歩兵中隊 17
本日二話目。
歩兵中隊、最終回です。
あとがき、みたいのを活動報告に書いておきます。
ありがとうございました。
歩兵中隊 17
ジャハーンギールの街。
「中隊、に二列縦隊を取れ!」
城外で整然と列を作って、中隊は行進しながら門をくぐる。戦闘と行軍でくたびれきった軍靴を石畳に叩きつけながら、街中央の広場まで行進する。その後ろには負傷者を載せた自操車が続く。
帰って来たのは150人と少しだ。重傷者とその看護のあたる兵がヴィシーに滞在している。軽い負傷の者は、自操車に乗って帰って来た。
中隊は市民達に歓呼と称賛の声で迎えられた。
兵士達は、沿道の人々に家族や友人を見つけては誇らしげに顔をほころばせ、沿道の家族は隊列の中に息子や兄弟を見つけて喜びに泣いた。あるいは見つけられずに、顔を歪めた。
やがて中隊は中央広場に辿りつく。
兵士達は中隊長の指示に従い整列し直すと、壇上に上がった執政官閣下から賜る有り難くも無い有り難いお話とやらを、右から左に華麗にやりすごすのであった。
最後に中隊長が前に出て、
「ほほ本日より、な7日間を休暇とする。ゆゆっくりと休め!……中隊、解散!!」
仕事はこれで終わり。
兵士達は各々の家族や友人の元に、小走りで走って行った。
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中隊幹部達にいくつかの指示をした後、ファルダードは役所に足を運んだ。役所は中央広場のすぐ横だ。彼の父親の執務室に向かう。
「しし、執政官閣下」
「ご苦労だったな」
「ええ、ほ本当に苦労しました……ここれが、せ戦死者の一覧です。戦死者の、か家族へは、いつものように連絡を。め面会希望は、三日後に時間をとります」
「うむ」
ダリウス執政官はファルダードから羊皮紙を受け取り、代わりにワインを満たした銀杯を渡した。彼の手持ちの中で、一番いい杯だ。
「勝利に」
ダリウスは杯を掲げて言った。
「……」
ファルダードは何も言わずに杯を掲げた。
2人とも、一気に飲みほす。
「閣下、ファハーンのきキルマウス・セルジャーンに話を付けてきました。か彼は我が一門を、き強力に支援してくれるはずです。この、ほほ北東部の安定に寄与する限りは」
「なんだと? ファルダード。いつキルマウス殿と会った?」
「だだ第四砦の援軍に、70騎を引き連れて来てくれました。
ききキルマウス・セルジャーンは珍しいほど視野が広い男です。あアルバール全体を見ています。か彼は抜きんでた一種の……い異端者ですから、彼から見れば、て帝国内の西の民も東の民も、おお同じに見えるのでしょう。だから、いイセ軍曹殿のような、い異邦人が彼のもとで働いているのです。ほ北東部の安定化が、て帝国の安定化につながると、彼は認識しています。わ我が一門とジャハーンギールの強化は彼の目的にも合致する……そのように、は話を付けてきました。ですので……て帝都の兄上は彼の息子と誼を通じさせた方が良いでしょう。彼の長男も帝都に居ますから。がが外交工作は、あ兄上の得意とするところ、わ私は周辺の軍事面を掌握します。
やるべき事は沢山あります。ままず、ジャハーンギールの軍備を早期に、さ再編せねばなりません。じ自由民を中心とする補助兵部隊を、そ早期に成立させましょう。よ傭兵の運用についても考えるべきです。し指揮官さえ優秀なら、だ打撃力には期待できます。さらに、く黒馬族の安定化を早急に手立てせねばなりません。し新族長のシャルカスは未だ部族内を掌握できていませんから、てて帝軍とセルジュ一門、および、せセルジュ一門を通じて引っ張ってこれるであろう諸侯、諸部族の力を背景として、じジャハーンギールがシャルカスを盛りたてねばなりません。しし白山羊族にも同様です。ああ焦らずにゆっくりとやらねばなりませんが、くく黒馬族、白山羊族を完全に身内とすれば、ほホライユ一門は北東部最強の一門となります。そうなれば、ちち力の政治で自然と事は成ります。ととりあへず、まずは黒馬族が安定化すれば、な内陸部との通商が促進されますので、すす水運と合わせて流通の両輪が回復します。こ、これで予算も一息つける事が出来ますし、じ人口も増えるでしょう。幾分か、ぜ税制も変更しましょう。かか関税は今まで通りで良いですが、とと取り立てをしっかり、ひ標準化します。ぜ贅沢品の販売に関しては、ぜ税を増やし、し食料生産能力の向上と、お織物と鉄を中心として、さ産業を発展させる政策をとって行くべきです。ぐぐ軍事的に黒馬族と、し白山羊族をある程度機動的に使いこなせれば、これは可能な、せせ政策だと考えます。
