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異世界ツーリング  作者: おにぎり
外伝~歩兵中隊
133/135

歩兵中隊 15

長いです。三万字以上あります。

次話投稿は来週の今日です。


人物一覧


ジャハーンギール第三兵団=歩兵中隊

 中隊長(第四砦副司令):ファルダード・ホライヤーン

  第一小隊長:オニギリ

  第二小隊長:ジロウ

  第三小隊長:ニタマゴ

  第四小隊長:キムタク

  第五小隊長:サブロウ


 第二小隊、第二打撃分隊

  分隊長:サンマ

  分隊員:豆、白雪姫、マイマイ、石、鶏


 支援騎馬隊

  支援騎馬隊長:ジャイアン(死亡)、シズカチャン(新隊長)

  騎馬隊員:スネオ、ノビタクン、デキスギ、アオダヌキ、他


 第五小隊、第三支援衛生分隊

  分隊長:ハチベェ

  分隊員:アパム、子羊(戦死)、他


ヴィシー隊

 隊長、第四砦司令官:マフボド・イブン・ウッディーン

 副隊長:ナヴィド(4級戦闘士)



その他

ダリウス・ホライヤーン:ジャハーンギール執政官、ファルダードの父

パルヴァーネフ・ホライヤーン=クーシャー:ファルダードの妻、白山羊族族長の娘、十歳

シャリロフ:黒馬族新族長

マーニー、ザヒール、パリーサ:ジロウの妻子

ハスティー:千夜楼の女郎

プズマーン・ギラーディーン(イチロウ):ジャハーンギール第四兵団兵団長、元中隊第一小隊長


歩兵中隊 15


 殆んど遮るもののない荒野では、砂塵は極めて遠くから視認出来る。今日のように雲が高く、風があまり無く、眼の良い見張りが高い櫓から観測すれば尚更の事だ。


「中隊長、砂塵でがす。南南東、距離は10サング(約15キロ)弱と推定。接近速度から見て騎兵でがす。まだ薄くて確かな事は言えやせんが、砂塵からすっと、ありゃ随分とデカい部隊に見えるでがす。五百くらいかな?千はねぇで」

 櫓の見張り兵が司令室に駆け込んできた。支援騎馬隊のノビタクンである。背は低いくせに手が長く、上半身が異常に発達した男だ。部族訛りが強い。


「そそうか、意外と、はは早かったな」

 ファルダードは、司令室の椅子に座ったまま、深く頷いた。

「ぎ逆光だが、まま間違いないな?」

「へぇ、そりゃもう。絞り筒をあてて見てまさぁ。俺は眼が良いで、間違いねぇでがす、へぇ」

「もモングは?」

「まだ気付いちゃいねぇでがす。まあ、すぐに気付いて動き出すでがんしょ」

「よし。なナヴィド殿、ぜ全隊戦闘用意。たた太鼓は鳴らすな。作戦二号の準備のみ指示。着手は待て。その後、しし司令官と士官達を集めてくれ。

 のノビタクン、報告ご苦労。み見張りに戻れ。しシズカチャンの指示に従い、こまめに状況を伝えに来い。おお俺は、まだここから動かない」

「はっ」

「へぇ、了解でがんす」

 相次いで部屋を駆けだしていく二人を見る事も無く、ファルダードは水差しに直接口を付け、喉を鳴らして水を飲んだ。


 今日でジャイアンが死んでから十日が経った。

 あれからモングは散発的な攻撃を何度か加えてきている。本格的に攻めるような気迫が感じられなかったので、こちらの戦力を試しつつ、士気を削っているつもりだろう。

 常識的で、ごくマトモな正攻法だが……愚かな事だ。ジャイアンに支えられたこちらの士気は、絶対に落ちない。

 投石器による砲撃も受けているが、今の所はその点も大したことは無い。城門と隊舎の屋根にガツガツと当たって、いくつか穴が開いただけだ。複数の中・大型投石器を揃えてこないかぎり問題はない。それには、まだしばらくの時間がかかるはずだ。

 その他、敵は魔境の侵攻ルート上にある木の根などの障害物を除去したり、こちらが設置した外部陣地の土塁を撤去したりしている。土木作業などモングは慣れていないだろうに、ご苦労な事である。


「お俺なら、退却するがな……」

 ファルダードがモングの指揮官であったなら、援軍が来ると分かった時点で退却する。あるいは犠牲をいとわず、死に物狂いで、援軍が来る前にこの砦を落とす。中間は無い。

 だが、モングはダラダラとした従来の攻撃を加えてくるのみだ。退却もせず、出血を恐れて苛烈な攻撃もしない。

――頭が固いと言えるくらい堅実、だが強欲、欲に流されぎみで決断が甘い。

 これが敵へ下したファルダードの評価だ。


 この十日間は、砦の兵士達にとって、あっという間の日々だった。

 立案した新防衛計画に従い、中隊の兵士達は相変わらず忙しく働いていたが、ファルダードは取り分けてヴィシー兵をいじめ抜いた。

 モングに囲まれてる現状、脱走など出来ない。モングによるジャイアンへの仕打ちを見たら、恐ろしくて脱走など出来る筈がない。その状況を利用して、ファルダードは彼らをニタマゴに任せ、気が狂う寸前まで追い込み抜いたのだ。あの軍曹殿の訓練が児戯に思えるような扱きだ。

