第一章序節『Killed In Action(戦死)』
中東はイランの礫砂漠。
砂埃に擦れたような見渡す限り雲一つない青空の下には険しい褶曲山地が広がり、広大な乾いた大地にはごつごつとした岩や枯れかけたような色の植物がそこら中に散在している。
そんな、死んだような砂漠の真ん中に大規模な原油採掘施設が建っていた。中央で目を引く背の高い余剰ガス放散塔やその傍らに控える油井やぐらに、それを下から支えるかのように無骨な鉄骨と金網でできた足場や太さも長さも様々な無数の配管が絡みつき、周囲にはコンクリート打ちっぱなしの各種関連施設や倉庫,潰れた円筒形の浮屋根タンクや拡張中の建物の建設現場などがいくつかの島状になって取り囲んでいる。それらの施設群の間を縫い――時には潜るようにして繋ぐ道路上では、風に吹かれた砂埃がくるくると渦を巻いている。
そんな、世界のエネルギー産業の一端を担っていたと言ってもいいこの原油採掘施設は、現在大規模な局地戦闘の渦のただ中にあった。
・・・・・
『小隊長小隊長。こちら第三分隊』
『小隊長からアルファ第三分隊、送れ』
『防空陣地制圧完了。重傷1,戦死1』
『……マイナス2、了解。重傷者は空路で拠点に下げる。|輸送ヘリ《》第三分隊においては、そのまま西方面を警戒。接敵の際には任意に発砲してよし。どうぞ』
『了解』
『アルファ第二分隊よりアルファ小隊長。目標地点到着。指示を乞う』
『こちら小隊長、目標到達了解。格子線:310-170――第三目標地点付近を、現在アルファ第一分隊が先行して強行偵察中のため……交信中断する。アルファ第一分隊、どうぞ』
『アルファ第一分隊よりアルファ小隊長。接敵。人数不明。現在交戦中』
『アルファ小隊長よりアルファ第一分隊。交戦中、了解。目測で構いませんので、目標の格子線を下さい。どうぞ』
『第一分隊、了解。えー……格子線:270-160。どうぞ』
『270-160、了解。脅威判断はそちらに任せる。自己判断にて後退し、後退する際には報告請う。通信終わり。アルファ第二分隊、応答願う。どうぞ』
『アルファ第二分隊より小隊長。交信準備良し』
『格子線:310-170付近にてアルファ第一分隊、接敵。BTRを先行させ、西方面へゆっくり進軍せよ。可能であればアルファ第一分隊の火力支援を行え。その際には同士撃ちに留意されたし。どうぞ』
『了解。西方面に進軍する』
・・・・・
砂漠の風景はどちらを見ても、砂埃に削られて掠れたように色あせている――元は鮮やかであったらしい建物の塗装も、枯れかけた浅緑色の草木も、雲一つない晴れ渡った青空でさえも。どこもかしこも砂色に色あせ、日に焼けた白黒写真の中にでも紛れ込んだような――そんなざらついた印象だ。
そんな日に焼けた大地に囲まれ、寄り添うように建てられた鉄筋コンクリート製の建物の間を、無数の剣呑な銃声が行き交っていた。
「当たるか?」
人の腰丈ほどもある大型の車両止めの影に座り込んで身を隠していた俺は、傍らで車両止めから上体を乗り出してCZ-805 ブレンを撃っている分隊の仲間に声をかけた。相方として行動を共にする分隊の仲間、エレノアだ。
全然ダメ。エレノアは、散発的なバースト射撃を続けつつそうぼやく。
「当たらないし、そもそも見えない」
交戦中の敵が展開しているのは、ここから400mほど西側の若干傾斜のついた斜面の上だ。しかも、大きめの岩や枯れかけた立ち木の陰から撃ってくるため、こちらからはそれらが掩体となって撃ちにくい。
「そりゃそうか」
エレノアに投げやり気味な返事を返しつつ、俺はエレノアの銃の弾倉が空になるタイミングで、自分のボフォースAk5Cを手に身を乗り出す。
弾薬の節約も兼ねて射撃モードを単射にし、一発ずつ適度に狙って敵の見える付近に打ち込んでいく。相変わらず当たっているかどうかほとんどわからないが、銃弾が掠める風切り音や地面を穿つ音に敵も被弾を恐れて掩体の陰に逃げ込む。牽制射撃としての効果は多少期待できるはずだ。
「うわっとと」
急に密度を増した敵弾の風切り音に俺は慌てて射撃を中止し、掩体の陰に上体を引っ込める。相手にとってもこの距離は辛いはずだが、ほとぼりが冷めるまで牽制射撃は別のバディに任せた方がいいだろう。
そんな事を考えていた傍らで、相方が「なろっ!」と身を乗り出すのが見えた。
「ちょ、危ないぞ……っ!?」
ばすっ!「あ痛っ!?」
