306日目
306日目
伊勢とアールがこの世界に来てから306日。
今まで見た中で最大の都市はファハーンであったが、この帝都グダードはそれに倍する大きさであった。
ユフリス川の河畔に位置するこの街は、100万都市である。
この世界のご多分にもれず、城郭にて街を囲っているが、その規模がファハーンと比べても圧倒的に大きい。
3重の城壁を備え、中央の主壁は真円で直径2.6キロ、高さと基部の厚さは30mを越える。堀は幅30mの水掘り。壁には数百の防御塔を備え、まさに難攻不落の威容を誇っている。
外壁はそれから2キロ程度外側を走っており、これも高さ8mである。
主壁の内側には市民階級と特権階級が住み、主壁と外壁の間に一般市民が住む。内壁の中は軍事・行政の重要拠点と宮殿である。
伊勢とアール、ロスタムとレイラーは自分達の小型自操車に乗り、鋼鉄で出来た主壁の東門をくぐった。くぐった。くぐっている。くぐり終えた。
「はー、立派な壁ですねぇ相棒。人もいっぱいです」
アールはきょろきょろと周りを見回している。ファハーンに初めて来たときのようだ。
「ああ、すごいなぁこれは」
おそろしいほどの城壁だ。体積で言えばファハーンの倍は下らないだろう。これを作るために、なんという労力をかけたものか。伊勢には想像すらつかない。この城壁を遠くから見ただけで、この国の力がわかるというものだ。まさに城壁はパワーである。
「流石に驚くだろうイセ君。君の国の城壁はどんなものなのかね?」
「俺の国では城壁はもうないよ」
「なんと!それで民をど…」
訊いてくるレイラーを、ああ宿に着いたらな、とあしらい、伊勢は運転するロスタムに気をつけて前についていくように指示をした。なにしろロスタムの運転はヘタクソなのである。初めての街で事故など起こしたら笑い話にもならぬ。
一行は防衛のために計画的に曲がりくねった道をゴトゴトと進む。護衛の面々は主壁内に入る事は出来ないので、今の一行は荷物と人を積んだ自操車と、カスラー一騎だけだ。しばらく進んで、一軒の豪華な屋敷の前につけた。ここがセルジュ一門の帝都での拠点であるらしい。ちなみに伊勢はすでに道が全く分からないから、一人で街に出たら迷子確定であろう。伊勢のせいではなく、道がわかりにくいだけなのだ。そうに違いない。
「どうも皆さま、長旅お疲れ様でございました」
伊勢らが自操車を降りると、女奴隷がお盆に載せた水を持ってきた。なかなかに美人の奴隷である。これが普通の若い男なら若干の劣情を惹起させるのであろうが、残念な事に相手はある意味で無敵の伊勢である。色香は無駄だ。豚に真珠である。
「イセ殿!」
向こうの方でアミルが手を振って早くしろ、と呼んでいる。せっかちな男だ。おおかた、アミルよりさらにせっかちなキルマウスが呼んでいるのだろう。伊勢は奴隷にアールたちの案内を頼み、一人でアミルの所に行った。
「キルマウス様が呼んでいるので行こう」
やはり、である。伊勢は一つ頷いて、身一つでアミルと共に屋敷に入った。
屋敷は大きくはないが美しい調度で飾られていた。壁には綺麗な布がかけられているし、色タイルや壁画で彩られている。あちらこちらには象牙や銀の置物が置かれ、セルジュ一門の権勢を誇示していた。
外向きの部分だから、舐められてはいけないのだ。一門の名誉にかかわる。名誉を失えば実利すら失うのである。
伊勢とアミルが使用人に案内されて進んでいくと、中庭に出た。中庭は水道で導いた水を使い、さまざまな緑で満たされている。ここもパーティー会場として使われる事が多く、手が抜けない部分だ。セルジュ一門の名誉にかかわる。
キルマウスはその中庭の噴水に足を突っ込んで洗っていた。顔から頭にも水をかぶっている。伊勢には名誉もクソも無いように思える。
「イセ、アミル、今日は宴会をして寝る。宴会一門の身内だけだ。気を使う必要はない。明日の午前中に宮殿に行く。陛下に謁見する。俺のほかにはアミル、イセ、アールの3人だ。準備しろ。」
「…陛下に謁見?え?」
「当たり前だ。そのために来たのだ。ああ、レイラー女史も連れていく。陛下のご学友だ。本を献上させる。イセ、お前は俺と初めて会った時の恰好をしろ。休め」
そう言い捨てて、キルマウスは勝手に家の中に入って言った。
伊勢は呆然である。
