35日目
35日目
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「よーし、出来た」
パソコンのCADで書いていた遠心分離機と巣箱の図面を、スケッチブックに描き写した伊勢は、背中を伸ばしながら声をあげた。ネジを使わない構造を考えるのにだいぶ苦労した。
「出来ましたか?相棒」
アールが紅茶を持ってくる。砂糖をほんの少しだけ入れたレモンティーだ。伊勢のお気に入りである。
「ああ、後は親父と打ち合わせしながら決めればいいさ。鎧もあるし、一服したら行こう」
「はい。相棒」
「…なんだこりゃあ」
アールの持ってきた鎧の小札を見て、鍛冶屋の親父は唸るように言った。
「これであのラメラーアーマーみたいに作ってください。胸は一枚板で。あと、足はすね当てとひざ当て、腕は小手と肘当て、それと兜、でお願いします」
「何でできてるんだ、この小札は。木か?違うな…」
「CFRPですヨ。カーボンです」
「しいえふあーるぴい?かーぼん?なんだそりゃあ」
「秘密ですヨ」
「なら仕方ねぇな…」
「…なんだこりゃあ」
伊勢の持ってきた遠心分離機の図面を見て、鍛冶屋の親父は唸るように言った。
「遠心分離機だよ親父。これを作ってくれ。詳しくは後で金を出す人間を交えて説明する。同席してくれ」
「作るのは作ってやろう。だがどうやってみるんだ?この絵は。」
「それぞれ正面、上、右から見た絵だ。三面図と言う」
「三面図?聞いた事ねぇな。で、何に使うんだコイツは?」
「そいつはまだ秘密だ」
「お前もか」
「そんなことよりコイツを見てくれ。コイツをどう思う?」
「すごく…大きいです」
「はあ?何言ってんだてめえ小剣じゃねぇか」
「親父、あんた実は日本人じゃないのか?」
「なんだそりゃ?いいから下らねぇ事ぬかしてねぇでちゃんと見ろ」
親父は以前に伊勢が伝えた日本刀の製法を元にして、ひと振りの小型のサーベルを仕上げてきていた。
「お前の言う”たまはがね”は使ってねぇけど、お前の言うように鍛錬して、芯と皮、二種類の鋼を使って仕上げてみた。焼き入れも粘土を塗ってやってみた。まだ到底満足は出来ねぇが…そのうち形にはなりそうだぜ」
伊勢のみる所、形状はサーベルだが刃の波紋は日本刀である。見た目的にはとても美しい。
「さすがだ親父。すごいよ」
「当たり前だ。魔法が使えるからな」
超一流の鍛冶屋は金属変形魔法が使える場合がある。魔法…そう、魔法である。
伊勢とアールが儀式を受けたにもかかわらず、二人とも魔法は使えるようにならなかった。
物を動かそうと思ってもうんともすんとも言わないし、熱する事も出来ないし、金属の形状を変えるのも、怪我を治すことも出来ない。わざわざ試す為に腕に小さな傷まで付けたというのに…
切なくなるから考えるのをよそう…
伊勢がふと眼をあげると、親父の娘のラヤーナがアールにまとわりついていた。自分の作ったガラス細工をしきりに勧めている。親父もまさか自分の娘が女に懸想しているとは思うまい。知らぬが仏なのであった。
いずれにしても、親父とアミルを合わせておかなければいけない。伊勢はそう思っていた。これから伊勢の考える「発明」は、親父がつくりだし、アミルが広める、と言う事になるからだ。
遠心分離機は顔合わせの良い機会であった。
「でこの遠心分離機、って奴に金を出すのは誰だ」
「ああ、アミルって言う塩商人だ。俺が世話になってる」
親父の顔が引きつった。
「アミル…アミル・ファルジャーンか…」
嫌な予感がする。
「知ってるのか?親父」
「ああ…まあそれなりに有名だしな」
「正直に聞くが、親父…なにかアミルさんとあったのか?」
ガリガリと頭を掻きながら、娘に聞こえないように、小さな声で親父は言った。
「あー、まあいいか…ちょっとな…今のアミルの奥さんとな…25年以上も前の話だ…」
「…そうか…あちらはそれを?」
「…奥さんが言って無ければ知らないだろう」
親父は口の片側だけで苦笑しながら、そうつぶやいた。
その後、「受けると言ったからには仕事は仕事だ。やる。」という親父の言葉に半ば安心、半ば申し訳なく思いつつ、アミルの店に来た。
店の使用人に名前を告げるとすぐに奥に通された。
