を止めたりするために魔法は使い続けなきゃいけないから、負担が大きいのよね。後から症状が現れる場合もあるから、一回治してはい終わりっていうわけにもいかないし」
「確かに、自然治癒でも綺麗な傷の方が治りやすそうですものね」
まだ現在進行形で食べているサナコが、相槌を打った。
その後も色んな話題で話は弾み、一行は休息を取った。
午後からは、魔族との戦争が待っている。