六日目:魔王討伐には仲間が要る1
昨夜の宴会の残り物で簡単に朝食を取ったあと、美咲はアリシャに連れられて商業都市ラーダンに入った。
平たい石で整地された大通りを、たくさんの馬車や人々が行き交っている。
ザラ村と違って大通りを歩く人々の服装は洗練されていて、美咲の視点から見てもそれほど違和感を感じない。
よくあるファンタジー世界にありがちなエルフやらドワーフやら獣人やらは一切おらず、見かけるのは人間ばかりだ。
以前にエルナがしてくれた話によると、魔族は身体に獣の特徴を持つらしいから、この世界ではもしかしたらエルフやドワーフがいるかどうかはともかく、獣人は全て魔族という括りに入れられているのかもしれない。
出歩いているのが人間だけでも、アスファルトや車を全く見かけないだけで、美咲にとっては充分異世界という感じがする。
「わあ……人がいっぱい。情勢の割に、凄い熱気ですね」
驚く美咲にアリシャが皮肉げな顔で答える。
「その名の通り、商いが盛んな街だからねぇ。戦争特需が起きてるのさ。それに戦争は東の城塞都市がよく持ち堪えてて人類側も少しずつだけど余裕が出てきたから、時間が経つにつれて順応しちゃったみたいだね。商人っていうのは実に逞しいもんだ」
追い詰められはしているけれど、何とか人類側も踏ん張って持ち堪え、小康状態を保っているというところか。
それが長く続くことで日常となり、住民も慣れてきたのかもしれない。
商業都市っていうくらいだから、中には戦争を利用して儲けてやろうという目論見を持つ者も多くいるのだろう。
あるいは、エルナに説明された現状が、実際よりも大げさに話されていたか。
そうだったとしても、今となっては美咲にエルナの真意を知る術はない。
「まずはどこに行くんですか?」
「そうだね。とりあえず売る物を売っちゃおうか」
アリシャが手綱を取って、馬車を発進させた。
大通りとはいっても、現代人の美咲の感覚では、それほど大きくはないけれど、その代わり道路の混雑ぶりは現代都市と良い勝負をしている。
人とぶつからないように馬車を制御するのは中々大変そうだ。
「これだけ人が多いと引ったくりにも遭い易い。歩く時は道具袋を持ってかれないように気をつけな」
「あわわ……」
道具袋を手に持っていた美咲は、慌てて背負い直してマントで覆い隠した。
「歩く時だけでいいよ。馬車の上でまで警戒してると、かえって目立つから」
小動物のようにきょろきょろする美咲を見て、アリシャが苦笑する。
しばらく進ませ、ある建物の前でアリシャは馬車を停止させた。
建物は大理石のような白く光沢のある石でできており、清潔さを感じさせる。
人が出入りしている入り口らしき場所には大きな看板があり、美咲には読めないベルアニア文字が書かれていた。
「ここだよ。旅で得た物の買取は一括してこの冒険者ギルドがやってくれる。他にも大小様々な依頼が張り出されてるよ。中には今の美咲でも達成できる依頼があるかもしれない。興味があるなら利用してみるといいかもね」
「冒険者って……傭兵とはどう違うんです?」
疑問を漏らした美咲は、振り仰いで冒険者ギルドの看板を見上げる。
どこを見ても、書いてある文字は見慣れないベルアニアの文字ばかりだ。
予備知識無しに全く知らない外国に来たも同然の美咲は、酷く日本語が恋しい気分だった。
美咲の呟きを聞いて、アリシャが追加で説明を付け加えてくれた。
「元々冒険者は遺跡の盗掘者だったって話だよ。詳しい話は私も知らないけど、当時は盗掘に歯止めがかからなくて、苦肉の策として彼らに冒険者っていう新しい社会的身分を与えて盗掘品の流通だけでも管理しようとしたのが始まりだとか」
馬車から一足先に降りたアリシャは、話しつつ馬車から素材を積めた木箱を下ろした。
