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美咲の剣  作者: きりん
四章 死闘
207/521

十六日目:襲われた商業都市4

 いつまでも、悲しんでばかりいられない。

 ひとしきり泣いたら、前を向いて先に進み、魔王を倒すのだ。それが空襲の犠牲者に対して美咲が出来る、何よりの手向けとなるだろう。

 夕飯が終わり、器を教会に返却して、美咲たちは宿屋に戻ってきた。

 建物が焼け落ちてしまったとはいえ、幸いなことに井戸は使える。中に何も投げ入れられなかったのが幸いした。

 あとは入浴といきたいが、もちろんお風呂などという贅沢なものはないので、できるのはせいぜい井戸の水を汲んでそれで身体を拭くらいだ。

 本来なら盥に水を汲んで部屋に持ち込み、そこで身体を拭くのだが、肝心の建物が焼けて燃え落ちているのでは仕方ないので、美咲は宿屋の敷地内に繋いでいるアリシャの馬車で身体を吹くことにする。

 皆でぞろぞろと移動すると、同じ考えだったのか、ちょうどアリシャとミリアンが布で身体を拭いているところだった。

 全裸だった。

 どこからどうみても全裸だった。

 ムッキムキの腹筋とか、岩みたいな太ももとか、普段なら見えない場所の筋肉がよく見える。女性ながら、完成された筋肉美に美咲の目は釘付けである。


「お、美咲。帰って来たのか」


「んー、気持ちいいわぁ。井戸が無事に残ってて良かったわねぇ」


「わああ凄い筋肉ですね、アリシャさん」


 本来ならば、筋肉お化けの全裸など見せられたところで嬉しくともなんともないが、そこはアリシャ大ラブリーな美咲である。

 落ち込んでいた反動もあり、きゃーきゃー黄色い声を上げながら興味津々に裸体を見つめた。性的な意味はなく、混じり気なしの好奇心である。

 我慢できなくなった美咲が手を伸ばす。


「……おい、触るな。くすぐったい」


 悪意なく美咲に腹を撫でられ、アリシャは困ったように眉を下げた。

 脂肪交じりの筋肉ではなく、純粋に戦う者として必要な筋肉だけを身につけているアリシャは、綺麗な逆三角形のシルエットを描いていながら、女らしさを損なっていない。元々の手足の長さのバランスが良く、胸が大きく背も高いせいだ。元々娼婦だったという話も頷ける美しさである。

 目をキラキラとさせる美咲に、ミリアンがくすりと笑った。


「あらぁ。美咲ちゃんは私たちみたいな体格が好きなの?」


「元の世界じゃ異様なだけですけど、こっちだと便利ですもん。特に私には。私もアリシャさんみたいになりたいんですけど、やっぱり思うようにはいきませんね」


 答えた美咲は、今度はミリアンの身体をじっくり見て、アリシャの身体と見比べた。どちらもガチムチで、甲乙つけ難い肉体の持ち主だ。だが、僅差で胸の大きさはミリアンの方が上回っている。とはいえもちろんどちらも、美咲など鎧袖一触する胸の持ち主であることに変わりはない。


「そもそもの骨格が違うからな。お前が私みたいに筋肉をつけても、たぶんずんぐりむっくりになって弱くなるだけだと思うぞ。前の鍛錬で最低限の筋肉はつけてやったから、後は実戦を重ねれば自然と必要な筋肉が鍛えられていくさ」


「うーん……。あんまり自分ではムキムキになったって気はしないんですよね。確かに前に比べて多少手足は太くなりましたし、硬くなりましたけど」


 美咲がそう言って自分の二の腕や足を摩る。強迫観念的なダイエットに邁進しがちな現代の若者の例に漏れず、美咲もこの世界に召喚された当初はまるで枯れ枝のような細さの手足の持ち主だった。それが今や、アリシャらと比べればささやかながらしっかりとした筋肉に覆われ、地を素早く駆ける草食動物のような張りのある足をしている。


