十六日目:襲われた商業都市6
夜中に美咲はむっくりと身を起こした。
勇者の剣と馬車に積まれていたフックつきロープを手に取ると、寝ている仲間を起こさないように注意して馬車の外に出る。
空は満点の星の輝きで満ちていた。
美咲が知る元の世界の夜空とは、全く違う星の海。
その海の下を、美咲は歩く。
ラーダンの外壁まで来た美咲は、周りを見回して人目が無いことを確認すると、街壁にロープのフックを引っ掛け、街壁をそれなりに身軽な動きで乗り越え始めた。
街壁を越え、美咲は草原に降り立つ。
街の周りには、あまり魔物が寄り付かない。それでも、ヴェリートが落ちたせいか、以前美咲が経験したような城壁の外の宴会は無く、辺りは静まり返っている。
「ケェアジィエユゥ」
小さく風の魔族語を呟き、踏み出す足に風の反発を乗せ、通常では得られない速さで草原を走る。
前方から襲い来る魔物や魔族を幻視した美咲は、躊躇わずに勇者の剣を引き抜いた。
「ケェアジィエユゥ」
さらに魔族語で風の反発を強め、力を込めて地面を蹴る。
風に乗って疾駆した美咲は、勇者の剣を振り上げると、幻影の敵目掛け振り抜いた。
剣速そのものは無理やり強化していないため、いつかのように手から剣がすっぽ抜けることもなく、美咲は手首を返してニ撃目を振るう。
一撃目は袈裟、二撃目は逆袈裟で、バツ字のような斬撃になった。
美咲はさらに踏み込み、渾身の体当たりからの突き上げ、素早く密着しての肘撃ち、側面に回りこみながらの回転斬りと、よどみなく連撃を繰り出す。
ちゃんとした型ではない我流の剣技ではあったが、その一部始終は中々様になっていて、ただのか弱い女子高校生ではいられないという、美咲の強い思いが形となっていた。
「ヘェアジィエルゥ」
一言で爆炎が巻き起こり、美咲を炎が包み込む。規模も対象も指定せずに放つ欠陥魔法。しかし、美咲にとってはこの上なく便利な魔法だ。
「ケェアジィエユゥ ムゥオトォイエァギィエチ」
再度魔族語を呟いた美咲は、炎を纏ったまま地を蹴り、空に身を躍らせた。
跳躍した美咲の身体を、魔族語によって発生した激しい上昇気流が空中に跳ね上げる。
「ウォオィケェアジィ ヘェアギィエソォイカァ。ヘェアゾォイキィエユゥ エァソォイムゥオツヌ フゥオヌウォ!」
口から紡がれた魔族語が、美咲の身体をその場から弾丸のように撃ち出した。
尾を引く一条の赤い彗星と化した美咲は、空中に佇む想像上の蜥蜴魔将目掛け、全力で斬りかかった。
実体の無いブランディールと斬り結んだ美咲は、やがて地上へと降りていく。
地面に降り立った美咲は、力尽きたようにその場にぶっ倒れた。
「負けたのか」
「はい」
いつの間にか下にいたアリシャに聞かれ、大の字に地面に転がっていた美咲は、憮然とした表情で答えた。
「お前の想像にすら勝てんようじゃ、先が思いやられるな。明日の戦争は止めとくか」
「いいえ、止めません」
「強情な奴だな」
即座に言い返した美咲に、アリシャが苦笑する。
「そもそも、アリシャさんがどうしてこんなところにいるんですか。私、皆が眠ってるのを確認してからこっそり出てきたのに」
「最初の台詞、そのまま返すぞ。美咲はどうしてこんなところにいる。今は真夜中だぞ。子どもは寝る時間だ」
「……気付いている癖に」
上半身を起こして意地の悪いアリシャを睨み、美咲は膝を抱えた。
色々修行して強くなったつもりでいたけれど、あの魔将に勝つイメージは未だに掴めない。勝ちたいのに、ルフィミアの安否を知りたいのに、思いばかりが先行して、美咲はぐるぐると堂々巡りを続けたままだ。
「アリシャさん。私に修行をつけてください」
「断る。言ったろ。もう寝る時間だ。子どもは帰って寝ろ」
「それじゃあ間に合わない!」
悲鳴のように叫んだ美咲を、アリシャは見つめた。
「お前には、守ってくれる奴がたくさんいるだろう。あいつらが信じられないのか?」
「そういうわけじゃありません。だけど、私知っているんです。守られてるだけじゃダメなんだって。自分から戦わないと、望む未来なんか、引き寄せられっこない」