すぐ真横で鳴ったくぐもった着弾音と共に、エレノアが短い悲鳴を上げて身を伏せた。どうやらどこか被弾したらしい。
「大丈夫か? 衛生兵呼ぶか?」
「ちょっと掠めただけっぽい? 軽く止血してるから、それまでは適当に頼む」
できるだけ早くな。そう言った俺にあいよと軽く返し、エレノアは身を低くして近くの建物の陰に移動し、個人用救急医療キットを取り出して止血をし始めた。どうやら大した傷ではなさそうだ。そう内心で結論付けてから、俺はエレノアの言葉通り、慎重に体を乗り出しながら牽制射撃を続けた。
・・・
「当たるか?」
エレノアが止血のため一時的に戦線を空けてからしばらく――俺が二回目のリロードをしようと身を隠した時、先ほど俺がかけたそのままのセリフを言いつつ、エレノアが戻ってきた。
「いや、さっぱりだな」
俺は空になった弾倉を新しいものと取り替えながら、そうぼやく。俺も一応、着弾時に銃弾が跳ね上げる砂煙を頼りに一射一射微妙に狙いを修正しているものの、跳ね上がりのむらと弾道のばらつきのせいでどうしても思ったように着弾位置がまとまらない。
銃身短縮化する前のモデルであるボフォースAk5は、山岳戦の多いスウェーデン軍向けに開発された経緯から有効射程500mと結構な距離を狙える銃なのであるが――海外派遣の兵士や治安維持部隊向けに銃身が短くしたAk5Cでは、銃弾の加速時間が取れない分だけ弾が空気抵抗に負ける距離が短くなり、有効射程は結構落ちる。
まあとはいえ、射撃スキルはもう少し磨いておく必要があるかな。
「エレノア」
頭の中で一人結論を付け備忘録代わりの手帳にメモを取った所で、俺は早速交代で牽制射撃に入っている彼女に声をかけた。
「ん?」
「怪我の方は? 大丈夫だったのか?」
射撃を中断し銃口を若干落とした彼女に、俺は念のため質問しておく。
止血処理をしたとはいえ、被弾個所や怪我の程度によっては作戦の参加が困難になってくる場合もある。その場合は分隊長に報告し、指示を受ける必要があるからだ。
「お? ああ、左肩にちょっとした擦過銃創? 止血もしたし、鎮痛剤が要るような傷でもなかったよ」
そう答えたエレノアの肩には、彼女の言う通り伸縮包帯が巻き付けられている。普通に自分のライフルを保持できている辺り、麻酔を打たなかったというのも本当のようだ。確かに、作戦に重大な支障が出るようには見えない。
「ならいいが――」
「だーもぅ。当ったんねーなっ!」
俺がそう納得した時、エレノアが突然溜まったフラストレーションを解消するように軽く叫んだ。
「ん? 何か言ったか?」
イライラを抑えきれない様子でそう訊きなおしつつ、彼女は腰に提げたマガジンポーチから人の拳より一回り小さいくらいのサイズの弾頭を一つ引っ張り出してくる。
「いや、別に何も」
「……?」
怪訝そうな雰囲気を醸しながら、彼女はCZ-805の銃身下部に据えつけた40ミリグレネードランチャーのストッパーを外し、取り出した弾頭を横にずらした発射筒の中に押し込んだ。
「変な奴だな」
「おい、なんだそれ」
エレノアの援護のためにライフルを取り出した俺の文句に答えることなく、エレノアはグレネードランチャーの銃身をライフルごと持ち上げ、落下補正分だけ若干上向きに狙いをつけてその擲弾を撃ちだした。ポン、という軽い発射音と共に放物線を描いて飛んで行った擲弾が、敵の隠れている付近の斜面に着弾して破裂する。
一瞬お見事と言いかけた俺の横で、小さな舌打ちと共に「外れた」と言い捨てる声が聞こえてきた。
「ま、この距離で狙って撃てるのは、あいつくらいだろ」
苦笑しつつエレノアにそう声をかけ、「くそ、もう一発」と新たに擲弾を引っ張り出してくるエレノアを尻目に、体を掩体の陰に戻し、俺は20メートルほど離れた所にある二階建ての建物の屋上に目を向ける。
その手すりも柵もない建物の縁ぎりぎりの場所に、一人の兵士が伏せていた。展開した二脚の上に乗せたロシア製の狙撃銃СВ-98を抱えたその狙撃兵は、この銃火の中でスコープを覗きもせずに裸眼で敵の様子を窺っている。
「ちっ……。また外した」
「諦めて牽制射撃でもしてろ」
隣でまた舌打ちをしているバディにそう声をかけていると、屋根の上の兵士がこちらに気付き、顔だけをこちらに向けて見返してくる。
「?」
少しの間そのまま目線を合わせていたが、なんだかよく分からない内に向こうから目線を外す。何か用があるなら、無線で声をかけてくればいいはずだけど……何だったんだ、結局?
