321日目
本日投稿3話目
321日目
―コンコン
「どうぞ」
伊勢が声をかけると、10歳位の女の子が入ってきてペコリと頭を下げ、酒とつまみ、フルーツの盛り合わせを置いた。
「おきゃくさまのお相手をさせていただくゆうじょは、ただ今じゅんびしております。いましばらくお待ちください。かのじょはアルバールのことばを話せないため、ごようのむきは、わたくしをおよびください。とびらの先におります」
たどたどしく言うだけ行って、女児は出て言った。幼女に世話をさせながら女性を抱くという実に背徳的な趣向である。考えた人間は、よほど高レベルな紳士であろう。
「アール…とりあえず今日はここに泊まろうか…この中は安全だろうし」
「安全なのは間違いないですけど…間違えましたね…」
アールも流石に苦笑である。
「腹が減ったから、何か注文するか…」
「そうですね」
そういいながらも、さっそく彼女は果物をむいている。伊勢としては彼女の適応力を見習いたいが、根っこが小心者の彼には、どだい無理な話であろう。
―コンコン
さっきの女児が、くすんだ金髪の女を連れてきた。
「お待たせいたしました。ゆうじょがまいりました。年は18。しんせいカトルてい国の女でございます。…では、おしげりなんせ…」
「ああ…ちょっと待って。腹が減ったから、すまないが食事を持ってきてくれ。三人分」
「はい、かしこまりました」
頭を下げて、女児は金髪の女を置いて出ていく。
女は伊勢に向けてほのかな愛想笑いをすると、部屋の中に進んで絨毯に膝をつき、自分の胸に手を当てて「セシリー」と名乗った。
「ことば、ダメ、ごめんなさい、楽しむください、ぜんぶ、何でもできます、だんな様、愛してください」
女は手をついて低く頭を下げながら、そうやって口上を述べた。
たどたどしい。
多分、音だけ覚えて、毎回言っている言葉なのだろう。
「あー、まいったな…アール、その柘榴、彼女にやって?」
アールが大げさに笑いながら彼女…セシリーに柘榴を渡した。
伊勢とアールには異世界言語チートがあるが、頭に入っている言葉のどれがカトル帝国の言葉だかわからないのだ。
実際に彼女のカトル語を聞かないと判断できない。微妙に不便な仕様である。
3人は絨毯に車座になりながらフルーツを食べ、食事を取った。
何を話せばいいのか分からないが、言葉が通じない分は笑顔5割増しで誤魔化すのだ。
対人で困った時にはまず笑顔。日本人の基本戦術である。
異常にニコニコとして食事をした3人であるが、いつまでも食っているばかりではいられない。次にできる事は酒だが、万一の襲撃を警戒すると飲むわけにはいかない。さて、詰んだ。もう詰んでしまった。
「「どうしよう?(ます?)」」
伊勢とアールが顔を見合わせていると、セシリーが嬉しそうに笑いながら立ち上がって、艶やかに服を脱ぎ始めた。
「「いやいや」」
また声がそろっしまった。さすがの相棒同士である。
「俺達は別に君とその…したいわけじゃないんだ。一晩ここで隠れていられればそれで良いんだよ」
伊勢がわからないのを承知の上で、なんとかならないかと話しかけてみるが、無理なものは無理である。
裸になるのを止めようとする二人に対して、セシリーは困ったような顔をする。困っているのは伊勢らも同じである。
その後も腕に胸を押し付けたり、体を触ってくるセシリーを何とか押しどどめていたのだが、だんだんと彼女の表情が暗くなって、絶望的な顔をして、呆然と涙を浮かべる事態になってきてしまった。緊急事態である。
「セシリーさん。ボクと相棒はあなたとその…したいわけではないので、脱がなくて良いんです」
アールが懇々と諭すように言っても無駄である。
多分、抱かれないと怒られるのだろう。彼女も彼女で必死なのだ。生きていかねばならぬ。
そのうち、たがいに抱け抱かないのやり取りに疲れ、ベッドの左右に分かれて座ったまま放置状態になった。
伊勢は窓をほんの少しだけ開けて、タバコを吸った。
途方に暮れたので逃げたのである。
「マイゴッド…」
「珍しいな、アールがそんな事言うなんて」
伊勢をかけた伊勢を、アールが不思議そうな顔で見る。
「相棒、ボクはなにも言ってませんよ?」
どういう事だ?伊勢、アール以外だとセシリーしかいない。それがロゴスというものである。
「セシリーだ…え?英語?カトル語って英語なの?」
「相棒、喋ってみてください!」
「セシリー!うぇあ…あれ…チート働かないぞ?…まあ良いか、うぇあーどぅゆーかむふろむ?」
伊勢の完璧なまでの日本語英語にセシリーの目がこぼれんばかりに見開かれた。瞳からぽろぽろと涙がこぼれおち、口がへの字になった。ひどい顔だ、号泣だった。
「I'm American!あqすぇdrftgyふじこlp;」
彼女は伊勢に抱きついて泣いた。号泣だった。
「まてまて…うぇいと!じゃすともーめん!…アール頼むよ…」
「あー、ぷりーずくーりぃ…あ、ダメですね。相棒と同じレベルです」
アールの記憶は伊勢の物がベースなので当たり前かもしれぬ。それなりに話せなくもないが、英語はそれほど得意ではないのだ。発音など、ベタな日本人丸出しである。それにしても異世界よりも、元の世界の言語の方が難しいというのも、随分と皮肉な話である。
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5分ほどそのままにしていたら、セシリーは泣きやんだ。
伊勢は背中を抱くのでもなく、突き放すのでもなく、アールに任せるでもなく、ただじっとしていた。このあたりが実にヘタレだ。苦手なのだ。
『へいセシリー。あーゆーおーらい?』
コクリとセシリーは頷く。通じてはいるようなので、そのまま発音は気にせず話す事にする。通じればいいのだ!
