十三日目:人身売買組織を潰せ!2
それから、女性は居住まいを正し、詳しい話を美咲たちに聞かせてくれた。
「私は、この館で働いているメイドの一人で、ディアナと申します。母親の代からこの館の主人に仕えておりまして、先代の頃は慎ましやかながらも平穏な生活を送らせていただいておりました」
少女が名乗ったディアナという名前に、当たり前だが美咲は全く聞き覚えがない。
それは奴隷だったセザリー、テナ、イルマの三人を含め、皆も同じのようだった。
「……今はそうでないと?」
タゴサクが尋ねると、少女はこくりと頷く。
「はい。先代は領内を良く治め、魔族が攻めてくるまでは平和そのものでした。魔族軍との戦争で先代が戦死し、領地を魔族軍に奪われても、私たちは諦めず、先代の息子である若君をお守りし、このラーダンへと落ち延びて参りました。若君は先代に似て利発で善良な方でしたので、私たちは、彼さえ守れれば、お家の再興は不可能ではないと考えていたのです」
そこまで話終えると、ディアナは俯く。その瞳は、戸惑いと心労で揺れていた。
「ですが、いざ許可を得てラーダンに居を構えると、若君は出所すら定かではない怪しげな者たちを次々に使用人として雇い入れ、先代から仕えて続けてきた者たちは遠ざけられてしまいました」
「遠ざけられた理由は分かっているの?」
美咲の質問に、ディアナは黙って首を横に振る。
「私たちはどうして若君がそのような行動に出たのか理解できませんでした。もちろん私を始め、親の代から仕えてきた使用人の殆どが不満を持ちましたので、若君に苦情を申し立てましたが、苦情を申し立てた使用人たちが若君に呼びつけられたのを最後に次々館から姿を消すと、不満を口にできる者は私を含めて居なくなりました」
ディアナは話しながら、しきりにセザリー、イルマ、テナの様子を窺っていた。ディアナが彼女たちを見る目は、知らない者を見る目ではない。むしろ知己に対して、罪悪感を隠し切れずにいる目だった。
「反対する者が居なくなったことをいいことに、若君は新たに雇い入れた者たちを使い、ラーダンの市民やラーダンに逃げ延びてきた難民たちをかどわかし、奴隷商人と手を組み、違法奴隷を欲しがる悪徳貴族たちに売りつけ、大金を稼ぎ始めました。口を噤んだ者だけが、奴隷の調整に携わることを条件に、この屋敷で人間らしく生きることを許されました」
我慢できなくなり、セザリーが口を開く。
直接の被害者であるセザリーの声は、半ば叫ぶようだった。
「何故、何故あなたは直接ラーダンの領主に助けを求めなかったのです。貴族といえど、あなたの主はあくまでラーダンでは難民でしかない。領主に逆らえるほどの権力は持っていなかったはずです」
詰るようなセザリーの詰問は、全てを奪われた彼女の遣る瀬無い気持ちが篭められていた。
「そうよ。あなた達が行動してれば、今頃私たちはこんな目に遭ってなかったかもしれないのに」
呟くテナの目は潤み、握り締めた拳が震えている。
「こんなことは言いたくないですけど、私たちがこうなったのは、あなたたちのせいですぅ」
セザリー、テナ、イルマの三人は、憎悪と嫌悪を滲ませて少女を睨みつけている。
自ら奴隷の調整を手伝っていたとディアナは言ったのだ。無理もない。
メイド服姿のディアナは諦観の笑みを浮かべる。
「もちろん、そうしようとした者は居りました。私もまた、それを望んでおりました。ですが、直訴を試みた彼女らの末路は悲惨なものでした。若君と領主は手を組んでいたのです。いいえ、気がつけば貴族たちの殆どが、奴隷の売買を通じて裏で繋がっていた。訴状は握り潰され、捕まった彼女たちは自我を奪われ、記憶を奪われ、人としての尊厳すら踏みにじられて、奴隷として幾度と無く貴族たちへ売り出されることとなりました。あなたたちのことですよ、リシャオラ、ミルドリナ、トーリア。……いえ、今はセザリー、テナ、イルマという名前でしたね。もう、あなたたちは私の名前どころか、私があなたたちの同僚だったことですら、覚えていないのですから」
知らない名前を出され、セザリー、テナ、イルマの三人はきょとんとした顔をした。
いや、話の流れからして、彼女たちにもその名前が自分たちの本名なのであろうことは分かっている。
だが、全く実感が湧かなかった。名前を聞かされても、違和感しか感じない。
「どういうことなの? ミーヤには、よく分からないよ……」
理解が及ばないながらも、不穏な雰囲気は伝わったらしい。
不安そうな顔で美咲の袖を掴み、困惑して眉を寄せるミーヤを見て、ディアナはかすかに微笑む。
「子どもには、まだ難しい話かもしれませんね。その直訴にいった私の同僚が、今はセザリー、テナ、イルマと名乗っている彼女たちなのですよ」
ディアナはミーヤを見て淡く微笑むと、セザリー、テナ、イルマの三人を複雑な表情で見つめる。
「信じて送り出したあなたたちが、隷従の首輪を嵌められて戻ってきたのを見た私の気持ちが分かりますか? 日を追うごとに変わり果てていくあなたたちの姿を見せられていた私の恐怖が分かりますか? 従わなければ、次は我が身です。……抵抗なんて、できるはずもありません」
そして、ディアナは懺悔するかのように、己の罪を口にする。
「最後に三人を調整していたのは私です。ゴブリンに洞窟が占拠されても事が露見することはなく、ゴブリンが討伐された後も、私はお館様の命で新たな買い主のオーダーに合わせ、三人の調整を続けておりました」
「……もしかして、前に私とミーヤちゃんを攫ったのも、あなたたちなの?」