わらわらと集まってきた職員らしき人たちが、馬車をどこかへ誘導していく。
専用の駐車場みたいなのがあるのかな、と美咲は少し感心して馬車を見送る。
中に入ると、美咲はまず目に飛び込んできた光景に驚かされた。
真っ白な外観に反さず、中も清潔感を意識した白系統の内装で纏められていて、大きなカウンターには何人も受け付けの人間が座り、その前には長蛇の列が出来ている。
美咲が驚いたのは、鎧や武器を持って武装した人たち以外にも、武装していない一般人が相当数並んでいたことだった。
「ここに並ぶんですか?」
「ん? ああ、そっちは依頼申請用のカウンターだから、私たちには用はないよ」
そこらを歩いていてもおかしくなさそうな女性も列に並んでいることに納得した美咲は、同時にその盛況ぶりに感嘆する。
「こんなに依頼する人がいるんだ……」
「冒険者ギルドっていったらやっぱり遺跡探索が有名だけど、いつも未探索の遺跡があるわけじゃない。今じゃ複数のマイナーギルドと合併して、魔物退治からペット探しまで、受けられる依頼は幅広くなってるみたいだよ。受ける方もどちらかというと冒険者一本でやるより、副業にしてる人が多いかな。ちなみに私たちが並ぶのはこっち」
アリシャに示されたカウンターは、依頼申請用のカウンターと同じくらい大きいのに、見事に閑古鳥が鳴いている。
片方が目まぐるしく働いているのに比べ、こちらの受付嬢たちは退屈そうに時折あくびすらしていた。
「なんだか……凄い寂れてますね」
「換金がピークを迎えるのは、依頼を受けて出かけた冒険者たちが帰ってくる夕方以降だからね。逆に今は早朝だから、依頼する人の方が多い。受理された依頼はそっちの大掲示板に張り出される。もう少ししたら依頼を受けに冒険者たちが押しかけてくるよ」
ちょうど係員らしき揃いの制服を着た人が二人、依頼受付のカウンターの奥から両手に大量の書類を抱えて出てきて、何も掲示されていない大掲示板に書類を貼っていく。
「依頼を受けたい冒険者は掲示されている紙をはがして申し込むんだ。失敗するとギルドからの評価が下がって受けられる依頼が少なくなるから、身の丈に合った依頼を受けるといい」
一通り説明を受けているうちに、美咲たちの番が来る。
受付嬢は営業スマイルを浮かべてアリシャと美咲に応対した。
「冒険者ギルドをご利用いただきまして、誠にありがとうございます。今日はどのようなご用件でしょうか」
「素材の換金を頼みたい」
「ではこの整理券を持って、番号が呼ばれましたらそちらのドアから中にお入りください」
「これ持っててくれる?」
手渡された整理券を、アリシャはそのまま美咲に渡した。
整理券を受け取った美咲は、手元の整理券をまじまじと眺める。
元の世界でも、銀行などに行った時に整理券を見たことはあるが、異世界だけあって紙の材質からして違う。
木から作る紙の製法がまだ確立してないのか、配られた整理券は羊皮紙でできていた。羊皮紙でも使い捨てできるほど安いわけではなく、回収されてまた再利用されるようだ。
確かに、いちいち新しい羊皮紙を使うのはコスト的にも無駄なので、再利用は利に適っている。
黒いインクで書かれたベルアニア数字は、やはり美咲には読むことができない。
数字ならもしかしたら分かるかも、と美咲は密かに期待を寄せていたが、そう上手くはいかないらしい。
「何て書いてあるんですか?」
「ん? ああ、これは数字の三だね」
美咲は書かれているベルアニア数字を穴が開くほど熱心に見詰める。
それは、アルファベットのCを反対側にひっくり返したような数字だった。
「呼ばれるまでそこで座ろうか」
アリシャは何脚も整然に並べられている待合席に腰掛け、足元に木箱を置いた。