 月月火火木金金、昼も夜も無く、日に日を繋いで働かせ働かせ働かせ抜き、一瞬たりとも考える隙を与えなかった。そうしなければ、素人の彼らは戦力として使い物にならなかったのだ。

 今の彼らにとっては、一周回って行く所まで行ってしまった。もう、生きるも死ぬも一緒だろう。壊れかけている。全てをあきらめた死兵だ。

 彼らには武器を扱う技前など無い。肉体的にも満足できる水準からは程遠い。だが、狂人なりの一瞬の爆発力には期待できる。


「か勝てる……」

 ファルダードに高揚は無い。迷いも無い。この状況は万象の因果を重ね合わせて神が作った。ならば、状況の中でやるべき事をやるだけだ。そして責任を果たす。

 だが、怖い。否応なしに、手の平から脂汗が噴き出てくる。部下だけでは無く、何千、何万という人の人生がこの一戦にかかっているのだ。

 ファルダードは大きく深呼吸をすると、机に広げた絵図面を見ながら、いつものように頭の中で戦いを思い浮かべた。いつも通り味方が死に、敵も死んだ。今まで頭の中で何十回と無く繰り返した事だ。

 勝つ。やるべき事をやる。それだけの事だ。思考を縛る恐怖など忘れてしまえ……


「ファルダード殿っ! ついに……」

 名目上の司令官であるマフボドが蒼白な顔をして、司令室に駆けこんできた。一番乗りだが、彼は資材管理の以外の仕事は何もしていないのだから当たり前である。如何せん、彼はただの商人なのだ

「ままマフボド司令官、え援軍が来ましたよ。さ作戦を開始します。いい今のうちに、み水をたくさん飲んでおいてください」

「あ、ああ、わかった……」

 彼はそのまま絶句してしまった。ファルダードは大きめの木椀になみなみと水を注いで渡した。彼の事は、それっきり放っておいた。益も無いが、害も無い人物だ。彼には、この戦闘が終わってから役に立ってもらえば良い。


「中隊長、お待たせしました」

 300を数えるくらいで、扉からニタマゴ、ジロウ、キムタク、オニギリ、サブロウの順に、続々と小隊長たちが入ってきた。ナヴィドと新支援騎馬隊長のシズカチャンも後ろに居る。

 これで士官達は全員そろった。


「よ、よし、軍議をはじめよう。

 え援軍が来た。じじジャイアンとマイマイが呼んだ、だ第四帝軍だ。援軍は南南東から接近中。400から500騎と、す推定しているが、まぁ実際の、きき規模はまだわからない。つ土埃から見て、そう小さくはないようだ。

 ししシズカチャン、あれから援軍に変な動きは無いな?……うむ。では、もモングの動きは?」

「中隊長、敵も援軍の接近に気付きました。東に動く気配を見せています。おそらくですが……逃げる気は無いようです。

 冷静な声でシズカチャンが答えた。この男はまだ若いが、常に落ちついている。指揮官としてはジャイアンより優秀な素養を持っているだろう。


「……もモングは逃げないのか……で、では、かねてよりの、さ作戦二号で行くぞ? こ、こちらの戦闘準備はどうだ?」

「はい、中隊長。個人戦闘準備は、ほぼ完了済み。他は一昨日に実施した演習通りにやっています。」

 サブロウが代表して答えた。

「よ、よし。ええ援軍の到着は一と四分の一時間と想定しろ。おお俺の指示に合わせて動け。にニタマゴ、ち地下の食料庫は?」

「必要分以外、埋設準備指示を出しました。作業着手すれば、ニ分の一時間で擬装も含めてすべて終了」

「よし。おオニギリ、も木槍と二脚は?」

「搬出作業中です。北門に集めています」

「よし。キムタク、い井戸は?」

「土嚢を運んで埋設準備中です。これも二分の一時間で完了します」

「よ、よし。じジロウ、門と資材、とと投石器の焼却準備は?」

「粗朶とナフサを用意中。いつでもいけます」

「よし。なナヴィド殿、サブロウ、たた盾とスコップと、ど土嚢袋は?」

「盾は第五小隊とヴィシー兵が回収準備中です。焚きつけ、油も用意できてます。スコップと袋は北門に準備済み。隊舎の屋根も壊してます」

「よし。しシズカチャン、し支援騎馬隊は馬の準備、でで伝令と観測、よろしく頼む。お俺と共に行動しろ」

「はい、中隊長」

「で、では出る。俺が太鼓を鳴らしたら作戦開始だ。しし質問は?」

 質問は誰からも上がらなかった。数呼吸の間、無言の時間が流れる。

「おお俺は念のために予備の地図と書類を処分して、み南側の見張り櫓で、じ状況を観察する。何かあれば来い。でで、では解散」

 ファルダードとマフボドを除く全員が、司令室から足早に去った。


「ファルダード殿……」

 マフボド司令官がおずおずと、救いを求めるようにつぶやいた。

 ファルダードは彼に目を向けて、

「だだ大丈夫ですよ、まマフボド司令官。心配しなくても勝ちますから。あ、あなたは出来るだけ私の近くに居てください」

 出来るだけ優しくそう言うと、机の上に広げた地図を乱暴に畳んで懐に入れた。棚に有った羊皮紙の書類は、存分に油をかけてから、熾き火の燃えている竃に叩き込んだ。黒い煙が出て、すぐに火がついた。