ちち長期的には民の教育面に力を入れる、ひ必要があるかと思います。ぐ軍曹殿と、れレイラー・モラディヤーン先生の座学により、わ我が第三兵団の兵士の能力は格段に向上しました。じじ自分が学問を学んだと思う事で自信もつきます。ひ人は心で動きます。知は力なり。し市民はもちろん奴隷を含めた、じ自由民以下の教育を促進せねばなりません。よ読み書きと、か簡単な算術、え衛生と栄養の概念。そして何よりも、かか神の教えを徹底して教え込む。これを進めなければなりません。し神官に依頼しつつ、ふ雰囲気を醸成していかねばなりません。い、いずれにしろ紙の普及は爆発的に進むでしょうから、し識字率の向上は急務です。む、むしろ、我々が紙の普及を、そ促進させるべきです。通るかわかりませんが、こ、このジャハーンギールにも紙の工房を新設していただけるよう、て帝都に上申しても良いかと思います。そ、それと、ファハーンの、もモラディヤーン家に弟子入りさせる者を、な何名か派遣しましょう。ききキルマウス・セルジャーンに口利きを頼めば、う受け入れてくれると思います。こ高度な学問と、すべからく一般庶民が持つべき平易な学問、そそして、か神の教え、これらを並行して教育し、は発展させねばなりません。
やるべきことも、やれる事も沢山あります。」
ダリウスは手の中の銀杯を転がしながら、ファルダードの長い話を聞いた。
しばらくして、意を決したように話し出した。
「……ファルダード、お前が色々と考えているのは、良くわかった」
「はい」
「ただ一つ断っておく。お前は次男だ。俺はお前に家督は継がせぬ。帝都に居るお前の兄が、お前よりも優秀な事は、お前自身もよくわかっている。……そうだろう?」
「ええ」
「どうするつもりだ?」
「あ新しい一家を、お興す許可を」
「ふむ、そうきたか」
「いい言いだすのを、待っていたのでしょう?」
「そうかもな……良いだろう。家名は何に?」
「クラウゼビツ」
「聞いた事が無いな……どういう意味だ」
「いイセ軍曹殿の国の歴史上、ゆゆ有名な、ぐ軍略家だそうです。が外交と戦争は同義だというのが、じじ持論だったそうで」
「ファルダード・ホライユ・クラウゼビツ……変な響きだな」
「い、イセ・セルジュ・シューイチローよりはマシですけどね。まあ、な名前など、何でも良いのです」
「……まあ、よかろう。各所の調整をして半年後に新家のお披露目としよう」「よ宜しくお願いします」
「ホライユ一門は、本家とクラウゼビツ家の両輪で回して行く。いずれ時が来れば、また一つにしても良いのだからな。まあ、お前は早く子を成せ」
「き気が早すぎますよ、ちち父上。な7年はお待ちを」
「愚か者。死んでしまうわ……俺は本当に孫の顔が見たいのだ」
「わわかっていますよ、ち父上」
ファルダードは、父の持つ銀器にワインを注いだ。自分の杯にも軽く注ぎ、掲げて言った。
「ジャハーンギールに」
「皆の健康に」
互いの眼を見て、飲み干した。少し棘のある若いワインだった。
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懐かしの隊舎戻ってすぐ、サブロウは風呂に行った。水を浴びて旅の埃を落とし、礼服に着替えて街へ出る。
目的地は大して遠くも無い。中隊の隊舎は街のはずれにあるが、そこから数分の距離だ。
すぐに到着してしまった。ごく普通の、何処にでもある庶民向け集合住宅だ。
サブロウは飾り気の何も無い、質素な扉を叩いた。
「こんにちは! サブロウですが!」
「はーい」
ゴトゴトと音を立てて、建てつけの悪い扉が開く。身体の小さい、猫のような釣り目をした女性が顔を出した。ジロウの妻の、マーニーだ。
「こんにちは、奥さん」
「ああ、サブロウさん、いらっしゃい。どうぞ。」
