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女子高生、坂東蛍子

坂東蛍子、リストバンドをする

作者: 神西亜樹

「フジヤマちゃん、顔色悪くない?」

「え?どうして・・・」

「わかるよ、一目見れば」

 やっぱり坂東さんはすごいなぁ、とましろは思った。私、自分の顔色なんて全然分からないもの。

 藤谷ましろは坂東蛍子を尊敬していた。ほんのちょっと前までは、彼女にとって蛍子は偶像そのものだった。古代遺跡の出土品のように侵しがたい象徴であり、バームクーヘンの穴のように触れることの叶わない記号だった。その偶像と、この春、どういうわけかましろは友達になった。朝の挨拶をしたり、弁当を共に摘まんだり、さらには連れだってハンバーガーとフライドポテトの完成を待ったりもするようになった。触れられないはずの穴に、いつの間にか当たり前のように触れているわけである。そんな非科学的事実を自覚する度、彼女は超常との交信に驚愕し、神に戦き、パラダイムシフトを繰り返すのだった。

 要するに、ましろは毎日超幸せだった。

「大丈夫?保健室行く?」

 平気、とましろが愛想笑いを浮かべた。本当は少しくらりと来ていたが、偶像崇拝への志が勝った。

「たぶん寝冷えしちゃったんだと思う。お腹出して寝てたのが悪かったのかも」

 少女が照れて両肩を寄せる。

「へえ、フジヤマちゃんって寝てる時身じろぎしなさそうなのに」

「ね、寝てる時のことまでは管理出来ないよ。でも坂東さんはそういうところもキチンとしてそう」

「そうねえ」と蛍子は指を唇にあて、考える仕草をした。

「私は寝相良いみたいなのよね。お腹出したりとかはないかなあ」

「やっぱり。コツとかってあるのかな」

「よく眠ること!寝る前に何かやって、頭を疲れさせてから寝るとぐっすり眠れるよ」

 蛍子はストッキングを纏った足をピンと伸ばし、自信に満ちた目で指を立てた。やっぱり坂東さんはすごいなぁ、とましろは思った。私、自分の眠りの深さなんて全然分からないもの。

「あ、そういえば先生に頼まれごとしてたんだった!」

 蛍子が左手首に巻いた腕時計を確認した。いつもしている細身のベルトとは違って、少し太めのパステルカラーのベルトだった。夏に溶ける海色で、見ているだけで気分が楽になる。

「坂東さん、いつもと腕時計違うね」

「ああ、これ。お洒落でしょ」と蛍子が笑った。

「じゃあフジヤマちゃん、また後で!」


 藤谷ましろが腹を冷やした同日の夜、坂東蛍子の寝室。

 寝静まる主人の傍ら、ロレーヌと呼ばれるその兎のぬいぐるみは、緊張の面持ちで時が来るのを待っていた。

「きた・・・!」

 仰向けの体勢から半身を倒した蛍子を見て、ロレーヌは身構えた。姿勢の移動。それは彼女の蛮行が始まる合図であった。

 坂東蛍子は寝相が悪い。どれくらい悪いか口にするのも恐ろしい程に、とてつもなく悪いのだ。冬場は冬眠した熊のようだが、夏となるとその野生を目覚めさせ、暴れ回って手がつけられない。掛布団代わりのタオルケットを投擲するのは当たり前で、酷い時はかけ直すことが出来ないよう自分の下敷きにして大の字で寝ていたりする。勿論腹だって常に出ている。

 毎夜そんな調子だから、ロレーヌは従者の務めとして、あるいは愛すべき黒兎のぬいぐるみとして夜通し傍らに座り、彼女がタオルを剥がす度にかけ直してやっている――兎のぬいぐるみはタオルケットを掛け直したりしないと思っている人がいたら、それは大きな間違いだ。ぬいぐるみには意思もあるし、動きもするのだから、タオルケットを掛けることだってもちろん出来る。当たり前の話だ――。しかし服の乱れを直すならまだしも、吹き飛んだ掛け布団を回収し暴れる蛍子に纏わせるのは本当に一苦労なのである。人間のサイズに換算すると、ガードレール三本分のハムを担ぐのと等しい荷重が肩に掛かることになり、この夏既にロレーヌの双肩はほつれが見え隠れしていた。

