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異世界ツーリング  作者: おにぎり
第四章~ファハーンの休日
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149日目

149日目


「おー、ここかい親父」

「そうだ。行くぞ」

 伊勢とアールは親父と共にガラス工房に来ていた。紹介を頼んでおいた件である。

 そこは親父の鍛冶屋から歩いて5分ほどの距離だった。思いのほか近いが、このあたりはファハーンの工業団地のような感じなので、それも当たり前なのかもしれない。

 伊勢はガラスペンの作成を考えているので、それが可能かどうか、また、どこまでの実験用器具の作成が可能かどうか、そのあたりを確認したいと思っている。

 いずれにせよ実験用に種々のガラス用品は必要になるのだから、腕の良い職人とは付き合っておく必要があるのだ。

 

「おう、邪魔するぞ」

「っ!鍛冶屋の…いらっしゃいまし」

 門から入った親父と伊勢が、いきなり作業場に通じる庭に入っていくと弟子らしき若者がびくっとして挨拶してきた。親父のいきなりの登場であれば驚かない人間などいないのだ。

「ベルディアはいるか?」

「はい、親方なら中に。呼んで来ましょうか」

「いやいい。勝手に行く」

 親父は弟子の若者をそれっきり無視して、どんどん庭の奥に進んでいった。壁を回って90度すると壁が大きく開いた工房の入口があった。


「ベルディア!」

 親父は工房の入り口から怒鳴った。他人の工房だというのにひどいものである。傍若無人、勝手知ったる何とか、というものであろう。

 工房の入り口からは熱気がムンムンともれてくる。中の炉で大量の火が炊かれているのだ。中は灼熱地獄である。

「鍛冶屋か。待っててくれ!手が離せねぇ!」

 中からも親父と同じように怒鳴り返す声が聞こえる。この世界の職人は、日本より遥かに荒いのかもしれぬ。

 伊勢が外から覗いてみると、中で返事したベルディアという親方は長い棒の先に付けた赤熱したガラスの塊に息を吹き込んでいた。吹きガラスである。

 形が出来上がると、やすりでくるりと周りに筋を描き、木の棒でたたいて砂の上に落とした。何千回も繰り返したであろう動作は、素人である伊勢から見ても見事なものだ。

「相棒、すごいですねぇ」

 アールも興味深げに見ている。生まれて間もない彼女にとって、新たな体験というのはとても大切なものなのだ。


「またせた、そこのお2人さんがあんたが言ってた人たちか?」

 ベルディア親方が外に出てきた。火で赤く焼けた顔をした40歳くらいの男だ。

「おう、そうだ。イセって奴とアールって奴だ。最近変なものを色々やってる男だ。俺の工房の旋盤も良くしてくれたぜ」

「ふむん、そうか。であんたがた、ウチの工房に仕事の依頼かなんかかね?」

 どうやらベルディア親方は鍛冶屋の親父よりはとっつきやすい男のようだ。多少は。

「どうも、伊勢といいます。宜しく。ええと…こちらに頼みたいのは色々ありまして…」

「ベルディアは信用のおける男だ。俺が保証する」 

 話の流れをどうしていくか伊勢が一瞬考えると、親父がそう言い添えてきた。親父が信用する男であるなら、それは確かな男なのだろう。

「ええ、わかりました。今考えているものがありまして…」

「待ってくれ、中の事務所で話そう。ファルハング!水持ってこい!」

「はい親方!」

 そう言う事になり、中の事務所に移動した。


「俺が今作ろうとしているのはガラスペンと言いまして…」

 伊勢はガラスペンについて、その狙いと要求される形状について、紙に書いてきたものを見せながら説明した。

「ふむ、それでそういう形のものが欲しいんだな?」

 ベルディアは大体わかったようだ。視覚的にわかりやすいように紙に書いてきただけの事はあった。この世界だと大概の場合、口で説明しなければいけないので大変なのだ、

「ええ、作り方は私は職人じゃ無いので分かりませんが…ひとつ考えるとすると例えば円柱のガラスに、6角形や8角形の形に突起をつけたような棒を作って、それをねじりながら引き延ばしていければ…綺麗な深く鋭い筋が出来て、そこに墨が乗るのではないか、と考えてます。ガラスで使用に耐えるペンを作れれば非常に美しいものとなるでしょう。ガラス特有の美しさは絶対に売れます」

「うむ…考えるから少し待ってくれ」

 ベルディアは親方はそのまま数分考えた。他の3人は黙ってじっと待つ。


「ふむ…今のままでは出来ない。突起をつけた棒はできる。そういう形に穴をあけた型を鉄で作って、押し出してやればいい。問題は深く鋭い筋をつけたまま、それを引き延ばす事だ。小手先の技が必要になるが、これはもう腕の問題じゃない。炉に入れてあっためると、溶けちまって溝が無くなっちまうだろう」