「はい」
中に入る。
狭い家だ。すぐに向こう側にぶつかってしまう。隊舎のサブロウの部屋の倍くらいの大きさしか無い。
「あーっ!さぶろーだっ!ヒャッハー!」「ちゃーぶろ!こえたびゅ!ひゃはー!」
「おー小僧ども! 元気だな!」
「あんた達、ちょっとタリシュ君の家に遊びに行ってなさい。はいはい、いいからいいから、言う事を聞いて!!」
「はーい……」「あーう……」
マーニーに強くたしなめられた子供達はしゅんとなって、半ば腐りつつ乱暴にガタガタと扉を揺らして出ていった。
部屋の中に2人きりになる。重かった。
マーニーから沈黙を破った。
「サブロウさん、ザカリアスは死にましたか?」
「はい。お気づきになってましたか」
「さっき中隊が帰って来た時、行列の中に居なかったので。それと、まあ、あなたの口調と顔を見れば」
「中隊長に断って、私がお話に来ました。最後の様子をお聞きになりたいですか?」
「お願いします。ああ、、お茶を入れますね」
「ありがとうございます」
サブロウは香りの殆んど無いお茶を飲みつつ、戦闘の経緯とジロウの様子を淡々と出来るだけ詳しく話した。特に何の嘘も誤魔化しも脚色もしなかった。ありのままを伝えた。
マーニーはときおり相槌を打ち、静かにそれを聞いた。
一時間ほど喋って、サブロウは最後に中隊からの見舞金の入った革袋と、麻布の小袋と、木の小箱の三つを取り出し、渡した。
「アイツが最後に、あなたにこれを渡せと。頼む、と言って死にました。とどめを、私がさしました。遺骨も遺髪も回収できませんでした。」
「そうですか。最後まで夫の事を、どうもありがとうございました」
「いえ」
マーニーは手の中で少しだけ麻布の小袋をもてあそび、おもむろに開いた。
中には手の平ほどの大きさの、馬と羊の木彫りの玩具が入っていた。
「ああ、随分と上手になったのね」
マーニーは立ち上がって、壁際の粗末な棚に近づいた。棚の上には、今までジロウが彫った玩具が色々と並んでいる。犬、猫、亀、蛙、兎……二十個以上はある。
新参の馬と羊が、一番上手に出来ていた。これ以上に上手な馬と羊は、もう出来ない。右端に置き、彫り跡を確かめるように、何度も何度も指先で撫でた。
しばらくそうした後、食卓に戻って、マーニーは木の小箱をそっと開いた。
小さな赤い石をあしらった、銀の耳飾りが入っていた。質素にも見えるし、そこそこ豪華にも見える。
とても、綺麗だった。とても。
「こんな事、一度もした事無かったのに。慣れない事をするから死んじゃうんだよ。バカだね」
マーニーは小箱を閉じ、胸に強く押し付け、歯を食いしばった。後ろを向いて、声が漏れないよう、精いっぱい喉に力を入れた。
「じゃあ奥さん、私はこれで。ザヒールとパリーサに宜しく」
「あり、がとうござい、ました」
「何かあれば、遠慮なく言ってください。ファルダード中隊長でも、中隊長の奥さんでも、私でも」
「はい」
「では」
サブロウは建てつけの悪い扉をガタガタ言わせて開け、外に出た。後ろ手に閉めようとしたが上手く閉まらず、苦労してどうやらこうやら押し込んだ。
小走りに駆けだす。急いで離れなければいけない。
「……バカが……扉くらい、直しておけ!!」
悪態を我慢する事は、どうしても出来なかった。
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パンの匂いの家。
サーヴィーは、小麦粉が醸し出す、この匂いが嫌いじゃ無い。生まれた瞬間から、ずっとこの匂いと一緒に育ってきた。ある意味で、自分の体臭のようなものだ。
階下では親父とお袋が怒鳴り合うようにくっちゃべりながらパンを焼いている。上の兄貴は両親の喋りを完全無視で、黙々とパン生地を捏ねている。客の相手をしているのは義姉さんだ。
二階で寝ているサーヴィーには見えないが、そんな所だろう。まず間違いはない。
「サーヴィー! アンタの友達が見舞いに来たよ!」
階段の下から怒鳴り声。向こう三軒両隣に響き渡りそうだ。お袋のこの声は戦場でも通用するとサーヴィーは思う。
「あいよ、かぁちゃん」
