十三日目:人身売買組織を潰せ!1
重力がゼロになったかのような浮遊感とともに、転移装置の外の景色が歪み、ぼやけていく。
(これが、転移……!)
ファンタジーらしい超常現象を目の前で垣間見せられ、美咲は目を見張った。
初めて魔法を見た時もそうだったが、基本的にこの世界、エルファディアは文明の発達が現代よりも遅れている。だが、その割には現代では説明のつかない技術が多数存在しているのが不思議だ。特にこの転移装置なんて、美咲にはどういう原理で動いているのかさっぱり分からない。分かるのは、美咲も転移できることから、転移の魔法がかけられている、などというわけではないということだ。もし魔法で動いているのなら、美咲が乗り込んだ時点で解除されている。
まあ、不思議な技術が使われていて、原理が理解できなくとも、きちんと動いていて使える状態なのであれば、美咲がどうこういう筋合いはない。エルファディアに召喚されたのが学者とか技術者であれば目の色を変えただろうが、美咲はただの女子高校生である。
ぼやけていた景色が再び鮮明な像を結んだ時には、転移装置の外の様子は一遍していた。
窓が一切無い部屋で、汚れていたりするわけではないものの、空気がどこか淀んでいる。
洞窟の転移装置があった場所とは違い、明らかに人の手が入っている。
館か、城か。
詳細は分からないものの、部屋そのものがそこそこ広いことから、建物全体も大きそうだ。
「石造りの地下室か。扉があるでござる。扉の向こうには上り階段。となると、一階に続いているでござるな」
一足先に転移装置の外に出たタゴサクが、場所の検討をつけた。
「何も無かったというわけでは無さそうですね。混乱の跡が窺えます。作戦通り、ペリトンたちはうまく陽動してくれているようですね」
次に外に出たセザリーが、辺りを見回して言った。
「壷とか樽とかあるわねー。地下室だからか涼しいみたいだし、貯蔵庫代わりにもしてるのかしら? ほとんど壊れてるけど。っていうか、くっさいわねー」
テナがくんくんと臭いを嗅いで、顔を顰めて鼻を押さえた。
中身は保存食のようで、大部分は野菜や肉、魚の塩漬けや酢漬けのようだ。発酵が進んでいるのか、独特の臭いが立ち込めている。
(シュールストレミングだっけ? あんな感じの臭いがする。っていうか臭い。凄く臭い)
鼻が曲がりそうな臭気に、美咲は思わずえづきそうになるのを堪えた。
保存技術が発達し切っていないのか、それとも保存食といえども時間が経ちすぎているのか、発酵というよりも腐敗に近い臭いになっている。
服や髪にまで臭いが移っていそうで、美咲は自分がどんな臭いを今漂わせているのか、凄く気になった。
もちろん異臭の原因のすぐ近くに居て分かるわけがない。臭うのは悪臭ばかりである。
「扉、開いてますね。上で何か騒ぎが起きてるみたいですぅ」
おそるおそる転移装置から降りたイルマが、思わず鼻をつまみ、涙目になりながら鼻声で言った。どうやらイルマにとっても、保存食が発する臭いはたまらなく臭いようである。
最後に外に出たミーヤは、きょとんとした顔になると顔色を青褪めさせて蹲った。
「くちゃい……くちゃい……おろろろ」
「ミ、ミーヤちゃん、大丈夫!?」
その場で嘔吐し始めたミーヤに美咲が慌てて駆けていき、背中を摩る。
「うぇぇ……何これぇ。すごく臭いよぉ」
よほど酷い臭いだと感じているのか、ミーヤは我慢できずに泣き出してしまう。
幼子らしくむずがるミーヤを宥めながら、美咲は臭いに関して何も言わない二人に言った。
「タゴサクさんとセザリーさんは大丈夫なんですか? この臭い。すごく臭いですよ」
「この程度、拙者にはなんともないでござるな。魔物には、もっと強い臭気を発する種もいる故」
臭いことに違いないようだが、全く苦にしていない様子のタゴサクに、美咲は唖然とする。
「私も大丈夫みたいです。調整記録では、その、購入者の注文で味覚と嗅覚を弄ったと書いてありましたから。どういう目的で使われる予定だったんでしょうね」
セザリーは悪臭を芳香として感じてしまう己の状態に、複雑な表情をしている。
「え? そうなの? いいなぁ……」
鼻を摘んでいるテナが羨ましそうな目でセザリーを見た。
「テナ。こんなの、喜ぶようなことではないわよ」
己に羨望の視線を向けるテナを、セザリーはため息をついて嗜める。
