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美咲の剣  作者: きりん
一章 不安な旅路
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五日目:信頼の重み、人との繋がり1

 馬車の中でマントに包まっていた美咲はそっと目を開いた。

 外で赤々と燃える焚き火に目をやると、焚き火の傍でアリシャが火の番をしている。

 美咲は外に出て、笑顔を意識して浮かべ、アリシャに声をかける。


「そろそろ交代の時間ですよ。アリシャさんは休んでください」


 アリシャは上半身を起こした体勢の美咲に視線を向けると、ふっと相好を崩して微笑む。


「もうそんな時間かい? なら後は頼もうかな。あと私を呼ぶ時は呼び捨てでいいよ。さん付けされるほど偉い身分でもないしね」


 馬車の中に入って寝るのかと思っていたら、アリシャは毛布を抱えて焚き火の傍に戻ってきた。どうやら外で寝るらしい。確かに焚き火を焚いた上で、毛布に包まれば外でも風邪を引くような寒さにはならないだろうが、それでも馬車の中よりは寒いだろう。

 馬車は馬車でどうしても隙間風が入り込むし、火の恩恵が無い分余計に寒いかもしれないが。

 不思議に思った美咲はアリシャに尋ねる。


「中で休まないんですか?」


 考え込むアリシャを、美咲がじっと見つめる。

 視線に気が付いて振り向いたアリシャが振り向くと、美咲はにこりと微笑んだ。


「こんなこと、アリシャさんにとっては言うまでもないことかもしれませんけど、休むなら屋根がある場所の方がいいと思いますよ」


「天気がいいから空がよく見える。こんな日は星を眺めながら眠りにつくのもおつなもんさ」


 火の粉が飛んで来ないが熱を感じられる程度の位置に陣取ると、アリシャは毛布に包まって横になる。

 美咲は膝を抱えて焚き火の火を見つめた。

 焚き火の火はゆらゆらと揺れ、パチパチという音を立てては時折火の粉を虚空に飛ばしている。

 しばらくして、焚き火に薪を足した美咲は、横目でアリシャの様子を窺った。

 目を閉じたアリシャは眠っているようだった。

 耳をそばだてると、焚き火の小さなパチパチという音とともに、彼女の静かな寝息さえ聞こえてくるような気がする。

 なおも注意深くアリシャの様子を窺い、様子が変わらないことを確認すると、美咲はそっと立ち上がった。

 音を立てないように抜き足差し足で歩いて馬車に近寄り、車輪に噛ませていた車止めを取り外す。

 座って寝ていたはずのワルナークは、美咲の気配に気付いてかすでに目覚めて起き上がっていた。

 牙をむき出しにして美咲を見ている。全体的な形は馬に似ているので、牙の違和感が凄い。

 動物の考えなど分かるはずもないけれど、何故か美咲は警戒されているように感じた。

 これから後ろめたいことをしようとしている美咲の先入観によるバイアスがかかってそう見えたのかもしれない。

 実のところ、美咲は自分から頼み込んだのにも関わらず、快諾されてしまったことでアリシャのことを全く信用できないでいた。

 一見優しい人のように見えたディナックを信じたせいで大事な旅の荷物を奪われ、エルナが死んだ。

 だから、親切そうなアリシャの態度にだって裏があるのかもしれない。いつ何の拍子に豹変するかも分からない。

 可能性があるのなら、油断はできない。自分の身は自分で守らなければいけない。もうエルナはおらず、美咲は一人ぼっちなのだから。

 そんな強迫観念が、今の美咲を突き動かしている。


(騙される隙を作ってる方が、悪いのよ)


