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美咲の剣  作者: きりん
四章 死闘
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十六日目:襲われた商業都市3

 教会で配られていたのは、小さなパンが一つにくず野菜が煮込まれた素朴なスープだった。

 質素な内容だが、現在の状況を鑑みれば仕方ないし、来る人来る人に不足なく行き渡っているだけでも、炊き出しをする教会関係者たちの努力が偲ばれる。

 怪我人は教会の中にいるとのことで、美咲は風のせせらぎ亭の従業員たちの無事を確かめに、セニミスとミーヤを連れて教会の中に入った。

 あまり大勢で押しかけるわけにもいかないので、他のメンバーは外で待機だ。本来はミーヤも待ってもらうはずだったのだが、ミーヤ本人が拒んだため美咲は同行を許した。美咲はミーヤに甘い。

 セニミスはもちろん、回復魔法が使えるからである。美咲もセニミスの発音を聞いてたどたどしくなら口に出せるようになったが、まだ明確な効果を得るほどには至っていない。というか、自分で確かめることができないので、効果を確認する機会自体が少ないのだ。自分に使えないというのは、意外と不便である。

 運び込まれた被災者は多く、聖堂にまで溢れていた。椅子は脇に避けられ、空いたスペースに怪我人が寝かされ、傷が軽い人々は退けられた椅子に腰掛けていたり、誰かを探しているのか聖堂内を歩き回ったりしている。

 そして、僅かな薬の臭いと、それ以上に隠しきれない血や何かが燃えた後の臭い。やはり重傷者がいないわけではないのだ。


「精神力はまだ持つ?」


 小声で尋ねる美咲に、セニミスも声を潜めて返した。


「ええ、平気よ。ただ、さすがにここにいる人たち全員に行き渡らせられるほどは残ってないわ」


 セニミス自身、今日一日で回復魔法をかなり使い、それなりに疲れを感じている。


「そう。喉は大丈夫?」


「……ちょっと辛いかも」


 多少言い辛そうにセニミスは答えた。

 発声しなければならない以上、魔法を使い続けるとやがて喉が枯れるのは当然だ。


「これ、舐めて。楽になるから」


 美咲はいつぞや道具屋で買った薬草飴をセニミスに渡した。


「……苦いわね」


「良薬口に苦し、よ」


 思いっきり渋い顔をするセニミスに、美咲は苦笑して薬草飴をしまう。


「お姉ちゃん、ミーヤも欲しい」


 せがむミーヤに、美咲は薬草飴のビンを開けながら困った顔をした。


「けど、苦いよ? 舐めたことあるでしょ?」


「でも、欲しい」


 怪我人が寝ている教会の中で騒がれても困るので、美咲はミーヤの希望のままに薬草飴を一つ与えた。


「わーい」


 喜んで飴を口に入れたミーヤは目を見開き、視線を彷徨わせた。


「……苦い」


「だから言ったでしょう」


 苦笑する美咲が見つめる先で、ミーヤは涙目で口の中の飴を転がした。もしかしたら、飴そのものではなく、美咲から食べ物をもらうという行為そのものを、ミーヤは望んでいたのかもしれない。

 母親に食べ物をねだるような気持ちで、ミーヤも美咲にねだるのだろうか。そんなことを考え、美咲は少ししんみりした気持ちになった。


(売ってたら、また甘いものでも買ってあげようかな)


 そんなことを考えながら、美咲は三人で聖堂を歩き回り、風のせせらぎ亭の従業員全員の無事を確認すると、胸を撫で下ろした。

 けれど喜んでばかりもいられない。教会に運び込まれた者たち全体を見れば、重傷者がいないわけではないのだ。

 なのでシスターの一人を捕まえ、回復魔法で治療の手伝いをしたい旨を申し出る。

 まだ美咲と同じくらいの年に思えるシスターは驚いたように目を瞬かせると、慌てた様子でまくし立てた。


「すぐに神父様を呼んで参ります! どうかお待ちを!」


 パタパタと足音を立てて聖堂の奥にある扉の中に消えるシスターを見送り、しばらく待つと、同じ扉から先ほどのシスターを伴って、老年の神父が現れ美咲とセニミスの前までやってきた。


「回復魔法が使えるということですが、本当であるなら是非お願いしたい。正直、私だけでは手が足りないのです」


 慌しく神父の説明を受け、神父とセニミスで、怪我の程度が重い重傷者から順に治療していくことになった。美咲と神父を呼んできたシスターは助手として細々とした作業を手伝う。ミーヤはその間、椅子にちょこんと座っていた。美咲が危惧していたよりもお行儀良くしている。さすがに教会内で騒いではいけないことを知っているのだろう。

 傷口を拭いたり、水で洗浄したり、或いは傷口に刺さった建材の破片を慎重に取り除いたり、薬を塗布したりと、戦場に立つのとはまた違う作業の数々に、終わる頃には美咲はすっかり疲労していた。