「あの、お二人とも。一応馬車で隠れているとはいえ、外なのですから、もう少し人の目を気にした方がいいのでは」


 遠慮がちに、ディアナがアリシャとミリアンに苦言を呈した。これは美咲の教育に良くない。もし美咲がすっぽんぽんでうろつく裸族になってしまったら、誰が責任を取るのだ。

 そう危惧してはらはらするディアナとは対象的に、アリシャとミリアンはあっけらかんとしている。


「ん? 必要ないだろ。今更こんな焼け跡に来るような人間なんて居ないさ。泊まっている客も私たち以外は建物が無事だった別の宿に移ったみたいだしな」


「あなたたちも身体を拭きに来たんでしょ? さっさと脱いだら? 水が冷たくて気持ちいいわよ」


 ミリアンなど、美咲を誘う始末である。

 そして美咲は乗っかった。


「それもそうですね。えい!」


「えい!」


 一緒に美咲の真似をしたミーヤが美咲と一緒にすぽぽーんと服を脱ぎ捨て、全裸になってアリシャとミリアンの元に近付いていく。

 二人の脱ぎ散らかした服を慌てて拾い集めながら、ディアナが唖然として金切り声を上げた。


「み、美咲様! ミーヤも何てはしたない! セザリーたちも何とか言ってよ!」


 仮にも貴族に仕えていたメイドであるディアナにとって、彼女たちの無作法は目に余るのだ。恩義を感じてはいてもそれはそれ、これはこれ、むしろ恩義を感じているからこそ、ディアナは美咲を理想の主として教育しようとひそかに燃えている。

