7日目
七日目
5時である。早朝から伊勢はアールと共にアミルの家の裏に出て柔軟体操をしていた。9時ごろからカスラーと試合をすることになっているのだ。その前に出来るだけこの体の性能と、陽子さんにもらった戦闘技術なるものについて検証しておかねばならぬ。時間は無いのである。
地面に座り、足を広げ上体を倒してみた。べったりと地面に胸が着く。柔軟性はA+であろう。以前の運動不足でカチコチだった体からは比較にならないのである。隣でアールも同じことをやっているが伊勢よりも遥かに余裕である。人型のアールには厳密な意味で関節など無いのであるから当たり前なのであった。
片手で腕立て伏せをしてみた。余裕であった。疲れを残さぬために5回程度でやめておく。隣のアールは100回やっても余裕である。
逆立ちをしてみた。出来なかった。悔しいので数分練習すると出来るようになった。アールは一発で出来て、逆立ちのまま腕立てをしていた。
走ってみた。一度ダッシュするが、どうも違和感があったため、フォームを確認しながらゆっくりと、徐々に早くダッシュした。異常に早かった。
そのまま村の周囲を流して走ってみる。数周すると息が上がってくるが、止まって少し休めばすぐに収まる。持久力も素晴らしいらしい。
アールは付いてこなかった。走るのだけは遅いらしい。バイクなのに。
裏庭に戻って、借りた木刀を手に持つ。木刀と言っても延し棒としてアミル家で使われていた単なるまっすぐな木の棒に、アールが体の一部を変形させて作ってくれた鉄の輪を鍔としてはめただけの簡単なものだ。
しかし、驚くべきはアールの変形能力である。バイク本体に元々あった素材であれば、任意に変形させて作れるらしい。精密性は無いし、複雑形状は無理だそうだが、まことに夢広がる能力である。
木刀を構えてみた。いろいろな構え方を試行錯誤していくうちに、何度か「これだっ」と心に響くものがある。ピンときた構えから、振ってみた。どうもイメージが違う。フォームを確認するようにゆっくりゆっくり振る。ゆっくりと何十回か振っているうちにしっくりくるものがあった。それをトレースするように徐々に早く鋭く振っていく。
どうも、体の動かし方の正否がわかるらしい。頭の中に達人がいて、その達人が半ば体を動かしながらダイレクトに指導しているようなものだ。
構えながら前後に動いてみる。これも同じようにフォームを確認しながらゆっくりと、徐々に早く…すり足、歩み足、前後に、左右に、跳躍して、回転して…
動きながら剣を振る。踏み込んで振りおろし、右に動いて胴を抜き、小さくさばいて小手を打ち…さまざまな動作を入念に確認していく。
連続して振り、踏み込み、ついて、弾いて、回り込んで足を払う。相手を想定し、常に動きながら剣を連続して振ってみる。最初はたどたどしく違和感があるが、すぐになじんでいった。動き、振り続ける。
アールはと言うとその横でしゃがみながら石油コンロと飯ごうで飯を炊いていた。これも真剣勝負である。相棒の為に旨い飯を炊くという、アールにとっては負けられぬ戦いであった。
蒸らしタイムが終わり、蓋をあけてみる。湯気が立つ。
惜敗であった。水が少し、多過ぎたのである。
いたしかたない。涙をのみながら、おにぎりを作った。アツアツの炊き立てご飯でも、アールにやけどの心配は無いのであった。手に水を付けて慎重に優しく握り、海苔を巻いた。形は最高の三角おにぎりであった。
「あいぼー、おにぎり出来ましたヨー。少し休んでください」
おにぎりを掲げて声をかけると、伊勢が小走りに戻ってきた。アールの手の中のおにぎりを受け取ってパクリと食べてみた。強めの塩がほてった体に旨かった。
「うむ、うまい。明確な成長が感じられますぞ明智君。80点。おにぎりとしては88点」
「むむ、先生、おほめいただき有難うございます。100点目指して精進いたしますヨ」
にやりと笑いあいながらおにぎりをもう一つ受け取ると、伊勢はパクパク平らげ、ゴクゴクと水を飲んだ。
「いやはや…すごい体だよ。どんどん動くんだ。見ていてどう思う?だいぶ様になったんじゃないか?」
「そうですね相棒。最初は変だったけど、だんだんかっこ良くなって来ましたね」
「そうだろうそうだろう。さて、ちょっと休んでアミルさんに挨拶して朝食を食べよう。ご一緒しないとまずいだろうからな」
「はい相棒」
「ああ、おはようございますイセ殿アール殿。今呼びに行こうかと思っていました。御精が出てましたな」