帰って来てから何人かの友人が見舞ってくれたが、正直ありがたくは無い。可哀想な英雄を見るような目……ウンザリである。サーヴィーは兵士として戦って、傷ついたのだ。これが仕事なのだから、憐れみは受けたくない。
サーヴィーの寝室のドアが開いた。
「おう、し白雪姫。ち近くに来たから寄った」
「中隊長!」
「あ足はどうだ?」
「ええ、いや……あんまり、です。なんだか踵の筋が、だいぶ切れちまったようで……今は石膏で丸ごと全部、固めてます。」
「そうか」
「中隊長、俺は兵士を……もう続けられないです」
「い嫌になったか?」
「何言ってんですか! そうじゃねぇ! 走れなくなったから! 俺は走れなくなっちまった! 走れない兵士は死んだ兵士だけなんですよ!」
「もう、なな治らないのか?」
「わかりません。歩くのはまず出来るんだろうと思いますが……走るのはちょっと……良くなるかもしれないですけど……時間がかかると思います」
「じゃあ、待とう」
「中隊長」
「な治せ」
「でも、治らなかったら……また、走れるようにならなかったら……」
「その時はお前、し新兵の子猿どもに、や槍の振り方でも教えてやれ。はは走れなくても、そのくらいは出来るだろう」
「えっ?! 俺が軍曹殿とか伍長殿とか言われんすか?!」
「白雪姫。おおお前じゃ精々が……そそうだな、まあ『先輩』ってのが、よ良い所だ。ぐ軍曹殿は千年早いだろう」
「そりゃそっすね」
「そそうだ。だが、ししっかり治すんだぞ、兵士よ」
「はい、根性で治します、中隊長」
「よし、じじゃあな」
ボンボン中隊長は来たときと同じく、さっさと帰って行った。
白雪姫は寝台で腹筋運動を始めた。
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「そそれが、じジャイアンの遺言か」
「はい」
「マイマイ、おおお前は誓ったんだな?」
「そうです。俺がいま言った言葉に嘘偽りなく間違いがない事を、神に誓います」
「いいだろう。ただし、ぜ絶対に一人では行くな。少なくとも、さサンマは連れていけ。な何かあったら、お俺が責任を持ってやる」
「動ける分隊員を連れていきます。あと支援騎馬隊も。……ああ、ジャイアンの名前を教えてもらえると……」
「ふふ、フワージャ・シラーズィー」
「ありがとうございます、中隊長」
中隊長は会計とかけあい、革袋を4つ持ってきた。
「こ、これで全部だ。35,251ディル」
マイマイが見た事も無いような大金だった。どうやったのか知らないが、ジャイアンは、よくこれだけの金を貯めたものだ。左腕の骨折が完治していないマイマイには持てなかったので、中隊長から背嚢を借りざるを得なかった。
そうしてマイマイは分隊のサンマと豆と鶏、支援騎馬隊のアオダヌキをつれて、5人で千夜楼に赴いた。
だが……
「おい店主さん、居ないとは、どういう事です? え?」
「ええ、ハスティーは随分前……一年半ほど前でしたかね、他の旦那様に身請けされましてね」
「ここに必ず居ると、ジャイアン、俺の友人フワージャ・シラーズィーは言っていましたよ?」
「はて、フワージャさんという名に聞き覚えが……」
「なら、ジャイアンは? 色黒で背が小さい白山羊族。ギョロ目。歌が上手い。」
「やはり聞き覚えが無いですね」
マイマイは店主を睨みつけた。
ジャイアンは確かに此処に居ると言っていたのだ。直接は彼女に会っていなくとも、所在を確認していないわけがない。ジャイアンはそんなバカではない。
ならば……
「おい、店主……お前、騙そうとしているな?」
「そんな人聞きの悪い……騙してなんぞいませんよ。その亡くなられた方と、何かの誤解があったのではないで――」
「黙れゲス野郎。シレっと嘘をつきやがる。テメェはモングにも劣るゴミクズだ。所詮は女衒の親玉か……汚ねぇ野郎だ。生かしておく価値もねぇ。人じゃねぇ」
「おい、あんた……俺だってメンツと評判で商売してんだ。舐めた口をたた――」
マイマイがゴミクズの口を張り飛ばした。
アオダヌキが部屋の外に飛び出て扉を閉めた。
サンマが店員兼用心棒1の喉に前腕をぶち込んだ。
鶏が店員兼用心棒2の顎に掌底を振り抜いた。
豆が店員兼用心棒3の腹を思い切り蹴り上げた。