「よ、よし……」

 手に付いた油を戦闘服のズボンで拭い、士官用隊舎を出た。隊舎の扉前で待っていたアオダヌキとデキスギが、すぐ後に続く。彼らは戦闘時用の伝令だ。その後ろには、怯えつつも何とか男の矜持を示そうと、必死に胸を張っているマフボド司令官が続く。


「……良く、うう動けているようだな」

 隊舎の外は雑然としており、鋭い指示と返事、そしていくつかの怒号が飛び交っていた。

 兵士達は鎧を身に付けた姿でバタバタと走りまわり、各々の部隊に分かれて隊舎の屋根を破壊したり資材を燃やす準備を進めている。

 ファルダードの眼の前で第五小隊のハチベェが怒鳴り声をあげた。

「アパム! 盾持ってこい! 西側、モーチャンとハカセの分隊の間の奴だ!」

「わかった!」

「急げ!」


 アパムが、ファルダードの横を駆け抜けていった。怖がりな奴だが、奴なりにしっかりと動いているようだ。分隊長のハチベェの指示のもと、城壁上の置き盾の回収準備に走っている。

 演習通りだ。右往左往して戸惑っている兵は一人もいない。各小隊、各分隊、各兵士がそれぞれ独立して自分の役割をこなす。

 ファルダードはそれを横目で見ながら、邪魔にならぬよう端を小走りで走り抜け、南門の櫓に向かった。


 一分もかからず、すぐに着いた。櫓の骨組みに手をかけて登る。梯子は設置していない。この櫓は地上10ヤル(9m)。高さは大したものではないが、周囲は殆んど平らなので見晴らしは十分だ。東にあるモングの敷いた陣も良く見渡せる。

 ファルダードが頂上まで着くと、上に居たスネオとノビタクンが手を貸してくれた。


「どうだ?」

「中隊長、モング共も気付きやがりましたぜ。ちょっと前に、この砦を見張ってた奴らも伝令に走りやした」

 スネオが答えた。

「ふむ……」

 南東1サングにあるモングの陣が慌ただしい……気がする。正直言って、街育ちのファルダードの眼では良くわからない。まあ、元遊牧民で抜群に眼の良いスネオとノビタクンが見ているのだから、間違いはないのだろう。

 次に設置してある方位盤に従い、南南東を見た。青い地平線にうっすらと白い砂塵が見て取れる。


「……ち近づいてるのか?」

「間違いねぇでがす。後7から8サングかそこらで、……あ」

「どど、どうした」

「東にぞろぞろ走って……二百騎くらいでがす……先頭は半サングで止まって……何やら叫んで興奮してるで。やっぱ逃げる気ねぇでがんしょ、アイツら。」

「ふ、ふむ」

 三人はしばらくそのまま、観察を続けた。兵への指示は小隊長以下に任せておけばよい。今やるべきファルダードの仕事は状況を的確に判断するる事だ。


 5百を数えるうち、動きがあった。

「中隊長、モング本隊が動きやす……元の場所から東の方面に……少しだけ出張って……あ、もう止まるかな…止まりやした。やっぱ半サングちょいしか動いてねぇです。ノビタクン、そうだな?」

「へぇ、まちがいねぇでがしょ」

 ファルダードにはなんとなくしか見えないが、敵は大急ぎで少しだけ動いて止まったようだ。現在の敵本隊位置は砦の真南一サング。

 奴らは援軍と砦とに挟撃されないよう、角度を少し変えたのだろう。堅実な動きだ。


 敵は今までこの砦を、正攻法の長期戦でじっくりと攻めてきた。ここに至るまでの戦況から、敵の指揮官は、堅実でごく常識的な行動をする男であるとファルダードは推測している。奴は考えてから、ごく当たり前な手段を選択する。そして、強欲だ。この砦を奪取する事に、強く強く執着している。


――やはり……退いてくれないのか……


 五百程度の援軍が来たからといっても、逃げるつもりはないらしい。否、欲望あるいは義務感に流されて、逃げるという決断が出来なかったのだろう。

 モングの兵力は八百を超えるのだ。騎兵としては錬度も高い。臆してもいない。敵指揮官は援軍を撃破してから、あらためて砦を攻めるつもりなのだろう。端的に言えば各個撃破である。


 素直に退いてくれるなら、それが一番良い。

 だが、無いとは思うがモングの願望通りの各個撃破になってしまえば目もあてられない。まあ、モングがいる事を知っている精鋭の第四帝軍が簡単に敗北するなどとファルダードには思えないし、帝軍と激突した後の弱っているモングなら、砦の守兵でも対処できると断言出来る。

 だが、ファルダードは中央に出来るだけ借りを作りたくなかった。この戦闘で血を流すなら、一番最初はこちらからで無くてはいけない。敵の血を一番沢山流すのも、こちらで無くてはいけない。政治的な理由だ。


――どうやらやるしか無いらしい。


「すスネオ、た太鼓鳴らせ」

「がってん」


――ドンドンドン! ドンドンドン!


