六日目:魔王討伐には仲間が要る3
来た道を四十五分かけて戻り、美咲は再び冒険者ギルドにやってきた。
「……毎日歩きで往復するのはしんどいかも」
ぜーぜーと肩で息をしながらぼやく。
乗り物があればいいのだが、街を走る馬車は皆個人所有のようで、いわるゆバスやタクシーのような馬車が走っている様子はない。
馬や馬車自体がかなり高価で、今の美咲の手持ち金では買えそうになかった。
美咲は中に入ると、大掲示板の前に向かう。
結構な距離を往復したので、そろそろいい時間になっているはずだ。
(げっ。いっぱいいる)
まだ時間になっていないはずなのに、すでに大掲示板の前は美咲と同じような考えの人間でごった返していた。
別れる前にアリシャが言っていた、「冒険者というよりは何でも屋」という言葉に嘘はないようで、武装している人間は少なく、いても鉄や青銅製よりもより安価な革や木製の武具で武装した人間がほとんどだ。
できるだけ安全で実入りがいい依頼を取りたいというのは皆同じ考えなのか、全員が前に出ようとしていて、今更美咲が入り込んでいけるような雰囲気ではなかった。
(やっば。どうしよ)
そうこうしているうちに大量の羊皮紙を抱えてギルド職員がやってくる。
新しい依頼を貼り出しに来たのだ。
ギルド職員が依頼を貼り出す前に、もう一人職員がやってきて邪魔にならない場所に集団を誘導する。
「依頼をお受けになるお客様は、二列になってこちらにお並びください」
(しめた。チャンス)
集団が列を作るために移動するより前に、美咲は早足でさり気なく職員が示した最前列に自分の身体を滑り込ませた。
「よっしゃ、一番!」
聞こえてきた声にふと振り返ると、隣の列に美咲と同じくらいの歳の男の子が並んでいた。
鉄製の鎧を着込み、腰には鉄の長剣を刷いている。
装備は立派なのにどこか貧弱に見えてしまうのは、偉丈夫ならぬ偉丈婦なアリシャが比較対照として美咲の中にあるからだろうか。
「それでは一番前の方々からお願いします」
全ての依頼が貼り出されたのを確認すると、ギルド職員が美咲と少年を大掲示板に誘導する。
美咲は大掲示板に貼られた依頼を一つずつ目を皿のようにして見つめた。
午前中にルフィミアにアドバイスされた通り、依頼は魔物退治を筆頭とする危険そうな依頼に混じって、迷子のペット探しだとか酒場の用心棒だとか、簡単でラーダンから出なくても済みそうな依頼がある。
だが。
(……字が。字が、読めないんだった)
どれが簡単な依頼なのか全く判断がつかず、美咲はがっくりと肩を落とした。
「今回はどれにするかな。あれもいいけど、これも捨て難いな」
貼られた依頼書を見比べては唸っている少年に、美咲は羨望の眼差しを送る。
この世界の識字率は、美咲が思っている以上に高いのかもしれない。
それともエルナやアリシャや、この少年のような字が読める人物にたまたま偶然連続で出会っただけなのか。
美咲には判別がつかないけれど、美咲は字を読める少年が羨ましく思った。
よく考えればエルナの場合は王子の愛人なんだから、奴隷時代は無学でも後から教育を受けた可能性がある。
アリシャと同じように目の前の少年も鉄製のきちんとした武装をしているから、それなりの金をかけているはずだ。当然教育だって受けているだろう。
もしかしたらある程度裕福でないと冒険者としては勤まらないのかもしれない。
近くではギルド職員がさらに増えている希望者を整理している。
依頼書を貼った職員と二人掛かりで忙しそうで、到底話しかけられる雰囲気ではない。
思い切って美咲は少年に尋ねてみることにした。
「あのっ、初心者でも受けられる安全な依頼ってどれでしょうか。私、ベルアニアの字は読めなくて」
「ん?」
振り返った少年は、不思議そうな顔で美咲を上から下まで観察する。
(わ、私変な格好してないよね……?)