 主の全裸を目撃したセザリーは、ディアナを振り返り、菩薩のような慈愛に満ちた表情を浮かべて言った。


「私たちは、美咲様の御心に沿うように動くのが努めですから」


「テナちゃんラッキー。眼福眼福」


 にひひと笑うテナの横で、イルマが服を脱ぎ捨てて走り出した。


「が、我慢できないですぅ!」


「こら、イルマ、抜け駆けは行けませんよ!」


 真顔になったセザリーが目を三角にし、手を伸ばしたが、イルマはするりと上手く抜け出してかわした。


「そうよそうよ! 私だって我慢してるのに!」


 憤慨するテナはその場で地団駄を踏んだ。

 悔しがる義姉二人を、イルマは笑顔で手招きする。


「じゃあ二人ともこっちに来ればいいですぅ!」


 悪魔の誘いであった。


「仕方ないわね」


「うん。仕方ないね」


 目を見合わせたセザリーとテナは、いそいそと服を抜いでイルマと合流し、美咲の下へ向かう。


「あああ、三人とも何一緒に参加しようとしてるのよ!」


 唇をわなわなと震わせるディアナの肩に、ペローネが手を置いた。


「諦めろ。もうこの流れは止めらないよ。あたしにも、お前にもね。さあいくぞ」


 既に衣服を身に着けていないペローネを見て、ディアナはがっくりと両膝をついて項垂れ、引きずられていった。

 そして、美咲のこととなれば見境がつかなくなる者が他にもいる。一人はイルシャーナである。


「わたくしたちの想いは美咲様とともに。さあ美咲様、わたくしと一つになりましょおおおおおおう!」


 全裸に大きな布を巻いて体を隠したイルシャーナが、奇声を上げながら美咲目掛けてすっ飛んで行こうとするのを、マリスが素早く進路方向に回りこんで防いだ。


「ついに変態的な本性を現したね。でもボクがいる限り、美咲の身体には指一本触れさせないよ」


 全裸女だらけの中、きっちり服を着こんでいるマリスに、いつの間にかシャツ一枚のみの格好になったミシェーラが突っ込みを入れる。


「とか言って、本当は自分が触る勇気を持てないのに、他人にあっさりその一線を踏み越えられるのが許せないだけでしょう、あなた」


 指摘を受けたマリスは、顔を赤らめると視線を逸らし、自分の身体を腕で抱き締めた。


「……うん。否定はしない。どうして皆開けっぴろげにできるんだい? 恥ずかしいじゃないか」


「な、何故ですの!? 隙だらけのはずなのに、隙がありませんわ!」


 恥ずかしがっているマリスの目は、逸らされているように見えて、しっかりイルシャーナを捉えている。そのため、イルシャーナはマリスを抜き去れない。

 イルシャーナとマリスの後ろを、ドップラー効果とともに駆け抜けていく声があった。


「ご主人様、一つになるなら是非私と一緒にいいいいいいいいい!」


「あっ」


「システリートさん! 抜け駆けはいけませんわよ!」


 思わずイルシャーナから視線を逸らして振り返り、走り去るシステリートの背を見送るマリスを、イルシャーナが今度こそ抜き去る。


「お待ちなさーい!」


「待てといわれて素直に待つわけがありませんよー!」


 着ている服を脱ぎ捨てながら、システリートは全力疾走した。上手くイルシャーナの不意をついて一歩先んじることができ、システリートは有頂天である。


「ダメな奴がもう一人いたな、そういえば。ちょっと止めてくるか」


 二人で短距離の徒競走を始めたイルシャーナとシステリートを見て、ドーラニアがよっこらせと重い腰を上げた。

 いつもの胸覆いと下帯姿という露出度が高い格好だが、今だけは回りが裸だらけなので相対的に露出度が低くなっている。不思議マジック。


「早急に殲滅するのです。ニーチェが二人とも成敗するのです。そしてあわよくば主様に可愛がってもらうのです。……ぐへへへへ」


 怪しい含み笑いを上げながら、俊足を誇るニーチェが猛スピードで走り出した。

 初速で最高速に達し、あっさりとドーラニアを抜き去り、走るイルシャーナとシステリートに追いついて、彼女たちを蹴り飛ばす。


「なんとぉ!?」


 それでもイルシャーナは空中で身を立て直し、蹴られたダメージなど無かったかのように着地したが、システリートはきりもみしながら頭から地面に落ちた。

 思わずニーチェが声を上げる。


「あ、しまった!」


 システリートを蹴り落とした場所がニーチェにとっては大誤算で、まさかの美咲のすぐ傍だった。危なく美咲に直撃するところだった。

 地面は元々柔らかい質で、水浴びでぶちまけられた水を含んでさらにぬかるんでおり、さらにニーチェの蹴りの威力も加わってシステリートの上半身が地面に埋まった。

 衝撃で泥が盛大に飛び散る。

 皆裸だからいいものの、服を着ていたら汚されていたところだ。

 というか、肉体的に強化されている彼女たちでなければ普通に考えて死んでいる。


「あっ!? 気付いたら女性の下半身が地面から生えてる! 誰よこれ!」


 目を開けた美咲はぎょっとして思わず後退った。

 気付けば目の前に地面から生えた女の全裸の下半身という奇怪なオブジェが出現しているのだ。普通は怖がる。

 まあ、システリートも吹っ飛びながら残りの衣服を脱ぐほど余裕があったみたいなので、怪我はしていても死んではいないだろう。

 現に、すぐに足がじたばたと動き始める。


「実はかくかくしかじかで。ニーチェ、面目ないです」


 すぐに追いついたニーチェに事情を聞き、美咲の顔色が青ざめた。


「え、これ、システリートさんなの? きゅ、救助ー! セニミスちゃんこっちに来てー!」


 周りの女性たちの力を借りて、美咲はシステリートを地面から収穫した。泥だらけの身体に水をぶっ掛け、泥を洗い落とし、セニミスが回復魔法で負傷していたのを治療する。死んではいなかったものの、割と危ない状態だった。