 太鼓が鳴って、砦の兵士達の動きが更にあわただしくなった。作戦二号が、準備から実行に移されたのだ。


「よし、て帝軍が5サングまで近づいたら、もう一度、た太鼓叩け……で伝令! 各小隊長に伝えろ!2分の1時間で出る!つ、次の太鼓の合図で、いい一斉に火をかけて、すぐにここを出るぞ! じ準備を急げ!」

 ファルダードは櫓の直下に控えていた伝令――アオダヌキとデキスギに向けて怒鳴った。彼らは急いで内容を復唱し、駆けだしていった。

「お俺には良く見えん。ももモングに動きがあれば教えろ」

「がってん」

 敵の観測を彼らに任せ、ファルダードは櫓の上から砦内の様子を確認した。


 南と北、それぞれの城門には第二小隊の手によって、ナフサをたっぷりと浸した粗朶が木釘で打ちつけられている。門自体にもナフサをぶっかけてある。その他、せっかく作った投石器にも、だ。いざとなれば、盛大に燃えてくれるはずである。


 城壁上に置かれていた置き盾は次々と撤去され、一部は持っていくために北門に運ばれ、残りは各所にうずたかく積まれて油をかけられている。

 馬房の馬は引き出されて、広場で待機している。


――ズズン……


 軽く埃を立てながら、厨房と食堂のあった二階建ての建物が、少しだけ内側に傾いた。ニタマゴの第三小隊が梁を切断したのである。地下の食糧庫の入り口も、井戸と同様に埋め立てられている。この建物には油を撒いて火がかけられるので、内側に崩れながら燃え落ちるはずだ。


 ほぼ全ての隊舎の屋根は板を引きむしられ、打ち捨てられて積まれている。屋根などは板を上に載せて木釘で打ってあるだけなので、外そうと思えば簡単だ。


 砦内に3つある井戸に眼をやれば、すでに土嚢で埋められ、その上にさらに土が被せられ、何人もの兵士が踏み固めている。兵士たちの足跡がたくさんついているだけで、数分前までそこに井戸があったとは思えない。


 北門の周辺には、砦を出るときに持って行く装備――武器、先を鋭く削り、炙って硬くした長さ7ヤルの木槍、スコップ、麻袋、片方の端を尖らせた二本の棒に縄の輪をかけただけの二脚、蔓を編んだ大盾など――が全員分、整然と置かれている。


 すでに仕事を終えた部隊は北門の近くでそれらを受け取り、出撃準備を整えている。演習を2回繰り返してきたから、実施段階においても齟齬は殆んど無いようだ。各人が迷うこと無く身体を動かせている。


 何週間か過ごし、自分達で作りあげてきた砦の姿が、あっという間に変わっていく。

 作るのは大変だが、壊すのは楽だ。時間が矢のように過ぎていくように、ファルダードには思えた。


――大体、良いな…後は……


「中隊長」

 スネオがファルダードに声をかけてきた。

「だだ第四帝軍か?」

「もうすぐ、5サングでがす。やっぱ五百を幾分か越えとるようで。」

「そうか。……スネオ、さ最後の、たた太鼓鳴らせ。やるぞ」

「がってん」


――ドンドンドン! ドンドンドン! ドンドンドン!

 低い太鼓の音が砦に、響き渡った。

 兵士達の動きが更にあわただしくなり、そのうち……火の手が上がる。食料倉庫のあった厨房と食堂が一番先だった。次に各所に積まれていた置き盾や屋根板、次に4基の大型投石器。みるみるうちに、油の燃える黒い煙が周囲に満ちてくる。


「すスネオ、ノビタクン、行くぞ」

「へぇ、がってん」

 ノビタクンが応えて、手に持った小壺からナフサを床にぶちまけた。

「あ油に滑って落ちるなよ」

 三人はぬめる油に多少苦労しつつ櫓から降りて、下で待機していた伝令達やマフボドと共に、中央広場に向かった。

「ままマフボド司令官は……スネオと共にいてください。スネオ、宜しく頼む」

「わ、わかった」

「あい、了解でやす」

 支援騎馬隊を直接的な戦闘に参加させるつもりは、ファルダードには無い。彼らと一緒にいれば、マフボドの危険は少ないはずだ。まあ、比較論でしか無いわけだが。


「中隊長、準備が出来ております」

広場ではシズカチャンを初めとした騎馬隊の面々によって16頭の馬が引き出され、待機している。シズカチャンは常に冷静だ。彼の眼は、人に不安を覚えさせるほどに異常に冷え切っている。

「や槍を……馬はこれでいい」

 ファルダードはシズカチャンから長槍を受け取り、一番近くの一頭を選んで跨った。馬など、乗られるならば何でも良い。砦内なので、引き綱は騎馬隊兵士の一人が引いた。


 北門前、もう、兵たちの出撃準備は出来ている。門前で部隊ごとに固まりながら、今か今かと待機していた。中隊兵士はいつもと同じ顔、戦いの前の緊張した兵士としか言いようのない顔だ。他に形容のしようがない。