ハッとした顔で尋ねた美咲に、ディアナは申し訳無さそうな表情で微笑む。
「はい。特にあなたは目立っていましたので、あなたがこのラーダンに着いてすぐにお館様は目星をつけていたようです。あなたがラーダンに居る間、何度かお館様は刺客を放たれたようですが、一緒に居た手練の女傭兵に未然に防がれ、失敗に終わっておりました。唯一成功した一回も、自力で脱出されてしまいましたし。取り逃がしたことを知ったお館様の荒れようといったら、酷いものでした」
手練の女傭兵とは、間違いなくアリシャのことだろう。
知らない間にアリシャに守られていたことを知り、美咲は嬉しくなると同時に、全く気付かなかった自分の間抜けさが情けなくなった。
「拉致に失敗した以上、お館様は手をこまねいて見ているわけには参りませんでした。多くの貴族にはお館様の息がかかっているとはいえ、あなたが懇意にしていた少年、ルアンといいましたか、彼の父親は現グァバ家当主です。そしてグァバ家は元々辺境で魔族の侵攻を長年食い止めていた王家の信任厚い辺境伯。現グァバ家当主も、防衛戦で負った怪我が原因で一戦を引いてなお、息子を騎士として最前線に出しているほどの忠臣で、例外でした。私どもと同じく領地を失っているとはいえ、元が一地方貴族に過ぎないお館様には手の出し用がありません」
貴族というだけで圧倒され、ルアンの家の事情など知らなかった美咲は、他人の口からルアンの家のことを語られ、初めてルアンの家がどんな家だったのかを知った。そして、そんな家に生まれたルアンが、どうして勇者になりたかったのかを。
きっと、ルアンはグァバ家の人間として、命運が先細りしている今の現状が我慢ならなかったのだろう。小康状態を保っていたといっても、元々魔族と人族には力の差がある。それを埋める手段が無ければ、時間が経てば経つほど、差は広がっていくだけだ。
そしてその間に、ぬるま湯に浸かり続けて自浄作用を失った貴族たちが堕落し始めて、ルアンの背を押した。もしかしたら、魔族の陰謀もあるかもしれない。美咲の想像に過ぎないが、戦が無い期間というのは、力を蓄えるのと同時に、策謀を巡らせ敵の力を削ぐ絶好の機会だ。
もしかしたら、この家も魔族の陰謀に絡め取られているのかもしれない。
(そうだとしたら、許せない)
人知れず、美咲は覚悟を決めた。
もしこの騒動の裏で魔族が暗躍しているのなら、全力で以って打倒しよう。きっと生きていれば、ルアンもそうしようとしただろう。
(弱くて震えていただけの私とは、もう違う。怖いけど。今だって怖いけど。戦うことで守れるものがあるなら、私は戦うんだ)
美咲が決意している間も、ディアナの話は続く。
「しかも、グァバ家は洞窟内で行方不明になった三男の生死確認のために、私財をはたいて洞窟の詳細な再調査を冒険者ギルドに依頼していました。それを私どもが知ったのは、既に冒険者ギルドが動き出した後でした。手を打たなければ、事の発覚は避けられません。依頼をあなたが受けていたのは幸いでした。口封じと事の隠蔽を同時に行う目処が付きましたから。もっとも、こうして彼女たちが隷従の首輪から開放されているところを見ると、お館様の目論見は失敗に終わったようですね」
長々と話すディアナを、痺れを切らしたタゴサクが遮った。
「事の次第など今はどうでもいい。時間を稼ぐつもりでござろうが、そうはいかぬ。拙者の仲間の居場所を吐いてもらうでござるよ」
凄むタゴサクに、ディアナは目を細めると、観念したかのように頷いた。
「……そうですね。これだけ時間を稼げば、お館様も無事逃げ出せるでしょう。お館様を見逃してくださると約束するのなら、ご案内いたします」
「あなた、この期に及んでまだそんなことを!」
叫んだセザリーに、ディアナは凪いだ視線を向けて微笑んだ。
「お嫌でしたら、どうぞ私を斬り捨てて、自分たちでお探しください。彼らを閉じ込めている奴隷用の部屋は隠されていますし、時間をかければかけるほど、無事である可能性は低くなりますけど、それでもいいのなら」
「よくも、開き直って抜けぬけと……本当にここで殺してやろうかしら!」
「許せないですぅ!」
居直ったディアナを見て、テナとイルマも、激発しそうになっている。
「待つでござるよ。ここは、彼女の言う通りにして欲しいでござる」
気持ちはセザリー、テナ、イルマの三人と同じなのだろう。仲間の身を案じなければならないタゴサクが、複雑な表情で三人を止めた。
「今は、彼女の言う通りにしましょう。……今日だけでいいのよね? 明日からについては保証できないわよ」
優先順位を間違えてはいけない。遣る瀬無い思いを抱えながら、美咲も三人に自制を促す。
「はい。それで結構です。それでは、お部屋へお連れいたします」
ディアナはにっこりと微笑むと、安堵したかのように息をついた。
心の底から安心した様子のディアナに美咲は尋ねた。
「最後に一つ聞かせて。どうしてそこまでして、そいつを庇うの?」
おそらく聞かれることを覚悟していたのだろう。ディアナの返事は淀みなかった。
「私が、若君をお慕い申し上げているからです。幼少の頃から、ずっと好いておりました。この身が地獄に落ちることを覚悟の上での恋でございます」
「……そう」
良くはない。
実際にセザリー、テナ、イルマという被害者が出ているし、タティマたちの安否も確認できていない今、良くはないが。
そこまではっきり口にされてしまっては、美咲は何も言えなかった。
それほどまでに身を焦がす恋を、美咲は知らない。




