十七日目:最も長い一日の始まり4
タゴサクたちと別れ、美咲は再び馬車上の人となり、ようやく宿屋へ帰って来た。
服屋に行っていたディアナたちは予想通り先に帰ってきていて、新品の馬車で宿屋だった敷地内に乗りつけた美咲たちを出迎え、その馬車の大きさに、一様に目を丸くする。
「お帰りなさいませ、美咲様。これは、凄い大きさですね。これほどまでに大きな馬車を見るのは、初めてです」
一番に美咲を出迎えたディアナが、装甲馬車を見て感嘆の息を吐いた。
美咲の元の世界で走っていた大型貨物トラック二台を並べたのと同じくらいの大きさで、その重量もさることながら、三頭のバルガロッソが、楽々と引いて進んでいく光景は、異様としか言いようがない。
バルガロッソは馬型であるワルナークとは違い、カバに似てどっしりとした体型をしている。ワルナークのように速く走れない代わりにワルナークよりも遥かに力強く、ワルナークが引けないような重さ、大きさの馬車でも、ぐいぐいと引っ張っていくことが出来る。その代わりにワルナークのような身軽さ、素早さはないものの、足の遅さは重量物を引くという意味ではかえって都合が良い。
実際、ディアナがこの装甲馬車を見た第一印象は、「移動する家」と表現しても差し支えないほどで、アリシャやミリアンの馬車と比べてもなお、大きい。
まあ、家というよりは、鋼鉄のフレームと鉄板で出来ているのだから、戦車と呼んだ方がよほどしっくり来るかもしれない。天井には巨大な戦闘弩座が据え付けられているのも、その認識を助長する。
「ディアナ、美咲様がお帰りになったの?」
遅れて馬車から出てきたセザリーが、いつもの彼女にしては珍しく、堂々たる威風を以って鎮座する馬車を見上げ、ぽかんとした表情で口を空けた。
「ただいま、ディアナさん、セザリーさん」
馬車から降りた美咲は、馬車を近くの木に繋ぎ、その過程で出迎えた二人に挨拶をすると、早速三頭のバルガロッソの下へ歩いた。
何しろ、美咲にとっては、自分の馬車を持つということは初めてのことであり、まるで一城一国の主になったかのような気分であり、そんな美咲にしてみれば、三頭のバルガロッソは新しい仲間に違いないのである。
「ヒヒーン(ニク、クイタイ)」
「ヒヒーン(ハラヘッタ)」
「ヒヒーン(ノドカワイタ)」
短く嘶くバルガロッソの意思が、サークレットによって美咲に伝わる。
「お昼になるまで我慢してね!」
「そうだ! この子たちにもミーヤの演奏聞かせてあげる!」
馬車から飛び出したミーヤが魔物使いの笛を一生懸命吹いた。
小さな身体で顔を真っ赤にして一生懸命魔物にしか聞こえない笛を吹くミーヤはとても可愛らしく、演奏が終わると美咲は実際の音は聞こえなかったにも関わらず、ミーヤを褒めちぎった。
「上手い! 上手いよ、ミーヤちゃん!」
「ヒヒーン(ウマカッタカ?)」
「ヒヒーン(ソウデモナイゾ)」
「ヒヒーーン(ムシロヘタダッタナ)」
三頭のバルガロッソは顔を突き合わせて首を傾げているが、美咲は彼らの言葉が自分以外に分からないのをいいことに、何も聞かなかったことにした。あえてぼかしておいた方がいいこともあるのである。
「うっそ、美咲もう帰ってきちゃったの!? あーん出遅れた!」
騒がしい声と共に、ミリアンの馬車からテナが飛び降りた。
テナもまた、まず馬車の大きさに目を丸くし、次いで三頭のバルガロッソに吃驚する。
「凄い。これが私たちの馬車なんだね。これならテナたち全員が乗っても余裕がありそう! 乗ってみていい? 乗るよ!」
興奮したテナは、答えを待つこともなく形式的に宣言だけして動こうとする。
「こら! テナ、美咲様の許可を取る前に乗るのは駄目よ!」
慌ててテナを制止するセザリーに、美咲は気さくに笑った。
「構いませんよ。皆の家のようなものですし」
そこへ、ミリアンの馬車の後部扉から、イルマが顔を出す。