 だが努力の甲斐あって、重篤人は思ったよりも少なくなりそうだというのが、神父とセニミスの一致した見解である。


「あなたたちのお陰で、私だけでは助けられなかった人たちのいくらかでも、助けることができました。感謝しています。こんなものしかありませんが、お持ちください」


 教会を出る時、神父は美咲にピエラを一つ渡してくれた。

 まさか何かを貰えるとは思っていなかった美咲は、驚きながらもピエラを受け取り、教会を後にした。


「終わったのですか?」


 教会の前で待っていたディアナが声をかけてきた。

 驚いたことに、彼女が持っているスープとパンはまだ手がつけられていなかった。

 見れば、待っていた誰の皿も手をつけた形跡はない。


「先に食べていて良かったのに」


「皆、美咲様と一緒に食べたかったのですよ。気にしないでください」


 申し訳なさそうな顔の美咲に、セザリーがにこりと微笑む。


「そうよ。テナたちが好きでやったことなんだからね」


「待てば待つほど、後の食事は美味しくなるんですよぅ」


 テナとイルマもセザリーと同じ意見のようで、彼女たちのスープは冷めてしまっていた。


「悪いわね。我慢できなくなったら食べようかとも思ってたけど、あたしたちは自分で思ってた以上に頑固だったみたい」


 ペローネが美咲に目を向け、肩を竦める。


「美咲様よりも前に食べるなど、あり得ませんわ」


 何故かイルシャーナは自信満々に胸を張った。一体何がどう有り得ないのだろうか。というかどうして有り得ないのか。美咲にはよく分からない。


「ごめんね。皆が待ってる中、一人だけじゃ食べ辛くて」


 申し訳なさそうなマリスのスープの椀には、少しだけ口をつけた跡があった。どうやら周りを見て食べるのを止めて待つことにしたようだ。


「食事は皆で食べるからこそ美味しいのよ」


 ミシェーラの言葉には、美咲も多少頷かされる部分があった。飽食の時代とも言われていた元の世界と違い、この世界では食料事情はそれほど発達していない。肉には臭みが残っているものも多いし、野菜も硬かったり苦かったりして、美咲の知る野菜よりもはるかに不味い。

 パンですら不純物が混ざっているようなパンは不味く、美咲が元の世界の食べ物と同じような感覚で美味しいと思えるものは、貴族が食べるような白パンだけだった。

 もちろん、何もかもが不味いわけではない。お店に入れば出てくる料理は十分に美味しいと思えるものだし、屋台の食べ物も味付けは単純だが趣きがある。だが、それらの料理は元の世界よりも、遥かに手間隙かけて作られている。苦労して肉の臭みを抜き、柔らかくなるように努力し、野菜ならば少しでも食べ易くなるように加工する。だからこそこの世界において、ちゃんとした店舗を構えている店の料理は美味い。

 そういう事柄があったことを考えると、美咲は自分の世界の食事事情がとても恵まれていたことに気付く。もちろん元の世界でも全てがそうだったわけではないことくらい美咲とて知っているものの、少なくとも美咲の周囲では、恵まれていたのだ。

 当たり前のこととしてその豊かさを享受していた美咲は、この世界に召喚されて、初めてその豊かさが、かけがえのないものだったのだと気付いた。お小遣いを握り締めた幼子がその子銭欲しさに襲われることもないし、両親と生き別れることもない。愛情に包まれてすくすく育つことが、この世界ではいかに難しいかも分かった。

 もちろん例外はあるだろうけれども、基本的にはそうだ。

 この世界では、食べ物自体はあまり美味しくない。美味しく調理するには、それなりの調味料と料理人の腕が欠かせず、普通に食べたら不味いと思うようなものばかりだ。

 それでも、美咲が今まで口にしたものが美味しいと感じられたのは、不味いものでもできるだけ美味しくしようとする作り手の努力と、空腹という最高の調味料、そして仲間の存在があるからに他ならない。

 この三つがあるからこそ、この世界の食べ物でも、美咲は美味しく食べられるのだ。


「どうします? ここで食べちゃいます? それとも馬車に戻って食べましょうか」


 尋ねるシステリートに、美咲は自分のパンとスープが乗った器を見た。もちろん気軽に捨てられるようなプラスチック製ではなく、ずっしりとした陶器製だ。捨てられるわけがないし、持って帰るのはもっと駄目だ。それではただの窃盗である。

 そう思われなかったとしても、もう一度返しに戻るのは面倒くさい。


「器は返さなきゃいけないから、ここで食べよう」


 決定して教会の敷地内の芝生に腰を下ろした美咲の隣に、ちょこんとニーチェが座った。


「ニーチェは、主様の隣で食べるのです」


「あっ、ずるい! じゃあミーヤはこっちに座る!」


 もう片方の位置を、ミーヤが確保する。


「よし、全員揃ったし食おうぜ」


 その場にどっかりと座り込んだドーラニアが、言うや否やパンを噛み千切った。


「そうね。一部、我慢できなくて道草食べようとした子がいるけれど」


 豪快に咀嚼するドーラニアとは対照的に、ユトラは小さく千切って口に運んでいる。


「ちなみに言うけど、もちろんレトワのことよ」


 ラピが大の字になって倒れているレトワを指で指し、慌ててセニミスがレトワに走り寄る。


「くすん。お腹空いたよ」


 呆れた表情で、セニミスはレトワを見下ろす。


「だからといってその辺に生えてる雑草食べようとしないでよ。毒があったらどうするの?」


 くどくどと小言を言うセニミスに、レトワは不満そうに唇を尖らせた。


「食べれば分かるもん」


「食べてからじゃ遅いのよ!」


 セニミスの突っ込みが冴えていた。いつもレトワやアンネルの相手をしている弊害である。この二人は自由すぎて手が掛かるのだ。


「パクムシャゴクスヤァ……」


「この子、寝ながら食べてるんだけど」


 こくりこくりと船をこぎながらパンをもそもそ食べるアンネルを、若干引き気味になってメイリフォアが見つめている。


「放っておけ。死にはしないさ」


 スープを飲みながら、アヤメがメイリフォアを見て意味ありげに笑った。

 あまりに堂々というので、そういうものかと一瞬思ったメイリフォアは、すぐ我に返る。


「……喉に詰まらせたら死ぬのでは?」


「細かいことを考えてはいけませんよ?」


 アヤメ大好きなサナコが、アヤメの発言を擁護しようと理不尽なことを言って、メイリフォアを涙目にさせた。

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