 それでも、まるで自分に言い聞かせるようにしているのは、やはりどこかに恩人に対する後ろめたさがあるからか。

 御者席に攀じ登り、腰掛けると手綱を掴む。

 手綱を引っ張っても、ワルナークは牙を向いて美咲を睨むだけで、動こうとしない。

 アリシャが御者をしていたなら、馬が言うことを聞かない時はどうしていたのか。

 鞭とかで叩くのはどうだろうと思いつき、美咲は鞭を探した。

 よく使うものなら、馬車の中にしまったりせずに御者席に置いてあるはずだ。

 案の定、鞭はすぐに見つかる。


「何をしてるんだい?」


「っ!?」


 跳ねるように身体を翻し、美咲は振り向く。

 振り向いた先では寝ていたはずのアリシャが目を開けていた。

 美咲は慌てて馬に鞭を打つ。

 馬は四肢を踏ん張りアリシャがいる方向に首を向けたまま、頑なに走ろうとしない。


「走って! 走ってよ!」


「無駄だよ。その子は私以外の命令は聞かない」


 じっと美咲を見つめていたアリシャは、ふっと表情を和らげると穏やかな表情を浮かべた。


「降りて来なさい。あそこまでして私に頼み込んできた君が、簡単な理由でこんなことをするとは思えない。何か理由があるんだろ? もっと話をしようじゃないか。お互いをよく知らないから不安になるんだ。もう隠し事はなしにしよう」


 震える手で手綱をそっと置き、美咲は馬車から降りた。

 全部話すしかないと思った。



■ □ ■



 話を黙って聞いていたアリシャは、さすがに驚いた様子で目を見張った。


「勇者として召喚された時、魔王に死出の呪刻を刻まれた? 本当かい?」


「はい。上半身にあります」


 俯き、美咲は頷く。


「見せてもらってもいい? いや、変な意味で言っているわけじゃないんだ。ただ、ちょっと信じられなくてね」


「……分かりました」


 美咲は制服のブレザーを脱ぐ。

 ブラウスの上からでも黒い紋様が薄く浮き上がっているが、美咲はあえてブラウスも脱いで刻印で覆われた肌をアリシャに見せ付けた。

 アリシャは絶句して美咲の肌を凝視している。

 やがてアリシャは手を伸ばし、美咲の肌に刻まれた呪刻を人差し指でなぞった。


「これは……確かに本物だね。詠唱では呪いが無効化されてしまうから、わざわざ直接肌に刻み込む呪刻を使ったのか。酷いことをするもんだ」


 美咲は服装を直し、説明を続ける。


「私を召喚した子が責任を感じて同行してくれたんですけど、ザラ村で殺されてしまって」


「それは、穏やかじゃないな」


 顔を険しくしたアリシャに向けて首を横に振り、美咲は自嘲する。

 馬鹿なことをした自覚はあった。

 エルナを死なせるに到った原因は、間違いなく美咲の無知にある。


「私が悪いんです。人前で、うっかり荷物から大金を出して見せてしまったから。結局その荷物は盗まれて剣も奪われ、私は髪を切られ、取り戻そうとしてくれたエルナが剣を引き換えに殺されてしまいました」


「そうか。だからそんなに髪が短かったのか。私ら傭兵なら手入れが面倒でわざと短かくしてる奴らもそれなりにいるけど、傭兵でないなら珍しいなとは思ってたんだ」


 暗い顔で俯いていた美咲は、誰とも無しに不満で鬱屈した感情をぶちまける。

 この世界に召喚されてからは、不満を感じない時など無かった。

 車も電車も無く、徒歩で旅をするしかない不便さもそうだし、水が貴重で湯を沸かす手段も限られている。

 まともに風呂に入ったのは召喚された日の一日目のみで、それ以外はせいぜい布を水で湿らせて身体を拭くのがせいぜいだ。

 調味料が希少で高価なせいか、食事も全体的に薄味だ。それはそれでいいものの、材料も美咲には見慣れないものが混じっている。似ている物はあっても、全く同じものは何一つない。

 元の世界の常識が通じない。風俗も違う。騙されるのも殺されるのも、予防できなかった方が悪くて、根本的な解決方法が無く、何とかして自衛するしかない。

 命の価値が軽い。魔物がいて、魔族軍と戦争状態にあるせいか、元の世界よりも、殺人が禁忌になっていない。これではまるで、元の世界の紛争地帯にいるかのようだ。恐ろしい。


「やっぱり私、魔王となんて戦いたくない。でも死にたくない。生きたければ魔王を倒すしかない。何なのこれ。どうして私がこんな目に遭わなきゃならないの? 家に帰して、帰してよ」