今まで何度も思い知らされてきたのだ。
エルナを死なせ、ルアンに助けられ、ルフィミアを置き去りにした。
仕方の無いこととはいえ、そんなことは美咲はしたくなかった。したいわけがなかった。それでもそうせざるを得なかったのは、ひとえに美咲が弱かったせいだ。弱い形にも、立ち向かおうともしなかったせいだ。
弱気が皆を死なせた。怠惰が皆を死に追いやった。それを知っているから、美咲は努力する。
そして明日は、因縁の蜥蜴魔将ブランディールと戦いになるかもしれない。
起きていたって、目が冴えて眠れないに決まっているのだ。
勝算は無いわけではない。自身に強化魔法の効果が無くとも、触れさえすれば、敵の強化魔法も無効化できる。ならば後は元の地力と、美咲のやけっぱちの奥の手、自爆の出番だ。体質が無ければ自身さえ爆死するほどの火力をぶつけることが出来たら、きっと倒せる。
だからその火力を引き出せるようにしなければならない。
美咲は立ち上がると、もう一度勇者の剣を構え、今度は一から素振りを始める。
しばらく美咲の素振りを観察していたアリシャは、自分も愛用の大剣を引き抜いた。
「来い。練習に付き合ってやる」
「お願いします!」
目を輝かせた美咲は、アリシャに振り向くと、勇者の剣で斬りかかった。
狙うは肩口。外れても腕に当たれば御の字である。
実力差のせいもあるが、美咲自身も本気で当てる気がないせいもあって、読み易い剣筋だ。
アリシャが冷静に一歩下がると、美咲の一撃は空振りした。
「この!」
信じられないほど軽い勇者の剣特有の、速過ぎる斬り返しで、美咲がアリシャにニ撃目を放つ。
今度もアリシャは無造作に一歩下がってかわした。
「むー……」
当てるつもりはないと言っても、当てないのと当たらないのでは、同じ結果でも雲泥の差がある。
全く当たる気配のない攻撃に美咲が唸ると、アリシャはにやりと笑った。
「どうした。次を打ち込んで来い」
唇を引き結んだ美咲は、小さな声で魔術語を呟いた。
「ケェアジィエユゥ」
巻き起こった風が美咲の背を押し、美咲は先ほどよりも早い速度で駆ける。
「へぇ……」
口元に薄く笑みを浮かべたアリシャは、大剣を片手にぶら下げ、迫り来る美咲を見つめた。
かなりの重量を持つ大剣を軽々と片手で握る姿からも、アリシャの実力の高さが窺える。
目前まで美咲が走り寄って、初めてアリシャが動いた。
力強く一歩踏み込み、美咲の走る速度と自分の踏み込みの速度を利用して、巻き打ち気味に大剣の柄頭を勇者の剣の柄頭に叩きつける。
「あれっ?」
衝撃で手元からすっぽ抜けた勇者の剣が地面に転がり、美咲は自分の手元とアリシャを見比べた。
未だにアリシャは大剣を携えている。それに比べ、美咲の武器は足下だ。
「……ええっと、拾い直す時間ありますか?」
愛想笑いを浮かべながら美咲がアリシャに尋ねると、アリシャはにんまりと唇の端を引き上げた。
「あると思うか?」
「ですよねー」
振るわれる大剣を、美咲は着地など考えずに横っ飛びにかわす。それだけでは追撃を避けられないので、美咲は魔族語を唱えた。
「ケェアジィエユゥ。ハァウコォイエァリィエルゥ!」
突如巻き起こった突風が、アリシャの動きを僅かに鈍らせる。その隙に、美咲はぎりぎり追撃をかわすだけの余裕を手に入れた。
「魔族語にはだいぶ慣れてきたみたいだな」
「おかげさまで!」
地面にめり込んだ大剣を持ち上げ悠然と振り返るアリシャの軽口に同じ軽口を返しつつ、美咲は勇者の剣を拾い、距離を取る。
やはり、アリシャは強い。それでも折角の機会なのだ。やるならとことんやって、アドバイスを貰いたい。
勇者の剣を構え、美咲は疾走する。もちろん、魔族語で補助済みだ。
追い風で走力を上昇させ、さらに足の裏に上昇気流を発生させて宙を舞う。
「器用なことをするなぁ、お前」
地上で感心したように言うアリシャに、上空を取った美咲はにっと笑った。
「いきますよ、アリシャさん」
思い切り勇者の剣を振りかぶった美咲は、アリシャ目掛けて勇者の剣を振り下ろした。
「あれ?」
いきなり地上にいたアリシャが消えて、美咲が振り下ろした勇者の剣はむなしく地面を叩いた。