「あー、アミルさん。最初から陛下に会う予定だったんですかね?」
「イセ殿も、そのつもりで来たのではないのか?」
伊勢としては適当なえらいさんと会った後に工場建設に関する話をしてまずは終わり。あとは工場設備や技術指導といった辺りであろう、と思っていたのだが…陛下と謁見である。数千万の人の頂点に立つ超お偉いさんである。失敗したら、終わりなのだ。小心者の伊勢からしたら胃に穴があきそうな気分であった。もしかしたらもう開いているかもしれぬ。
「いや、…わかりました…」
それ以外にいう言葉はないのであった。
「皇帝陛下に会う事になった」
「そうですか」
「そうかね」
「皇帝陛下?」
これが謁見を伝えたアール、レイラー、ロスタムのそれぞれの反応だった。アールは常に全く動じないし、レイラーは最初から予想しており、ロスタムは皇帝が何なのか理解していなのであろう。
「俺とアールと、後は学友のレイラーが謁見するから準備だそうだ。…準備って何すればいいんだ?正装は持ってきてるよな?」
「はい、相棒」
「ああ、持ってきているね」
じゃあ服装以外に何がある?悩む伊勢だが、全くわからない。
「相棒、別に準備なんていらないんじゃないですか?紙と作り方の書類とペンだけあれば大丈夫ですよ」
「別に会って少し話をするだけだからね。心配は要らないんじゃないかね?」
ふむ、アールが大丈夫というなら大丈夫であろう。レイラーも問題ないという。ならば気にする必要もあるまい。
イセは少し気楽になったので宴までの時間、観光に出る事にした。
「お気をつけて」
屋敷の使用人の声を背に、伊勢とアールは街に繰り出した。レイラーとロスタムは旅の疲れで限界のようである。
「さて、どこに行きたいですか相棒?」
「俺は下町を見に行きたい。アールは?」
「ボクはバザールに行きたいですヨ」
ならば目的地は同じだ。それで行こう、という伊勢の言葉を受けて、アールはすたすたと歩き出した。さすがバイクだけあって道を覚えるのは得意なようである。
ファハーンでもそうだが、基本的に主壁内は高級住宅地と公共機関である。多くの家は立派だし、街中に沢山建っている礼拝堂もまた、青タイルで飾られて立派だ。 ファハーンや国の東の方と比べると、このグダードの街は重厚な建物が多い気がする。浴場や喫茶店なども多いようだ。
昼近くになって家の奴隷に起こされ、食事をし、奴隷にうちわで扇がれながらちょこっと仕事をして、夜は打ち合わせと政治的なあれこれを兼ねた宴会。これがこの辺の高級住宅地に住む市民の生活だ。優雅かもしれないが、ある意味で物凄く大変だと思う。ビジャンの父親のように糖尿を患う人間も多いのではないだろうか。
しばらく歩くと、門が見えてきた。セルジュ家で貰った通行証を見せて通る。
主壁から外に出ると、一気に街の雰囲気が身近な生活感のあるものに変わる。壁から離れるに従って、だんだんと庶民の匂いが強くなっていくようだ。
基本的にはこのグダードもファハーンも、庶民の暮らしは同じ。民族が違うから顔の形も肌の色も少し違うが、同じ神を信仰し、だいたい同じようなものを食べ、言葉も大体同じ。
しかし、色んなところが少しずつ違っており、その違いのせいで西と東は仲が悪いのだ。同じ国同士で仲が悪い、という例は腐るほどあるが、同じ国民なら仲良くすればいいのだ、と本気で伊勢は思うのだ。
団結してこその国力である。団結しない民なら、いくら裕福で沢山居ても、それは国力たりえないのである。そんなものはモングにそのうち食われるだろう。
「すいません、おばさん。バザールはどっちですか?」
アールが歩いていた老婆に道を聞いた。標識など無いため、人に聞くしかないのだ。婆さんはバザールの方向を指さして何事かを言う。
「ありがとうございます、おばさん」
礼をすると老婆も嬉しそうだ。こういうのは、なんか良いものだと伊勢は思う。
しばらくクネクネとした下町の住宅街を歩いていると、何の前触れもなく、いきなり円形のバザールに出た。
売っているものも、雰囲気も、ファハーンに似ている。大抵はどこも同じようなものであるが、どこも同じように面白い。
どの店も精一杯に屋台の布を張り出し、山のように商品を盛り上げて、店主は道を行く人たちを、じろじろと睨んでいるのだ。接客用の愛想笑いなど存在しない。当然値札なんて無く、全部時価、交渉次第である。
