十六日目:撤収準備1
ゲオルベルを蹴散らし、美咲たちは陣地に戻ってきた。
「美咲様。お帰りなさい。お怪我はありませんか?」
出迎えたディアナが、返り血で斑になっている美咲のマントを見て血相を変えた。
「大丈夫。これ全部、魔物の返り血だから」
顔を青ざめさせるディアナの前で、美咲はにこっと笑って一回転し、無事であることをアピールした。
実際に美咲が仕留めたゲオルベルは数匹で、ほとんどはアリシャ、ミリアン、ドーラニア、アヤメ、サナコの五人が片付けたのだ。美咲自身は彼女たちの手から漏れたのを始末したに過ぎない。
解せないのは、それだけでも美咲はかなりの血しぶきを外套で受ける羽目になったのに、ドーラニア、アヤメ、サナコの三人が、美咲よりも遥かに返り血を浴びた量が少なかったことだ。アリシャとミリアンに至っては、大暴れしていたのが嘘のように、全く返り血を浴びていない。
帰還したことはすぐに知れ、続々と皆集まってきた。
「帰ったのね。首尾はどうだった?」
ペローネが、開口一番そう尋ねてきた。
「薬草は必要量揃いました。でも、ベルークギアはいませんでした」
返事を聞いて、イルシャーナが怪訝な顔で腑に落ちぬ表情を浮かべる。
「既に誰かに倒された後だったのですか?」
「それが、魔族に手懐けられて連れて行かれたかもしれなくて。これ、どこかに報告した方がいいわよね?」
聞き返した美咲の質問に答えたのは、マリスだった。
「そうだね。何も知らないで現場で遭遇するのが一番まずい。前以て知っておけば、脅威であることには変わらなくても、それなりに対策を立てられる」
「なるほど。ありがとう。じゃあ、ラーダンに戻ったら報告しておかなきゃ。でも誰に伝えればいいんだろう……」
悩む美咲に、ミリアンが助け舟を出す。
「冒険者ギルドでいいんじゃない? 貴族との繋がりもあるから、勝手に伝わるでしょ」
さすがは特級冒険者というべきか、ミリアンは少なからず冒険者ギルドの内情を熟知しているようだった。
「あの……、美咲。それ、何かしら」
遠慮がちにミシェーラが指で指し示したのは、美咲とミーヤに群がる四体のベルークギアの幼生体、ベル、ルーク、クギ、ギアだった。
「ああ、この子たち? 大人のベルークギアはいなかったけど、巣を見つけて、ちょうど卵が孵った現場に居合わせちゃったのよ。そのせいか親だと認識されちゃったみたいで、仕方ないから連れ帰ることにしたの」
絶句するミシェーラの横で、システリートが好奇心丸出しでベル、ルーク、クギ、ギアの四体を見つめた。
この四体はゲオルベルたちをたらふく食べた後なので、とても機嫌が良い。
「ピーピーピー(ねえ、この人間たちっておやつにしていいのかな?)」
「ピーピーピー(きっとそうだよ。パパったら太っ腹だね)」
「ピーピーピー(でも、皆強そう……それにどことなくパパとママの近くにいた人間たちに雰囲気が似てるような)」
「ピーピーピー(それに、今はおなかいっぱいで食べられないよ)」
盛んに鳴きながら顔を見合わせる四体はとても可愛らしいが、会話を聞くととてもバイオレンスに満ちている。
「いや、駄目だから。私の仲間だからね。食べちゃ駄目よ。覚えなさい」
大切な仲間を食べられては仕方ないので、美咲はしっかりと釘を刺した。
「いやあ、さすがご主人様ですねー。まさか幼生体とはいえ、ベルークギアを四体も手懐けちゃうなんて。成体になったら敵なしですよ、これ」
好奇心に目を輝かせるシステリートに、美咲は肩を竦めた。
「どれだけ掛るか分からないけどね。たぶんその頃には私はいないだろうし」
美咲がどんなに足掻こうとも、あと二週間でひとまずの結果が出る。
それが生か死か美咲には分からないが、出来れば生きたい。そのために魔王を殺すのだ。
もし上手くいけば、美咲はアリシャに頼んで元の世界に帰してもらうつもりだった。術者であるエルナは死んでしまったが、送還魔術をアリシャが使えるそうなので、美咲はこの世界に留まるつもりはない。
