30日目
30日目
伊勢とアールは、軽く近所の街道にツーリングに行ったり、ファリドとビジャンに武術の稽古をつけたりしながら、しばらくダラダラと家を直したりして過ごしていた。突貫工事で作った家にはやはり色々と不備があって、直す場所には事欠かないのだった。
10日程前の狩りによって、伊勢とアールの台所事情はかなり改善している。現在の貯蓄残高は4000ディル。物価が違うから一概には言えないが、感覚的には六十~八十万円ほどだ。
内訳は裸緑猿×68で680ディル。裸赤狒々×2で600ディル。魔石の売却代金が計2700ディル。
一日の稼ぎとしては多いが、命をかけた結果と思えば微妙なものとも思う。
伊勢は考えていた。
「アール君。防具が必要です。それと、魔法が使えるようになりたいです」
そう、どう考えても防具が必要なのである。狒々と戦って無傷だったのは単なる僥倖にすぎないのである。バイク用の革ジャンと革パンツだけでは限界があるのだ。そして魔法。ファンタジーなら魔法である。
「でもお金がありません」
防具は高い。革製であっても一式まとめて数千ディルはするのだ。金欠の敵である。
「どうしましょう?」
アールは小首をかしげながら言った。
「大丈夫ですヨ、相棒。とりあへず親父さんの鍛冶屋に行きましょう」
アールが大丈夫と言うなら、大抵の事は大丈夫なのだろう。その辺はなんとなく信頼している伊勢であった。
「こんにちは親父さん。防具をください。」
「こんにちはアールさん!!イセさんもこんにちは」
親父ではなく親父の娘がカウンターにいた。親父の娘、ラヤーナは、アールにニコニコと笑いかけながら立ちあがって、髪を直している。ふむ…アールと伊勢に対するリアクションが少し違うようだが、これはまあそう言う事なのだろう。アールの周りの女の子には良くあることである。
「防具ですね!どういうのをお求めですか?!アールさんならこの辺の革鎧なんかがお勧めですけどもちろんオーダーですよね!ちょっと脱いでもらって採寸をして…」
「いや、ラナーヤ、ボクの鎧じゃなくて相棒のが欲しいんですヨ」
「…ああ、イセさんのですか…それならまあ、コレなんかで良いんじゃないかと思います」
バレバレの愛想笑いで下から2番目の値段がついた鎧を突きだされた。愛想の良いけなげな娘と思っていたが、こんな娘だっただろうか?そうだったのだろう。思い込みとは実に無常である。
「おう、イセじゃねぇか。何の用だ?」
「ああ親父。防具が欲しいんだよ」
ワイワイやっていると鍛冶屋の親父が出てきた。
「ああ。作ってやるよ。どんなのが良いんだ?」
「軽くて動きやすくて最高に防御力がある鎧」
「寝言は寝て言え」
酷い言い草である。
「親父さん。ボクが小札を作るから、それを組んで鎧を作ってください。あと、参考にしたいのでこの鎧一式を貸してください」
下らない事を伊勢と親父が言い合っていると、アールが横から話を進め出した。今日のアール先生は何やら頼りになる。ちなみに小札とはラメラ―アーマーなどを形成する金属や革の小片の事だ。
「…イセには借りがあるから良いだろう。ウチの鎧は良いぞ。紐を切られても小札がバラけないように組んである。俺の作った技だ」
「さすがです親父さん。だから親父さんに頼みたいんです」
「当たり前だ」
親父、少し嬉しそうである。技術を褒められて嬉しく無い職人などいないのだ。
なんだかんだ打ち合わせをして、結局400ディルで作ってもらえる事となった。破格である。
「次に魔法ですね相棒。アミルさんところに行きましょう」
「おう」
アール先生、どうやらコネパワーを駆使するつもりのようだ。いつの世もコネはパワーである。期待である。
アミルは店にいた。伊勢とアールが入っていくと「おう、よくいらした」と言って奥にいざなってくれた。
「どうかなイセ殿、アール殿、戦闘士商売の方は?」
「まあボチボチですな。このあいだ裸赤狒々2匹と裸緑猿を大量に狩っただけですが」
「ほう、さすがイセ殿だな。して、今日の御用件は?こんな時間にこられるとは何やらあるんでしょう?」
さすがアミル。できる商人だけあって話が早いのである。タイムイズマネーであった。
「ボクと相棒がこの国の魔法を使えるようにならないかと思って相談に来ました」
アールは直球で話した。大抵いつも直球であるが。
「ふむ…洗礼をしてから200ディル程の喜捨をして、巫女に儀式をしてもらえばできるようになると思いますが…問題は洗礼ですな」
そこは確かに悩みどころである。正直、一般的な日本人と同じく伊勢にはそんなに信仰心が無い。キリスト教の結婚式を挙げてクリスマスを祝いつつ年越しは寺の鐘をついてそのまま神社に初詣に行って仏教の葬式をあげて神道の祭りでみこしを担ぎハロウィンのまねごとをするのだ。
アルバールの至高なる神、とやらに祈るのは構わないが、入信となるとまた少し考える。伊勢としては、信じた振りをする、というのが信仰心厚いこの国の人に対して申し訳ない気がするのだ。