二人が家に戻るとアミルが声をかけてきたので、食卓の席に着いた。
「ご覧になってましたか。どうやらこうやら少しは動けるようです」
「御謙遜を。大した動きでしたよ。時にアール殿、あの調理道具は…特にあのような荷物はお持ちで無いように見受けたが」
石油コンロと飯ごうを見られたらしい。
「あれはボクの魔法みたいなもので保管しておいたものですヨ。どっから出したかはヒミツです」
アールはシレっと答えた。嘘は言っていない。たしかに魔法のようなものである。
「なんと!物を保管する魔法があるのですか!…すばらしい…ま、まあ食べましょう」
アミルにちょっと火がついてしまったかもしれない。商人として色々思う所があるのであろう。
朝食のメニューは昨日の夕食とほとんど変わらぬものだった。この村であるから限界があるのだろう。ただし昼食を殆ど食べない為、量はたっぷりとある。
伊勢としてはこの後に動く事になるから沢山食べるわけにはいかない。カスラーを見ると、彼も同じ考えのようである。伊勢は羊肉を少し食べ、山羊乳のヨーグルトと果物を少し食べて終わりにしておいた。ヨーグルトにはレモンのジャムがかけてあり、冷えていないが大層美味であった。昼食にも食べたく思った。
朝食を終わり、時計を見るともう8時である。
伊勢は詫びを言って早々に引き揚げ、もう一度裏庭で動きの確認をした。先程の動きを思い出すまでもなく体が覚えていたので、すぐに訓練に没入する事が出来た。片手剣を使う相手を想定して、色々な動きを試した。
「あいぼー。カスラーさんが呼んでますヨー」
「え?裏庭でやるんじゃないの?」
「ん?なんか教会前の広場でやるみたいですけど?」
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見せものであった。
娯楽の少ない、田舎においては素晴らしい見せ物であった。
アルバール帝国の一流戦闘士VS謎の異国の剣士。売り切れ必死の好カードであった。
伊勢が木刀をぶら下げて広場に向かうと、広場を囲むようにして100人近い村人が広場を囲んでいた。正直、逃げ出したくなった。無理である。色んな意味で無理である。覚悟を決めるしかないのであった。
「お待たせいたしました」
「おう、では早速やりましょう。3本勝負だ。先に二本取ってもそのまま3試合目は行う事にする。ではそこの防具をつけてくれ」
伊勢は準備されていた練習用の防具を身に付けた。つけ方に悩んでいる伊勢にヤレヤレと言う感じでカスラーの部下の一人が手伝ってくれる。
鉄と分厚い綿で出来た防具だった。これであればかなり激しく打ちあっても大きなけがはしないだろう。
「さて、イセ殿。では改めて」
「はい、よろしく」
両者は6mほどの距離を取って、軽く一礼し、面頬を下して剣を構えた。
第一試合
伊勢は全長120センチほどの木刀を両手で持ち、対するカスラーは全長85センチほどの反りの無い片手剣である。剣自体は伊勢の方が長いがカスラーは片手の為に半身で構えられ、剣の動きにも自由度が大きい。剣の長さによる間合いの距離の有利は無いと言ってよかろう。
―待っていたらそのまま負ける
相手は歴戦の戦闘士である。素人メンタルの伊勢に抵抗するすべは無いのだ。こちらから動こう、そう思い、若干半身になりつつ、すり足で間合いを詰めた。
ジリジリと間合いを詰め、もう一歩か半歩の距離まで近づく。意を決して踏み込もうとした刹那にカスラーが先に動いた。グンッと大きく踏み込み、腹を突いてきた。出鼻をくじかれて伊勢は焦った。
なんとか相手の剣を払って、体を転回し、相手の体の外側に出た。焦りながら牽制気味に中途半端に小手を打ちにいく。
当然のように軽くはじかれ、そのまま腕をまわして脇腹を突かれた。
一本である。礼をして別れた。
第二試合。
一度負けて、伊勢は逆に落ち着いた。相手はプロの戦闘士である。素人の俺が負けて当然なのだ。開き直って練習のつもりで行こう。そう思った。
先ほどとは違い、あまり半身にならず相手に正対して青眼に構えた。すり足でずいずいと間合いを詰める。
先ほどと同じような間合いで今度は喉元を突いてきた。体の中心に置いた剣を素早く動かし、強くはじく。相手の剣が流れた。
手の中でくるりと木刀を回してカスラーの横面を打ちにいく。鍔元で受けられた。間合いが近い。カスラーが上から面を打ちおろしてくる。体を捌きながら受け流した。