伊勢はアールに頼んでレーズンを買ってもらった。旅の途中でお気に入りのレーズンが無くなってしまったのだ。手持ち無沙汰な時にはレーズンに限るのである。
「おじさん、それはダメですよ。ボク達はちゃんと知っているんですからね?」
アールは手際よく交渉していく。伊勢はこういう交渉が苦手なので、いつもアールにおんぶにだっこだ。
首尾よく妥当な価格で入手したレーズンを、小袋に入れて、食べながら歩く。…ファハーンのいつもの店の者と比べ、イマイチのレーズンであった。
アールはその他にも布で出来た小物とか、小さな藤細工とか、そんなものを買っていた。まったく役に立たないが、お土産なんてそんなもんだ。
バザールを抜けると奴隷商人の店があった。この国での奴隷商店というと、日本で言う車のディーラーのようなものだ。どこにでもある。
商店で奴隷を買い、役所で登録して、持って帰る。この感覚も車のようだ。
ただ、奴隷は家具や自動車のように耐久消費財扱いはされない。一応は人として扱われるし、給料だってほんの少しだが払われるし、長く勤めれば解放されて自由民になるのが多い。この国の宗教で、それが正しい奴隷の扱い方として規定されているのだ。職業選択の権利の無い、薄給契約社員みたいなものである。
いずれにしろ、供給力が低いこの社会では、安い労働力が無ければ回って行かない為、奴隷の存在も仕方が無いのである。
「入ってみますか?ボクもちょっと見てみたいです」
奴隷商店をみている伊勢に、アールが提案した。伊勢は頷いて入ってみる事にした。物は試し、男は何でもやってみるもんなのである。
「こんにちは。初めてのお客さんですね?バーバク奴隷店にようこそ。どういう奴隷をお求めですか?」
二人が店に入るとハキハキと若い男が伊勢に話しかけてきた。アールではなく、甘そうな伊勢に話しかける所がミソなのであろう。伊勢にはごく普通の若者に見えるが、人を売っているのだ。相応の経験をして、相応に汚れてもいるのだろう。
「いやね、これといって欲しい奴隷も無いんだが、良いのがいるかちょっと見させて欲しいと思って」
「そうですか、では是非ご覧になってください。ただいま順番に連れてまいります」
そう言って伊勢らに椅子をすすめ、水を出すと、奥に消えて行った。
しばらくすると男が戻ってきた。
「まず初めに男の労働奴隷です。8人。いずれも悪くありませんが、年かさの二人は30年近く百姓をやっていますので経験豊富です。」
伊勢が値段を聞いてみると五千から一万6千だった。年寄りは安く、若くて力がありそうな奴隷が高価だった。全体的に思いのほか安いが、モノ扱いしないで、ある程度はマトモに扱う必要があるからこその値段だろう。ランニングコストも考えないといけないのだ。
「次に女性の奴隷。用途は様々です。」
女性奴隷は10名。十歳位から四十代までだった。値段は~30歳位までが高く、それ以上はむしろ男性奴隷より安い。意外であるが、単純に労働力として見た場合は男の方が力がある分、能力に秀でていると判断されているようだ。
「次は知的奴隷です。家庭教師や簿記などにどうぞ。この男は商家に5年勤めていました。この男は計算能力が高いです。この男は家庭教師の経験があります。最後の女は古語が達者です。」
男3人に女1人。この四人には余裕がある。自分が必ず売れる事がわかっているのだ。この世界で、教育は貴重なのだ。
『あなたは古語がわかるそうですが、このように古語での会話は可能ですか?あなたの年齢と得意な事を教えてください』
伊勢は、女の奴隷に古語で話しかけてみた。商人が本当の事を言うか知りたかったのである。
『古語…わかる…会話…難しい…歳30…得意…言葉…簿記…計算』
たどたどしいが、伊勢が聞いたことはわかっているようだ。日本の中学生の英会話能力程度に、古語がわかるのだろう。
『わかりました。ありがとう』
伊勢とアールは店員に、希望の奴隷がいなかった、と言って店を出た。
「相棒?」
「ん?」
「なんか、いやでしたね」
「うん」
「やめておけばよかった」
「うーん」
「ところで帰り道はどっちですか?」
「えっ?」
「え?」
あやぶむなかれ、あやぶめば道は無し。
そんな誰かのセリフが脳裏を過ぎる伊勢なのであった。