全て一瞬の事だ。
マイマイは店主の胸ぐらをつかんで引き起こす。
「おい、テメェ。本当の事を言え……サンマ」
マイマイの目配せを受けたサンマが、顔色も変えず、気絶した用心棒の腕をねじり折った。用心棒が目覚めて悲鳴を上げた。サンマは首を絞めてもう一度眠らせる。
「次はテメェだ。言え。」
「……ちきしょうめ……一年半前にハスティーが身請けされたのは本当だ。ここには居ねぇ」
「何故、ジャイアンを騙していた? あいつは時々、ここに確認に来ていたんだろう?」
「ハッ! 身なりも良くねぇチビの遊牧民なんぞに、遊女を身請け出来る金が作れるわけねぇだろうが。ウロチョロしてたのを、適当にあしらって追っ払ってただけだ。そんな奴は沢山いるからな」
「テメェ……ハスティーを身請けしたのは誰だ。名を言え」
「絨毯商人よ。ラヴァーン……ええと、ラヴァーン・マルムホンだ。西地区に店構えてるよ」
「違ってたら、殺しに来るぞ」
「もう、嘘はついてねぇよ。……ハスティーはラヴァーンの店には居ねぇだろう。妾だからな。今の住まいは知らん……こんなことして、ただで済むと思うなよ」
「いきがるな、クズが。ジャイアンを死ぬまで騙したテメェを、俺達はぜってぇにゆるさねぇ。覚悟しておけ」
「……何なんだ、お前らは」
「ジャハーンギール歩兵中隊。戦争をしたいなら歓迎するぞ。本職だからな。……おい、身請けの金はいくらだった?」
「……五万でございます。まあ、相場といってよい値段でして……ジャラール様、申し訳ありませんでした」
「で、本当の金額は? 身請け先に聞けばバレるぞ?」
「……先程の記憶が間違っておりました。4万1千と絨毯三枚で」
店主は頭を床にすりつけている。マイマイは彼の横に立ち、腎臓に向けて力いっぱい拳を振り下ろした。
ジャイアンの遺した金では、どうせ足りなかったのだ。だが、確かにいいところまで行っていた。それももはや、終わってしまった。店主の嘘がジャイアンにとっての幸か不幸、どちらだったかなど、もはや誰にもわからない。
後は、誰かがどこかで落とし前をつけるだけだ。
さて、千夜楼の主人を張り倒したマイマイらは、ハスティーを身請けした西地区の商人、ラヴァーン・マルムホンの店に赴いた。ラヴァーンは中堅の絨毯と織物の商人で、五十路がらみの恰幅の良い男だった。
マイマイらは、正直に全ての事情を説明した。彼は快くハスティーのいる妾宅の場所を教え、案内に丁稚の子坊主まで付けてくれた。おそらく内心では迷惑に思っているのだろうが、少なくとも見た目には、とても友好的で親切だった。
ハスティーのいる妾宅は北地区の外れにあった。それほど悪くはない集合住宅だ。
「マイマイ、もう、俺らは帰るよ。もう、いいだろ?」
扉の前でサンマが言った。
「そうだな。ご苦労さん」
マイマイは軽くねぎらって、皆を見送った。神の元に還った故人の過去など、知る必要が無い者が知るべきではない。
「ハスティーさーん」
丁稚の子坊主が妾宅の扉を叩く。
「はーい、ハキム君どうしたの?」
中肉中背で二十代後半の女が出てきた。少しとうが立っているが、綺麗でないわけではない。だが、あまり印象には残らない感じの女だ。黒目がちの大きな瞳だけが目を引く。
丁稚は、じゃ後はよろしく、という感じで帰って行った。
「ハスティーさんですね?俺はジャラール・ジュヴァイ。ジャイ……フワージャの友人です」
「息子の友人? 大人の方が?」
「……え? 息子?」
「フワージャはあたしの息子ですが? ……あなたはいったい何なんですか?」
「ああ……」
「かあさん、ぼくがどーしたのー?」
子供が出てきた。4歳くらいの、男の子だ。短く狩った坊主頭で、子供らしいクリクリした目をしている。何処にでも居る子供達と同じように、可愛い子供だ。
「フワージャ! あっち行ってな! 出てくるんじゃないよ!」
ハスティーは男の子の尻をペシぺシと叩いて、奥に追い返した。そこらによくいる、肝っ玉母さんみたいだ。
「ああ……そうじゃないんです……俺は怪しい者じゃありません。俺の友人のフワージャは、フワージャ・シラーズィー。白山羊族で、背が小さくて、歌がすごく上手い……」