『俺達は日本人だ。俺は伊勢修一郎。こちらはアール。アルバールではソルジャーみたいなものと、エンジニアみたいなものをやっている。君はこの娼館の奴隷か?』
『私と同じ地球の人がいるなんて!!…そう、奴隷です…奴隷。私はセシリー・メンフィス。19歳。モンタナのハイスクールの学生です。…でした。』
スッと彼女の目が泳ぐ。
この国の言葉も喋れずにたたきこまれたのでは、奴隷になり、娼婦として使われる以外はなにも出来なかったのだろう。
『うん、俺達は地球人、日本人だ。君はどうやってここに来た?』
『誘拐?朝起きたらこの世界にいて…この店に来るまでは二年間。別の所の奴隷だったけど…船でさらわれて、ここはマシな店』
伊勢はこの世界の送り出されるときに話した陽子さんの言葉を思い出した。陽子さんはちゃんと調整と支援をして送り出すが、無理やり攫って投げ込むようにしている連中もいる、と。
彼女はそういう連中に攫われて、この世界にたたきこまれたのだろう。実に不幸なことだ。
伊勢には選択した与えられたし、言語チートも戦闘技能チートも与えられ、そして何よりアールがいる。
彼女には何もないのだ。
それでは…無理だ。
「アール、どうしようか?」
この言葉を発した時には、答えは決まっているのだ。
「相棒のしたいようにすれば良いと思います。一番したいように。」
そう言ってアールは小心者の伊勢の背中を押してくれた。これが二人の呼吸というものだ。
『OK。君の得意な事は何だい?』
『私は…なんにもできません。田舎者です。馬は好きです。あと、映画や演劇は好きです』
微妙である。
伊勢の仕事には直接的に役に立たないかもしれない。伊勢が今一番欲しいのは電気に詳しい技術屋さんである。
ただ、それはともかくとして…
『君は君自身の値段がいくらかわかるか?』
『わかりません…この世界の数字が全く…でもたぶん安くありません…』
仕方が無い。予備情報なしで交渉してみよう。
『もし君が望むなら、君を買いたい。ただし、値段次第だ。』
『ミスター伊勢、プリーズ…』
セシリーは安心したようにため息をついて伊勢に向けてほほ笑み、深く頭を下げた。やはり内心で期待していたのだろう。
伊勢は腰をあげてお付きの児女に声をかけ、主人を呼んでくれるように言った。
「アール、思い切り強気で当たってみる。適当に話を合わせてくれるか?」
「はい相棒。任せて下さい」
さて、…どこまでやれる事か…。
この世界に来て、嘘と張ったりと誤魔化しがすっかり板についてしまい、自分でもウンザリの伊勢である。だが今はそれが頼りなのであった。
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―コンコン
「失礼します、お呼びと伺いましたが、何か粗相が…」
最初に伊勢達を案内してくれた女将であった。
「いや、そうではないんだがな…彼女はカトル帝国の人間ではないな」
「そんな筈はございません。私は購入元からカトル帝国の人間と聞いて…」
これだけでは何とも言えないが、まあそれは良い。
「彼女は俺の国の人間だ。どの奴隷商からいくらで買った?俺の部族を攫って奴隷にした奴は殺す必要がある。お前も知っていたのなら、殺さねばならん。誓ってだ。」
誓って、というのが重要な言葉だ。この国では誓いをして、それを破った人間は殺しても良いのである。そういう法律があるのだ。
「相棒、相棒は殺しがキライだからボクがやりますヨ」
微妙な変化球でアールが合わせてくる。天然か狙ってかはわからないが、悪い合いの手ではない。ような気がする。
「お客様、私も奴隷商もカトル帝国から攫われてきたと思っておりました。誓います。ただ、その先はわかりませんが…しかし、お客様がこの遊女と同郷と仰る根拠は何でしょう?失礼ながら、お客様の顔はこの遊女とはまったく異なる部族の顔でございます。そしてこの遊女の顔と髪は、カトル人のものでございます。」
そのくらいは予想している。
この女将だって、女だてらに娼館でトップを張っている鉄火ババアなのだ。
素人の伊勢よりもホントのところはずっと上手だろう。
「俺の顔はカトル人とは違うだろう。俺は日本人だ。そして俺達と彼女とは言葉が通じる。女将…何か彼女に命令をしてみろ。俺が通訳してやる」