「でも、この臭いが気にならないのは羨ましいですぅ。プレイに幅が出ますねぇ」
イルマの発言に、セザリーは苦笑しながらしょうがない子を見るような慈愛の目を向けた。相変わらずイルマがへんたいだったので、美咲はそこだけ聞かなかったことにした。イルマは一番大人しそうな見た目なのに、一番性癖がおかしい。もう解けているとはいえ、洗脳調教の業は深い。
一行はタゴサクを先頭に階段を上っていく。
階段の壁にはろうそくが等間隔に並んでおり、薄暗い光で辺りを照らしていた。揺らめく儚げな炎だが、それでも光源があるのと無いのとでは大違いである。
真っ暗闇の中、階段の上り降りはしたくない美咲だった。足を滑らせて転げ落ちる自分が容易に想像できるからだ。何しろ、石造のうえ、滑り止めも無いので足元が見える今の状態でさえ、気をつけなければ滑ってしまいそうになるのだ。
(まあでも、洞窟の中よりかはマシかな。濡れてると本当に滑るし)
前回ルアンと来た時にはゴブリンと何度か戦ったが、よく転ばずに済んだと美咲自身思う。
乾いていたから良かったが、濡れていたら岩肌の地面はよく滑る。そして石のタイルが規則他正しく並べられて平らになっているこの場所と違い、洞窟の地面はでこぼこなので、転ぶと痛い。
美咲は床にぶちまけられた、異臭を放つ保存食を避けながら歩き、階段に辿り着く。隊列では美咲が後衛に位置しているので、着いたのは美咲が一番最後だ。先頭のタゴサクは既に階段を上り始めていた。
階段を上りきると、再び扉があった。
「開け放たれているでござるな。よほど慌てていたようでござる」
扉をくぐると、広間に出た。城ほどではないが、屋敷としては中々の広さだ。
窓からはこれまた広い庭の風景が窺える。
調度品の質から見て、おそらくは、貴族の館だろう。
「ここも酷い有様ですね……」
辺りを見回したセザリーが、落ちて壊れた調度品と、ペリトンたちの足跡や体液で汚れた絨毯を見て、唖然とした顔をする。
さすがにペリトンに犠牲が出るのは避けられなかったかと美咲は思ったが、よく見たら血痕はない。小便の跡や、ころころと丸い糞が無数に転がっている。
そして小便や糞に塗れて見慣れぬ男たちが無数に倒れている。
見覚えのある顔は一人もいなかったので、まず間違いなく敵だろう。
(この状況で排泄するほど余裕があるんだ……。敵ながら哀れな。遊ばれてるわね)
倒れている人間たちは全員マク太郎にやられたらしく、もれなく全員がお亡くなりになっているようだった。
まあ、元の世界のクマでも、下手をすれば人間を殺してしまうのだから、マク太郎の戦闘力が高くても美咲は特に驚きはしない。
(うわあ……)
うっかり倒れている男たちの傷口を直視してしまい、美咲の背筋に悪寒が走った。
引っかきだろうと噛み付きだろうと、四ガートを超すあの巨体から繰り出される攻撃は全てが一撃必殺だ。四ガートといえば四メートルである。美咲の世界でクマの中では大きいヒグマが二、三メートルほどであることを考えると、とても大きい。もちろんそれだけ巨大ならば体重も大きさに見合ったものになる。測ったわけではないから美咲の想像でしかないが、少なくとも一トンは軽く超えているように美咲は思う。
男たちの死体を調べたテナが、美咲に報告をする。
「こいつら、ペリトンの群れに気を取られてる隙に、あのマクレーアに一撃でやられたみたいね。他に傷口が見当たらないけど、その傷がもれなく致命傷になってる。……何でかしらないけど、本当に敵じゃなくて良かったわね」
「その通りよ。ミーヤちゃんのおかげだわ」
テナのぼやきに美咲は全力で同意した。
倒れている男のうちの一人なんか、マクレーアのぶっとい爪が生えた手で顔を殴られたらしく、顔面がバターのように削られて原型を止めていなかった。というか、見たままを描写するなら、凹凸が無くなってのぺりとした赤黒い中身が見えている状態だ。そんな状態なので、もちろん死んでいる。
「えへへー。それほどでも」
讃辞を受けて、ミーヤが照れた。
生存者が居なさそうだったので、美咲たちは先に進むことにした。
広間を出る扉は三つあった。
たった今出てきた地下室への扉と、左右に一つずつ。
左手の扉を開けて廊下を進むと、厨房らしき場所に出た。その先に続く道は無く、行き止まりだ。
「外れ、でござるか」
中を覗いたタゴサクが露骨にがっかりした顔になった。