 誰も受け止める対象がいないからこそ、美咲は慟哭する。

 震える美咲の頭に、ぽんと手が置かれる。

 性別に似合わず、ゴツゴツとした手の平の感触に、美咲は思わず顔を上げる。

 アリシャが微笑んでいた。


「……君の話ばかり聞いているのは公平ではないね。少しは私の話もしようか」


 感想を何も言わないアリシャに、美咲は密かに感謝した。

 慰めも同情も、どんな言葉をかけられても、今は余計に惨めになるだけだったから。


「私の生まれがミルギリだってことは、ザラ村の酒場で言ったね? ミルギリは王都のずっと北東にある、今は魔族領になってる土地にあった村なんだ。ザラ村みたいに大きな産業も無い貧しい村でね。土地が痩せていて植物もろくに育たない土地だったから、生活は厳しいものだったよ。一日にパン一つを家族五人で分け合って過ごしたこともあった」


 思わず美咲は顔を上げてアリシャを窺った。

 だって、アリシャが言っていることが本当なのなら、今はもう、アリシャの故郷は魔族軍に滅ぼされて存在しないということになる。

 過去を語るアリシャの顔は特に変わらず飄々としていて、口調にも悲壮感はない。

 表情は穏やかで、口元には淡く微笑みまで浮かんでいる。

 ただ淡々と過ぎ去った過去を懐かしんでいる様子だった。

 それに比べて、自分はどうだ。

 うじうじと悩んで、これでは苦しいのだ、自分は不幸なのだととアリシャにアピールしているみたいではないか。

 アリシャのように前を向くことこそが正しいのだろう。旅立つ時は、美咲も同じ気持ちだった。

 でもそれは、知らなかったからだ。旅というものが、こんなに辛く、待ち受ける出来事が、喪失と挫折に満ちたものだったなんて。

 しかも、旅はまだ始まったばかりに過ぎない。これからも困難が、山脈のように峻烈に待ち構えているに違いないのだ。魔王を倒すということそのものが一番の困難であることは違いないのに、そこに辿り着くまでがまず難しい。


(割り切れないよ。やっぱり、この世界は異世界なんだ。同じように見えても全然違う)


 だからといって、今の美咲には全てを受け入れて前へ進むなど、出来ない。そんな風には思えない。割り切れない。

 どうして自分が、関係もない他人のために、こんなにも苦しまなければならないのか、という憤慨が先に立つ。

 そもそも美咲にはひもじい、というのがどれほど辛いのか、いまいち想像がつかなかった。

 現代世界でも飢餓に喘ぐ国は確かにあったけれど、少なくとも美咲が暮らしていた日本という国は豊かで食べ物で溢れていたから。

 ご飯は三食食べるのが当たり前。食べないことがあっても、それは時間が無かったりダイエットをしていたりという個人的な理由で、食べるものがないという切実な理由ではない。


「十歳の時、冬支度を前にして、ついに生活が立ち行かなくなってね。子どもで唯一女だった私は口減らしに人買いに売られることになった。別に家族を恨んじゃいないよ。皆が飢え死にしないためには仕方ないことだったから。売られた私は人買いに連れられて村を出た。まあ、今思えば楽な旅じゃなかったね。狭い馬車に押し込められて、用を足す時でさえ逃げ出さないように見張られた。馬車には私よりも幼い子もいたよ。皆若い女ばかりだったから、娼館に売られるか貴族に売られるか、どちらにしろろくな未来が待っていないのはすぐに分かった」


 息を潜めて美咲はアリシャの話を反芻する。

 アリシャの話は美咲には想像もつかない世界での出来事みたいに聞こえる。

 けれどそうではないのだろう。

 この世界ではきっとどこにでも転がっているような、有り触れた普通の話。

 売られた時は十歳だったというから、それよりも年齢が下ということは、現代の感覚でいえば小学校低学年か下手をすれば未就学児ということになる。

 もし自分が当時のアリシャと同じような立場に放り込まれたら。

 たぶん、訳も分からず状況に流されて絶望しているんだろうと、美咲はそんなことを思う。

 やはり美咲は、アリシャのようにはなれない。


「その旅の途中で盗賊に襲われてね。一応護衛はいたんだが、どうも盗賊と繋がってたみたいで、結局人買いは身包みを剥がされて殺され、ほとんどの女は盗賊に連れて行かれた。いくつかの幸運が重なって私は逃げ延びることができたけど、やっぱり生活が立ち行かなくてね。結局娼館に身売りしたよ」


