五日目:信頼の重み、人との繋がり3
ラーダンに到着したが、美咲はまだ馬車でアリシャと行動を共にしていた。
「もう城門は閉まっちゃってるから、今日はここで夜を明かして明日の朝に中に入ろう」
事も無げにアリシャは宣言する。
安全な場所が目の前にあるのに、入らずに城壁の外で一晩を過ごすと聞いて、美咲は驚きを隠せない。
そもそもにして、いくら夜だとはいっても、すぐそこにある街に入れないということ事態が、美咲にとっては衝撃だった。
夜でも門くらい、開けておいてくれればいいのにとさえ思う。
魔物のの侵入を防ぐことや、犯罪の防止など、美咲も理由はいくらでも思いつくものの、取り残された美咲たちにとっては逆を言えば、それらに遭遇する危険性があるということだ。
恐怖を抱くのも無理は無い。
「き、危険はないんですか……?」
怖がる美咲に、アリシャは安心させるようにニヤッと笑って親指でくいと周りを指差す。
いつの間にか、美咲やアリシャの周りは人で溢れていた。
「私たちの他にも中に入れなかった奴らがいっぱいいるだろ? 今までの野宿よりはよほど安全だよ」
確かに同じような境遇らしい旅装姿の旅人や、商品を満載した馬車に乗った商人らしき人物など、大勢の人間がこの辺りに集まって野営の準備をしている。
「これだけ人間がいれば、もし仮に魔物がいても迂闊に近付けない。リスクが高過ぎることくらい彼らにだって理解できるからね。魔物だって狙うなら安全に狩れる獲物を狙いたいものさ」
アリシャは自分の馬車に寄りかかりる。
どうやら本格的に話すつもりらしい。
「基本的には、街道を進んでいればはぐれ以外で魔物と遭遇することはほぼ無いよ。ただ盗賊に襲われる危険性は否定できないから、商人とかはキャラバンを組んで旅をすることが多いし、旅人だってあらかじめパーティを組んで目的地を目指すこともある」
「そうなんですか……」
納得しかけた美咲は、ふと自分がエルナと二人きりで旅に出たことを思い出す。
よく考えたら、アリシャだって馬車を用いているとはいえ一人旅だ。
「でも、ならどうして最初から集まって旅をしない人がいるんですか? 危険だってことは分かってるはずなのに。私も、エレナとの二人旅じゃなくて、他の誰かと一緒だったら良かったのかな」
俯く美咲の頭に、慰めるかのようにアリシャの手が置かれた。
女性らしくない、ガサガサで固い豆だらけの大きな手だった。
「一概には言えないね。一定以上の実力があって道中の危険を自力で排除できるような人間だと、一人旅の方が身軽で気楽だし、旅で得た物があれば独占できるから、好んで一人旅をしている場合もある。それに、君たちの場合は敢えて危険を呼び込むようにしていたとも考えられる」
美咲は目を見張った。
そんなことをする理由が、美咲にはさっぱり分からなかった。
どう考えたって、旅は安全な方がいい。
魔物や盗賊に襲われれば、死ぬ可能性があるのだ。
異世界人だろうと、死ねばそれで終わりである。
アリシャのような達人ならば一人旅でも問題ないとは美咲も思うものの、同じことが自分にも出来るとは、美咲自身到底思えない。
「……どうしてですか?」
抱いた疑問は、アリシャによって氷解させられる。
「君の目的は三十日以内に魔王を倒すことだろう? でも今の君じゃ、魔王に勝つのは逆立ちしたって不可能だ。たぶん彼女は、君に経験を多く積ませて、少しでも早く強くなってもらおうと思ってたんじゃないかな」
複雑な気持ちになって、美咲は俯いて唇を噛んだ。
確かに、納得できる話だ。何しろ美咲は弱い。ろくに戦い方なんて知らないし、戦った経験ももちろんない。そんな美咲を手っ取り早く強くするためには、やはり荒療治しかないだろう。
