97日目~ 幕間 白雪姫の覚醒
97日目~ 幕間
サーヴィーはパン屋の三男である。
もっともサーヴィーの事をサーヴィーと呼ぶ奴はもう彼の周りには一人もいない。
今では白雪姫、と呼ばれている。
サーヴィーが兵士になった理由は簡単だ。三男だからである。
長男の兄貴は親父のパン屋を継いだ。次男の兄貴はその支店を街の反対側で開いている。三男のサーヴィーが継ぐべき支店は他に無かった。それだけの理由だ。
商家に丁稚に行くか、どこかの工房に弟子に入るか迷っているうちに、親父に兵役につけと言われてしまった。
体もでかかったし、4年間ほど適当に兵隊をやっていればいいので、まあ良いか、と思った。そのうち戦闘士にでもなれればカッコいいし。
新設される第3兵団とやらに配属された。
兵舎に入って数日は特にやることも無かった。
適当に寝て、食って、寝て、起きて、仲間と話して博打をやって、食って、寝る。
それだけの生活である。
隊長は執政官の息子のファルダードとかいう若い男だ。サーヴィーより2歳年上だが、どもりのアホだった。どうせ役職を適当につけられただけのアホボンボンなんだろう。
この隊長のボンボン以外にも、そこそこの家の出の奴は結構いる。市民階級から志願制だからそんなもんだ。
こんな楽に食えるなんて最高だ、とあの時の白雪姫は思っていた。
本当にバカだった。
ある時、ファルダードのどもりボンボンが血相を変えて宿舎のドアを開き、集合をかけた。
サーヴィーや他の連中はダラダラと準備をして、前の広場に向かった。古参兵もキセルをふかしながら笑って準備していた。
広場に出てまとまって座っていると、変な男が出てきた。
「中隊気をつけぇ!もう一度言う。俺はこの訓練中隊の指揮官、伊勢修一郎だ。俺の事は『軍曹殿』と呼べ。貴様らが俺に喋るときは必ず敬礼し、殿を付けろ!」
わけがわからん。なんだこのアホは?なぜか整列させられた。
「おい、貴様ら!俺が集合の指示を出して今までどのくらいかかったか分かるか?答えろ、背の高いお前だ!」
アホはサーヴィーを指さして、集合までにかかった時間を聞いてきた。
「あ、えーと…四分の一時間ぐらいですか?」
「違う!二分の一時間だ!俺は時間のわかる魔法具を持っている!正確な数字だ!
…おい貴様、この街が敵に襲われたとして「二分の一時間待ってくれ」とか敵に言うつもりか?」
「あ、いやそんな…すいません」
そんな便利な魔法具は無い。アホだ。
面倒くさいので、謝っておいた。
ぼんやり見ていると、そのアホは俺達の事を徹底的に罵倒し始めた。
「貴様らは自分が兵役に志願した男だと思ってるんだろう?ああ?お前ら新兵なんぞお嬢様以下のねんねだ!両生動物のクソ以下の価値しか無い。 古参の奴もいるな?お前も古参か?どいつもこいつもゴミだ。腐りきっている。今までどんな訓練をしてきた貴様ら。博打と手淫以外にその右手を使った事があるのか?……………………
…よし!貴様らダニ野郎の中に俺を殴り倒せると思う奴はいないか?俺が直接気合いを入れてやる!どうなんだ、俺にかかってくる勇気を持った男はいないのか?うち倒せるもんなら打ちたおしてみろ!私は一向に構わんぞ?あ?ああ、お前、睨んでいるだけか?俺と殴り合う勇気もない惰弱なニワトリ野郎しかいないのか?」
親や先祖の事をバカにされて、流石にサーヴィーも頭に来たが、もっと血の気の多い奴が、そのアホに向かっていった。
アホよりも背が高くてデカイ男だ。
何をされたか良く見ていなかったが、アホの右手が動いたと思うと、一瞬でデカイ男が崩れ落ちた。
その後、もう二人の男が向かっていった。
一人は投げ飛ばされ、もう一人は腹を殴られてぶっ倒れた。
この軍曹とかいうアホは狂ってる。
確実に狂ったアホだ。
しかも強い!
