十六日目:襲われた商業都市1
異変は、ラーダンが遠くに見える位置まで馬車が近付いた時に起こった。
やにわに、馬車の外が騒がしくなったのだ。
魔物が現れたにしては、少し様子がおかしい。内容までははっきりと聞き取れないが、ミリアン、ドーラニア、メイリフォアの話声が聞こえる。
やがて御者席に繋がる前の扉が開いて、ドーラニアが顔を出した。
「おい、美咲、ちょっとこっちに来てくれ」
「わ、分かったわ」
真剣な表情のドーラニアを見て、何かがあったことを察した美咲は、緊張を滲ませて答え、立ち上がって外に出て御者席の後部座席に移動する。
後部座席は、異様に静かだった。
誰もが息を飲んで、遠くの光景を目を凝らして凝視している。
「何かあったんですか?」
声を掛けると、ミリアンが振り向き、再び前に向き直ると前方を指差した。
「見て、美咲ちゃん。街の様子がおかしいの」
「ラーダンが……ですか?」
遠くに見える街壁の向こうで、いくつか黒煙がたなびいている。そしてラーダン上空を舞う、無数の黒い影。
時折急降下しては、魔法を撃ち込んでいるようで、断続的に僅かに爆発音が響く。
まだ遠いのに此処まで聞こえてくるということは、爆発は決して小さくない。
美咲の脳裏に、城砦都市ヴェリートが陥落する光景が過ぎった。
「これ、まさか、ラーダンが襲われてるんですか!?」
動揺する美咲の質問に、落ち着いた声でミリアンが答える。
「ええ、恐らくね。空を飛んでるのは、たぶん魔族軍の空襲部隊だわ。来たのはあれだけか、それともどこかに本隊がいるのかしら」
「……早く戻らなきゃ!」
焦って立ち上がろうとする美咲を、ミリアンは宥めた。
「敵の規模が分からない。このまま向かうのは危険よ。むしろゆっくり行って、しばらく様子を見た方がいい」
「どっ、どうして!? 襲われてる人がいるかもしれないんですよ!」
傍観の判断を下したミリアンに、美咲は非難の眼差しを向けた。
ミリアンは肩を竦めて説明する。
「私たちの準備はまだ完全じゃないし、敵がどれくらい居るかも掴めていないのよ。それに、門が閉じられているのが遠目に見えるでしょう? 今向かったって街には入れないわ」
冷静に考えれば、ミリアンの言うことが正しいと美咲にも理解できただろう。
しかし、今の美咲は突然見せ付けられた光景にショックを受け、頭に血が上ってしまっていた。
「だ、だけど……!」
聞き分けの悪い美咲に、ミリアンはため息をついた。
「仕方ないわね。どうしても早く行きたかったら、偵察を出しなさい。情報を集めることを疎かにしてはいけないわ」
美咲は即座に自分が飛び出そうとし、ドーラニアにひっ捕まえられた。
「待て待て。お前が出て行ってどうするんだ。あたいたちに頼めよ。その方が絶対に早いぞ」
「私たちの中でなら、ニーチェが一番足が速いわ。頼んでくる」
メイリフォアが馬車の中に消え、少ししてからメイリフォアと一緒にニーチェが飛び出してくる。
「主様、ニーチェが偵察に行ってきます!」
馬車から飛び降りたニーチェは、凄い勢いで駆け出した。
速度を緩める馬車とは対照的に、みるみるニーチェの背中は小さくなっていく。
姿が見えなくなってしばらく経った頃、ニーチェが戻ってきた。
「ラーダンの周辺をぐるりと見て回りましたが、攻城戦の準備が行われている様子はありません。どうも、襲ってきた魔族軍は上空にいるので全部のようです」
報告を聞いたミリアンは、眉間に皺を寄せて考え込み、判断を下す。
「なら、本当に単なる空襲か。……そうね。美咲ちゃん、セザリーたちに弓を準備させなさい。できるだけ近付いてさっさと追い払うわよ」
方針を転換したミリアンに、美咲は喜色満面の笑みを浮かべた。
「ミリアンさん!」
「誰か、向こうに行ってアリシャに連絡してくれる? 魔法と飛び道具で何体か撃ち落とせば、向こうも決戦前に要らない被害は出したくないだろうから引くと思うわ」
「ニーチェが行って参ります!」
再びニーチェが俊足を生かして駆けていった。
アリシャの馬車も速度を落としているとはいえ、楽々と追いつくニーチェの足はかなりの速さだ。
この世界の馬車は、元の世界の馬車ほど遅くはない。
連絡を受け、アリシャの馬車の方も御者席の面子が変わった。
遠距離攻撃ができる人物が外に出て、近距離攻撃しかできない者は馬車の中に引っ込んでいる。
だが、準備が生かされることは無かった。
こちらが攻撃を開始する前に、魔族たちが飛び去ってしまったのだ。
魔族が居なくなってからしばらくして、城門が再び開く。
「……行くわよぉ」
唖然とした表情で魔族が飛び去っていった東の方角を見て固まっている美咲に声をかけ、ミリアンはため息をつく。
門を潜ると、昨日とは一変したラーダンの町並みが見えてくる。
酷い有様だった。
ショッキングな光景が、到る所で広がっている。
大通りでは軒を連なっていた店の店舗がところどころ焼け落ち、石を敷き詰めて整備されていた道路は煤で汚れている。果物の屋台が横倒しになり、積まれていたピエラが潰れて転がっている。店主の姿が見えないのは、逃げた後なのか、それとも。
