窓を開けて……
彼と彼女のある平凡な一日のお話。
「ふぅ。す~~~~、は~~~~」
朝の教室。彼は篭った空気を入れ替えるべく窓を開け深呼吸をする。彼の毎日の日課である。
「さむっ。あなた、何で毎日毎日窓開けてんの。寒くないの? こんなんじゃ、凍え死ぬわよ」
「冷たい空気が気持ち良いじゃないか。それに、寒いんなら文句言う前に閉めればいい」
いつも二番目に教室に来る彼女は、毎朝同じ事を言う。彼は同じ言葉を返す。彼と彼女、二人だけの習慣である。
「明日こそはあなたよりも早く来て、窓を閉め切ったままぬくぬくしてやるんだからっ!」
「もっと遅くして、窓が閉まってる頃に来るとか、考えないの? さらに早くしたら、学校に来るまでが寒いと思うんだけど」
そんな憎まれ口を言い合いながらも、お互いに笑顔だ。おそらく、クラスメートのほとんどが二人の笑顔を見たことがないだろう。
笑いあいながら窓を閉める二人のことも。
二人が窓を閉めて約二十分。三人目、四人目、五人目……と続々とクラスメートたちが登校する。誰すらも、寝ている彼と予習に勤しむ彼女のことは気に留める様子はない。いつも通りの朝である。
ホームルームの予鈴がなると同時に担任の教師が教室に入ってくると、ざわついた気配は波のように引いていき、ガタガタと音を立てながら着席する。
「よし、点呼だ。一番、浅井。二番、……」
寝ていた彼もそのころになるとようやく起きだして、今日は自分が呼ばれる前に間に合ったようだ。彼の名前が呼ばれるときに、彼女のシャーペンが一瞬止まることに気付いている者はいない。
全員の出席を確認した担任は、口早に連絡事項を伝え足早に教室を後にする。一時間目は、このクラスの担任が担当する世界史ではなく、隣りのクラスの担任が担当の地理である。
今日の地理の授業は白地図を埋めるだけ。彼は早々に終わらせて寝てしまった。
三時間目の数学。黒板で難題を解かされている彼と彼女を見たクラスメートたちには、さぞ面倒臭そうに映ったことだろう。だが、これは熾烈な戦いであった。別に示し合わせていた訳ではないが、お互いに相手よりも速く解き終わってやろうと必死だった。結果はほぼ同時。字の綺麗さゆえに、心の中で彼に勝ちを譲った彼女であるが、彼もまた、問題の難しさゆえに、心の中で彼女に勝ちを譲っている。どっちもどっちであった。二人苦々しそうに自席に戻るのを、クラスメートたちは嘆息しながら眺めるしかなかった。
昼休み。弁当持参のこの学校には学食というものは存在しない。仲のいい者同士で集まって食べるのが普通だが、このクラスには一人で食べている者が二人いる。
彼は母親が冷凍食品を詰めた茶色い弁当を急いで平らげると、さっさと寝る体勢に入った。彼女は、朝早くに自分で調理した色とりどりの弁当を、ゆっくり味わいながら食べている。彼女が食べ終わる頃になると、ちょうど昼休み終了の――四時間目開始の――予鈴が鳴る。彼女は淡々と弁当箱を片付けると、急いで現代文の教科書を取り出す。
六時間目が終わり、掃除の時間になると、まともに働いているのは七人中二人しかいなかった。彼はせっせと机を運び、彼女はせっせと窓を拭く。彼女が床を掃き始めると、彼は雑巾がけを始める。他の五人も、監視がついているので一応形の上ではサボりはしないが、見るからにだるそうである。まともに働いているのは二人だけ。
「はい、掃除終了。ごくろうさま。……先生、終わりました」
「うん、ごくろうさま。では解散」
「なんであなたは毎日毎日窓を開けるの? 寒くないの? 凍えてしまうわ」
彼と彼女の平凡な日々は、明日も続く。