9日目
九日目
五級戦闘士のファリドはむしゃくしゃしていた。訳の分らぬ異国人がいるからである。
アミルの旦那にもてなされ、下にも置かぬ扱い。旦那の家族からも敬意を持って接せられている。それはいい。客人であるのなら当然のことだ。
しかし、防具の付け方も知らない癖に、いきなりカスラーの兄貴と試合をし、負けたのに昨日の夕飯時などカスラーのアニキを呼び捨てにしていたのだ!二級戦闘士、あの『貫通』のカスラーを、である!
更には水鳥の濡れた羽のように美しく光る長い黒髪の美女をつれているのだ!ツンとすました気高い鷹のようなあの美女が、あのクソ男だけに向けるとろけるような柔らかい笑顔たるや、目にした天使さえも空から落ちてくるであろうってくらいのものだ。許せん。絶対に許せん。俺なんか何度も話しかけようとして、そのたびにドキドキして逃げかえってくるというに、全く許せん事だ!幼馴染のビジャンはニヤニヤ笑っているが許せんものは許せんのだ!!
伊勢とアールは今日はアミルと同じ自操車には乗らず、一つ後ろの自操車の塩袋の上に座っていた。少しでもクッションが欲しかったのである。現代人の尻は軟弱であった。昨日のうちにクッションを用意しなかった事を後悔していた。
ボーッっとしながら砂漠の風景を見るのにも限界があるし、ともすれば尻の痛いのだけが気になってくるので、目の前の風景をデジカメに撮り、それを元にスケッチブックに絵を書く事にした。揺れて書きにくいが、不可能なほどではない。隣でアールも同じように鉛筆を走らせていた。彼女は塩田の風景を思い出して描いているらしい。恥ずかしがって見せてくれない。
それにしても…
(なんか、観られてる気がする…)
伊勢はさっきからなぜか落ちつかないのであった。平滑な石畳をゴトゴト進む自操車の上で周りを見回した。
「どうしたんですか?相棒?お疲れですか?」
「うんにゃ、何でも無い。大丈夫だよ。昨日よりずっと路面良いし」
「そうですか、どうしても疲れたらボクに乗ってくださいね」
視線が強くなった気がする。
そうこうしているうちにお昼休憩である。といっても炊事をするわけでもなく、道端に自操車を停めて、アミルが購入して各自に配布している携帯食料や水や乾燥果物を口にするだけだ。
伊勢とアールも同じように、朝アールが炊いた米で作ったおにぎりとカロリーメイトとナツメヤシとレーズンを食べた。ワカメご飯のおにぎりであった。美味かった。あんたも一つどうだい、と御者にも一つおにぎりを分けてやる。ついでにもう一つアミルにも届けてみた。
「アール君。このワカメご飯おにぎりは良いねぇ。我が美食アカデミーでも93点は付くだろうね」
「は、先生。精進の甲斐がありましたでござる!」
訳がわからぬ三文芝居である。
「はッ、良い御身分だこと!!…聞こえてんだろうが根性無しが…」
吐き捨てるような小さな声が聞こえた。護衛の戦闘士の一人からだった。こちらを睨んでいる。伊勢は名前を思い出そうとするが、記憶に無かった。
(まあ『良い御身分』であるのは事実だけど、俺としてはお客を演じるしかないのよね)
伊勢は思いつつ、聞こえなかったふりをした。「チッ、雑魚が…」つぶやいて護衛は離れていった。
俺があんたに何をしたというのか…まあ色々あるのだろうが、変な恨みは持ってくれないでいて貰いたい、と伊勢は思った。
昼休憩を終えて、一時間。午後2時位であった。
「おいみんな!聞け!!」
槍を掲げてカスラーが声をあげた。
「知っての通り、ここからしばらくはタシー魔境の近辺を通る。魔境からハグレ魔獣が出てこないとも限らんから出来るだけ早く通過する。各自警戒を厳となせ!」
「アシュカー、前方に斥候に出ろ。ビジャン、200ヤル離れて後方を警戒しろ。ファリド、俺と一緒に隊列を固めろ」
立て続けに指示を出す。きびきびとした指示は軍人そのものでカッコいいものだ。伊勢は少し見とれた。
皆無言で、進んでいく。周囲は相変わらず岩と砂だらけの砂漠であった。茶色の草が少しだけ生えている。ゴトゴトという木の車輪が魔法で作られた石畳モドキを噛む音だけが響いていた。風が吹く。右前方、遠くの方に小さく雲を引っかけた山脈が見える。