疑問を抱えたままの俺を置きざりに、やがてその兵士は目標を定めたらしく、СВ-98に取り付けた長距離スコープを覗きこんでいる。
「どうした?」
しばらく屋根を見上げていた俺を怪訝に思ったのか、エレノアがそう問いかけてくる。
「や。別に――」
タカーンっ!
何でもない。そう応えようとした瞬間、スナイパーライフル特有の乾いた銃声が周囲に鳴り響き、思わず音に反応してそちらに目線を戻してしまう。敵味方の無数の銃声が鳴り響く中でもはっきり分かる、独特の銃声だ。
ジャ、キっ。
金属の擦れる微かな音を立ててコッキングレバーが引かれ、空の薬莢が太陽光を反射しながらくるくると宙を舞って落下する。
「おーおー、確実に当ててくなぁ」
隣でサイト越しに敵を見ていたエレノアが、感心したような呆れたような声でそう言った。どうやら今の狙撃は着実に敵を仕留めたらしい。……まあそうは言っても、СВ-98は元々1キロ狙撃も可能なスナイパーライフルだ。400メートルなんて距離はないに等しいのだろう。
「ま。これくらいの距離なら、うちもスナイパーライフルさえあれば当てるけどな」
「どーだか」
エレノアとそんな軽口を叩きあっている内にその狙撃兵は狙撃場所を変えたのか、次に振り返った時にはその場からいなくなってしまっていた。
・・・
「ちょっと射撃を中断して様子を見てみるか」
「ん? おう」
掩体から顔だけを出して、双眼鏡で奥の斜面にいる敵の姿を確認していた俺は、エレノアにそう断って身を引っ込めた。
先ほどから、敵の銃撃が大分弱まっている。
袖口を引いて、腕時計で時刻を確認する。俺たちアルファ第一分隊が強行偵察のためにこの倉庫エリアまで進軍してから、そろそろ15分ほどが経つ。
このエリアに入った当初こそ両軍とも激しい銃火を交えていたものの、ここに至って敵からの反撃が小康状態に入っている。壊滅しつつあるか弾薬が切れたか……あるいは退却しつつあるのか。しかも、敵からの反撃が弱まってきているのに対して、分隊の戦死報告は今の所一件も入っていなかったはず……。
どうやら、このエリアでの小競り合いは思ったよりこちらが有利に運んでいるようだ。
「とすると、もうそろそろ……?」
「?」
俺は頭の中で現状に関して分かる情報を整理しながら、一人ごちた。そろそろ戦線を上げるか態勢を整えるか、何かしらの追加指示が下る頃合いだろう――と、まるでそんな結論に至った頃合いを見計らったように、俺の持つ長距離無線がジャーッと一瞬のノイズ音を上げた。無線の雑音制御が開いた――すなわち誰かしらの通信を受信した際にたてるノイズである。
『第一分隊長から分隊各位。我が分隊はこれより南西側に進み、中央道路上のアルファ第二分隊の進軍を援護する。各組移動後、火力支援の指令があるまでに予備弾倉の補充等を済ませておくこと』
端的な分隊長の指示に、分隊各位から次々と了解の返答が返る。俺たち二人も分隊長に了解と送り、自分の銃の射撃前点検を済ませる。
「地図で見る限りは、あの倉庫裏まで行けば、そのまま掩体に隠れて進めそうかな」
「ん。じゃあ、援護するから先にあそこまで行っちゃってくれ。うちは後から行く」
「了解」
敵前での集団移動の際、味方が掃射して牽制する事で敵の弾幕の弱まった隙に別の味方が掩体まで進むというのが最も基礎的な戦術だ。今回の場合俺とエレノアしかいないので、交代で敵への牽制をしつつもう一人を進めるという形になる。