美咲が利用したことのある店も、多くが被害を受けているようだった。
悲惨な光景は、宿屋がある一角に近付くにつれ、増えていく。
焼け落ちた家の前で立ち尽くしている子ども。泣き叫びながら瓦礫に手をかける母親らしき女性。
崩れ落ちた瓦礫の下から、時折焼け焦げた人の手足のようなものが見えているのは、美咲の目の錯覚だろうか。
住む場所や親しい誰かを失って号泣する声や、すすり泣く声が、風に乗って響いていた。
まるで映画のワンシーンのような光景が流れていく。
ヴェリートの時は確認する間も無かったから、こうした情景を前にして、美咲は酷く衝撃を受けた。
そして、いつも泊まっている風のせせらぎ亭に着いた美咲は絶句した。
そこに見慣れた建物は無く、黒く煤けた建材が崩れ落ちているだけ。
働いていた従業員や女将たちはどうなったのかすら分からない。
もちろん馬車を繋ぎ止める金具も壁が焼け落ちて埋もれてしまっているので、アリシャとミリアンは近くの樹に馬車を繋いだ。
「私は傭兵ギルドに状況を確認しに行ってくる。この分だと、出兵が予定通りにいかないかもしれない」
「なら私は冒険者ギルドに行ってくるわ。何か分かることがあるかも」
凄惨な光景を見たショックでくず折れて呆ける美咲をその場に残し、アリシャとミリアンは慌しく出かけてしまった。
残されたのは、生気の抜けた表情で佇む美咲と、そんな美咲を心配そうに見上げるミーヤと、美咲に従う女性たち。
「美咲様。私たちは、どうしましょう」
宿屋だった建物の前で呆然と立ち尽くす美咲の後姿に、ディアナが遠慮がちに声をかける。
美咲の身体がびくりと揺れた。
ディアナの声に振り向いた美咲の瞳には涙が浮いていた。
腕で乱暴に涙を拭うと、美咲は立ち上がって建物の瓦礫を一つ一つ、どかし始めた。
「皆手伝って。生存者を探そう」
震える美咲の声に、去ったアリシャとミリアン以外の、その場に残された全員が弾かれたように正気に戻る。
「はっ、はい! ミーヤちゃん、手伝って!」
「う、うん!」
最初に力仕事では役に立てないディアナとミーヤが、生存者を包む布や治療道具などを取りに馬車に駆けていく。
「テナ、イルマ、私たちもやるわよ。まだ燃えてる建材があるかもしれないから、注意して」
「分かったわ!」
「任せろですぅ!」
セザリー、テナ、イルマの三人が美咲の手伝いに入り、続いてペローネとイルシャーナも加わった。
「あたしたちは大きめのものを退かしていくわよ! 普通なら運べない大きさのものでも、あたしたちなら力を合わせれば運べるからね!」
「まずは上を塞いでいる瓦礫を退かしますわ!」
普段は飄々としているペローネも、美咲以外には高飛車なイルシャーナも、この時ばかりは粛々と動いた。
無駄口を叩かず、テキパキと瓦礫を退けていく。
そこへ、残りの女性たちが助けに入る。
「美咲、悪いけど、こっちに水魔法お願い! まだ燃えてる!」
「わ、分かったわ!」
マリスに呼ばれ、美咲は自分がしていた作業をセザリーたちに任せ、歯を食い縛り走っていって消化を行う。
火が消えて温度も十分に下がると、マリスとミシェーラ、システリートが一斉に瓦礫に手を掛けた。
「ミシェーラ、そっちを持って! マリスも! 大きい瓦礫だから、三人で運びますよ!」
システリートが素早く指示を出し、三人で形が残る大きな瓦礫を運び出していく。
「おい、人の手が見えるぞ! ニーチェ、手伝え! この瓦礫の下にいる! 助けるぞ!」
「ニーチェは承知したのです!」
ドーラニアとニーチェが邪魔な瓦礫を退かし、手の持ち主が露になった。
「まだ生きてる! セニミス、こっちに来い!」
助け出した生存者がゲホっと咳をしたのを見て、ドーラニアがセニミスを呼んだ。
三人で生存者を引っ張り出し、瓦礫から離れた場所にディアナとミーヤが用意した布を引いて寝かせ、セニミスが回復魔法で救急処置を行う。
目に見える外傷を治療し、触診したセニミスはほっと息をつく。
「経過を見ないとなんともいえないけど、ひとまずは大丈夫そう」
その間にも、救助作業は続く。
ラピの耳に、小さな泣き声が聞こえた。
「……声が聞こえる。誰かいるの!? いたら返事をして!」
耳を済ませると「助けて」という弱々しい声がして、ラピは近くで作業をしているユトラとレトワを呼んだ。
「手伝って! こっちの瓦礫を退かしたいの!」
「分かったわ!」
「レトワ、頑張るよ!」
次々と瓦礫を退かして行き、ラピ、ユトラ、レトワの三人は、二人目の生存者を助け出した。
生存者は速やかにセニミスに診せられ、セニミスの回復魔法が掛けられる。
「寝るんじゃないわよ、アンネル!」
「私、そこまで空気読めなくないし……!」
メイリフォアに言い返しながら、アンネルも必死に働いていた。
「サナコ、そっちを持ってくれ」
「アヤメさん、持ちました!」
「よし、息を合わせていくぞ、せーのっ!」
いつも通り息の合った様子で、アヤメとサナコも瓦礫を退かしている。
救助活動は、結局その日の夜まで掛かった。