問題は40分後に起こった。
――ガウッ うわぁ
獣の咆哮と小さく叫び声が聞こえた。全員が後ろを振り返る。街道上で、馬と同じくらいの大きさの何かにのしかかられて、ビジャンの馬が倒れるのが見えた。
「ビジャン!!」
ファリドは叫んだ。あいつは幼馴染なのだ。頭の中が白くなった。
「隊列そのまま!止まるな!進め!アシュカー!アシュカー!!戻れ!! …ファリド待て!行くんじゃない!各個撃破されるだけだ!」
カスラーの指示を無視してファリドが後方に馬を駆る。ビジャンを助けるのだ。今ならまだきっと間に合う。きっと間に合う。
「あれはアスラ熊だ!ムリだ!戻れ!!」
カスラーの声は届かない。
「俺が行く!!」
わけもわからず伊勢は叫んだ。素人のくせに、俺とアール以外には無理だ、となぜか思った。
思うままに、自操車から飛び降りた。
「アール、荷物全部出せ。戻れ!」
「はい相棒!!」
アールが体から荷物を荷台に吐き出して、地響きを立てて飛び降りる。すぐにR750に変わった。以前より速い。数秒で変化した。
「御者!槍借りるぞ!」
「へぇっ?!」
「やめろイセ!お前が行ってもどうにもならん無駄だ!!…何だそれは!!」
カスラーが叫ぶ。伊勢は無視した。
ヘルメットをかぶって、数秒で顎紐を締めると、御者の手から奪い取った槍を左手に抱えてアールに飛び乗った。
「カスラー俺を無視して先に行け!!後で追い付く!
アール、左手使えない!クラッチ任せるぞ?いいか?よし出せ!」
「いきます!」
ギャジジジッ…リアタイヤが、路面を蹴った。体を倒して出来るだけフロントを抑える。
スポーツバイクの加速だ。3秒で時速100キロを超える。アクセルを開け続ける。ビジャンまでは300m弱だ。風圧でやりが重い。脇に抱えて必死で保持する。
ファリドの馬が熊への恐怖にヤレて街道下をチャカチャカと駄々をこねている。道は開いている。
時速200キロくらいで、街道上の熊とすれ違う。
すれ違いざまに左手の槍をトスした。
槍は熊の横腹を貫通して逆から抜けた。
熊はブルブルと震えて、二歩歩き、倒れた。
伊勢が振り返ると、熊が倒れているのがみえた。ブレーキをかけ、Uターンして、いつでも逃げられるようにゆっくりと戻る。
「ビジャン!ビジャン!」「ああ、ファリド」
どうにか馬を落ちつかせたファリドが先に着いた。ビジャンは胸を爪で引っ掛けられていたが、鎧のおかげで生きていた。骨折もないようだ。
伊勢が近くにアールを停めて近づいた。二人は何とも言えない顔で伊勢を見つめた。しばらく、無言だった。
「すまねぇ!恩に切る!アンタは俺とビジャンの恩人だ!ありがとう!」
ファリドが片膝をついて深く頭を下げ、全力で叫ぶように言った。
「…アンタのおかげだ…ありがとう」
ビジャンが胸を押さえて少し苦しそうにしながら、それでも小さく笑って言った。
伊勢は少しびっくりした。真正面からこんなに大きく感謝を告げられたのは初めてだった。
思わず、ほほ笑んだ。
「相棒、よかったですね」
「ああ、よかったな」
そう思った。
^^^^^
ファリドはアスラ熊の脳にある魔石を欲しがったが、斧が無ければ熊の頭蓋骨などなかなか頭蓋骨が割れるものではない。時間が無いので断念した。
急いで熊と死んだ馬を街道下に落とし、討伐証明の左手(これ一つで500ディルになるらしい)と、死んだ馬の肉ひと固まりを乱暴に切り取ってから3人と1台が隊列に戻ると、大きな歓声が上がった。アスラ熊は毒矢を持った弓兵部隊と護衛の槍兵部隊のセットか、乗馬弓兵部隊毒矢による一撃離脱によって処理される強力な魔獣である。今回のような小人数でアスラ熊と戦って生き残るなど奇跡が起きなければあり得ない事なのであった。
戦えば確実にみんな死んでいたであろう相手なのである。
「祝いは後にしろ!次の休憩所まで進んでからだ!」
そう言うカスラーは芯から怒っているが、嬉しそうでもある。要警戒地帯はもうすぐ抜ける。休憩所は一時間程度先との事であった。伊勢はそのままアールに跨っていることにした。