どうやら夕飯の仕込みの最中だったらしく、材料が出しっ放しになっている。
ペリ丸やマク太郎は厨房には来ていないらしく、散らかってはいたが彼らが暴れた痕跡は無い。
「軽く調べてみましょうか。誰かが隠れていれば、囚われた人たちが何処に閉じ込められているか、聞けるかもしれません」
美咲がそう提案すると、すぐ近くにある両開きの戸がついた大きな収納棚がガタっと揺れた。
「……誰か居るみたいですね」
思わず収納棚に目が吸い寄せられた美咲が呆然として呟く。言い出しておきながら何だが、まさか本当にこうも簡単に見つかるとは、美咲は夢にも思わなかったのだ。
「では、私たちで開けてみましょうか?」
セザリーが美咲に提案した。示すように、手に持った弓を掲げてみせる。もし何かあれば、弓で応戦するということなのだろう。
「ただのメイドとかだったら見逃すけど、人身売買に関わってる奴だったら殺しちゃっていい? 正直、私たち頭にきてるのよ」
笑顔を浮かべるテナの声は弾んでいるが、殺気を隠せていない。弓を持つ手が固く握り締められていることからも、テナの感情が窺える。
「その時は私もお手伝いさせて、テナちゃん。セザリーちゃんもやるでしょ?」
おどおどしていて内向的だったイルマは、多少気後れしながらも、それでもしっかりと自分の意思を告げる。
腹に据えかねているのは、イルマも同じらしい。
イルマの問いかけに、セザリーは無言で肩を竦めた。それでも二人を止めようとしない辺り、考えることは同じのようだ。
「……えっと、この場合、どう答えるのがいいんですかね、タゴサクさん」
返答に困った美咲は、タゴサクに助けを求めた。困ったときのタゴサク頼みである。
復讐なんて無益だと言葉にするのは簡単だが、当事者になればそんな風には割り切れない。美咲だってそれを分かっているから、良くないことだと思いながらも、セザリー、テナ、イルマを止めるべきか決めかねているのだ。
「程度によるでござるが、深く関わっている相手ならばいいのではないかな。もちろん、聞くべきことを聞き出した後にして欲しいでござるが」
タゴサクの考えはドライだった。元の世界で生きていたから本能的に殺人を忌避する美咲と違い、この世界で生きるタゴサクは特に殺人に対する忌避感は抱いていないようだった。
必要であればそうする。そんな意思が態度に透けて見える。
知らない一面を見せられて、美咲は少しショックを受ける。
(世界が違えば、常識だって違う。私がどうこう言えるような問題じゃない)
美咲は口を出したくなる自分を戒めた。
それに美咲自身、自分が生き延びるために魔王を殺そうとしているのだから、そういう意味では同じだ。
「じゃあ、私が開けます。セザリーさんとテナちゃんとイルマちゃんは、いつでも弓を射れるように準備しておいてください」
自分たちが主人と定めた美咲に、直々に指示を貰ったセザリー、テナ、イルマの三人は、嬉々として準備を始めた。彼女たちにとって、美咲に命令されることは喜びだ。そして、命令に従うことも、快感に繋がるのである。
「分かりました。任せてください」
「美咲のためなら、やっちゃうわよ!」
「頑張りますぅ」
一方で、タゴサクは美咲が収納棚を開けようとしているのが心配なようだった。
「拙者が開けた方がいいでござるよ。美咲殿はまだ荒事には不慣れでござろう」
身を案じて思いやっているからこそ任せたくないのだと、美咲も分かっている。だからタゴサクに実力を信頼されていないことを知っても、美咲は怒らなかった。
ただ、苦笑を顔に浮かべただけだ。
「それは否定できませんけど、そうも言っていられませんし。それに、私じゃミーヤちゃんの護衛とセザリーさんたちのフォローを両方するのは無理です。でも、タゴサクさんならできるでしょう? 私は大丈夫ですよ。自分の身は自分で守ります」
「むうう……。確かに、その通りでござるな。ならば、拙者らは一箇所に纏まっているとしよう。その方が、何かあった時に対応しやすいでござる」
説明が功を奏し、最終的にはタゴサクも納得して美咲の意思を尊重した。
収納棚の前に立ち、美咲はごくりと唾を飲み込んだ。
先ほど音を立てた収納棚は、今度は不自然なくらい静まり返っている。
でも、美咲は上手く言えないが、収納棚の中に気配のようなものを感じる気がした。
(さてさて、鬼が出るか、蛇が出るか。……ええい、今更怖がってたって仕方ない!)