伊勢は気付いた。おそろしいのは伸びがあり、速い突きだけである。斬撃の速度と威力は、両手剣であるこちらがずっと優れている。
思い切り踏み込み面を打ちに行った。カスラーは剣の腹に片手を添えて受ける。受けられるのは想定済みであった。そのまま踏み込んで鍔元を相手に思い切りぶちかました。たたらを踏む相手に向かってもう一度踏み込み、袈裟に打ちおろした。もう一度受けられた。蹴った。
だが、態勢が崩れた隙に向こうから間合いを詰められ、つばぜり合いになった。剣を持つ右手を相手の左手が掴む。くるりと剣を回して喉元に付けられた。
一本である。どうやら片手剣と言うのはくるくると動くらしい。
第三試合。
どうも小手先の技は良くない。正面から行った方がいい。伊勢はそう思った。打突の速度は伊勢の方が速いのだ。向こうの戦術は突きをメインとして、小さくこちらの小手を狙ってくるか、くるくる剣を回して踏み込んでくるか、と言う感じである。打ち負ける事は決して無い。
右肩を狙って正面から素早く打った。カスラーは普通に受けるが打突の強さに押されている。踏み込んで、離れ際に胴を打つ。入ったが浅い。もう一度踏み込み、面。受けるカスラーにそのまま踏み込み、喉元にぶちかまして押し込む。嫌って離れるカスラーに面をもう一度。浅い。
カスラーは突きで距離を取ろうとする。体を回しながら横に剣を動かして弾く。その場で小さくコンパクトに逆袈裟に振りおろして上椀を…ほら、入った。
一本である。
広場はやんややんやの大歓声であった。歓声は主にカスラーに向けて、である。
2:1で勝っているわけだし、なにしろ同国人である。荒っぽい戦いしか出来ぬ『異国の暗黒剣士』はヒールの役割であった。しばらくの間、異国の暗黒剣士を打ち負かす設定のチャンバラごっこが、ちびっこたちの間で流行るであろう事は想像に難くないのであった。
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「カスラー、彼らをどう思う?」
アミルは試合を終え、体を拭いたカスラーを自室に呼んで尋ねた。実のところ、カスラーはファハーンにいる4男の嫁の従兄であった。頭の先からかかとまで、徹頭徹尾、根っからの武人であり視野は狭いが、アミルは半ば身内としてカスラーを強く信頼していた。
「は…なんと申しますか奇妙…ですな」
「ふむ、そうだな。続けてくれ」
悩みつつ話し出すカスラー。続きを促す。
「今日の朝、伊勢殿の素振りを見ておりました。最初は素人同然でしたが、数十回数百回と剣を振るうちに、あっという間に上手くなっておりました。
立ち会いの際もです。一試合目は大した事が無いと感じました。動きは速いが素人だと。それが二試合目、三試合目になると別人のようにどんどん上手くなる。三試合目は俺は本当に負けたのですよ…2級戦闘士である俺が、です」
「それほどの腕か」
「はい、真剣では負ける事は無いでしょうが一月もすればどうなるものやら。見た事のない剣術です。我が国やその周辺の剣術とは思想そのものが違いますな。出血を誘うのではなく一撃一撃がこちらの命を絶ちに来る…おそろしい剛剣です。
ただ…何やらちぐはぐですな。武人らしさが全くない。10年間死ぬ気で鍛錬した武人が、20年間何もせず技を腐らせればああなるのかも知れませんが…経験が無いので良くわからないですな」
「そうか、あのアールと言う娘はどうだ?」
「当初は大した娘ではないと思っていましたが、朝の鍛錬を見るとおそろしく強い力です。女とはとても思えぬ。片腕で100回も腕立て伏せをした後に、さらに逆立ちで何十回も腕立て伏せをするのですよ。戦場では技よりも単純な体の力が物を言う場合が多々あるが…あの力で長槍を振り回してるだけで誰もかなわんかもしれませんな。押さえつけられれば骨が砕けるかもしれぬ。イセ殿はともかく、俺はアール殿とは戦いたくない。どうなるのか良くわからぬ。」
「そうか、わかった。下がってくれ」
アミルは一礼して出ていくカスラーを見おくると、水タバコに火を付け思案を巡らせた。
イセと言う男、アールと言う娘、共に謎であった。最初は間諜かとも思ったが、このような田舎に来る意味もないし、なにより性格が明け透けすぎる。船で来た、と言っていたが、確かに顔立ちから見ても恰好から見ても、この周辺の常識に疎いことから見ても異国の人間である。そのくせ、訛りはあるもののアルバール語に堪能だし、学者しか理解できない古語まで理解している。両者ともに見た事とのない、上等と思われる謎の服を着、教養もある。一流の戦闘士であるカスラーを驚嘆させるほどに武芸にも優れている。