そうエルナが考えていたとしても、何もおかしくはない。むしろ、今のままの美咲を魔王に嗾けようとする方がよほど道理に適わない。いくら美咲が魔王に対して相性的に有利だとしても、戦いのたの字も知らない素人にやられるような魔王なら、とっくの昔に倒されているはずだ。
言葉を切ったアリシャは、他の旅人や商人たちが食事の準備をしているのを見て慌てた。
「っと、ちょっと話し過ぎた。さっさと飯にしちゃおう。こういう時は、飯の時間を回りと合わすと中々楽しいんだ」
「あ、はい。分かりました」
話を終わらせたアリシャに合わせ、美咲もエルナの道具袋から、最後の保存食を取り出す。
どうやって食べようか迷い出す美咲に、アリシャが待ったをかけた。
「ああ、今日は私が君の分まで作るから、無理に保存食で済ませなくていい。その代わりといってはなんだけど、準備を手伝ってくれるかな」
ぱあっと美咲の顔が輝く。
現代世界でろくに料理ができなかった美咲は、もちろんこの世界でも料理なんてできなかった。
調理器具が発達して調理自体は容易になっているにも関わらずそうなのだから、野宿でまともな料理を美咲がそう簡単に作れるわけがない。
エルナがいた頃はエルナが作ってくれていたが、そのエルナももういない。
アリシャの馬車に乗せてもらってからは、美咲の食事は控えめにいって貧相だった。ぶっちゃけると美味しくなかった。不味かった。
干し肉は水で戻してもまだ硬いし、旨味が少なく、酢漬けは酸っぱいを通り越して舌が痺れる酸味になっている。
先日エルナを真似て余ったものをぶちこんでスープにしたら、恐ろしく不味かった。エルナが作ったのも現代の食生活で舌が肥えている美咲にとっては美味しいといえるものではなかったが、それでもあくまで味が薄くて物足りない、といった程度でしかなかった。
それに対して美咲が作ったスープは、率直にいって不味かった。
「はい! 喜んで」
美味しいものが食べられることに笑みを浮かべ、美咲はいそいそとアリシャの後を着いていく。
馬車の中でアリシャと一緒に道具を漁り、組み立て式の竈や薪、鍋などの調理器具を馬車の外に持ち出す。
「私は竈を組み立てるから、美咲は馬車から干し野菜を適当に見繕って持ってきてくれるかな。あとヴァランチカの干し肉がまだ残ってるはずだ。酢漬けがあればそれも全部持ってきてくれ」
「分かりました!」
ヴァランチカというのがよく分からなかったものの、聞き覚えがないのだから異世界特有の動物か何かだろう。
元気よく返事をした美咲は馬車に戻り、アリシャのいう野菜を探す。
たぶんたくさんある木箱の中のどれかに納められているのだと思うが、いかんせん木箱の数が多過ぎる。
「どうしよう……」
勝手に開けて違ったらまずいと思った美咲は、外にいるアリシャに聞いてみることにした。
「アリシャさーん! 野菜が入ってる箱ってどれですかー!?」
「分かんなかったら開けて確かめて! 野菜が入ってりゃそれだから!」
本人もかなり適当な様子だった。
「じゃあ失礼して、と」
さっそく手始めに手近の木箱を開けにかかる。
「あ、これ服がいっぱい入ってる」
着替えだろうか、美咲と比べるとかなり大きめなサイズの服が木箱にぎっしり詰まっている。
とはいっても入っているのは下着や鎧の下に着るのであろう分厚くて吸汗性の良さそうな服ばかりで、ファッションに気を使った女らしい服はない。
もっとも、男顔負けの体格で男よりも男前な性格のアリシャがひらひらした服を着ているのは、ちょっと想像がつかないが。
それでも、制服一つ身一つでこの世界に召喚されてしまった美咲は、たくさんの服を持っているというだけでアリシャが羨ましく思えた。
「こんなに持ってるんだ。いいなぁ……」