 口の中の泥を吐き出しつつ、システリートはため息をついた。


「ぺっぺ。さすがに死ぬかと思いましたよ。私は戦闘用には調整されてないんですから、もう少し手加減をですね」


「そうですわ。いきなり蹴り飛ばすなんて、酷いじゃありませんの」


 ぷりぷり怒りながら、イルシャーナもやってくる。


「暴力的過ぎるのはダメよ、ニーチェちゃん。誰かを巻き込んだら大変でしょ?」


 美咲にまで諭され、ニーチェは憮然とした。


「……ニーチェは間違っていません」


 無表情で抗議をするニーチェを、美咲は続けて言い聞かせる。


「そうね。イルシャーナとシステリートさんの二人を止めようとしたのは偉いわ。でもよく考えて。方法は本当にあれだけだった?」


 安易に手っ取り早い方法を取り、あまつさえ邪な思いさえ混じっていたことは事実なので、ニーチェは反論できない。


「……ごめんなさい」


 にこりと美咲が微笑んだ。


「うん。いい子ね。素直に謝れるのは美徳よ。失敗にめげずに、今回みたいなあんぽんたんを見つけたらこれからもガツンとやってやりなさい。もちろん、やり方をよく考えた上でね」


 褒められて頭を撫でられ、ニーチェは途端に機嫌を上向かせた。

 無表情だが、目はきらきらと輝き、空想の尻尾が盛んに振られている。まるで主人に褒められて喜ぶ犬のようだ。あながち間違っていないかもしれない。ニーチェが美咲に従う姿勢は、まさしく忠犬も真っ青の忠心っぷりである。

 それらの光景を眺めながら、ユトラがむすっとした顔で唇を噛んだ。


「止めにいくところまでは格好良かったのに、ニーチェったら色んな意味で台無しよ。……いいわね、私も混ざりたいわ」


 しきりに羨ましがるユトラを、半眼でラピが見つめる。


「アンタも台無しよ。本音がだだ漏れてるわ。本音を言っていいなら、私だって姉さまと拭き合いっことかしてみたい」


 きょとんとした表情で、ユトラはラピを見た。


「何よ」


 少しむっとした顔になるラピに、ユトラは表情を和ませる。


「……ラピ。お願いだからあなたはそのままでいてね」


「な、何言ってるのよ急に」


 まるで純真な子を見つめるような視線に、というかそのものの視線を向けられ、ラピが怯んだ。

 そしてそのラピの隣で、レトワが雑草を引き抜き、土を払って食べている。


「むっしゃむっしゃむっしゃ」


 レトワに気付いたセニミスが眦を釣り上げた。


「あ、静かだと思ったら! レトワったらまた道草食べて! 食べるならちゃんとした食料にしなさいよ! これ見よがしに馬車に積んであるじゃないの!」


 叱るセニミスに、レトワはふふんと笑いドヤ顔をする。


「馬車の食料はつまみ食いしたらダメなんだよ。セニミスったら、そんなことも知らないの?」


「こんな時だけ常識的になるなぁ!」


 イラッとしたセニミスの声量が上がった。


「脱ぐ。拭く。寝る。スヤァ」


「当たり前のように参加しながら寝ないでよアンネルちゃん!」


 一方では、メイリフォアがアンネルの対応に手を焼かされていた。

 全裸で水を浴び、布で身体を擦ってからの間髪入れずに座り込んで馬車を背もたれに睡眠へ移行である。アンネルの寝つきの良さは特筆ものである。基本的にはどこでもすぐに眠りにつけるのだ。心底無駄な特技だった。


「はっはっはっは。愉快愉快。さて、サナコ、私たちも混ざるぞ。こんな面白い、じゃなかった、愉快、でもなかった、とにかくなんたらかんたら」


「もう面白がってるの隠す気皆無ですよね、アヤメさん。そんなところも好きですよ」


 するりと着衣を脱いだサナコとアヤメが、美咲の下へ行って体を拭き始める。


「お姉ちゃん、あの子たちはどうしよう?」


 ミーヤに尋ねられた美咲は、ミーヤが指で指し示す方向を振り向く。

 そこでは、ミーヤのペットたちが待機していたのだが、それ以上近付こうとしない。


「ぷう、ぷう。ぷうぷう(水、嫌い。毛皮が濡れる)」


 ペリ丸は群れごと馬車をぐるりと取り囲み、遠巻きにしている。


「クマ? クマクマ?(そうか? オレは割と好きだぞ)」


 水場で狩りをしたりするマク太郎は特に気にしないようで、興味深そうに水に濡れた地面に足を乗せてみたりしていた。


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