塩田を案内している際に、アミルから聞いた塩の製造量から海水のくみ上げ量をすぐさま算出した。塩の製造に携わる人間でなければ考えるはずもない知識である。『ぺとぼとる』なる透明な柔らかい水筒も見た事が無かったし、『らいたあ』とかいう火を出す金の道具…あれは素晴らしいものだ。
なによりアールの物を保管する魔法!貿易や流通を一変させるものだ。手ぶらで旅をしている事をいぶかしんでいたが、あのような魔法を使うとなれば納得せざるを得ない。商人として喉から手が出るほどに欲しい技術である。
いずれにしても、興味の尽きない相手だ。この出会いは自分にとって非常に大きな、神の与えたもうた幸運になるかもしれん。
アミルはそんな事を考えながらあごひげを撫でるのであった。
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午後、伊勢とアールは塩田に来ていた。暇つぶしである。6キロほどの距離はアールに乗れば一瞬である。
塩田は広い。良くはわからないが数ヘクタールはあるのかもしれない。
揚水水車を見た。人の背丈より幾分か小さい。動力もないのに回っていた。例によってファンタジー魔法である。
「ああ、イセ殿、アール殿。ご見学ですか?大して楽しいものでもないですが」
ボーっとして水車を見ている二人に3男のアフシンが話しかけてきた。アフシンと会話をするのは初めてである。ゆっくりと喋る柔らかい男であった。
「いや、面白いですよ。揚水水車なんて初めてみますから。あの水車の近くに立っている人が魔法で動かしてるんですよね?」
「ええ、そうです。彼が回して、水車の外周についている桶が水をくみ上げます。イセ殿の国には魔法が無いのですよね?」
「魔法ですねぇ…私の国にこういう魔法はありません。魔法に似たようなものはありますが」
科学技術は魔法ではないが、原理がわからぬ人間から見れば魔法と大差のないものである。というより、この世界では魔法も科学技術の一部になるのかもしれない、と伊勢は考えた。
「ところでこの水車ですが…なんで桶なんですか?」
「え?桶じゃなきゃ水は汲めないでしょう?」
きょとんとしたアフシン。通じていない。極々簡単なものでも「機械」にほとんどふれた事のない人間には新たなインスピレーションはわかないものだ。それなりの教育を受けた現代人でもそんなものである。
「必要な揚程はそれほどじゃないんだから、『汲む』んじゃなくて『送る』ようにすれば良いんじゃないかと思いますけど…うーん説明しにくいな…アール、悪いけど向こうに行ってメモ帳と筆記用具を出してきてくれるか?」
「はい相棒、ちょっと待っててくださいねー」
塩を手で揉んで遊んでいたアールに声をかけて頼んだ。アールは50mほど離れた所に行き、誰にもみられないようにバッグを出して、メモ帳と布の筆箱を持って戻ってくる。
「はいお待たせ」
「お、サンキュ。アフシンさん、簡単に絵を書きますからちょっと待ってくださいね」
伊勢はメモ帳にシャーペンで雑なポンチ絵を書いていった。羽板を並べた水車の回転部分の下半分を両側から木の板で覆って水が逃げないようにし、その羽板の回転によって水を送り出すという仕組みである。伊勢は知らないが、昔からある足踏み式の揚水水車によく似ている。目的と条件が一致すれば、自ずと構造はほとんど同じものになるものである。
「たぶん、こんな形の方が効率良いですよ。最適化するには実験しながら試していかなきゃいけないと思いますけどね」
アフシンは目を白黒させて驚いた。まっすぐに罫線の引かれた見た事のないほど美しく白い紙に驚き、みた事のない筆記用具に驚き、伊勢の書いたポンチ絵に驚き、そんな構造をすぐに考えついた伊勢に驚いた。
「こ、これは…父と相談して早速試してみます!有難うございます!本当にありがとうございます!」
「いやまあ、あんまり期待しないでくださいね。ちゃんと実験しながらやらないとマトモなものにはなりませんから」
伊勢は大した事が無いと考えているが、古代・中世にかけては学者や知恵者に相談し、仕事のアイデアを貰うというのはとても珍しく、運のいいものなのである。誰も知らないうちに、小さなブレイクスルーがここに生まれたのであった。