「チリーの!! 元気ですか?! どうしてあたしを? ここを? チリー……じゃなくて、フワージャはどうしてます?ずっと会っていないんです」
「ああ、いや。ジャ…フワージャは死にました」
「え?」「俺はフワージャの戦友です。ジャハーンギール第三兵団第二小隊所属。フワージャは支援騎馬隊長でした。彼はモングとのいくさで勇敢にたたかい、死にました。俺達全員、アイツに命を救ってもらいました」
「そう、ですか」
「フワージャ君はあなたの子供ですか?」
「神殿の孤児院から引き取りました。一年と少し前に。私には子供が出来ないので」
「すいませんでした」
ちょっとだけ、沈黙した。
「失礼しました。ジャラールさん、でしたよね? 奥へどうぞ」
彼女は居間にマイマイを案内し、お茶を出した。香り高い、良いお茶だった。マイマイには善し悪しなどわからないが、陶器の器も滑らかで綺麗だった。恥ずかしい物では無いのだろう。
「綺麗なお宅ですね」
「そうですね。ありがたい事です。……フワージャは?」
「はい。――我々の歩兵中隊、ジャハーンギール第三兵団では彼の事をジャイアンと呼んでいます。入隊すると新しい名前を付けられるんです。ジャイアンは歌が上手くて、いつも俺達を――」
マイマイは思いつくままに話し続けた。
ハスティーは適当にフワージャ君をあやしたり、お茶を入れ替えたり、ちょこちょこと家事をしながらそれを聞いた。
随分と、長い話になった。窓から射す光は形を変え、影が長く尾を引きずった。
「不思議です。ジャラールさんの言うジャイアンは、私の知ってるチリーじゃないみたい」
「ええ、違うんでしょうね。でも、チリーですよ」
「そうですね」
「アイツはこの三年間ね、貯めてたんですよ。金を」
「私は、チリーに嫌われたのかと思ってました。会いに来てくれなかったから」
「はは、違いましたね」
マイマイとハスティーは、ほのかに笑って冷めたお茶に口を付けた。
「ハスティーさん、あなたは今……いえ」
「幸せですよ、たぶん。旦那様はとても大らかで、大切にしてくれます。それに、私のわがままで引き取ったフワージャの事も認めてくれて、可愛がってくれますから」
「フワージャ君はあなたの事を?」
「本当の母親と思ってますよ」
「良かったですね」
「はい。……本当に、ありがとうございました。ジャラールさん」
「いえ」
マイマイは、どこかやるせないような、でもほっとしたような、良くわからない気持ちで彼女の家を出た。
たぶん、こういう事が神の采配というのだと思う。
全てが上手く行ったわけではないけれど、もう収まるべき所に収まってしまったのだ。これで良かったのだろうし、こうなったのだから、もうそれ以外には何も無い。
彼女とは、二度と会い事も無い。それで良い。
隊舎への帰りに、マイマイは神殿の孤児院に寄った。
何十人かの身寄りの無い子供たちがここで暮らしている。奴隷の子供はいない。市民もいるかもしれないが、殆んどが自由民だ。
ここに居る限り、彼らは奴隷に落とされる事は無い。神殿の威光が彼らをまもるからだ。七つくらいまでここで暮らして神の教えを学び、それから商家の丁稚や工房の弟子、あるいは下働きに入る。そうなればもう、普通の子供と変わらない。
彼は、きゃっきゃと楽しそうに子供たちが遊ぶ庭を横目で眺め、事務所に入った。すぐに一人の神官が、彼に声をかけてきた。
「こんにちは、どのようなご用件ですかな?」
「どうも、神官様。寄進をしたいのです」
「おお! それはありがとうございます! あなたの篤志に神もお喜びになるでしょう。浄財は大切に使わせていただきます」
「お願いします」
「まずは、お名前を頂戴願えますかな?」
「ジャイアン、ジャハーンギール歩兵中隊、支援騎馬隊長」
「ご家名は?」
「ありません。ただのジャイアンです」
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珍しく真夜中に眼を覚ました。
「うう~ん、さむいのぅ……あっ」
夜は冷える。パルヴァーネフは背中を丸めてサンダルをつっかけると、たったかたったか走った。便所は離れにある。早くしないと漏れちゃうのだ。危険が危ないのだ! 急げ急げ!