こんな狂人に訓練されるのか?俺達は。
そんな事をサーヴィーが思っているとなぜか走らされた。
延々と走らされる。
サーヴィー達や、仲間の兵士がゲロを吐いて青息吐息でも、軍曹とか言う奴は平気な顔で走ってやがる。
ムカついたので一生懸命走ったが、ゲロを吐いてぶっ倒れた。
また起こされて走らされて、いつしか疲れ切って広場に戻った。
「明日からはこんなもんじゃないぞ!仲間を連れてくる」
狂人の軍曹とやらは、そう言い捨てて帰っていった。
まさか、明日からもこんな扱いがされるわけ無い、その時はそう思っていた。
本当に、あの時の自分はバカだったとサーヴィーは思う。
次の日、軍曹は3人の男と2人の女を連れてきた。
遅刻だとか言われて腕立て伏せをさせられた。
口答えした奴に死刑だとか言っていたので、大人しく腕立て伏せをしておいた。
このアホ軍曹は強いから、殴られるのも嫌だ。
このキチ○イには黙って従っておくに限る。
その後、軍曹が連れてきた奴らを紹介し始めた。
「…本日はまず訓練を手伝ってくれるもの達を紹介する。
まずはアール戦闘士。彼女は俺の相棒で魔法師でもある。次にレイラー女史、彼女も魔法師にして大学者だ。貴様らゴミどもの観察をして、……」
これからこいつらが俺達を鍛えて下さるそうだ。
くだらない。
女に鍛えられるなんて冗談もいい所だ。やっぱり軍曹とやらは狂ったアホだ。
サーヴィーは思わず笑ってしまった。
「そこのお前!なに笑っているか!」
「い、いや…女に教わる事なんて」
「貴様に何がわかるかこのクソゴミが!彼女らは黒馬族の賊を何十人も倒した猛者だ!よしわかった、口で言ってもバカな貴様らにはわからんだろう、貴様出て来い!!アール、手合わせしてやれ、魔法は使うな。殺すなよ。」
バカバカしい。いくらデカイとはいえ女に力で負けるわけが無い。
「貴様、名は?」
「サーヴィーです」
「お前は今から白雪姫と呼ぶ!よし戦え」
サーヴィーは、首をつかまれて思い切り放り投げられた。
呆然とした。人間があんな風に飛ぶなんてありえない。でも飛んだ。
サーヴィーは思った。
コイツらは…おかしい。
全員が、狂っている。
逆らうのは無理だ。
その時から、サーヴィーは白雪姫になった。
^^^^^
頭を丸坊主にされた。
黙っているしか無い。
狂人に逆らったら殺されるのだ。狂っているんだから、奴らは絶対にやる。
殺されるのはごめんだ。
白雪姫のほかにも、みんな訳の分からない名前を付けられている。
チビの奴にはデカブツ、のっぽの奴には豆、目つきの悪い奴には羊、丸顔の奴にはオニギリ、足の速い奴にはマイマイ、顔の良い奴にはキムタク、などだ。
イチロウ、ジロウ、サブロウ、とかいう名前の奴もいる。
ちなみに、イチロウは第一小隊長、ジロウは第二小隊長、サブロウは第三小隊長だ。
元の名前で呼ぶ事は仲間内でもなくなってしまった。
白雪姫は白雪姫だ。
訓練は過酷だ。訳がわからないくらい過酷だ。
白雪姫たちは、朝から叩き起こされ、走らされる。
泣いても倒れても終わらないのだ。また立たされて、走らされる。
ゲロを吐いてもそんなことは関係無いんだ。
「走れない兵士は死んだ兵士だけだ!!」
狂った軍曹が訳の分からない事を言っている。狂っているから仕方が無いんだ。
走っていると、だんだん辛いのが無くなって気持ちよくなってくる。そうなると楽だ。
日が経つにつれて、白雪姫は徐々に辛く無く走れるようになってきた。
でもそうなると、軍曹は走る距離を増やしたり、丸太を越えさせたり、色々やってくる。
「貴様らに良い事を教えてやる!!少しだけ我慢できるという事は、永遠に我慢できるという事だ!!」
昨日と一昨日は海に連れて行かされて、延々と泳がされた。
泳げない者もたくさんいたが、いつしか全員泳げるようになった。
今日などは一日中地面に伏せて体をずるずると引きずるだけの運動をさせられた。
匍匐前進、だとかなんとか言っていたが、這いずるなんて正気の沙汰じゃ無い。
軍曹はこちらを痛めつける為にはなんでもやる。
異常者だ。芯から狂っている。
「よし、小隊止まれ!槍の訓練だ!広がれ!俺のまねをして突け!……何だそれは!もっと槍を体に引き付けて小さく速くまっ直ぐに打ち出すんだ!…そうだ!」
白雪姫は第二小隊の槍兵というのにさせられた。
木槍を持たされて、走らされる。毎日毎日だ。
食って、走って、槍を振って、食って、槍を振って、寝て、叩き起こされて、走って、食って、槍を振って…
永遠にそれだけだ。