「では、立ち上がって三度その場で回って片目をつぶれ、と」
『セシリー、立って三回ターン。その後でウインクしてくれ』
セシリーはその通りにやった。
「相棒、ボクはもう面倒臭くなって来ましたヨ。攫って帰りましょうヨ。命を狙ってくる相手がちょっと増えるだけです」
「アール、事実かも知れんが、切なくなるから言わないでくれ…」
これだけは、まぎれもない本音であった。
「お客様、身請けをご希望なら御相談に乗りますが?」
「身請けもクソも無い。彼女を奴隷から解放せねばならん。でなければ皆死ぬかだ。…アール、力を見せてやれ」
アールは無言で座っていた椅子の脚を引きむしり、二つ三つにたたき折った。そのまま、淡々と椅子を破壊していく。セシリーはアールの暴挙にビックリして飛びのいた。
「身請けもクソも無いんだ。死ぬか、解放するかだ。」
アールが椅子を破壊している姿を背に、伊勢は女将に語りかけた。
椅子を壊す音で若い用心棒らしき男がやってきて、扉の前に立った。男は、アールが椅子の足を葦でも折るかのようにたたき折る姿を見て、絶句している。素直な男だ。
「お客様、ふざけないで貰いたいですね。タダで解放しろなんてそんなの通じるわけがない!我々だって商売なんだ。」
女将は目を逆立てて怒っている。同時に多分焦っている。そろそろ値段交渉のタイミングなのだろうか…正直良くわからぬ。
「女将…お前は俺をバカにしてるのか?愚弄しているなら許せんぞ?いつ俺がタダで解放しろと言った?俺を物乞い扱いするのか?あ?」
「えっ?だってそういう…」
「舐めてるのか貴様?あ?俺がゆすりタカリをする奴に見えるか?ああ?俺をバカにしているならやはり殺さねばならんな…いや…ああ…クソしかし…たしかに…3万だ。3万で引き取ろう。妥当だろう。…今、この店の外にも何人かいるのだ…まあ…最悪は増えても良いのだが…」
女将は伊勢が何を考えているのか分からぬ。当然である。伊勢本人にもわからず、すでに暴走状態なのだ。何をどうまとめていいか彼にも終着点が見えないまま、張り切って走り過ぎているのだ。
「相棒、面倒くさいです」
アールが立ち上がる。
「モグス!!」
「女将さん!」
用心棒が部屋の中をアールに突進していく。
ナイフを突き付けようとするが、アールはそのナイフをむんずと手で掴み、男の手から引き剥がして部屋の隅にポイと投げ捨てた。
そのまま男の襟をつかんで、片手の平で軽く軽く頬を張った。男の襟はちぎれ飛び、体は床に打ちたおされた。交通事故のようなものである。
「アール、俺が交渉してるだろう!殺すのは交渉が決裂してからにしろ!」
「相棒、すみません」
伊勢はちょっと男が心配になったが、微妙に動いているので大丈夫だろう。多分。
「女将…光りモノを出したのはそちらの男が先だ。そうだな?…それで…3万では不服か?いくらで買ったのだ?」
女将はちょっとウンザリしてきた。
この男が何を考えてるのか分からないし、あの綺麗な女は異常に短気だ。しかも異常に強い。モグスはあの勢いだと死んだかも知れない。
女将は考えた。3万でも損はしない。これから稼ぐであろう金が無くなっただけである。ヤクザに頼んでもこの二人は無理な気がする。モグスだって強いのに。外に変なのがいたから、こいつらは本当に命を狙われているのだろう。しかし狙われているのに二人っきりで娼館などに来るのだ。しかも紹介者はキルマウス・セルジャーンときた。間違いなく嘘だが、堂々とその嘘をつける頭は確実に狂っている。
男も女も狂人である。交渉が決裂すれば殺される。選ぶ権利など無いではないか…
女将は世慣れた頭で、そこまで一瞬で考えた。だから…
「3万で、結構です…」
「そうか、わかった。では殺されてなければ、明日金を届ける。今日はここに泊るぞ?」
「はい…どうぞ…」
女将はもうあきらめた。ときにはあきらめも肝心なのだ。
そのままドアから出ていった。
「女将!まて!…この椅子はいくらだ…200でいいか?」
「結構です!」
もう好きにすればいいのだ。
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