たったかたったか、全力疾走で駆け込んだ。
「ふう、危ない危ない……」
しゃがみ込んだまま、ホウ…とため息をつく。この家の便所は常に水が流れているので臭いも無い。
それにしても、さっき眼が覚めたのは、まさに神の計らいというものだった。覚めなければ、間違いなく、アレになっていたはず。アレになると、非常に恥ずかしいのだ。全力で回避したい。
生理現象を処理して人心地ついたパルヴァーネフは、寒さに両肩を抱えて、布団に戻るべく小走りに走った。
たったかたったか……そうだ、庭を通って近道しよう……たったかたったか……――っっ!!!
「――っっ!!」
「お? どどうした? ここんな遅くに」
「……なんじゃファルダード殿か。……もう、驚いたではないかっ!」
「ああ、ぱパルヴァーネフ、悪かった」
「フン!……なんじゃ、泣いておるのか?」
「ん?いや? れ檸檬を見ていただけだよ。さあ、さ寒いから、これを肩に掛けな」
「おや、すまぬ。……それにしても化け物かと思ったわ。明かりも無く庭に突っ立っておるなど、陰気でたまらぬ。迷惑じゃ、まったくもう」
「ああ、そうだね。……だが、つつ月がそれなりに明るいよ」
「確かにな。化け物のような不細工な顔がよう見えるわ。まことに残念じゃ。もっと雲が出てくれば良いに」
「ひ酷いな」
「フン、確かに泣いてはおらぬな。だが不細工じゃ。情けない顔じゃ。男らしくない」
「そうかね」
「そうじゃ。いくさには勝ったのであろう? いくさに勝ったのなら、相手から奪った馬や戦利品がたっぷりなのじゃろう? なぜ喜ばぬ?」
「い、いくさとは、そそういうものではないよ」
「ハッ、何を言うか。ファルダード殿はいくさ人ではないか。……私のはとこのラフシャーンなら、そんな情けない顔はせぬ」
「は、はとこのラフシャーンは、わ私では無いよ」
「フン!あたりまえじゃ! ラフシャーンはもっと勇敢で格好がよい。乗馬も上手いし背も高いぞ?」
「そ、そうか」
「そうじゃ、化け物め。私は草原に帰りたいのじゃ。石の街など嫌じゃ。 ……ラフシャーンの所に行くのじゃ!」
彼女の言葉に、婿殿は何も言わなかった。彼は檸檬の木に足をかけ、棘を気にせず勢い良く体を持ち上げて、一つ二つ実をもいだ。
一つをパルヴァーネフに投げ渡す。
爽やかな、良い香りが漂った。
「パルヴァーネフ。じジロウが死んだよ」
「ん? 何を言っているのじゃ? ジロウとは誰じゃ?」
「ざ、ザカリアス・アズーラーン。まマーニーの夫。ざ、ザヒールとパリーサの父親。俺の――――いいか? ぜ絶対に、まマーニーとザヒールとぱパリーサの前で、さ先程のようなバカな事は言うな。絶対に言うなよ。か神に誓え」
「……わかった。誓う」
「ぱ、パルヴァーネフ」
「……なんじゃ」
「もう、か覚悟を決めろよ」
「え?」
「お、俺はお前と生きていくんだ」
婿殿は、月を見ながらそう言った。聞き苦しいどもりの言葉で。
月光に映る彼の顔は、相変わらずのカタワで、不細工だった。
そんな顔をするのはやめて欲しかった。
そんな顔をされては、
「……はい」
これ以外、何も応えようがないではないか。
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朝もやに濡れた草を、軍靴の群れが踏みつぶしていく。
ジャハーンギール郊外の草原である。
「ち中隊止まれ!六列横隊!」
ファルダード・ホライヤーン中隊長の号令で、歩兵中隊は緩み無く整列した。
戦闘服を着た小隊が4個。その横に、訓練用の運動着を着た小隊が一つ。彼らは補充されてきた新兵である。