エルナが用意してくれた革の鎧をつけているし、勇者の剣だって持っているのだからある程度はこの世界に溶け込んでいるはずなのだが、じろじろと見られるとやはり居心地が悪い。
自身の中で何か得心があったのか、少年は美咲に対して親切に接した。
「ああ、これなんかいいと思うぞ。薬草摘み。街の外に出ちまうけど比較的街から近くて広範囲に群生してるし、戦争のおかげで需要があって毎日依頼が出てるから。報酬は百個で十五レド」
少年が差し出した依頼書を受け取る。
人気の依頼らしく、その依頼書が取られた途端、順番を待っていた冒険者たちが露骨にがっかりした顔をした。
(十五レドは日本円で十五万円だから、薬草一つで千五百円か。これって、破格だよね。いいかも)
街の外に出るというのは少し怖いが、近くだからきっと大丈夫だと、美咲は不安を誤魔化す。
それでもやっぱり怖いものは怖いので、美咲は安全策を模索した。
「ねえ、街の中でできる簡単な依頼ってないのかな?」
我ながら厚かましいお願いをしている自覚がある美咲ではあるけれども、背に腹は変えられない。恥を忍んで、このチャンスを生かし、知らないことを片っ端から尋ねることにした。
「あるけど、基本的に街中の依頼は報酬安いぞ?」
「いいから!」
勢いに押される形で少年は貼られた依頼の一つを指で示す。
「ならこれがマシかな。貴族の依頼で迷子のペット探し。げ、足喰いラテルかよ。偉い人の趣味は分かんなねぇな」
露骨に嫌そうに顔を歪めた少年の表情を見て、美咲はそのペットが犬や猫とは根本的に違うものであることを悟り、表情を引き攣らせる。
「足喰いラテルって、何かすごく物騒な名前なんですけど……」
というか、既に名前の時点で危険動物感満載である。
「見た目はちっこくて可愛いんだけどな。顎の力が強いうえに獰猛で、すぐに足の肉を噛み千切るから足喰いラテルって名前がついた。っていうか、知らないのか? 国が違ってもいるところにはいると思うんだが……」
「私が住んでたところにはいなかったみたい。だって、名前を聞いたことなかったもの」
何度も繰り返していると、さすがに突発的な対応は美咲も慣れてくる。
知らないことの言い訳はすらすらと述べることができた。
「どこの国だ?」
何気なく尋ねてくる少年に、美咲は沈痛な雰囲気を意識してかもし出す。
「もうどこにもないわ」
「……すまん、悪いこと聞いちまった」
「気にしないで」
この世界のどこにも日本はないから嘘ではない。
少年は美咲の出身地を、魔族に滅ぼされた国だと誤解したようで、気まずそうな顔をした。
ぼろが出ないうちに美咲は話題を依頼に戻す。
「それで、そのペット探しの方の報酬はいくら?」
「薬草摘みに比べたら安い。発見で一レド、捕まえたら十三レドって書いてある。駆除対象にされちまってるから、ハンターより先に見つけてくれって」
両方合わせれば十四レドになる。薬草摘みと比べても一レドしか違わない。
一レドは日本円に換算すると約一万円だから、その差をどう捉えるかは意見が分かれるところかもしれないが、街中で済ませられるというのはやはり魅力的だ。
「なんだ、あんまり変わらないじゃない。ならこっちにしようかな」
「でも依頼主が貴族だから、失敗したら下手すりゃあんたの首が飛ぶ。あんたの国が無事ならまだしも、滅びちまってるからなぁ」
美咲は沈黙した。
「……割に合わないね」
「だろ? こっちの薬草摘みの方がいいって」
悔しいが、少年の言う通りだった。
ただのペット捜索にしては、リスクが大き過ぎる。
「もっと安全なのはないの?」
「あるにはあるけど、時間がかかる割には報酬が一レドに満たないものばっかだぞ? 命の危険がないならそんなもんだ」
しばらく沈思黙考し、美咲は少年から薬草摘みの依頼書を受け取った。
「これにしてみる」
「おうおう、そうしとけ」
手をひらひらと振る少年に、美咲は礼を言うと共に自己紹介をした。
「協力してくれてありがとう。私、美咲っていうの。あなたの名前は?」
「俺はルアン。今はしがない冒険者やってるけど、いつか魔王を倒して勇者と呼ばれる男だぜ」
よろしくー、と笑顔で挨拶しようとした美咲は、ルアンの台詞を聞いて動きを止めた。
(今、聞き逃せない単語を聞いたような……)
美咲の記憶違いでなければ、魔王を倒す勇者は美咲自身だったはずである。
そのために半ば拉致される形でこの世界に召喚されたのだから、間違いない。
「ごめん、サークレットの調子が悪かったみたい。もう一度言ってくれる?」
引きつった笑顔で再度確認する美咲に、ルアンは全く裏の無い人が良さそうな笑顔で言い放つ。
「ああ、亡国の姫なんだもんな。ベルアニアの言葉は通訳無しにゃ理解できないよな」
(何かすごい誤解してるー!?)