怖気づきそうになる自分を叱咤して、美咲は勢いよく収納棚の戸を開く。
「ひっ、助けて、殺さないでください……」
収納棚の中で身を縮こまらせている、お仕着せを来た女性が、怯えて顔を歪め、びくりと身を震わせて美咲を見上げた。
「……メイド?」
おそらく生きた心地を感じていないであろう女性とは対照的に、美咲はまさかのメイド服姿の女性に、二の句が告げない。
もちろん、元の世界で某所に出没するようななんちゃってメイドではなく、丈が長いしっかりとした生地で作られたメイド服で身体をしっかりと覆った、本物のメイドである。
「おそらく、この屋敷で働いているメイドでござろうな。ちょうどいい。少し尋問してみるでござるか」
早く仲間を助け出したいタゴサクが、震えるメイドの腕を掴む。メイドは収納棚の壁に手をついて抵抗するが、タゴサクは意に介さずあっさりとメイドを収納棚から引っ張り出した。
「この屋敷に、拙者の仲間が人浚いに連れ去られて探しているでござる。何か知っていたら話すでござる。隠すとためにならぬぞ」
半ば脅しに近いタゴサクの言葉に、メイドが半泣きで口を開いた。
「そんなこと言われても……あ」
泣き出しそうだったメイドが宙に彷徨わせていた視線が、セザリー、テナ、イルマの三人を見て定まった。
「あなたたちは……」
メイドは明らかに、セザリー、テナ、イルマの三人を知っているかのような態度だった。
「どうやら、色々聞き出せそうですね」
「これは尋問かな? それとも拷問かな?」
「性的な責めなら任せてください。されるのもするのも大好きですぅ」
セザリー、テナ、イルマの三人がたちまち剣呑な気配を帯びた。だが、イルマだけやっぱり少しおかしかった。
じっくりとセザリーたちを観察していたメイドが、彼女たちの涼しげな首元を見て、目を見開く。
「隷従の首輪が、無い……!?」
驚くメイドは、セザリーたちの首に嵌められていたのが何なのか知っているようだった。
「そうよ。私たちは解放されたのよ。勇者である彼女によって」
今度こそ驚愕に目を見開いたメイドは、穴が開きそうなほど真剣に、どこか思いつめた表情で美咲を凝視する。
「ほ、本当なんですか?」
まだ信じられない様子のメイドに、テナが言う。
「本当も何も、実際に首輪が無いんだから、それが答えよ」
大人しいイルマも、珍しく語気を荒げた。
「美咲ちゃんにかかれば、あんなのただの革の首輪と同じですぅ」
三人の剣幕に、メイドは俯いて黙り込む。
再び顔を上げた時、メイドの瞳には決意の意思が宿っていた。
「お願いします。この屋敷に囚われている人たちを助けて、お館様の悪行を止めてください」
まさかのメイドの頼みに、美咲たちの間に動揺が広がる。
「……これは、はらんのよかん?」
蚊帳の外で事態を眺めていたミーヤが、ぽつりと呟いた。