 一方、ヴィシー兵士は……血走った目をかっぴらき、息を荒くしている。すぐにでも沸騰して爆発しそうだ。コイツらの頭は、もう半分以上彼岸に飛んでいる。文字通りの気違いだ。

 ファルダードは急ぎ馬を進ませながら、彼らの背後から大声で怒鳴った。


「ちち中隊長より全隊に通達!! ち中隊長より全隊に通達!!」

 声が喧騒を切り裂き、潮が満ちるように静寂が広がって行った。門前に待機する兵士たちが後ろを振り向き、馬上のファルダードを見る。

 ファルダードには自分を見る彼らの眼が、不純物の無いガラス玉のように透き通って見えた。自分に全てをゆだねているように見えた。自分の全てを見通しているようにも見えた。

 それらは、正しく、間違いのない真実だ。

 パチパチと、木が燃える音だけが、なぜか異様に大きく耳にこだまする。それは、どうにも煩わしかった。


 ファルダードはまっすぐ城門を見て、息を大きく吸い込むと、

「出撃!!」

 叫んだ。


――ウォォ!!


 ごく短く、鬨の声が発せられる。数人の兵が門にとりつき、重さに唸り声をあげ、上に持ちあげて開いた。

「第一小隊、行くぞ!」

「第二小隊、気合い入れろ!」

  オニギリの第一小隊、ジロウの第二小隊が飛び出していく。

「ヴィシー隊、出る!」

 ナヴィドの率いる気違いヴィシー隊が飛びだしていく。

「第四小隊、行くぜ!」

「第五小隊、出撃!」

 キムタクの第四小隊と、サブロウの第五小隊が飛び出していく。

「第三小隊、出撃!」

 ニタマゴの第三小隊が飛びだしていく。今現在、中隊で最も精強な彼らがしんがりだ。

「支援騎馬隊、出撃!」

 シズカチャンの指揮する支援騎馬隊と、5人の重傷兵を載せた馬が飛びだしていく。ファルダード、それとマフボド司令官も支援騎馬隊と一緒だ。


 もう、砦の中にはネズミと猫以外、誰もいない。

 兵士達は、ただ全力で走る。槍をかつぎ、弓と矢を背に負い、盾を載せたソリを引っ張り、あるいは数本まとめた木槍を二人がかりで肩に乗せ、半サング離れた魔境に向かってひた走る。下は丈の低い草の生えた草原だ。馬にも歩兵にも走りやすい。石も少ない。それだけは、助かる。

「は走れ! 走れ! 走れ! 走れ! 走れ!」

 ファルダードは馬上から兵士達を叱咤した。急ぎ、魔境内のモング侵攻路に陣取って、これを塞がねばならない。それがこの作戦の要諦なのだ。


「しシズカチャン、右へ。てて敵を見に行くぞ」

「了解」

 ファルダードと支援騎馬隊の9騎が進路を外れ、東に寄った。

「もモングの動きはどうだ? み見えるか?」

「さっきから動いておりません、中隊長……戸惑っているのではないでしょうか?」

「そ、そうだろうな」

 攻められてもいないのに砦を捨て、煙が上がっているのだ。一方、第四帝軍は着実に近づいている。これでは判断を迷わない方がおかしい。


「我々が砦を捨てた事は、モングの見張り兵が伝えに走っています。すぐに対処してくるでしょう」

「ほんの少しだけ躊躇して考えてくれたら十分だ。敵指揮官は……ある意味でバカで無いから助かるな」

 モングの布陣と第四帝軍は、すでに3サングの距離しか無い。帝軍は大量の煙を見て、砦への攻撃がなされたと判断するだろう。若干、接近速度が上がるはずだ。

 接近する帝軍と、砦の放棄、……に見える不可解な行動。

 敵指揮官は堅実でではあるが、砦の奪取に強く執着している。彼は、伝令の報告を待って、ほんの少しだけ考えるだろう。ほんの少しだけ……それだけの時間があれば十分である。

「もも戻るぞ。2人残せ」

「了解。……ノビタクン、芋。此処に残って敵を観測しろ」

「了解でがんす」

「了解」


 二騎が残り、ファルダードを含む他の八騎が本隊に戻った。


 先頭の第一小隊はすでに半分以上の道程を走破している。木槍は長く、荷物が多いので、通常の戦術機動よりはかなり遅い。だが、こればかりは仕方がない事だ。全力で走る以外に方法が無い。

 下草や槍に足をとられて転倒する兵が続出している。兵たちは大きく横に広がって、巻き込まれないようにして走る。

「ぐはっ!」

 ファルダードの左で、また一人転んだ。だが、誰もそんな事には頓着しない。転倒した者も一呼吸のうちに起き上がって、槍を持って走り始める。


「根性出せ! ヴィシーの根性見せてやれ!」

 ナヴィドが配下のヴィシー兵を叱咤した。彼らは走力の面でどうしても劣るので、中隊兵士よりも遅れがちだ。

 喝を入れられたヴィシー兵は、

「はぁはぁ……うるせぇボケ! 死ね!」

 血走った眼でナヴィドに噛みつくと、また猛然と走り始めた。普段なら上官侮辱で鞭打ちだが、今はそんな事はどうでもよい。ただ、速く走ればそれでよい。狂っている方がよい。