「まったく、何処まで転がっていくのかと思ったら・・・」

 案の定、今夜も蛍子は攻勢を続け、ロレーヌはへとへとであった。蛍子は今ベッドではなく、そこから二メートル離れた部屋の壁に張り付いている。あの姿勢は恐らく接地面積を最小にして熱を逃がそうとしているのだろう。トカゲのようだな、とロレーヌは呆れた。あれだけ転がり回っても寝息を乱さずにスヤスヤと眠っているその胆力を見ていると、同年代に崇敬されるのも頷ける。兎はベッドから飛び降り、フローリングに放置されたタオルケットの端をフカフカの腕で掴んだ。それを引き摺って蛍子の近くまでやって来ると、彼女のふくらはぎに飛び乗る。

「こんなことなら縛っておけば良かったな・・・」

 ロレーヌは自分の見立ての甘さを嘆いた。以前、ロレーヌは蛍子が夜の怪獣になった日、仕方なく朝までロープで彼女の四肢をベッド端の支柱に括り付けたことがあった。お陰でその夜は静かな時間を過ごせたが、しかしその分、翌朝手首の縄の跡に気づいた主人の熱狂と反動も凄まじいものとなったのだった。あの日の騒がしさは今も黒兎の長い耳に残っている。ロレーヌは出来れば主人を悲しませたくなかったし、愚痴を聞かされたくもなかった。五時間続けての愚痴は辛い。だからあれ以来緊縛は封印しているのだ。

「しかしここまで寝相が悪いと、そうも言ってられないかもしれん」

 健康な筋肉の上をよじ登りながら、兎は横向きで壁にくっついている蛍子に何とかタオルを纏わせた。次に衣服の乱れを直すべく、一旦腹の方へ回り込もうとする。

 その時である。突如蛍子が片足で床を蹴って飛び上がり、一拍を置いて今度は壁を蹴って、グルグルと回転しながら空中を舞った。旋回する彼女の勢いに圧され、ロレーヌはタオルケットと共にそのまま部屋の対角へと弾き飛ばされてしまう。床を越え、ベッドを越し、その先にあったのは何故か開け放たれている窓であった。ロレーヌは吸い込まれるように窓の外へ飛んでいくタオルケットにしがみつき、助けを求めるように主人の方を見た。主人の寝顔は安らかだった。

「おっと」

 中空で彼を受け止めたのは結城満(ゆうきみちる)だった。窓の縁に器用にぶら下がり、夜の漆喰に髪を垂らしている。

「満!来てくれたのか!」

「今夜は暑いからねえ。蛍子も大変なことになってると思ってさ」

 そうか、とロレーヌが膝を打つ。窓が開いていたのは、蛍子の幼馴染である彼女が夜の日課をこなすためにやってきたからだったのか。不法侵入犯もたまには役に立つ。

「さあ、こっから反撃だよ」

「しかし満よ、今夜の蛍子は一筋縄ではいかないぞ」

 ロレーヌは蛍子の方を見た。坂東蛍子はタオルケットの気配を感じたのか、眠りながら倒立していた。

「大丈夫よロレーヌ。今夜の私には秘策があるの」

 そういうと満は提げていた鞄の中からそれを取り出した。やはりそれしかないか、とロレーヌが諦めて頷いた。


「ところで坂東さん、その右手のリストバンドは何?」

 去り行く蛍子を藤谷ましろが呼び止め、抱えていた疑問をぶつけた。蛍子は振り返ると、反論を許さないような笑みで穏やかに言った。

「お洒落よ」

【藤谷眞白前回登場回】

肩が凝る―http://ncode.syosetu.com/n5869cj/

【ロレーヌ前回登場回】

あっと驚く―http://ncode.syosetu.com/n8725ce/

【結城満前回登場回】

戦場の只中で眠る―http://ncode.syosetu.com/n5104cd/

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