槍が弓になったり、剣になったり、短剣になったり、素手だったりする事もあるが、ずっと食って寝て動き続けている。
1日、休みになる事もある。いつ休みになるのかは分からないが、今までで2回休みがあった。たぶん2回だ。
逃げ出す事は出来ない。隊舎の窓は大きく開かないようにされてしまったし、夜は狂った軍曹の仲間の、これまた狂った伍長が交代で見張っているのだ。
いや、それでも逃げ出した奴も何人かいる。白雪姫はそれを責めようとは思わない。でも、白雪姫には逃げ出す事は出来ない。
みんなやっている。みんなボロボロだ。みんなボロボロになっているのに俺だけが逃げ出す事は出来ない。
白雪姫にはできないのだ。
「なんだファルダード!貴様に出来ないわけがあるか!丸太を越えろ!そして俺に打ちかかってこい!なんだそのへっぴり腰は!突け!苦しい顔をするな!突いてこい!!」
ドモリのボンボン副中隊長もボロボロだ。いや、あのボンボンが一番ボロボロだ。
誰が見てもわかる。一番あのキチガイに虐められているのはボンボンだ。
ボンボンが一番長く走らされているし、一番長く槍を振らされている。座学だってやらされている。
あのボンボンは真面目だから一生懸命なのだ。
あのキチガイ軍曹は、どもりだからボンボンを虐めるのだろう。
クソ野郎だ。
どもっているからなんだというのだ。
あのキチガイ軍曹は狂っているからボンボンの親父の執政官が怖くないのだ。
ボンボンはボロボロになりながら、それでも中隊の兵士達にいろいろ話しかけてくる。どもりながらだ。
「しし、白雪姫。おお前は体がで、でかいから、ひ膝に気をつけた方がいい。くく薬を貰って来たから塗っておけ。
おおお前ら、何人かこい。し食堂にパ、パンを盗みに行くぞ。よよ夜に叩き起こされるかもしし知れないからなぁ」
こんな具合だ。
ボンボンの薬のおかげで白雪姫の膝はとくに問題は無い。きっと良い薬だと思う。
どもりながら、中隊の世話を必死に焼いているのがボンボンだ。
中隊の学の無い一部の連中に字を教え始めたのもボンボンだ。
今では持ち回りで教えている。
字を覚えない奴は軍曹に殺されるらしいから、みんな必死だ。
もう中隊の兵士達の中でボンボンをバカにする奴は一人もいない。
白雪姫たち以外の奴がアイツの事をボンボンと呼んだら、俺はそいつをぶっ殺すだろう。必ず殺す。絶対にだ。
そう白雪姫は思っている。
日が経つにつれて、白雪姫はだんだん訳がわからなくなってきた。
なんなんだ、これは。
軍曹を憎んだが、軍曹は頭がおかしいので仕方が無いのだ。
理不尽である。なんでこんな理不尽がまかり通っているんだ。神は何処にいるんだ…
泣いた。
いつから白雪姫たちは槍を振っているのか、いつから走っているのかもわからない。
いつまで続くのかもわからない。
もしかしたら永遠なのかもしれない。
泣いた。
仲間に見られると恥ずかしいので、隊舎から離れて、声を殺して木の陰で泣いた。
「泣いているんですか?」
白雪姫が顔をあげると、軍曹の相棒のアール軍曹がいた。
アール軍曹は軍曹の相棒のくせに優しい。マトモな人だ。
たぶん、あの狂人に弱みを握られているんだろう。あの軍曹はクソだ。
最初に会ったときにこの人をバカにした自分を殺してやりたいと白雪姫は思う。
「い、いや…何でも無いです」
白雪姫は我慢して誤魔化した。綺麗なアール軍曹に泣き顔を見られるわけにはいかない。
「何でもないですか?苦しいのは、わかりますヨ?」
「はい、…苦しいですアール軍曹殿…うぅ」
ダメだ、白雪姫は我慢できなかった。涙があふれてしまった。
「うん、苦しいですね」
「…はい…はい…うぁぁ…」
白雪姫はひとしきり泣いた。
「アール軍曹殿…すいませんでした」
しばしたって、白雪姫は落ちついた。
「いいんでヨ。みんな辛いんです。全員そうですヨ」
「あの軍曹は!…いや何でもありません…」
アール軍曹は白雪姫の手をとった。
「サーヴィーさん、もう少しいっしょに頑張りましょう。あなたは必ず誇らしい兵士になれます。ボクにはわかります。ボクは知っています」
アール軍曹は白雪姫の目を、まっすぐに見てそう言った。
白雪姫は一瞬だけサーヴィーに戻った。
サーヴィーはアール軍曹の黒い瞳の中に神の存在を見た。
神は確かにそこに在った。
サーヴィーは目をつぶった。
「はい」
目をつぶって、サーヴィーは白雪姫に戻ると、目の前の天使に頭を下げて静かに返事をした。
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たぶん3回目の休みの後くらいから、午前中に座学をする事になった。