本日の宿となる休憩所に到着した。直径40m程度、高さ3m程度に分厚い塀が立てられ、内側に見張り塔と3階建ての石製の建物が建っていた。井戸も二本ある。100人以上は優に休める規模である。
いざというの時の備えとしてこの程度の物は無ければ安心はできないのだろう。魔獣にしろ盗賊にしろ、それだけ危険があるという事だ。
伊勢はアールを人型に戻すと、荷物を回収した。もうみんなにアールのチートはばれている。変な隠しだてはかえって不自然である。シレっとした顔で徹底的に魔法である事にすればいいのだ。そうしよう。うん。
皆、手慣れた様子で荷物を下ろし、宿泊の準備をしている。やるべきことはわかっているらしく、指示の必要すらない。
「イセ殿、アール殿こちらへ来てくれ。ファリド、ビジャン、お前らは後で声をかけるから、そうしたらすぐに来い。」
カスラーに呼ばれた。お叱りの時間である。塔の一つに入った。
アミルも同席していた。 彼から口火を切った。
客人の伊勢であるから、カスラーではなく主人のアミルから一言、ということのようだ。確かに一つの重要な配慮である。
「イセ殿、あなた方は私の客人だ。私はあなた方の安全に責任を持っている。あなたが強いのはわかっていますが、護衛のために命を張るなどあってはならない事です。あなたはそう言う立場ではない。おわかりか?」
伊勢としては命を張ったつもりはなく、いざとなればアールに乗って逃げよう、と思っていたわけだが、黙っている事にした。自分がやった事の間違いはわかっているからだ。結果的に上手く言ったが、結果論にしか過ぎない。もしかしたら事故って全員あの世に行っているかもしれないのだ。
「はい、わかっています。立場を超えた振る舞いでした。すみません」
「それと、行動中はカスラーの指示に従っていただかなければ困ります。彼がこの道中では直接の現場指揮官だ。どこに行き、どの水場や都市に泊まるかは私が決めるが、それを現場で指揮し、実行するのは彼です。
以後は彼の指揮に従ってください。そうしなければ彼は彼の責任を果たすことすらできなくなってしまいます。」
「分かりました、カスラーさんすみませんでした」 「すみませんでした」
伊勢はアールと一緒に二人に頭を下げた。
「わかっていただけたなら良いのです」
アミルはお叱りはこれで終わりにするようだ。ここからがアミルの本当に確認したい事である。
「ところで…アール殿は何やら…変化したようですが…」
「はい。ボクのチートですヨ?魔法みたいなもんです。」
シレっと答えた。さすがアールである。
「ちーと?差し支え無ければ教えて欲しいのだが…」
「チートは、さっきみたいにバイクに変身したり、あらかじめ設定しておいた物を体に収納したり、力を強くするものです。ヨーコさんにもらった力です。たぶんこの世でボクにしか使えない力です。元々、生まれつきそういう魔法を体に刻んでいる、と思っていただけると分かり易いですヨ」
さすがアールさん正直過ぎである。全然隠して無いのである。天然である。でも本体がバイクがばれなければいいし、アールだけの魔法、と思われればそれでいいのだから、ヘタに隠す事もないのかもしれないのであった。つまるところ妖怪扱いされなければ何でもいいのだ。
「ばいく、というのは先程アール殿が取られた形ですかな?何やら機械のような…ようこさん、とはどなたですかな?」
「はい。バイクは二輪で走る機械です。馬の3倍は速いですヨ?ヨーコさんは…相棒?」
伊勢にバトンタッチである。
「陽子さんは我々の国の高僧みたいなものです。アールに授けていただいたチート以外にも、時にさまざまなチートを人に授け、旅に送りだします。
私も陽子さんから病気に成らない、というチートを貰いました。
まあ会おうと思って会える人ではないですよ。連絡は向こうからの一方通行です。チートを貰う際に副作用もありますしね。私も死にかけましたし。」
「そ、そうですか…会えないのですか…ちなみにどんな副作用が?」
「私の場合は痛みです。全身を殴られ、太い釘を突きこまれるような痛みを一週間。痛みで気絶して、さらなる痛みで覚醒して、また痛みで気絶する…もう二度と嫌ですね。狂います。思い出しただけで震えてきます。詳しくは言いませんがアールの副作用は遥かにそれより重いものです。