 ファルダードも、馬上からヴィシー兵たちに向けて槍を振り回し、

「びヴィシー兵! この、ばバカども! 根性無し! ヴィシーは、こ腰ぬけばかりか?! こ腰を入れてしっかり走れゴミめ! 貴様らがしっかりやればこの、い戦は勝つ! でなければ負ける! びヴィシーの名に、これ以上、ど泥を塗りたくなければ、はは走って死ね!」

 嘲り、罵り、煽った。

「うるせぇ、どもりが!」

「死ね!」

「てめぇの嫁を犯してやる!」

 ファルダードに向けて次々と罵声が浴びせられる。誰もが激怒している。狂っている。ナヴィドすら、殺しそうな眼でファルダードを睨んでいる。それで良い。それで速く走れるなら、いくらでも睨め。憎め。


「びヴィシーの猿ども! こ根性を見せろ!」

「やってやらぁっ!」

「殺すっ!」

 ヴィシー兵の走る速度が、ほんの少しだけ上がった。煽った甲斐がある。

 ファルダードの眼に、魔境が近づいてくる。いくつかの土塁跡を越えた。中隊が作り、モングが壊した土塁だ。

 最後の土塁を越えた。第二小隊が守った土塁だ。ここでブタゴリラ、バッタ、石臼、下駄、団子鼻の五人が死んだ。この前方の見張り櫓では、角牛とファルダードが名も知らぬヴィシー兵ひとりが死んだ。

 そんな感慨など置き去りにして、兵士達は、魔境のモング侵攻路に入って行く。


「よ、よく走った!」

 魔境についた。兵士の多くが喘いでいる。だが、休んでいる暇などない。

「は配置に付け!」

 50ヤルほどモング侵攻路の中まで入って、陣取った。陣取りの配置も図上演習で綿密に打ち合わせてある。この侵攻ルートは60ヤルほどの幅しか無い。300人弱、正確に言えば283名の兵士がいれば、容易に抑えられる。

 現在は角度が悪く、魔境の森が邪魔をして、この位置から敵を見る事は出来ない。だがいずれにしても、ここに敵がやってくるのは必定だ。ゲロを飲み干す程の時間しか残されていないだろう。


 早くやる事をやらねば……


「よよし! 阻塞(バリケード)を作れ! 急げ!」

「おうっ!」

「だ第一小隊は西側の奥だ! ど土嚢からやれ!」

 大量の麻袋を背負ってきた兵士が、喘ぎながら地面にそれをぶちまける。スコップを持ってきた兵士が地面を浅く掘り、袋に土を突っ込んで、縛る。

「二脚!」

「おうっ!」

 二脚は縄の輪をかけた二本の木の棒だ。輪の部分を支点として十字にひねり、尖らせた端を地面に突き刺す。 

「木槍!」

「早く早く早く!」

 苦労して持ってきた7ヤルもある長い木槍。中隊の標準的な長槍よりも3ヤル以上長い。二脚の支点に斜めに立てかけ、縄をかけて縛る。木槍の尖った方は敵に向けて、宙に浮かせる。逆は軽く穴を掘った地面に食いこませ、重しとして土嚢を載せた。

「大盾置け!」

 木槍の間に大盾を並べる。しっかりとした、木製の置き盾だ。


 あっという間に、簡易的な阻塞(バリケード)が出来上がった。騎射をしにくくするために、右奥に向けて若干斜めに傾斜した阻塞だ。幅60ヤルの道を完全に塞いで、尖った約200本の木槍が斜め上方に突きだしている。


「ぜ全隊、隊列を整え、し周囲の警戒を厳となせ! まま魔獣の接近を見落とすな!」

 ファルダードは怒鳴り散らしながら阻塞の前方で馬を駆り、その出来ぐあいを確認した。

「……よ、よし」

 多少は凸凹としているが、概ね問題ないと感じた。これならば、敵騎兵を十分に阻止できるだろうと思われた。


 馬は尖った先端を恐れる。槍襖が騎馬隊の突撃阻止に有効である事は、兵法の常識である。この阻塞は、その槍衾から敷衍してジロウとハッパが考案したものだ。

 中隊では訓練で多少使った事があるだけで、実戦で使うのは初めてである。有効性は実戦証明されてはいない。だが、少なくともファルダードなら、馬でこの阻塞に突っ込んでいくなど真っ平御免だ。


 モング侵攻路はたった60ヤルの幅。今現在戦闘可能な人員は、ファルダードを含めて283名。兵力密度は悪くない。集中していると言っていい。そしてこれ以上ないくらい、士気は高い。

 侵攻路は完全にふさがれた。他の侵攻路も東西にあるが、数十サングは離れている。もう、モングはここから支配地域に撤退する事が出来ない。

 後は……

 