兵士に学問なんて必要ないだろうに、なんでこんな事をする必要があるのか、白雪姫には訳がわからない。
狂人には狂人なりの考えがあるのだろうが、白雪姫はそんなものはわかりたくもない。
「いいか?人間の体には動脈と静脈があり、心臓から押し出されて送られた血は動脈を通じて体中に周り、静脈を通じて心臓に帰ってくる。体の奥の方には動脈が走っており、外側には静脈が……
「聞け。人間の体は口から取り込んだ食い物を、体が自分で作り変えて自身の血肉にしている。この食い物を大別すると6種類の栄養に分けられ・……
「傷を負ったらすぐに綺麗な水で洗わなければならん。そうでないとそこから毒が入りこみ体中を犯す。綺麗な水が無い時は小便で洗えば……
「身を隠す時は周りと一体になれ。周りと馴染んでいれば人間の目はお前らを識別する事は出来ない。これを見ろ。これはギリースーツと言って……
「戦闘士が無補給で一週間行動する時の装備がこれだ、全員前に来てよく見ろ。重要なのは水をどうやって得るかと言う事だ。水が無い時に食料を食うな。消化するのにも体内の水を消費す……
「戦争において必要なのは相手より多くの兵士を集め、それを必要な所に的確に投入する事だ。遊んでいる兵が出ないようにするのだ。我々の国ではこう言われている。たたかいは数だよ兄貴、とな……
「重要なのは情報だ。敵の情報を集め、それを的確に分析せねばならん。敵を知り、己を知れば百戦危うからず、と二千年も前から言われているがこれは事実だ!情報の集め方は……
「この罠は相手を殺す為じゃなくて、その行動を阻害する為のものだ。足の裏を傷つければ移動力は数分の一以下に低下する。面倒をみる兵士が増えればその分戦う兵士も減る。いいか?戦うだけが兵士の能じゃない……」
白雪姫は座学を受けて、驚いた。
狂人軍曹は狂っているくせにすごい知識がある。あのレイラー女史でさえ、軍曹の話す座学を目を光らせながら聞いているんだ。
大都市ファハーンの学者であり魔法師でもあられるレイラー女史が、だ。
軍曹の話す内容は白雪姫の聞いた事の無いものばかりだ。
白雪姫の頭では半分もわからないどころか、内容が本当かどうかも分からないが、レイラー女史が一生懸命に聞いているという事は、相応の価値がある座学なのだろう。
これはすごい事だ。市民階級とはいえ、単なるパン屋の息子が、一流の『学問』を勉強しているんだ。
白雪姫に大した学は無い。字は読み書きできるし、簡単な計算も出来るけどその程度だ。後はちょっとした昔話や神話を知っているだけだ。いい家の出で、学のある奴もいるが、中隊のほとんどの兵士はそんなもんだ。
それが兵士になったからと言って強制的に学問を学ばされるとは…白雪姫の常識では考えられない事だ。
更にすごい事にレイラー女史からも座学を受けられるという事だ。
彼女はファハーンの代々の学者の家に生まれた天才だそうだ。白雪姫達はその天才の授業を受ける事が出来るんだ。
一流の学者から、直接の講義を受ける。 …ありえないことだ。
だがそのありえない事がありえている。
白雪姫は生まれてこの方、講義なんてまともに受けた事は無い。
家の近くの神官様から文字と計算とむかしばなしを習っただけだ。
それが今はこうやって学問を習っている。
学問だ。
白雪姫はもう単なるパン屋の三男じゃない。
学問を習っているのだ。
「それでは隠れた事にならない。白雪姫、もっと体のシルエットを周囲に埋没させるんだ…
「そうだ、その経路なら逃げられるだろう。伍長どう思う?うんそうか。良かったな白雪姫、追跡の達人の伍長からも合格がもらえたぞ?…」
白雪姫は、軍曹たちの教え方が変わってきたように感じた。
厳しさは今までと変わらないが、体だけじゃなくて頭を使う事を要求されるように思う。
命令に従うだけじゃなくて、その命令の意味を考えるように言われる。
怒鳴られる事はほとんど無くなってきた。
まあ、白雪姫たちが怒鳴られる事をしなくなった、と言うのが大きいが。
冷静になって聞いてみると、軍曹の言う事はいちいち筋がたっているように思う。
頭がおかしいのは間違いないが、単純な狂い方ではないのだろう。
白雪姫達は軍曹とレイラー女史から学問を受けた。どれがどう役に立つかはわからない部分も多いが、それ相応の頭の働きを要求されるのは当たり前なのだろう。
白雪姫は、体を鍛えている。
学問を学んでいる。
戦闘の技術を学んでいる。
すでに山猿ではないのだ。
訓練兵なのだ。