「もー、途中でセザリーちゃんもテナちゃんもどこ行ったんですぅ? ……あ、美咲ちゃんですぅ!」
美咲を見るなり表情を輝かせたイルマは、馬車から飛び降りると、両手を広げて美咲に駆け寄り、飛びついてきた。
「私たち、ちゃんと制服受け取れましたよぅ! 見ますぅ?」
「見たい! イルマちゃん、見せてくれる?」
「どうせだから、一緒に道具類を新しい場所に積み替えちゃいますよぅ。というわけで皆さん、作業開始ですぅ!」
「およ?」
きょとんとした美咲が眺めていると、ディアナ、セザリー、テナ、イルマ、ペローネ、イルシャーナ、マリスたち服を受け取りに行っていた人員たちが、道具袋や武具などの荷物を装甲馬車に積み込んでいった。
元から装甲馬車の中にいた者たちも事態に気付き、動き出す。
「……大きい。これならあたしたち全員が乗り込めそうね」
自分の道具袋と、イルシャーナ、マリスの道具袋を合計三つ持ったペローネが、装甲馬車を見上げて目を細める。
「私たちも手伝うわ」
「お願いいたしますわ! まだまだ運ぶものはいっぱいありますものね!」
道具を積み込むため装甲馬車に乗り込むイルシャーナと入れ違いにラピが馬車を降り、続いてメイリフォアが御者席から飛び降りる。
「私もやります。何かしていないと落ち着きませんし」
小心なメイリフォアは、こんな時でも落ち着かない様子でそわそわしていた。
「ところでアンネルはどうしてる? 起きてる?」
いつまで立っても出てこないアンネルについて美咲が尋ねると、次に出てきたアヤメとサナコが教えてくれた。
「あいつなら寝てるぞ」
「収納式のベッドを見つけて、凄い喜んでましたよ」
にやにや笑いのアヤメと、くすくすと可愛らしく上品に笑みをこぼすサナコは、美咲のリアクションを期待しているようだ。
無言で馬車に乗り込んだ美咲は、寝ていたアンネルを引っ張り下ろした。
「気持ちよく寝てたのに……」
「まだお昼にもなってないわよ。寝るには早いわ。ほら、私たちも道具の積み替えやるわよ」
「むー」
さすがに美咲の前ではふざけたことも言えないらしく、アンネルはしぶしぶ美咲に倣って作業を手伝い始める。
「そういえば、システリートさんたちは?」
作業を進めながら、美咲がふと気になった疑問を声に出すと、マリスが答えた。
「まだ調合中だよ。皆に行き渡るように数をこなさないといけないから、向こうは向こうで修羅場みたい」
システリートの陣頭指揮で、今現在も彼女を含め、ミシェーラ、ニーチェ、ドーラニア、レトワ、セニミスの六名が、調合作業に当たっているはずである。二十名近くになる全員分の薬を確保するのは、六人掛かりとはいえ大変だろう。
特に回復魔法を込めるという魔法薬作りに必要不可欠な作業を担当するセニミスの負担は、相当大きいはずだ。
「あー、全部押し付けちゃったもんねぇ。大丈夫かな。レトワちゃんとか、材料食べてないといいけど」
「否定したいところだけど、し切れないところが怖いね」
話し合う美咲とマリスは、お互いの顔を見合わせて苦笑し合う。
たまたまマリスと美咲の話を聞いていた、荷物運びの途中だったペローネが口を挟んでくる。
「案外、もう手遅れになってるかも」
美咲の脳裏には、お腹が減るあまり、調合前の薬草をむしゃむしゃ食べるレトワの幻影がはっきりと浮かび上がった。
「ちょ、ちょっと確認してきます」
不安になった美咲は、その場を皆に託すと、アリシャの馬車で作業中のシステリートたちの下へ向かった。
邪魔をしないように、そっと音を立てないように気をつけて後部扉を開けると、中から薬草の強い臭いが漂ってくる。傷薬を作る過程で、薬草を煮たり磨り潰したりするので、臭いが出るのだ。
(……うぇ)
しかめっ面になりそうなのを堪えつつ、美咲は身体を滑らせるように馬車の中に入った。
「あれっ、ご主人様、帰ってらしたんですか!?」