「えー、アミルさんこちらが今回の遠心分離機を作ってくれる鍛冶屋の親父です。親父、これが今回の依頼人であるアミルさんだ」
「どうも」
「はじめまして、塩商人のアミルです。 どうぞよろしくお願いいたします」
内心で冷や汗を流す伊勢、いつも以上にぶっきらぼうな鍛冶屋の親父、いつも通り丁寧な人あたりのアミル。三者三様の会談である。
「えー、上手くいけば今後とも、俺が考えた製品を親父が作ってくれる事になるかと。親父は金属変形魔法が使える一流の鍛冶ですので」
「おう、それは心強い!今後ともよろしく頼みたいですな」
どうやらアミルは親父と妻のアファーリーンとの昔の関係を知らないようだ。伊勢は安心した。これなら上手くいくだろう。
「さて、俺から再度説明します。今回親父に作ってもらう遠心分離機は蜂蜜をとるために使うものです。巣箱と合わせて俺の国のやり方です。これが上手くいけば蜂蜜の生産量は数倍になるでしょう。
遠心分離機と言うのはこれだけの用途に留まりません。俺の国では同じような仕組みで洗濯ものなどの脱水をしますし、泥水から水と土を分離したり、砂糖の精製にも使います。まあ、脱水をしたり、分離してわけたり、色々な事に使える道具だと思ってください。ちなみにアミルさん、この情報はタダで良いですよ。
今回の遠心分離を含め、基本的に我々の計画は我々だけの秘密にします。そのうちマネはされるでしょうが、それまで誰にも外には漏らさない。これは徹底していきましょう」
「わかった」
「わかりました」
「事前の親父さんとの打ち合わせで、製造には問題が無い事がわかっています。歯車もクランクも回転部分も板金部分も親父さんの所なら作れる。外側の筒は銅製にして、内側の回転部分はしゅうどう部分があるので強度確保のために鉄製です。
動作を調べる為の巣箱の板は別途手配して、親父に渡しに行きます。アミルさん、すいませんが家具職人なり建具職人を紹介してください。
さて、納期と費用ですが……」
「五千ディルで作ってやる。十日はかかるが二十日はかからん。」
「それで結構です」
一発で決まった。かなり高価な気もするが工業製品を簡単に作れない以上、この値段が妥当か、むしろ安いのかもしれない。正直言って、いまだにこの世界での相場がわからない。
「既に俺とアールの方で温めているネタも何件かあります。これが終わり次第、順次それに取り掛かっていきたいと考えています。親父、苦労をかけると思うがよろしく頼む。アミルさん、大金を用意していてくださいね」
「お前の仕事は面白いから良い」
「イセ殿、私もひとかどの商人だ。金の心配は要りませんぞ」
概ねそのようにして、打ち合わせは終わった。意外とあっさり行った事に、伊勢は安心していた。
「では鍛冶屋さん、今後ともよろしく…」
「ああ、宜しく頼む」
三人でコーヒーを飲み、煙草を一服してから引き上げる事になった。
「もう暗い。イセ殿、自操車を出すから、ダリ…鍛冶屋さんを送っていってやってくれ」
「…わかりました。裏の駐車場に回りますね。親父、いこうか」
「わかった」
伊勢と親父はアミルが出してくれた自操車に乗って、鍛冶屋に戻った。世間話をまじえつつ、親父の店で出来る事を確認しながらの短い道中だ。すぐに着いた。自操車は親父の店の前で待たせておいた。
アールは、というと、親父の店の鍛冶場でドワーフの向こう槌をふるっていた。さすがのパワーである。首に綺麗なとんぼ玉のアクセをしているところをみると、どうやら一つ買わされたのだろう。意外と綺麗だが。
娘のラヤーナがその姿を頬を染めてじっと見ている。それはそれは、とてもとても残念な光景である。
「上手いな…」
親父がつぶやく。変なところが器用なアールである。
「相棒、お帰りなさい。じゃあ帰りましょうか」
「ああ、そうだな。じゃあ親父、頼んだよ」
「任せろ」
軽く手を振って、店を出る。
「相棒?どうしました?」
二人の自宅への道のり。静かな伊勢に対して、アールが心配そうに問いかけた。自操車がゴトゴトと揺れる。
「いや、人生いろいろだな、ってさ」
「そうですか」
皆、知っているし、知っている事も知っている。
永遠に癒えない傷がある事も、忘れられない思い出がある事も知っている。
だから皆こうやって、知らんぷりして今を前に進めるのだ。