そして、美咲は希望者がいれば元の世界に同行させるつもりでもあった。世話を引き受けたのは自分なのだから。それか、この世界で彼女たちの身元引き受け先を探すことになるか。
どちらにしろ、幼生体が成体になるほどの時間はかかるまい。
「そうだなぁ。美咲は元の世界に帰るんだもんなぁ。そのうち、あたいたちも身の振り方を考えなきゃならんか」
腕を組み、ドーラニアが顰め面で宙を見上げる。
「全てが終わってから考えればいいと、ニーチェは思います」
考え込むドーラニアとは対照的に、ニーチェは思考を放棄していた。
そもそもの話、魔王を殺せたとして、自分たちがどれだけ生き残っているかは分からないのだ。あまり考えたくはないが、ニーチェは自分自身が死んでいる可能性を決して否定しない。そうである以上、今から未来のことを考えることに、あまり意味はない。そんなことは、生き残ることが出来てから初めて考えればいい。
「できれば全員で生き延びたいものだわ」
ぽつりとユトラが言った。
言った本人を含め、誰もがそんなことは有り得ないと分かっていながら、それは全員が抱く幻想だった。
「こいつらが、育ってたら私たちも全員生き残る芽が出てきそうだけど。ねえ、成長を早める方法はないのかしら?」
美咲とミーヤの傍で、兄弟姉妹でじゃれ付いているベル、ルーク、クギ、ギアの四体を見ながら、ラピがミリアンに尋ねる。
苦笑してミリアンは答えた。
「残念ながら無いわねぇ。あったらそもそも卵ごとごっそり魔族に持っていかれてると思うわよ」
「それもそっか。ままならないわね」
ミリアンの言うことはもっともだったので、ラピは落胆を顔に出さずに軽くため息をつくに留める。
「お肉が柔らかくて美味しそう……じゅるり」
「レトワちゃーん!?」
「近付いたらダメだからね!」
何を想像したのか思わずよだれを垂らしたレトワに美咲は叫び、顔を青くしたミーヤが四体をかばう。
「……寝ていい?」
「ダメですってば。レトワとあなたはもう、美咲の前でも本当にぶれないわね」
半眼になって目をとろんとさせた状態のアンネルの頭を、メイリフォアが小突く。
ハッとした顔になったアンネルは、ふるふると眠気を振り払うように顔を横に振った。
「……眠い」
「どうしてあなた、そんなにいつも眠たがってるのよ……ちゃんと寝てる?」
「私、いくらでも寝れる体質だから」
「理由になってないわよ」
おかしなアンネルの答えに、メイリフォアが呆れた顔になった。
「いやあ、これでこそ日常に戻ったという感じがするな」
「何だかんだいって、森の中ではずっと気を張っていましたものね」
アヤメとサナコは適度に緩んだ雰囲気の中で寛いでいる。
「とりあえず撤収準備をするぞ。できれば暗くなる前に帰りたい」
アリシャの指示で、美咲たちは慌しく動き出し始めた。
誰がリーダーか分かったものではないが、美咲はアリシャにとても懐いているので、指示出しされるとホイホイ動いてしまう。
見た限りでは、解体された魔物の肉のうち、燻製になっているのは半分くらいのようだった。さすがに全部は終わらなかったらしい。
片付け中だろうと魔物はタイミングを鑑みてなどくれないので、見張りを立てて、作業を進める。
とはいっても、外に出していた荷物を馬車に積み込むだけなので、すぐに済んだ。
陣地自体はこのまま残していくのだという。街道を塞いでいるわけでもないし、残しておいた方が何かと便利なのだそうだ。街道沿いには、そんな事情で残された野営跡や陣地跡が数多くある。美咲が以前エルナと野宿したのもその一つだ。
エルナのことを思い出した美咲は、目の奥がつんとなるのを感じた。最近どうも涙腺が緩み気味でいけない。この世界に来てから色々なことがあったせいか、感情が大きく揺れ動くことが多くなっている。
全ての荷物を積み終えると、美咲は手早く馬車の持ち主であるアリシャとミリアン以外の人員を、二つの班に分けた。
内容は、行きとは逆の編成である。
アリシャの馬車には美咲、セザリー、テナ、イルマ、ペローネ、イルシャーナ、システリート、ニーチェ、ラピ、ドーラニア、メイリフォアが乗り込み、残るディアナ、ミーヤ、ミシェーラ、マリス、ドーラニア、ユトラ、レトワ、アンネル、セニミス、アヤメ、サナコはミリアンの馬車に乗り込む。