一心不乱に石臼と棒で薬草を磨り潰していたシステリートが、驚いた様子で顔を上げた。よほど集中していたのか、鼻の頭に薬草の汁がつき、緑色に染まっている。
「えっ。美咲が帰って来たの? 嫌だわ、私たちったら、どれくらいやってたのかしら。今が何時か分からないわ。まさか、もう時間? 皆、お昼ごはん食べ損ねちゃった? 今から急いで準備して、間に合うかしら」
うろたえ出したミシェーラを、美咲は笑顔で落ち着かせる。
「大丈夫です。まだ昼までは時間がありますよ」
「そうなの……。良かった。ああ、挨拶が遅れてしまってごめんなさいね。お帰りなさい、美咲」
ほっとため息をついたミシェーラは、丁寧に美咲の帰還を労う。
「割と、こういう地味な作業は嫌いじゃないのです」
真面目なニーチェはこういう黙々と行う作業が性に合っているようで、あまり疲労している様子もなく、手つきも正確だった。
逆に目が死んでいるのがドーラニアとレトワで、二人はひたすら摘んだ薬草を選別するという、同じような動作を機械的に繰り返していた。
「……あの二人、大丈夫なの?」
生気の無さを不安に思った美咲が誰にともなく尋ねると、残る一人であるセニミスが口を挟む。
「肉体的には私がこまめに回復魔法をかけてるから問題ないはずよ。ただ、回復魔法でも、精神的な疲れまではどうにもならないのよね」
「二人とも、ずっとあのまま?」
壊れかけたロボットのようなぎこちない動きのドーラニアとレトワを見ながら、美咲の疑問にシステリートが答える。
「誰かと交代させてあげたいのはやまやまなんですけど、正確に分けられるのが、あの二人しかいないんですよ。場合によっては命に関わるので、選別作業はしっかりやらないといけませんから」
「一人ずつ交代しながらやるのは無理なの?」
「残念ながら、時間が足りませんね」
システリートが重々しく言った。
ドーラニアは採集知識が豊富だから選別も得意だし、レトワは感覚が鋭く、毒草、薬草の判別に優れている。
この二人をフル稼働させないと、他四人の作業がすぐに追いついてしまうのだ。
別に誰かが無能というわけでもなく、ただ単に作業量の問題である。
一つ一つ判別しなければならない選別作業に比べ、傷薬作りは複数の薬草を纏めて使用できる。だから調合手順が多少複雑でも、比較的簡単に済んでしまうのだ。
「ひとまず、新しい馬車に移動して、そっちでやりませんか? これ以上、アリシャさんの馬車を薬草臭くするのも心苦しいし」
美咲が提案すると、作業を中断するにはちょうどいい機会だったらしく、システリートは手を止めた。
「ああ、そういえば、ご主人様たちは馬車を買いに行っていたんでしたね。良いものは買えましたか?」
「ばっちり。ほら、あれよ。見て」
後部座席の扉を開け放った美咲は、外に聳える家のような大型装甲馬車を見せ付けた。
「おおおおお、格好いいですね! 早速移動しましょう!」
目を輝かせたシステリートは、いそいそと自分の荷物を纏めると、アリシャの馬車を降りた。
同じく馬車から降りたミシェーラが、装甲馬車を見上げて瞑目する。
「思っていた以上に大きいわね」
「皆そう言うんですよ。確かに大きいですよね。いい買い物をしました」
驚くシステリートやミシェーラの様子が見られて、美咲は満足そうに笑う。
「これが、ニーチェたちの新しい家なのですね……」
ぱああっと華やぐような笑顔を浮かべたのは、ニーチェだ。
調合器具を抱えながら、興味深々な表情で装甲馬車を見つめている。
「早く開放されてぇ……」
「レトワ、お腹空いたよぉ……」
ゾンビのような足取りで、ドーラニアとレトワが装甲馬車に視線を向けている。
「ほら、さっさと移動する。美咲、中で続けて作業していいんでしょ?」
セニミスが、精神的疲労でよろよろふらふらしているドーラニアとレトワを急かしつつ、美咲に振り向いて装甲馬車での調合許可を求める。