「行くぞ。援護する」
エレノアの援護射撃に合わせて俺は掩体を飛び出し、銃撃が続いている内に目標の倉庫の陰に身を滑り込ませる。元々敵の弾幕が弱まっている中だ。エレノアが的確にこちらを狙う敵に牽制射撃を加えてくれたこともあって、俺は危なげなく倉庫の裏に飛び込む。
「よし。そっちは準備良いか?」
「オッケ」
俺は念のため自分の銃をもう一度手早く確認し、倉庫の角から上体だけ少し乗り出して待機する。改めて見ても、岩陰や木陰に動く影は見当たらない。この調子なら、セミ・オートで出てくる敵だけ狙い撃ちすればそれでいいかな? 俺は背嚢の中の予備弾倉の数を計算しながら、銃の射撃モードを単射に変える。
「進む!援護よろしく!」
「援護」
エレノアの音頭でタイミングを合わせ、俺はAk5Cを構える。それと同時にエレノアが掩体を飛び出した――その時だった。
見上げた斜面の上に砂漠迷彩に塗られた軽車輛が現れた。その車両は斜面を伸びるスロープの一番上に現れ、砂煙を上げながらその場で横向きに停車する。その車両の後部荷台に据えられたブローニングM2重機関銃に就いた銃手の目線がこちらに向けられたような、そんな気配を俺は感じた。
「エレノア、待て!」
俺は考える間もなく慌ててエレノアを制止し、無線で分隊向けの回線を開く。
「西方面スロープ上! 非装甲武装車輛接近中!」
俺がそう無線に向かって叫んだのとほぼ同時に、テクニカルの銃座が回転しその銃口がこちらに――俺の制止が間に合わなかったのか、それとも聞こえなかったのか、こちらに向かって駆けてくる途中のエレノアに向けられた。
くそ。そう呟くと同時に、手にしたAk5Cの射撃モードを連射にして、碌に狙いをつけずに車両に向けて指切り射撃で撃ちまくる。
敵側も同じタイミングで掃射を開始したが、無線を聞いた他の分隊員たちがすぐさま射撃に参加した事により、ものの数秒でテクニカルの銃手はこちらの銃弾を受け、沈黙するに至る。
しかし――。
M2重機関銃の連射速度は毎秒10発前後。その"ものの数秒"の間に、バレットM82にも使われる強力な12.7×99ミリNATO弾を数十発発射したことになるわけで――。
『各自、損害報告』
分隊長の落ち着いた声が、長距離無線から聞こえてきた。その指示に、分隊員たちが口々にその被害状況を報告する。どうやら他の分隊員に大きな被害はなかったようだ。それを聞き、俺も最後に無線の回線を開く。
「俺は無事です。ただ――」
倉庫の陰に身を隠した俺の目の前。掩体まで残り5mほど、という位置に、エレノアが横向きに倒れていた。手にしていた銃は二メートル近くこちらに向かって放り出され、バンドでしっかり留めていたはずの軍用ヘルメットは脱げて遥か後方に転がっていた。12.7×99ミリNATO弾は、生物がまともに食らえば、その衝撃でバラバラになってしまうようなとんでもない威力の弾だ。直撃こそ受けていないとしても――微動だにもしないエレノアの生死は、近寄って確認するまでもなかった。
『どうした? 衛生兵が必要か?』
分隊長の言葉に、俺は「いえ――」と一言応えて一度無線の発進ボタンから指を離し、一拍置いてから無線の発信ボタンを押し直した。
「戦死者一名。エレノアです」
それは本作戦中、俺の属するアルファ第一分隊で初めて出た戦死者だった。