…正直に申し上げて、アミル殿はアールの収納チートが欲しかったのでしょう?」
「ええ。実のところその通りです。商人としては非常に魅力的な魔法…ちーと?、ですから。ただ…あきらめざるを得ないようですな、色々な意味で」
痛みを思い出して鳥肌を立てている伊勢に、アミルも一応、納得したようである。
「使用人たちにもアール殿の凄い異国の魔法、絶対に秘密にしておけ、と話をしておきましょう」
使用人のマインドに対してのフォローを一番影響力がある自分がすぐにやる。さすがにこういう所は人を使うものとして、一家の長としてぬかりの無いものである。伊勢は感心したのだった。
4人で塔を出た。
カスラーはファリドとビジャンを呼び、3人で塔に戻っていった。
叱られる内容は大体分かっている。
ビジャンは警戒不足。本来は一人前の戦闘士が、アスラ熊のような巨大で比較的鈍重な魔獣の奇襲を許す事などあり得ないのだ。
ファリドは各個撃破の原因になる行動をした事。戦場の指揮官であるカスラーの命令を無視した事。
どれも一つ間違えば全滅になりかねない危険なミスだ。ゆるがせには出来ないのである。
さて、井戸から水をくみ上げて、シャンプーで頭を洗い、水浴びをして旅の埃を落とした。慣れてしまえば、本気でやればビックリするほど少ない水でシャンプー・リンス・全身洗い、が出来るものである。伊勢はそれほど短髪ではないが、それでも2Lあればいける自信がある。まあ、今回は適度に節約して10Lほど使っただろうか。
伊勢とアールは宿泊所の二階にテントを張った。
『女性』のアールはこの中で寝るのだ。伊勢は外で寝袋に入って男どものそばで寝る事になる。大人の配慮である。悲しくなんて無いのだ。
食事の準備が出来ているとの事だったので、宿泊所の一階に入って食卓の絨毯に座った。どうにもこうにも埃っぽいが、それはまあ仕方ない。
伊勢は先程、アミルに「瓶だけは返却してくれ」と言って、ラムの小瓶を差し入れておいた。伊勢お気に入りの結構良い酒だ。少しずつであれば、全員が飲めるだろう。
序列によって座席は全部決まっている。アミルと伊勢が並んでが最上位。そこからアール、護衛側と御者側に分かれて順繰りに座っていく。一番下は奴隷の御者の3人であるが、彼らはこういう席にはつかない。別途食事をとる。護衛側も見張りが立つので全員が出席するわけではない。今で言えばファリドとアシュカーが居ない。
食事の前にアミルが言った。
「今日、アスラ熊が出た。めったにない事であり、このキャラバン全てが餌食にされてもおかしく無かった。事実護衛の一人は殺されかけた。しかしながら客人のイセ殿とアール殿が勇敢にも彼の命を、そして我らの危機を救ってくれた。
イセ殿の技量・胆力、アール殿の卓越した知られざる異国の魔法。わがキャラバンにこのお二方がいたのは神の恩寵である。至高なる神に感謝しよう。
また皆の者、お二方は無用な注目を求めておられぬ。今回の事は口外せぬと神に誓え…よいか?
…よし、では食事の祈りを…」
伊勢の出したラムはおおむね好評であった。蒸留酒の文化はこの地方にもあるので受け入れられやすかった。
普段の食事であれば質素だが、今回に限っては豪勢である。大鍋でつくられているくず野菜のスープには、いつもの干魚や干肉の切れっぱしではなく、ビジャンの乗っていた馬の肉がたっぷりと入っている。
切った後に水で良く揉み洗いし、ゆでる際もちゃんとあく取りがなされているようで、臭くは無い。硬いが、十分に旨い肉であった。何よりもどっさりと大量に入っているのが良い。見張りをしつつ残りの肉を焼くとの事なので、明日の朝は焼き肉(馬)が食べられるだろう。明朝もアールは白い飯を炊くだろう。醤油、あるいは塩とレモンで食うか。焼き肉のたれが無いのが至極残念である。
開きっぱなしのドアから、あかく水平に夕日がさしている。
明日もまた、旅である。
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