ルアンの脳内では、美咲の見た目と世間知らずな態度が劇的な化学変化を起こし、壮絶な勘違いを引き起こしていた。
だがそれも無理はない。
革製の防具と遺失武器である長剣で武装していても、美咲自身の手が争い事どころかろくに労働で酷使されたことの無い奇麗な手であることは、この世界の人間から見ればすぐに分かる。
冒険者や傭兵は言うに及ばず、この世界では一般人も手が荒れているのが普通だ。
それは畑仕事や水仕事のようなきつい仕事を毎日しているからであり、子どもであっても労働をしている証だった。
だから奇麗な手を持つ人間は、同時に大して自分が働く必要もないほど裕福な家の人間だということを意味する。
日本人としては一般的な美咲の容姿でも、西洋人に近い見た目の人種が多いこの世界では神秘的に見られるし、美意識の高さは、この世界ではそのまま美人として見られることに繋がる。
ベルアニアに関わらずこの世界全体の常識として、美に手間と金を注げるのはよほどの大商人か貴族の家の女性だけだし、豪商の娘として見るには美咲は商売に疎すぎた。
春売りとして見るにしても、美咲の体型は貧相で色気がない。
冒険者などという明日をも知れぬ職業に首を突っ込もうとしているのも、国が滅んでいるのなら納得だ。美咲は知る由もないことだが、美しさに目をつけられて借金を背負わされて娼館で働くことになる女性もいたりすることも考えれば、まだ自分の意思で決めているため美咲は幸運と捉えられるだろう。
帰る国がこの世界にないという意味では亡国という表現は間違っていないかもしれないが、姫だと思われるのは美咲にとって心外である。
「あの、別に貴族じゃないし、姫でもないわよ?」
「分かってるって。隠したいんだよな? 騒ぎ立てられたら困るもんな」
否定しても、ルアンはうんうんと頷いて勝手に納得している。
(分かってない。絶対分かってないよ、この人)
美咲は心の中で滂沱の涙を流した。
「あの、さっき勇者とか言ってたけど、それってどういう……」
姫云々はもう聞き流すことにして、先ほどの発言の真意を尋ねた美咲に、ルアンは照れ笑いで答えた。
「まあ、まだ何もしてねぇから勇者じゃないんだけどな。俺、勇者になりたいんだ。絶対に魔王を倒して勇者と呼ばれるようになってやるんだ」
「勇者って、なろうと思ってなれるものなの? 普通、王様とかに勇者よ、魔王を倒せるのは勇者であるお前だけじゃ、頼んだぞとか言われて旅立つのが勇者じゃないの?」
ムキになって問い質す美咲の剣幕にルアンはたじろぎながらも、しっかりと否定する。
「何だそれ。勇者っていうのは、偉業を達成した人間に贈られる尊称だから、最初から勇者って名乗ってたら失笑されるだけだぞ」
ルアンの様子から判断するに、勇者が尊称で、しかも自称ではなく他称されるものだということは、少なくとも常識であるらしい。
でも、美咲は王子に勇者と呼ばれた。剣まで与えられて、魔王退治の旅に放り出された。
エルナが自責心から同行してくれなければ、訳も分からず一人で旅をする羽目になっていたであろうことは、美咲でも簡単に想像がつく。
(どういうことよ……)
胸中では王子に対する疑念が頭をもたげ始めている。
かといって、目の前のルアンにバカ正直に事情を話すわけにもいかない。
美咲は後で時間があったらアリシャに相談してみようと、今後の予定を脳内に書き留めた。
お互い受ける依頼を決めた二人は、受け付けに行って受諾処理をする。
これで正式に依頼を受けたことになる。
「それじゃ、行ってくるね。色々ありがとう。ルアンも頑張って」
「おう! お前も頑張れよ!」
冒険者ギルドの前で、美咲はルアンと別れた。