十三日目:彼女たちの選択1
手帳を読んだことでタゴサクの仲間たちの居場所が分かったのはいいものの、問題はまだ無くなっていない。むしろ、状況は悪化したと言える。
美咲はちらりとタゴサクを仰ぎ見る。
「……大変なことになりましたね。まさか、タティマさんたちも捕まったなんて」
「戻ってこない以上、覚悟はしていたでござるよ」
やはり仲間が心配なのか、美咲が話しかけてもタゴサクの返事に覇気はない。
考え込んでいるタゴサクは、顔いっぱいに渋面を浮かべている。
「問題は、浚われた拙者の仲間を含む冒険者たちがどんな状態にあるかどうかでござる。全員に隷従の首輪が嵌められていたら、厄介でござるよ」
確かに、タゴサクの危惧はもっともだ。捕まった彼らが軒並み敵に回るとするなら、美咲たちに勝ち目はない。その場合、諦めて逃げ帰るしか選択肢はないだろう。
溜息をつくタゴサクに、神妙な顔でセザリーが質問する。
「嵌められていた私が言うのも何ですが、そんなに数を揃えられるものなのでしょうか? 貴重なものなんでしょう?」
力なく、タゴサクが首を横に振る。
「貴重ではござるが、数が無いわけではござらぬ。所持することすら違法とはいえ、需要がある故に出回っていることも確かでござる」
答えるタゴサクの声は苦い。非道な道具だが、人間の欲深さというものは罪深く、こんなものでも欲しがる人間は少なくない。用途は言うまでもないだろう。
黙って話を聞いていたテナが肩を竦めた。空気を読んだのか、いつもの能天気さは成りを顰めている。
「法なんて今更守るとは思えないもんね。既にいっぱい犯してるわけだし」
無意識にか、テナは自分の首筋を撫でていた。隷従の首輪を嵌められていた時のことを想像してしまったのか、テナはぶるりと震える。
「他人を奴隷にして支配下に置こうなんて、悪趣味ですぅ」
すぐに他人の影に隠れたがるイルマも、生理的嫌悪感を隠せずに顔を顰めている。
いつも頼りなげで自信なさげな表情をしている彼女が、こうまではっきり好悪の感情を表に出すのを、美咲は初めて見た気がした。
被害に遭ったのは自分自身だから、イルマも腹に据えかねるものがあるのかもしれない。
「美咲殿の方は、何か見つかったでござるか?」
牢扉を調べていたタゴサクが、振り返って美咲に問いかける。
「机に鍵のかかった引き出しがあるのを見つけました」
報告を聞いたタゴサクは、腕を組んで思案しながら再び美咲に問う。
「ふむ。開けられるでござるか?」
「鍵が掛かってましたけど、古くなって外れかけてましたから、力を篭めればいけると思います。ただ、罠の類が心配で……」
正直に懸念を伝えると、タゴサクが任せろとでもいうように己の胸を叩いた。
「ならば拙者が開けるでござる。罠解除は無理でござるが、発動した罠を避ける動体視力には自信があるでござるよ」
頼り甲斐のある台詞を聞いて、美咲は少し安心した。
タゴサクの言葉がただの出任せでないことを、美咲は既に知っている。本人も以前口にしていた通り、タゴサクは強い。それは、操られていたセザリー、テナ、イルマを簡単に無力化したことからもそれは明らかだ。間違いなく、この場にいるメンバーの中では一番強いだろう。ミーヤだけは、戦力のほぼ全てを仲間にした魔物に依存しているので、一概には比べられないが。
「さっそく試してみるでござる。あの机でござるな? 念のため皆は離れておくでござるよ」
牢扉から離れたタゴサクが、机に近寄って美咲たちを机から遠ざけると、引き出しに手をかける。
「確かに、鍵が掛かっているでござるな。ふん!」
タゴサクが力を篭めると、その腕に筋肉の筋が浮かぶ。
バキ、という音とともに、鍵が壊れて引き出しが開いた。
「おじちゃんすごーい! 力持ち!」
はしゃぐミーヤにおじさんと呼ばれ、タゴサクは一瞬微妙な表情になったが、気にしないことにしたようだ。
「はっはっは。それほどでもないでござる」
どっしりと構えるタゴサクとは対照的に、つい反射的に身構えた美咲だったが、やはり罠は無かったようで、何も起こらない。
中には羊皮紙の紙束が入っていた。
「……これは」
紙束を手に取ったタゴサクは、中身を流し読みしてなんとも言えない顔をした。
渋い顔で読み進めていったタゴサクは、次第に真面目な表情になり、あるページを開いて表情を険しくする。
「……外道め」
「何が書いてあるんですか?」
好奇心から美咲が尋ねると、タゴサクは驚いたように目を瞬かせて目を泳がせる。
「……おなごは知らなくて良いことでござる」
珍しく、タゴサクにしては台詞の歯切れが悪い。
次に興味を示したのはミーヤだ。
「何て書いてあるの?」
「こら、子どもが見る必要は無いでござる」
「ぶー。けちんぼ」
にべも無く追い払われ、ミーヤはむくれながらペリ丸と遊び始めた。飽きると、我関せずといった様子で座っているマク太郎に構ってもらいに行く。
継続して牢扉を調べていたセザリーにまでやり取り聞こえたのか、セザリーはむっとした顔でタゴサクに声を投げかけた。