隣に美咲も腰掛け、何をするでもなく回りの人の流れをぼーっと観察する。
(なんかこう、人間ばかりだとあんまり異世界だって感じに見えないないなぁ……)
今の時間帯は一般人が多いせいもあるだろうが、美咲の目から見るとファンタジーらしさが少なく感じる。
たまに中世に出てくる騎士みたいな格好の男性や修道服に身を包んだ女性などそれっぽい人間はいるものの、やはりどちらかというとコスプレイヤーが紛れ込んでいるという印象が拭えない。
やがて自分が持つ整理券の番号が呼ばれ、美咲が反射的に立ち上がる。
「呼ばれたみたいだね。それじゃ行こうか」
隣に座っていたアリシャが立ち上がった美咲を見て木箱をひょいと持ち上げる。
結構重そうに見えるし、実際重いに違いないのに三つ纏めて苦もなく持ち上げるのはさすがだ。
受付嬢に言われていた扉を開け、中に入ると、中にいた男性が会釈をしてくる。
ギルド職員だろうか。
「換金を担当するエルド・ワーグナーです。本日はよろしくお願いいたします」
「ご丁寧にどうも。それじゃさっそく頼むよ」
「拝見させていただきます」
美咲が見ている前でアリシャが職員とやり取りを交わす。
職員は白い手袋をして、慎重な動作で木箱の蓋に手をかけた。
三つある木箱を次々に開けていく。
木箱ごと巨大な秤に乗せ、重さを測っていく。
「ゲオルベルの毛皮と牙に、肉ですね。毛皮に目立った傷はなし、肉の状態も良好、牙も欠けているところは……ありませんね。木箱の値段も合わせてこれくらいでいかがでしょう」
羊皮紙を取り出して、職員は値段らしきベルアニア数字を書き付けてアリシャに見せる。
アリシャは数字を一瞥すると鼻を鳴らした。
「これっぽっちかい。良い状態が保たれるようにこっちは手間かけてるんだ。その分を加味してくれよ」
「それではこれくらいで」
初めに書いた数字を塗り潰し、職員が新しく数字を書き付ける。
「……もう一声」
「ではここまで上げましょう」
新しく書かれた数字を見たアリシャが顔を綻ばせる。
「いいね。宜しく頼むよ」
「承りました。二十レドと三十ペラダでお引取りいたします。この羊皮紙が取引証明書になりますので、大切に保管してください。今日はありがとうございました」
差し出された羊皮紙と金を受け取ると、アリシャは羊皮紙だけ美咲に手渡した。
持っていてくれ、ということらしい。
職員に見送られてアリシャと美咲は部屋を後にする。
「ふおお……なんだかそれっぽかったです」
現実ではちょっとお目にかかれない、異世界らしいやり取りに美咲は少し興奮していた。
今にもそこらを走り出しそうな美咲の様子にアリシャが苦笑する。
「満足したなら良かった。それじゃ馬車に戻ろうか」
「はーい」
元気に返事をして、美咲は先に歩き出したアリシャを追いかけ、弾むような足取りで受け付けを通り過ぎる。
受け付けがあるギルドエントランスには、そこそこ武装した人間の姿が増えてきている。
彼らは大掲示板の前に集まり、何人かが張られた羊皮紙を剥がして受け付けに持っていっている。
どうやら換金を扱っている受付は、同時にクエストの取り扱いも行っているらしい。
外に出たアリシャと美咲は、馬車の中で渡された金を分け合った。
「これ、美咲の分ね」
アリシャに手渡されたのは、十レドと十五ペラダ。日本円に換算して十万千五百円ほどだ。学生だった美咲には充分大金である。
「こ、こんなにいっぱいもらえませんよ!」
「ほらほら。遠慮しないで受け取る」
恐縮して突き返そうとする美咲の手に、アリシャは無理やり金を握らせる。
「金はあって困るものでもないだろ。特に美咲の場合、魔王を倒さなきゃならないんだから」
「で、でも、持ち過ぎても問題だと思いますっ」