「お礼と言っちゃなんですが、この国の事と魔法について教えてもらえますか?」
そう言う事になった。
アルバール帝国はバール族出身の初代アユハーン一世が建国してから200年の遊牧国家である。現皇帝はアユハーン八世。南北に2000キロ東西に4000キロもの広大な国土を持つ強力な国家だ。北と西はカスー海という内海に面し、南はアラバ海という海に面している。いま伊勢達がいるファルジ村はアラバ海に繋がるペルー湾とのこと。
東にはエルフの帝国である双樹帝国があり、南東の巨大半島には獣人の国ナードラ、西には神聖カトル帝国があり、この3カ国を結ぶ中心として発展している。交易で発展している国であるから、各所の拠点をつなぐ道は完全に整備され、舗装されている。
遊牧国家がなりたちではあるが、150年ほど前から国内各所にいくつかの中小規模の魔境が出来、その魔境で採れる産物によってかなりの定住化がなされているらしい。
『魔境』とは原因不明でいきなり現れる森林や草原地帯である。数十年から数百年単位で生成と消滅がなされるらしい。魔境内部の動植物は活性化され、強く獰猛になるため、一般的に魔境の生き物は魔獣と呼ばれる。魔獣の頭蓋骨のなかには魔石があり、魔石を燃料として魔法の行使をアシストする事が出来たり、加熱の魔法具として利用されるらしい。ちなみに自操車は魔石を使って御者をアシストしている。
宗教は至高なる神を頂く一神教。種々の戒律や教えをベースとして国内の法整備がなされ、商習慣や生活習慣もそれに準じているとのこと。男尊女卑は無い。女性も普通に社会で働くし、入り婿も多い。それも「至高なる神の教え」ゆえである。
支配階級は参政権と兵役の「権利」を持つ一割弱の『市民』。その下に4割の自由民と5割の奴隷。ただし奴隷と言っても至高なる神の戒律によって耐久消費財扱いはされず、環境はピンキリだが少ないながら給料は出るし、職業選択と居住の自由が無い契約社員みたいな扱いらしい。少なくとも表向きは、だが。
ちなみにアミル・ファルジャーン一家は市民である。又、戦闘士3級以上は市民権を認められるので、カスラーは彼が一代目の市民だとの事。アミル・セルジュ・ファルジャーン、セルジュ一門ファルジャーン家のアミル。カスラー・セルジュ・カスラーン、セルジュ一門カスラーン家のカスラー。それが彼らの正式な名乗りだ。
遊牧国家ならではの部族社会に則って社会が構築されているので、奴隷は別として、自由民までは上部構造の『一門』に従う。『一門』の長は門下に対して独自の法を制定する権利を持ちる。一門の上位に位置する家は実質的な貴族階級であり、半ば近くが養子縁組によって継承されるらしい。ただし、国の大枠となる治世は皇帝を中心とした官僚機構と神学者のアドバイスによって納められるとの事。
伊勢はアフシンの語りを神妙にきいていた。どうにもペルシャと古代ローマを足して二で割った国のようだ、と伊勢は思った。歴史に詳しいわけではない彼にとってはそれ以上の事はわからぬ。いや、それにしても『エルフ』である。『獣人』である。『魔境』である。何処までもファンタジーである。笑えてくる。
「で、で、魔法はどうなんですか」
アフシンの言葉を解釈するに『魔法』は超能力に近い、と伊勢は思った。希望する人間は大抵は7歳になると神殿に喜捨をして、巫女に魔力を導いてもらうらしい。そうすると、集中すれば物を動かしたり、手を触れず多少の水を動かしたり、押し固めたり、物を熱したり、金属の形を変えたり、怪我を治したり、といった能力が使えるようになるらしい。魔石はこの力を助ける役割をする。
個人差は大きく、生まれ持った能力と生活の中で得る経験にかなり依存する。農業者や土木作業者など、土に触れる仕事をしている人間は土を扱う魔法が上手くなり、超一流の鍛冶屋は金属をすこしだけ変形できるようになったり、医者や按摩は怪我が癒える速度を速めたりする、との事。よくわからないが、物質や現象への直感的な理解や共感が重要なのかもしれない。
魔石を併用したとしても魔法を戦闘に使えるほど、強く、器用に扱える『魔法師』と呼ばれる人間は殆どおらず、数万人に一人かそれ以下であるらしい。要するに手で殴った方が早くて確実、という事だ。
「うーむ…勉強になりました」
「こちらこそ水車を考えていただき有難うございました」
たがいに実りある日であった。