 本当のことなら、美咲の想像など及びもつかないとても遣る瀬無い出来事だ。できるなら嘘であって欲しいと思うくらいに。

 自分だったらどうしただろうか。自殺しているかもしれない。いや、自ら死ぬのも怖くて、娼館の中で身も心も腐らせているかもしれない。

 いつか学校で歴史の先生に聞いた話を思い出す。

 戦国時代、九州地方から鉄砲などのために外国に売り払われていった女性が大勢いたらしい。豊臣秀吉がキリシタンの布教を禁止したのも、それを防ぐためだったという。アリシャが語った過去は、外国の娼館に身を落とす羽目になった女性たちと、本質的には変わらない。


「どこかに雇って貰うってことはできなかったんですか?」


 我慢できずに美咲は口を挟む。

 苦笑したアリシャは話を続けた。


「そうして貰えるなら一番良かったけどね。その時の私は人買いに髪を刈られた直後で、誰がどう見ても春売りの女だとしか思えない状態だった。そんな女を雇う奇特な店なんてありゃしない。結局娼館に行くしかなかったのさ」


 美咲は思わず、自分の髪を押さえた。

 元々は長髪だった美咲も、今は髪を盗まれ、短髪だ。

 幸い宿屋の女将さんが整えてくれたから、そうそう悪い見た目ではないものの、自分もそう見られかねない外見をしている。


「……どうやって、抜け出せたんですか?」


「客の一人と親しくなってね。その客が傭兵団の団長で、私に才能を見出してくれたんだ。私を買い上げて見習いとして迎え入れてくれた」


 あの頃のことは、今でも鮮明に思い出せるよ、とアリシャは懐かしそうに遠い目をした。

 もしかしたら、アリシャはその客に、恋心を抱いていたかもしれない。

 何しろ自分を救い出して、食い扶持を稼ぐ手段すら与えてくれた男である。

 美咲だったらまず惚れる。


「それからは自分の腕を磨きながらあっちこっち戦を求めて旅をしてその傭兵団で暮らしてたんだけど、ある戦争で団長が戦死して、傭兵団も戦死者が多く出て半壊しちまってね。それで傭兵団は解散して、私はフリーになった」


 アリシャは美咲に振り向き、ニッと笑みを浮かべる。


「それで今、仕事を求めてラーダンに向かっている途中ってわけさ」


 話を締め括り、アリシャは美咲に向き直る。


「どうかな? 少しは私を信じる気になれた?」


 はっとして美咲は我に返る。


「……その話が本当だという証拠はあるんですか」


「直接な証拠にはならないけど、貰ったものならあるよ」


 首元を弄り、アリシャは紐で繋がれた布の袋を取り出した。


「私を娼館から連れ出してくれた人が、私が傭兵として一人前と認められた時お祝いにくれたんだ。今の私にとっては、命の次に大切なものさ」


 袋の口を空けてアリシャが取り出した中身は、アリシャの瞳の色と同じ、翡翠色の砂が詰まった砂時計だった。

 首に下げられていた紐を解くと、アリシャはそれを美咲の首にかけて結び直す。


「え?」


 目をぱちくりさせる美咲に、アリシャはウインクする。


「私のことが信じられないんだろ? だから、私からの信頼の証にこの砂時計を君に預けよう。ラーダンに着いたら、返してくれ」


「わ、私が持ち逃げするとは思わないんですか?」


 動揺する美咲に、アリシャは悪戯っぽく笑った。

 アリシャの語ったことが本当なら、これはアリシャにとって、形見ということになる。それも、好きだったかもしれない人の。


「君を信じると決めたからね。また裏切られたら信じた私が馬鹿だっただけということさ」


 そんなことを言いながらも、アリシャから向けられる視線に美咲は疑念を感じられない。

 言葉とは裏腹に、アリシャは美咲が裏切るとは微塵も思っていないようだった。


(あんなことしようとした後なのに、まだ信頼してくれてるんだ)


 美咲は泣きそうな顔で、自分の首元に下げられた袋を、ぎゅっと握り締めた。

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