ファルダード中隊長は新兵達の前に出て、声を張り上げる。
「く訓練小隊の、し新兵諸君、わ我がジャハーンギール歩兵中隊にようこそ。しし知っていると思うが、改めて言おう。わ私がこの中隊の指揮官、ファルダード・ホライヤーンである。
さて、君たちは、は半数以上が第四兵団から来ている。ほほ他の者達は殆んどがまっさらな新兵だ。だ第四兵団から来た者らは、いイチロウの……プズマーン・ギラーディーンの、く訓練を受けたのだろうが……そんなモノ、ち中隊では知った事では無い。我々の中隊は、こ古参でも新兵でも区別せん。今の、おお前らは一人残らずゴミ以下の塵芥だ。いまだ兵士以下のねんねに過ぎん。ふ服を着ただけの、は裸緑猿だ。
だが、わ我々の訓練をくぐり抜けた後、きさま等は我が中隊の、へ兵士として生まれ変わる。ち中隊の兵士として、き兄弟の絆で結ばれる。――そこのお前!何をキョロキョロしているか! た立っている事も出来んとは、か案山子以下の脳無しか! お前はこれから案山子と呼ぶ。心得ておけ!
ああ、じじ邪魔が入ったな……お前らは志願兵だ。ゆえに、ら落伍は許さぬ。泣き言も聞かぬ。もし、く訓練中に死んでしまったら根性で甦れ。蘇れない者は死ぬな。ち中隊の兵士たるもの、じ上官の許可無く死ぬ事は絶対に許されない。これは鉄則だ。いいか? ぜ絶対に、俺の許可無く死ぬな。し死ぬべき時には俺がちゃんと命令する。
中隊がきさま等に要求する事はただ一つ。ぎぎ技術でも体力でも無い。根性だ。
こ根性で技術を磨け。ここ根性で体力をつけろ。根性で戦え。こ根性が全てだ。……だが、無駄な無理はするな。けけ怪我をしたら、すぐにアパム軍医の所に行け。むむ無駄な無理は無意味なだけでは無く害悪である。
ではサブロウ小隊長、く訓練小隊を宜しくたのむ」
「はっ! 了解いたしました、中隊長。――訓練小隊、駆け足準備!……駆けあーし始めっ!」
新兵達はサブロウ小隊長と教官役の中隊兵士にケツをブッ飛ばされて、ひぃひぃ言いながら走って行く。
実にほほえましい光景である。
「い、痛そうだな、なあ、ニタマゴ」
「事実、痛いですからね」
中隊の兵士達も全員、ニヤニヤと笑って新兵を見送っている。皆、ケツを赤くして通って来た道なのだ。
「さて……」
笑ってばかりいるわけにもいかない。ファルダード中隊長は兵士達に向き直り、行動予定を確認した。
「中隊、聞け! き今日は、し森林踏破訓練だ。2サング先で森に入り、ち地形と植生を再確認しつつ、にニーリス村まで向かう。み道には出るな。久しぶりの長距離行軍だから、け怪我と遭難に十分注意しろ。よ予定所要時間は4時間。さ最後は競争するぞ。
……ニーリス村は、は蜂蜜が名産らしいから、いい一番早かった小隊には、さ匙一杯ずつ奢ってやろう! 今日だけだぞ?」
「おー!さすがですぜ中隊長!」
「ありがとうごぜぇやす! コイツはいただきだぜ!」
中隊長の掲げた餌に兵士達は生き生きとして、やる気はうなぎ登り。相も変わらず、単純な奴らである。バカである。こいつらは背嚢に石を入れあっているから、勝負は根性と持久力だけでは決まらないのだ。好かれている奴ほど、悪戯のネタにされる。
「ささあ行くぞ! ぜ全隊二列縦隊、こ行進準備!」
ファルダード中隊長の命令一下、速やかに縦隊が組まれた。
「声を上げろ!」
――ホウッ! ホウッ! ホウッ!
「ち、中隊、前進!!」
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fin.