「私たちのことを気遣ってくださるのは嬉しく思いますが、きちんと情報を共有していないと、いざという時判断を間違えてしまうかもしれません。話してください」
「それはそうでござるが……しかし」
「あーもう、まだるっこしい!」
煮え切らない態度に業を煮やしたのか、テナがタゴサクから紙束を奪い取った。
「このテナちゃんが音読してあげる! もうテナちゃんたら本当親切なんだ……か……ら……」
ドヤ顔で自画自賛していたテナは、紙束を一目見るとたちまち表情を無くした。血の気が引いた顔で、一心不乱に読みふけり出す。
やがて紙束の最後まで読み終えたテナは、手に持った紙束を地面に叩きつけた。
「何よこれ、何なのよ、これ! こんなことが、本当だっていうの!? これじゃ、テナたちは、テナたちの思い出は全部……!」
激怒している様子のテナを見て、美咲は逆に何が書いてあるのか気になってしまった。いつも陽気で滅多に怒らなさそうなテナをあそこまで怒らせたのだ。美咲の好奇心は大いに煽られた。
「テナちゃぁん。何が書いてあったんですかぁ?」
逆に不安が込み上げてきたらしいイルマが、涙目でテナに尋ねた。
「読めばいいじゃない! 嫌でも分かるわ! こんなの、テナは気付きたくなかったけどね!」
憤懣やるかたない表情で、テナはどすどすと足音を立てて牢扉の調査に戻っていく。
「あわわわわ……。テナちゃん、待ってぇ」
イルマはしばらく地面の羊皮紙の束とテナの背中を代わる代わる見ていたが、やがてテナを追いかけて牢扉の方へ向かった。
美咲は無言で羊皮紙の束を拾った。紐で括ってあるので、幸いばらばらにはなっていない。
タゴサクが美咲に手を差し出す。
「やはり、おなごが読むようなものではないでござるよ。拙者に渡すでござる」
「お気遣い無く。大体内容の予想は着いてますから」
美咲は素っ気無い口調で答え、羊皮紙の束に目を落とした。
もちろんベルアニア文字で書かれているので、美咲には読めない。だが、洗脳されていたということと、生まれ持った容姿の美しさ。この二つを繋ぎ合わせれば、詳細を知らずともある程度は想像がつく。
誰かと付き合った経験はないし、色恋沙汰にも疎い美咲ではるが、性的知識は人並みにある。恋人がいなかったから実践する機会が無かっただけで、興味が無かったわけではないのだ。
それこそ元の世界の歴史を紐解けば、奴隷など過去に溢れるほど存在していたし、現代だって名前を変えているだけで実質的には奴隷同然の待遇に置かれている人間が居ないわけではない。
「何が書いてあるのですか?」
内容を知らないセザリーが焦れたように美咲に尋ねる。
羊皮紙の束から顔を上げた美咲は、セザリーに微笑む。
「さあ。分からない。私、文字は読めないから。ミーヤちゃん、説明してあげて」
羊皮紙の束を渡し、美咲はミーヤに頼んだ。
受け取った羊皮紙の束を読み込んだミーヤは、セザリーに差し出して告げる。
「……これ、隷従の首輪で支配した人たちの調整記録だよ。セザリーお姉ちゃんたちの記録も載ってる。さすがに、今回捕まった冒険者の人たちのはないみたいだけど」
「なんですって?」
さすがに支配された張本人であるセザリーは聞き逃せなかったのだろう。目を見開くと、ミーヤから羊皮紙の束を受け取り、真剣な表情で羊皮紙の束を黙読し始めた。読み進めていくとその顔が青褪めていき、あるページに達したところで顎がかくんと落ちる。口を開いたまま呆けた様は、セザリーが受けた衝撃の大きさを伺わせた。
「人格、改造……?」
力が抜けて膝から崩れ落ちそうになったセザリーを、タゴサクが支えた。
「だから、読まない方がいいと言ったでござるよ」
タゴサクの口調は暗い。
読み上げられる羊皮紙に書かれていた中身は、ある意味美咲の予想通りではあった。ただ、内容の酷さが想像の二倍も三倍も突き抜けていたが。
セザリー、テナ、イルマの三人が、戦闘奴隷として身体の自己防衛機能削除が行われていたのは、予想していた通りだった。また、美しい容姿の彼女たちに、相応の身体改造が行われていたのも、非人道的さはともかく想定の範囲内である。
だが、最後の項目が大問題だった。
記憶の削除とそれに伴う元人格の消去、そして虚構の記憶の移植と、それらの記憶によって組み上げられた新しい人格の構築。
つまり、今のセザリーの自我は、隷従の首輪を嵌められた後に再構成されたものであって、セザリーが今まで美咲たちに話した境遇も、全て刷り込まれた記憶に過ぎないのであった。
名前ですら、本当の名前ではない。
不幸中の幸いは、美咲によって隷従の首輪で凍結されていた自由意志だけは救い上げられたということか。
「私は……私たちは……誰なんですか? 私たちは、何処に帰ればいいのですか?」
美咲は、セザリーの縋るような悲痛な声に、答えを持たない。
それを知る術を、持ち合わせていない。
異世界人である美咲には、彼女たちが本当にベルアニア人であるのかどうかさえ、分からないのだから。