 ブンゼンバーナーみたいな小さくて大火力な熱源がいるということだろうか…ガスなんか無いし困った、と伊勢が悩んでいると黙っていた親父が口を挟んできた。

「魔石燃やして何とかならねぇのか?」

「え?親父、魔石って燃えるのか?」

 親父は何言ってんだという顔で伊勢を見る。

「あ?真っ赤な炭の中にクズ魔石入れて空気送ると青く燃えるじゃねぇか。普通に火を近づけても燃えねぇがな。あれは熱ちぃぞ?知らねぇのかよてめえ」

 知らない。そんなファンタジー燃料、伊勢は知らないのである。

 しかし、それは良い事を聞いた。上手く装置を作れば作ればバーナーワークが出来る事だろう。伊勢のハートも青く燃えあがってきた。

「親父、詳しく聞かせてくれ!」


 話し合った結果、魔石を利用したバーナーのような装置を作る事になった。例によって設計は伊勢、製作は親父である。ガラスペンはその装置を作ってその後に、という事になった。


「ところで作業場を見せてくれないかな?」

「鍛冶屋の紹介なら良いだろう。見ていけ」

 という事で工房見学である。製造業従事者にとって、他業種でもほかの工場というのは見ていてとても面白いものだ。伊勢は忙しそうな工員の邪魔にならないようにしながら、目を皿にして舐めるように見ていった。

 工房内は熱い。働いている弟子たちはみんな半裸姿である。

 ガラスつくりの基本的な工程は、原料のケイ砂と天然ソーダと石灰を混ぜて加熱し、できたガラス質の塊を砕い粉にし、るつぼに入れて再度加熱、成型するというものだ。大体は伊勢の予想通りである。それなりに細かい細工も出来るようで、透明度は低いがガラスのパイプなどもある。そこそこの実験器具が出来そうだと思い、伊勢は少し安心した。


「相棒、不思議ですよね…こんな砂から綺麗な器が出来るんですから」

 不思議と言えば不思議だし、当たり前と言えば当たり前だ。物事には全て理由があって、この砂が器になる理由も説明できなくはないが、その根っこの部分は現代地球でも解明されていない事なのだ。我々は現象を観察して細分化して、モデル化して、筋道を立てて、『科学』だのなんだの言っているが、根っ子の根っこは、まだ誰にもわからないのである。 


「ベルディアさん、この白い石、貰っても良いかな?」

「あ、タダじゃダメだが売ってやるよ」

 伊勢は原料置き場に山になっていた天然ソーダと石灰の塊を何キロかそこら売ってもらった。けっこう高いが、紙作りにも使える事だろう。考えていなかったが、いい出会いであった。


 3人はしばらくの後に事務所に戻って水を飲んだ。熱い工房から戻って来た後だけに生き返るような思いがする。

「ところで鍛冶屋の。お前さんの娘をウチの弟子の嫁にくれ」

 時が止まった。ベルディアの爆弾発言であった。親父の目が見る見るうちに憤怒に染まった。伊勢は水の器を眺めるふりをした。まことに小心者である。

「ベルディア…殺すぞ」

 本気であった。親父の目は本気なのである。しかしガラス屋ベルディアも伊達に荒い職人達を統率しているわけではない。まったく引くそぶりを見せぬ。

「鍛冶屋の。おめぇだっていつまでもラヤーナちゃんを一人にしておけねぇだろ?ウチのファルサングは若いが真面目で腕はそこそこで良い男だ。俺はガキがいねぇからな。この工房はファルサングに継がせるつもりだ。

 おめぇの工房にもたまに遊びに言ってるから知ってるだろう?」

「さっきのガキか…ちょろちょろ工場を出入りしてる奴がいるのは知っていたが…ファルサングな…ウチのラヤーナを…殺してやる」

 殺すとか物騒な事しか言わない親父である。ある意味、戦闘士の伊勢よりも遥かに戦闘士らしい親父だ。このままではファルサング間違いなく殺されるであろう。賭けにもならぬ。

 この中で平然とした顔をしているのはアールだけであった。


「ファルサング!事務所に来い!」

 ベルディアが当人を叫び呼んだ。すぐにファルサングが飛んでくる。彼は入口を開けると、歯を食いしばって睨みつけてくる親父にすぐに気付き、一瞬たたらを踏んだ後でつばを飲み込み、意を決したように口を引き結んで入ってきた。なかなか、良い顔であると伊勢は思った。