「まあ、洗礼をしなくても多めに金を払えば儀式はしてくれると思うが…まあ10倍かな」
10倍となると二人で4000ディルである。無一文コースであった。これでは救われないのである。
「相棒。大丈夫ですヨ」
さすがアールである。何やら考えがあるらしい。
「相棒が適当な発明を今アミルさんに売ればいいんです」
まさかの丸投げである。無茶振りであった。
伊勢は数分考えた。ネタはいくつかあるが、大き過ぎるので、このような準備なしでの突然の商談には向かない。小ネタで3000~5000ディル程度を狙うとすると…。
「先日、家を改修したのですがね?その時に大工に聞いたのですが、この国には長い直線を書く道具が無いそうで…」
伊勢が提案したのは墨壺である。正確に言えば直線を書くために糸にインクを含ませてピンと張って弾く、と言うのはやられているのだが、糸車と墨のタンクとが一体化したものが無いのだ。
実につまらない提案である。でも1500ディルで買い取ってもらった。まあ御の字であろう、と思った。
次に石鹸の話をしてみた。この世界には、高価なものの、ちゃんと使える石鹸はあるのだ。
「これはでかいネタなんで、正直それほど安く売りたくは無いですが…石鹸、ありますよね。あれ、作り方御存じですか?」
「いや、知らないが…」
「そうですか。…んーと、たぶんですがちゃんとした硬い石けんでニオイもないので、オリーブ油とかと水とソーダ…あー、何かの灰から出来てるんだと思うんです。何かの木とか海藻とか。
まあ端的に言うと油と灰と水を混ぜると石鹸になるんですけど、そこのところをちょこちょこすると、良い薬の原料が得られます」
要するにグリセリンである。石鹸を作った残りの液体を綺麗に濾して水分を除けばグリセリンが残る。これは、軟膏にしたり、保湿の為に肌に塗ったり、髪に艶を出したり、薄めて浣腸液にしたりと使えるわけだ。その他に濃硝酸と濃硫酸があれば、一応は工学系の伊勢ならニトログリセリンを作る自信がある。まあ、その辺は道具つくりから始める必要があるが、珪藻土にしみこませればダイナマイトも出来るのである。
伊勢の話を聞いて、アミルは困ったようだ。前提となる知識が無い為に判断がつかないのである。値段も付けられない。
「イセ殿…面白い話なのだが私には正直言って何が何だかわからん。石鹸の話は調べておく。他に無いか?」
「じゃあ金じゃないけど金色の金属の作り方…あーダメだ。真鍮は無理だな。亜鉛が無いな…
そうですね…じゃあ小さい所で絵具の話を。紙が…双樹帝国からの輸入品の高価なもの以外には羊皮紙とパピルスというか…ボロい巻き物の紙しか無いからか、今まで絵画と言うと漆喰に描いた絵ばかりですが水彩絵の具でもっと良いのが出来ます。
アカシアの木がありますね?あの樹液の樹脂と顔料を粉にしたもの混ぜて…ああ、あと先程のグリセリンを混ぜるといい水彩絵の具になりますよ。既にあるならゴメンナサイですが…というかこの辺なら普通にありそうですね…」
このネタも保留になった。やはりアミルの判断がつかないためだ。そういう絵の具がこの国に無いのなら、1500ディルで買い取ってくれる事になった。
「では…食物ネタを…蜂蜜はこの国でも良く使われると思うんですが、これは人工的な養蜂で作られてますよね?」
「ああ、北部の方で箱の中に蜜蜂を飼って作っていると聞いている」
これだ!このネタである。伊勢の小学校では養蜂をやっていたのだ。大昔の事ながら、なんとなく覚えているものである。素晴らしきかな義務教育!
「では、場合によってはその生産量を数倍にする事が出来ます」
「なんと!教えてくれ!!北部で次男のアフシャールが農作物の売買を担当しているのだ!!」
フィッシュオン!である。ここは先に値段交渉をするべきであろう。
「これは大きなネタです。以後、恒常的に生産量が数倍になる。…いくら、出しますか?」
「…一万五千ディ…に…さんま…ああ、すまん何でもない…五万ディルでどうだ?!半金は先に出し、もう半金は実際に形になり始めた時に払おう」
「ふむ…よし売った!ただし、その契約方式は今回だけですからね!」
伊勢は蜂の巣箱の改良と、蜂蜜を採る際の遠心分離機について説明した。いままではハチの巣を押しつぶして蜜を採取していたが、遠心分離機を使えば蜂の巣を壊滅させる事が無く、蜜だけを効率的に採る事が出来るのだ。
「詳しい形状については後で図面を書いてきます。鍛冶屋に知り合いがいるので、遠心分離機は俺の方で担当しましょう。ただし俺は養蜂の専門家ではないので、巣箱はいくつかの条件で試しをしつつ、数年間は現地で試行錯誤して改良が必要でしょう。しかし、うまく行けば…利益は物凄いかもですよ!」
「むふふ…夢が広がりますな…」
「ですな…むはは…」
何やら黒い笑顔を浮かべてほくそ笑む二人の男を見ながら、アールは「ほら大丈夫だった」と満足げに微笑むのだ。
アールの相棒は、やる時はやるのである。