「中隊長! 中隊長ぅっ!」

 敵の観測に出ていたノビタクンと芋が戻ってきた。全力で馬を駆り、ファルダードに向けて声を張り上げる。

「中隊長、モングが来るでがす!」

「きき規模と距離、速度」

「あー……1サング! 全軍! 速歩でがす!」

「よよしわかった。おお前らは後方に下がって、まま魔獣の警戒に移れ」

「がってん!」


 ノビタクンと芋は苦労しながら少しだけ森に入り、阻塞の後方に移動していく。

 ファルダードは南に眼をやった。ここからでは、まだ敵の姿は視認できない。角度が悪い。

 未だ見えないが、来る。

 モングは、ようやくこちらの意図に気がついた。

 退路が絶たれるのは、兵たちにとっての悪夢である。恐慌に襲われただろう。結果、敵指揮官は配下に突き動かされ、そして砦への執着を捨て、各個撃破の夢を捨て、まずは退路の確保に動いた。


 だが……

「ももう遅い」

 兵は拙速を尊ぶ。敵の指揮官は冗長に考え過ぎて、機を逃した。歩兵が鈍いものと思い、侮った。

 だが、すでにこちらの備えは万全である。


 我が歩兵中隊は、今まで貴様らモングが相手にして来た木っ端歩兵とは違うのだ!


「ちち中隊長より、ぜ全隊に通達! ぜ全隊に通達! 水を飲め! い息を整えろ! いい今から200を数えるうちに、ももモングがここに押し寄せてくる! わ我々はそれを押さえる! 一匹も通すな! あ相手の足を殺せ! う馬を射ろ! う馬を射ろ!」

――応!!

 中隊兵士達はこれから命を使う。興奮にうち震えている。恐怖に眼を見開いている。

 それでも、臆して動けない兵などは一人もいない。

 彼らには、誇りがあるからだ。

 仲間がいるからだ。


「びヴィシー兵! 聞け! あのモング共が悪いのだ! う恨みを晴らせ! おお俺達を苦しめた報いを、もモング共に味あわせてやれ!」

――ウォォォォォォォォ!!

 ヴィシー兵は気違いだ。

 完全に眼が上ずっている。血走っている。

 コイツらは、それでいいのだ。

 ファルダードが、コイツらをこうした。


「へ兵士諸君!――名誉を!!」

――ウォォォォォォォォォォォ!!!!

 歓声を浴びながら、ファルダードは兵士達の前で、大きく左右に悠然と馬を駆った。最後にまだ見えない敵の方にさっと眼をやり、阻塞の後方に素早く移動した。


 阻塞の後ろに控えている各隊の隊列は、すでに万全の態勢で整えられている。

 阻塞から7ヤルほど離れて、第一小隊と第三小隊が第一列。ヴィシー兵が第二列。第二小隊と第四小隊が第三列。残る第五小隊は支援と衛生、そして周辺の魔獣警戒である。


 ファルダードは第五小隊長のサブロウに馬を寄せた。

「さサブロウ、だ第二小隊に注意しろ。てて定員より10名も少なく、け怪我が癒えていない奴も、お多い多いからな」

「了解。……ハチベェ、モーチャン、第二小隊の援護に回れ。――中隊長、馬を降りてください」

「ああ、ぶ、ぶつかってから降りる」

 馬に乗っていれば敵から狙われる。だが、高くないと周囲を見渡す事が出来ない。周りが見えなければ指揮のしようがない。仕方がなかった。

「……了解」

 サブロウはそれ以上、特に何も言わない。


 シズカチャンがファルダードの近くに馬を寄せ、

「中隊長、来ました。ほんの少しだけ蹄の音が聞こえます」

 落ちついた声で報告した。元遊牧民だけあって、彼の五感は非常に優れている。

「そうか。おお前は俺の声が届く所に居ろ……ああ、あアオダヌキが暴走しないよう、なんとなく見ておけ。じジャイアンの件があるからな。」

「了解。……スネオ、後方で騎馬隊の指揮をとれ」

「了解でやす!」

 馬上のファルダードとシズカチャン、そして徒歩のサブロウは、南を向いてじっと待った。

 まだ何も聞こえてこない。空は高く、さらさらと草を撫でる風の音、兵士達の咳払い、呟き、歯ぎしり、そんなものだけが――


「――ああ、き聞こえた」

 敵の馬蹄が鳴らす音が聞こえた。ファルダードの悪い耳にも。

「ち中隊!声だせ!」


――ホウッ! ホウッ! ホウッ!