その場を動こうとしないミーヤに、ディアナが声をかけて手を差し伸べる。
「ほら、私と一緒に行きましょう。あなたはこっちよ」
ミーヤは振り返ると、ぷくっと頬を膨らませてそっぽを向いた。
「やだ。ミーヤ、お姉ちゃんと一緒がいい」
明らかに、美咲に別の班に振り分けられたことで拗ねている。
「我がまま言わないでください。美咲様が決めたことなんですから」
「いーやー!」
走り出したミーヤに、仰天したディアナは慌てて追いかける。
「こ、こら、どこ行くの!」
ディアナをちらりと振り返り、ミーヤは走りながら怒鳴った。
「お姉ちゃんに直談判してくる!」
素早く回り込んだミシェーラが、ミーヤを抱え上げて捕まえる。
「ダメよ。美咲の迷惑になるわ」
「お姉ちゃんはミーヤのこと、迷惑だなんて思わないもん! はーなーしーてー!」
ミシェーラの腕の中で暴れるミーヤを、マリスは感心した様子で見つめる。
「……意外に骨があるね、あの子」
「見てないで、私たちも手伝うわよ。こんなことで美咲の手を煩わせられないわ」
走り出すユトラの後ろを、レトワとアンネルが追いかけようとした。
「レトワも行く!」
「……私も行く」
「アンタたちは行くな! ややこしくなるでしょうが!」
寸前でセニミスに止められ、レトワは思い通りにいかないストレスの余りその場に生えている草を貪り、アンネルは寝た。
「ちょ、喰うな、寝るな! 起きなさい、止めろ、こらー!」
セニミスは必死に止めようとするが、セニミスと違い、レトワとアンネルは身体の効率的な運用法を知っているので、ひらりごろりとセニミスの手をかわしてしまう。
その様子を眺めながら、アヤメが含み笑いをする。
「案の定、混沌としているな」
「やっぱり、ミーヤちゃんは我慢できませんでしたね……。というか、あの三人、ぷっくくくく、あははは」
レトワとアンネルを止めようとするセニミスの奮闘が壷に入ったらしく、サナコはアヤメと違って態度を隠しもせずに腹を抱えて笑っている。
その光景に背を向け、セザリーが満面の笑顔で美咲を促す。
「さあ、私たちは馬車に乗り込みましょう」
「いいのかな、あれ放っておいて……」
目前で繰り広げられているミーヤ、レトワ、アンネルの惨状に、自分で決めた事ながら美咲は額に一筋の汗を垂らした。
「いいのよ。あいつらは行きに散々良い目を見たに違いないんだから。今度は私たちの番よ」
んふふふふ、とテナは三日月型に目を細めると、手をわきわきと動かした。
「さあ、美咲はテナちゃんの一緒の席に座るのだー!」
飛び掛ってくるテナを反射的に避けた美咲は、後退ってテナから距離を取った。
「待って、同じ馬車なのに一緒の席ってどういうことなの!? 隣とかじゃなくて!?」
「テナちゃんが美咲の上!逆でも可!」
よほど我慢させていたのか、スイッチが入ってしまったテナは身軽に美咲目掛けて飛び掛る。
今度は避けられずにテナもろとも地面に転がった美咲は、なおもテナと言い合う。
「重いわよ!」
「重くないわよ!」
不毛な言い争いを止めたのは、テナの義妹であるイルマだった。
「テナお姉ちゃんいい加減にするですぅ!」
イルマはテナを引き剥がし、美咲から遠ざける。
「気持ちは分かるけど、限度ってものがあるですぅ! 美咲ちゃんに迷惑かけたら本末転倒ですよぅ!」
身を起こした美咲は、立ち上がって服の埃を払いながら、ホッとしてイルマを見つめた。
普段は変態枠で場を引っ掻き回すイルマが、珍しく常識枠に収まっていてくれて助かった。
「ありがと、イルマ。おかげで助かったわ。皆慕ってくれるのはいいけど、行き過ぎた好意は考え物ね」
胸を撫で下ろす美咲の下半身の前に、イルマがしゃがみ込んだ。
「というわけで、止めたご褒美に脱ぎたてぱんつくださーい!」
「やっぱりかあ!」
おもむろに手を伸ばしてパンツを脱がそうとするイルマから、美咲は逃げ出してアリシャの馬車に逃げ込んだ。