「前に言ってたザラ村でのことを心配してるのかい? ならそれは美咲が気をつけていれば済むことだよ。とにかく美咲はしばらくは自分の実力を高めることに専念する必要があるんだから、金はあった方が良い。今のままだと魔王に挑んだところで間違いなく犬死にだ」
犬死にという言葉を聞いて反射的に表情を強張らせた美咲を見て、アリシャはしまったと狼狽の表情を浮かべて額に手を当てる。
「あー、悪い。別に怖がらせるつもりじゃなかった。美咲はろくに戦ったことなんてないだろ? 体捌きを見てれば分かるよ」
美咲は言い返せずに唇を噛んで俯いた。
図星だった。美咲は戦闘は愚か、元の世界での喧嘩でさえ経験したことがない。そもそも暴力自体と無縁な環境で育ったから、美咲は暴力自体が嫌いだ。
「とにかく無いよりはあった方がいい。ここは私の顔を立てると思って受け取ってくれないか?」
「……分かりました」
そこまで言われては付き返すわけにもいかない。
握らされた金を、美咲はしぶしぶ道具袋にしまった。
「私は傭兵登録したらしばらくラーダンに滞在して新しい傭兵団を探すつもりだけど、美咲はこれからどうするんだい?」
「あの、とりあえず魔王を倒す仲間を集めたいと思ってるんですけど、その傭兵団でそのまま私を連れて魔王城へ、なんて……」
自分でも有り得ないと思っているのか、だらだら冷や汗をかき始める美咲に、アリシャは目を細めて笑った。
「気持ちは分かるけど、無理だね。傭兵は基本的に依頼とあらば誰とでも戦うけれど、危険に見合った報酬が必要だ。魔王城なんて、生きて帰るのが絶望的な場所に行くなら特に」
「あくまで仮定の話ですけど、魔王と一緒に戦って欲しい場合、その報酬っていくらくらいになるんでしょうか……」
「そもそもそんな依頼に飛びつく傭兵がいるとは思えないけど、もし本気なら少なくとも一人につき金貨千枚は必要じゃないかな」
出てきた金額に美咲は飛び上がった。
金貨千枚といえば、日本円に直せば十億円ではないか。
「そ、そんなの払えるわけないじゃないですか!」
「なら現実的なところでは、有り金全部報酬に当てて、足りない分は道中にある魔族の村を略奪し放題にする権利を与えることで賄う、とかかな。それでも私だったら受けようとは思えないけれど」
美咲ははっきりと断りを口にされて、嬉しいような悲しいような複雑な気分だった。
人が集まることはないとほぼ断言されたに等しいが、関係のない魔族の村を略奪させるくらいなら、一人で乗り込んだ方がいいとも思える。
(でも一人で乗り込んだら、絶対死ぬよね……)
悲観的になる美咲をアリシャが励ます。
「でもまあ、仲間を増やすのはいいんじゃないかな? 美咲がこれから修行するにしても、一ヶ月って期限があるから限界があることは確かだ。冒険者ギルドでパーティを募集してみてもいいかもしれないね」
「……見つかるでしょうか?」
不安そうな表情を隠さない美咲の頭を、アリシャは撫でた。
「冒険者のパーティは雇用主と雇用者の関係じゃないから、傭兵を雇うよりずっと安く済む。まずは堅実に単独でできる依頼をこなして実績を作るといいよ。ちょうどさっき張り出されてたし、見てきたら? 私は風のせせらぎ亭って宿屋に泊まるつもりだから、何か相談事があれば尋ねておいで」
「ありがとうございます。そうだ、これを……」
首にかけた砂時計入りの袋の紐を解こうとした美咲を、アリシャが止める。
「それはもう少し預かってて。しばらくラーダンを発つつもりはないんだろ? 私も当分はここを拠点にするつもりだから、後で返してくれればいいさ」
「はいっ! 行ってきます! ありがとうございました!」
美咲はアリシャに腕を後ろに組んで片足を下げるベルアニア式の礼をすると、馬車を出て再びギルドに向かった。