「もちろんよ。臭いが篭るようだったら、外の座席も結構大きいし、屋上にも上がれるから、好きな場所を使って。あ、今荷物の搬入やってるから、中だとかえってやり辛いかも」
美咲の返事を聞いたセニミスは、システリートに話を振った。
「ですって。どうする? リーダーはあなたよ」
「じゃあ屋上でやりましょうか。どんな眺めか見てみたいですしね」
少しだけ考えて、システリートはすぐに決断を下す。
システリートを初めとする調合班が、中に入り折り畳み式の梯子を下ろして屋上に上がった。
屋上は胸程度の高さの防壁を兼ねた落下防止柵で囲われており、四隅に座席と弩からなる戦闘弩座が設けられている。
装甲馬車自体が大きいので、戦闘弩座があってもそれほど狭くは感じない。しかもこの戦闘弩座は固定式と移動式が切り替えられるようになっており、配置を自由に工夫することができるようになっていた。よって、必要ない時は脇に避けてスペースを作ることもできる。
「か……格好いいです!」
戦闘弩座を見たニーチェがキラキラと目を輝かせる。
まるで魅力的なおもちゃを与えられた子どものように、ニーチェは調合そっちのけで戦闘弩座に興味を奪われ、弄りだす。
「これ、単発ではなくて、三連給矢式ですよ! 狙撃主と給矢主でペアになれば、射撃間隔はかなり短くなります! それが四機も! ニ、ニーチェは試射してみたいです!」
「調合済んでないんだから、後にしてください。というか、あなた弓の心得はないでしょう」
「うぐっ」
システリートに突っ込まれ、ニーチェが凍り付いて押し黙った。
本来ならシステリートの方が騒ぎ出すことが多いのだが、リーダーという地位に責任を感じているのか、システリートのおふざけ振りは鳴りを潜めている。
屋上への上り方の説明などで同行した美咲は、意外なシステリートの一面を見て、少しシステリートを見直した。
(……これから、システリートさんには何かしらのまとめ役についてもらおうかな。その方が良さそう)
よくおふざけの被害に遭っている美咲としては、システリートが真面目に動いてくれるならそれに越したことはないので、システリートを重要な位置につけることも考えておくことにする。
「戦闘弩座は動かせるから、邪魔なら脇に避けてね。給矢はされてないから、誤射の危険性はないと思うけど、移動させる際に間違っても人に向けないように注意して。周りの人も、うっかり戦闘弩座の前に立たないよう気をつけて。もし矢が装填されてて発射されたら、下手をすれば死人が出るから」
「殺傷力があるんですから当然ですね。肝に銘じておきます」
夢中になって戦闘弩座を触っていたニーチェが、美咲の注意で我に返り、戦闘弩座から離れた。
「ねえ、システリート。弩座を退かして、スペースを作った方が良いでしょ?」
尋ねたミシェーラに、システリートが答える。
「そうですね。隅に片付けておきましょう」
ミシェーラが戦闘弩座を移動させる間に、システリートは調合器具を確保したスペースにセットした。
「それじゃあ、ドーラニアとレトワは引き続き薬草の選別、お願いしますね」
無慈悲なシステリートに、ドーラニアとレトワががっくりと肩を落とす。
「選別、私も手伝うわ。いい加減ドーラニアとレトワが限界みたいだから」
見かねたセニミスが助力を申し出ると、システリートは少し考え、許可を出す。
「仕方ありませんね。無理をしていざ本番で使い物にならなくなっても困りますし」
精神的に疲労しているドーラニアとレトワは、セニミスが加わることに露骨にホッとした顔をした。
「た、助かった……」
「レトワ、もう薬草は見たくない……」
「ほら、まだまだいっぱいあるんだからやるわよ!」
セニミスに叱咤され、ドーラニアとレトワの二人はゾンビのようなうめき声を上げながら薬草の選別作業を再開した。