唇を尖らせてため息を一つ。
「ええい、無い物強請りしてても仕方ない。次!」
服が詰まった木箱を元に戻し、次の箱を開ける。
ナイフやら、鉈やら鋸やら、物騒な凶器が詰められている。
「あ、これ今日使った解体道具だ」
全て見覚えがある品々で、少し考えてから美咲は声を弾ませる。
きちんと手入れしてから仕舞ったらしく、どれも刃は澄んだ鋼色で血がついているわけではないし、脂で曇っている様子もない。
「そういえば……」
武器もあったっけと思い出した美咲は、壁に立てかけられたそれに目を向ける。
剥き出しで置かれた、美咲の背丈ほどもある巨大な剣。
RPG的にいうならグレートソードとでもいうのだろうか。
馬鹿みたいな大きさで、美咲の背丈と同じくらいの大きさがある。
美咲が持ち上げようとしてみても、きっとびくともしないに違いない。
普通の馬車ならそのうち重みで床が抜けそうだが、アリシャの馬車はこれでもかと金属の補強がしてあるので抜ける心配はなさそうだ。
ただバランスを取るためか、逆の場所にはこれまたでっかいハルバードが置かれていたりする。
これも美咲が持ち上げられないのは確実だ。
「って、また思考が逸れた。次!」
明後日の方向に飛びそうになる意識を軌道修正する。
三つ目の箱は干し肉ではなく、大量の塩に漬けられた塩漬け肉の塊だった。
「あ、これ昼間に倒した魔物の肉かな。……ゲオルベル? だっけ」
不思議とここまで解体されてしまっていると、元の形を保っていないせいか嫌悪感は沸かない。それどころか美味しそうな肉だねー、とか思ってしまう。
「我ながら現金だ……」
苦笑しつつ、次へ。
「あ、これかな?」
四つ目を開けてみればヒットしたようで、中には干し野菜が入っていた。
目的地が近いせいか底が見えている面積が多く、残っている野菜は少ない。
異世界らしく見慣れない野菜ばかりだけれど、それでも実や根や葉、茎のどの部分を食べる野菜なのかくらいの区別はつく。
どんなに形が違っても、どこが食べられるのかは見れば結構分かり易い。分からないのは毒の有無くらいだ。アリシャが保管しているくらいなのだから、どれも毒無しだと考えていいだろう。
干し肉が入った木箱もその隣に見つかり、木箱ごと持っていくことにして、今度は酢漬けを探す。
これを見つけるのは簡単で、瓶を探せばいい。中身を確認して入っているのが何らかの野菜なら、それがピクルスだ。
あっさりと見つけて、美咲は酢漬けの瓶を持ち上げる。
大きさはそれほどでもなく、従って美咲でも持ち歩けるくらいには比較的軽い。
まず干し野菜から持ち出すことにし、美咲はえいやっと踏ん張って木箱を持ち上げようとして……すぐに諦めた。
さすがに重過ぎる。女子高生である美咲の細腕では、とてもではないが長時間持ち運べない。
「うん、引き摺ろう」
仕方ないので端っこを引っ張ってずりずり移動させ、出口のところだけ落としそうになるのを何とか堪え、抱えて外に出す。
疲れる作業でも、努力すれば美味しい食事にありつけると考えれば、案外頑張れるものだ。
また馬車に戻ってもう一つ木箱を持ち出し、酢漬けの瓶を合わせた木箱二つを前に美咲は考え込む。
(さて、これをどうやってアリシャさんのところまで運ぼうか)
当然だが、普通に運ぶのは腕力的な問題で不可能である。
だとすると引き摺るしかないのだが、それをすれば、アリシャのところにつく頃には、木箱の地面との接地面がかなり汚れているだろうし、木箱自体にも傷がついているかもしれない。汚れた木箱を馬車に積み直せば馬車も汚れてしまうので、それはできればしたくない。
もう一度馬車の中を見回した美咲は、頬を吊り上げてにやりと笑った。
(お、いいものみっけ)
そこには、青銅製の台車があった。