同時に横合いから衝撃を受け、美咲は派手に吹っ飛ぶ。
痛みは無いが、驚いた美咲は、慌てて魔族語を唱え、地面に叩きつけられて隙を見せるのを防ぐ。
着地して体勢を立て直し、美咲は慌てて周りを見回す。
「えっ、ちょ、アリシャさん何処!?」
「上だ、阿呆」
涼やかな声に上空を振り仰げば、先ほどの美咲と同じように、上空で大剣を振りかぶるアリシャの姿があった。
美咲の時との大きな違いは、やはり筋力の差と、武器の質量の差だろう。繰り出される一撃は、おそらく美咲の一撃の比ではない。
「タァウトォイケェアビィ ノォイギィエモトゥオハァウセェアギ」
「えっ! ああっ!?」
アリシャが唱えた魔族語によって、美咲は四方の逃げ道を突如出現した土の壁に阻まれた。
「ちょっ、アリシャさん、これ、寸止めしてくれるんですよね!?」
「意外と大剣って重いんだよな」
「どういう意味ですか、それ!?」
にやりと笑いながら、アリシャは大剣を美咲目掛けて振り下ろす。
「みゃあああああああああああ!」
涙目になって変な悲鳴を上げる美咲目掛け、大剣が暴虐的な勢いで振り下ろされた。
美咲に直撃してその肉体を完膚無きまでに破壊するその寸前で、大剣はぴたりと止まる。
「おっといけない、手元が狂うところだった」
白々しく言って大剣を美咲の前から退かすアリシャの膝を、起き上がろうとして腰が抜けて立てなかった美咲は、座り込んだままぽかぽか叩いた。
「ばかぁ! 死ぬかと思ったじゃないですかぁ!」
「すまんすまん。終わりにするか。本当に手元が狂ったら危ないしな」
苦笑を浮かべ、アリシャは美咲の頭を撫でた。
親が子どもを見るような、優しい瞳で。
「えへへへ……」
頭を撫でられた美咲は、はにかんでアリシャのごつごつした手のひらの感触を楽しんだ。
無骨で節くれだった巌のような武人の手は、触り心地はあまり良いものではなかったが、それでも美咲はその感触が好きだ。不思議と、そのでこぼこさが心地よく感じる。それがアリシャの手だからこそ、そう感じるのかもしれない。
夜更かししたせいだろうか。撫でられるがままだった美咲の背がふらりと揺れた。アリシャに抱きとめられた美咲は、静かな寝息を立てている。撫でられて安心して、気持ちよくなって、それで寝てしまったらしい。
「子どもみたいな奴だな……」
思わずそう呟いたアリシャは、自分の台詞におかしさを感じて、苦笑する。
みたいも何も、美咲はまだ子どもなのだ。この世界では大人として扱われるべき年齢でも、育った世界ではまだ子どもで、その精神も未だ幼い。さらに言えば、経験した辛い出来事が、子どものままでいることを後押しさせている可能性もある。己の心を守るために。
アリシャは美咲を抱き上げ、城壁の傍に戻ると、美咲が使ったロープを拝借して壁を越えた。
「ううむ……。やっぱり美咲に触れていると、動き辛いな」
壁からロープを回収しつつ、小さな声で一人ごちる。
馬車まで戻ると、ミリアンが外で待っていた。
「お姫様はお眠りかしら?」
からかうような口調で、ミリアンは眠る美咲を見つめる。
「ああ。夜更かしが堪えたようだ。ぐっすりだよ」
「……前にも言ったけど、あまり入れ込むと後が辛いわよ。その子は長生きできないんだから」
気遣わしげに言うミリアンに、アリシャは肩を竦める。
そうだ。アリシャは美咲を慈しみながら、しかし冷酷に美咲の実力を見極めている。
美咲は確かに強くなった。それはアリシャも認めるところだ。確かに、奇跡が起きれば或いは蜥蜴魔将を倒せるかもしれない。
しかし、アリシャもミリアンも常識として知っている。魔王は、魔族の中で誰よりも強いから魔王なのだ。蜥蜴魔将と死闘を繰り広げる程度では、天地が引っ繰り返っても魔王に勝てない。
魔王を倒せない以上、美咲は後二週間も経てば、死ぬ。
それは、そう遠くないうちに訪れる結末。
逃れようの無い未来。
「だから今まで、色々やってきたんじゃないか。禍根を残さないために」
「分かってるならいいけど」
「分かってるさ」
「どうだか」
静かに、夜は更けていく。