「イセ!ラヤーナを呼んで来い!」

「はいっ!」 

 親父の言葉に伊勢は全力で走った。あの場にいるよりは心は楽である。


 伊勢は鍛冶屋のドアを勢い良く開けて飛び込んだ。カウンターにはいつものようにラヤーナが座っている。

「ラヤーナちゃん!ガラス屋で親父が呼んでる…ファルサングさんの事で…」

「えっ?!…わかりました…」

 ラヤーナは動揺しながら伊勢についていった。足取りは重い。

 重い足取りでも、ガラス工房はすぐそこである。5分で着いてしまった。


「ラヤーナ…おめぇがガラス細工をやってたのはコイツのせいか」

 親父はラヤーナを睨みながら言う。部外者である伊勢には身の置き所が無い。

「はい、お父さん…ファルサングさんに習いました…」

 ラヤーナはもう泣きそうだ。突然の事にどうして良いか分からないのだ。

「結納金も払えねぇこんなガキに、おめぇはやれねぇ。いや、おめぇは誰にも何処にも嫁には行かせねぇ!」

「そんな!ファルサングさんは立派な人です!」

「うるせぇ!ダメなもんはダメだ!」

 立ちあがって怒鳴り始めた。取り付く島も無い。


「鍛冶屋の親父さん」

 ファルサングが静かに話し始めた。

「俺はまだ何も無い若造ですが…いつまでも若造ではいないつもりです。少しでも早くラヤーナさんにふさわしくて親父さんにも認めてもらえる職人に…」

「うるせぇ!てめぇがどんなに立派になろうがラヤーナはやれねぇ!!このクソ工房を継ごうがなんだろうが関係ねぇっ!」

「鍛冶屋の…」

 見かねたベルディアが話し始めた。

「おめぇさんがラヤーナを大事にしてるのはわかるが、いつまでもそんな風にはいかねぇだろう。ラヤーナだって…」


「うるせぇ!うるせぇンだよベルディア!!おめぇだって知ってるだろうが!俺がラヤーナを引き取ってから……ラヤーナがいなくなったらダメなんだよ!絶対だ!俺からラヤーナを引き離す奴はみんな殺す!ぶっ殺す!殺す!!コイツだけだ!何もねぇ!コイツがいるからだ!俺はコイツがいるからだ!俺にはなにもねぇ!他のもんはみんなゴミだっ!それをてめぇ嫁によこせとはなんだっ!俺を殺すつもりか!おらぁっ!殺すなら殺せ!殺せよ糞がっ!ああっ?!」


「お父さん…お父さんが…わかってる…けどっ!」

「けどなんだってんだ?!あぁ?!」

 ラヤーナはそのまま絶句した。誰も何も言えない。

 親父の目は完全に瞳孔がかっぴらいてしまっている。

 ガラス工房からの作業音だけが、硬質に空気をかき回していた。


「鍛冶屋の親父さん」

 数十秒の静寂の後、アールが口を開いた。

「親父さんはラヤーナさんが大切なんですね?」

「そうだ」

 親父の声は、低く轟くようだ。

「ラヤーナさんに幸せになって欲しいんですよね?」

「当たり前だ」

「でもラヤーナさんを手放したくないんですよね?」

「絶対に嫁にはやらねぇ」

「じゃあファルサングさんを婿にとればいいじゃないですか」

「あ?」

「ラヤーナさんを親父さんの所から嫁に出すんじゃなくて、ファルサングさんを婿にとればいいんです」

「あ?ああ…」

 親父の腰がすとんと落ちた。


「お、おい、それじゃウチのガラス工房は…」

「ベルディアさんの工房はファルサングさんが継いで、ファルサングさんがラヤーナさんと親父さんの所に住んで、そこから通ってくればいいんです。これでみんな幸せです。そのうち孫も出来ます。」

「ああ…」

 気が抜けた。全員が背もたれに身をゆだねた。

「ラヤーナさんはそれで良いですか?」

「はい。それが良いです」

「ファルサングさんはそれで良いですか?」

「はい。もちろんです」

 

 そういう事になった。

 アールはすごい。伊勢はそう思った。

 それにしても…彼がいたのにアールに向けていたあの視線はなんだったのだろう…。伊勢にはまた少し、女が理解できなくなった。


 帰りみち。

 鍛冶屋の親父とラヤーナが並んで歩く。伊勢とアールは少し後ろを歩いていた。

 ラヤーナは、嬉しそうだ。親父に色々と話しかけている。

 親父が何を考えているかは伊勢にはわからない。悲しくもあり、嬉しくもあり、安心していたり、不安だったりもするのだろう。

 たぶん親父本人にもわからないと思う。

「アール、お手柄だったな」

 伊勢はアールに声をかける。アールは少し考えて、答えた。

「相棒、ボクには良くわからないです」

「何がだ?」

「これで良かったのか、とか、みんな何を思ってるのか、とか」

「さあ、きっと誰にもわかんねえさ」

「そうですか…そうですね」

 

 そう、誰にもわからない。

 そうなのだ。

 そんなもんだ。

 たぶん、こんな感じのわからない事が折り重なりつつ、世の中が出来上がっているのだろう。




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