「だ第一列、長槍構え! 騎兵の、と突撃に備えろ!」

 第一、第三小隊が長槍を構える。一人一人均等の間隔で立ち、足を地面に蹴り込み、しっかりと腰を据えて微動だにしない。

 後ろに居るファルダードには顔は見えない。だが、彼らが今どういう顔をしているかは、よく知っている。

「来た」

 馬群が見えた。ほぼ真南。ほぼ500ヤル。全力疾走ではないが、見る見るうちに近付いてくる。800騎の速歩だ。地面から、細かい振動が伝わってくる気がする。

「だ第二、第三列、や矢を番えろ! まだ放つなよ!」

 第二、第四小隊それとヴィシー兵が弓に矢を番えた。彼らの顔もファルダードには見えない。まあ、どうせ中隊の奴らは、いつもと同じ顔をしているのだ。ヴィシー兵達だけは、気違いの顔かもしれない。気違いになって戦えるのであれば、気違いになればいいのだ。


「敵先頭は重装騎兵! 150騎! 武装は馬上槍のみ! 馬鎧! 後方には軽装騎兵700騎!」

 シズカチャンが全隊に聞こえるよう、声を張り上げて報告した。今の彼はファルダードの、そして中隊の眼だ。

「さサブロウ……あいつ等、つつ突っ込んできそうだな」

「ええ……頭がおかしいですね」

「あ頭のおかしいのはこっちも負けん……ともあれ、ば馬鹿兵にしか出来ない、ゆ有効な戦術だ。俺なら三波に分けたいが、む無理かもな……ああ、と止まってくれると良かったのだが……しシズカチャン、距離を数えろ」

「了解」

 モングはどんどん近付いてくる。隊列は特に組んでいない。重装騎兵を前に出しているだけだ。兵士達が逸って、走りだしてしまったのだろう。騎馬隊がこうなってしまえば、指揮官も止める事は出来ない。


「300…250――」

「だ第二、第三列、せせ斉射用意!……斉射後は自由に撃ちまくれ!」

 弓が、満月のように引き絞られた。

「…200…150――」

「は放て!」

 弓弦の音が響き渡り、約150本の矢が青い空に飛んだ。


 その瞬間、


――ヒョロロロロロロ!


 150騎の重装騎兵が甲高い吶喊をあげて、全速力で突っ込んでくる。その後ろに、少しだけ間をあけて700騎弱。

 数騎が、あるいは十数騎が矢を受けて落馬するが、速度は緩まない。緩んでいるのかもしれないが、ファルダードにはよくわからない。

「う撃ちまくれ! 第一列は衝撃に備えろ!」

 叫んだ。ファルダードがいま出来る指示は、このくらいしか無い。

 響き渡る馬蹄。雄叫び。

 今はもう、声で指示など飛ばせない。誰の耳にも届かない。


――ヒョロロロロロロ!


 敵重装騎兵はまっすぐに突っ込んでくる。黒革の小札を重ねて馬を鎧っている。もう、敵の顔も分かる。兜の庇の下、眼も見える。

 先頭の重装騎兵と眼が合う。瞳孔の開いた眼で、こっちを、ファルダードを凝視している。


 十数頭の馬が阻塞の木槍に恐怖し、減速し、ヤレた、。敵の足並みが乱れる。


「こ声出せ!!」

「「ホウッ! ホウッ! ホウッ!」」

 ファルダードの周囲の数名が声をあげた。


――ホウッ! ホウッ! ホウッ! ホウッ! ホウッ! ホウッ! ホウッ!


 潮が満ちるように、その声が広がって行き――


 ぶつかった。


 轟音。絶叫。嘶き。怒号。

 馬の胸、首、腹に、木槍が深く深く突き刺さる。

 馬は勢いのまま転倒し、草の上を激しく滑る。

 十数人のモングが衝撃に投げ出されて、叩きつけられる。あるいは馬の下敷きになり、足掻く。

 阻塞が吹き飛ばされる。

 こちらの第一列の兵士も、数人が転倒した馬に巻き込まれ、吹き飛ばされる。

 あっという間に、戦のにおいが辺り一面に満ち満ちてゆく。吐き気をもよおす、泥と血と汗と糞尿のにおい。


 阻塞は、敵の一撃で半壊した。立て直さない限り、もう殆んど用を成さない。

 だが……敵重装騎兵の突進は止まった。

 阻塞を抜けたのはたった三騎。

 木槍に貫かれた何頭もの馬が、バタバタと狂って暴れている。

 落馬した敵騎兵らは、あるものは中隊に槍を向け、またあるものは自由な馬を探して乗ろうとするが…


「殺せ!」

 ニタマゴとオニギリの小隊が群がり、寄ってたかってあっという間にめった刺しになる。阻塞を抜けた三騎も、数秒長く生きただけだった。

 一瞬のうちに、阻塞からこちら側、生きているモングは駆逐された。自ずと、敵全体の前進も停滞する。

 敵も味方も状況の変化に頭が追い付かない。一瞬のお見合い状態――戦場に訪れる刹那の空白。


 好機だ。


「おオニギリ、ににニタマゴ! お押し返せ!」

 ファルダードの指示は喧騒に消されて届いていないかもしれない。

 それでも……

「第一小隊、突いて出ろ!」

「第三小隊、前進!」

 第一列の兵たちはファルダードが思った通りに動いた。何度も何度も何度も何度も、そういうふうに、訓練してきたからだ。


「死ね!死ねっ!」

「おらぁっ! クソモング!」

「くんな! 下がれ!クソクソ!」

 槍を揃えて、ぐいぐいと押していく。敵の圧力と、ギリギリで拮抗した。


 ニタマゴは突出してきた一騎の重装騎兵に槍を叩きつけた。

「第三小隊! 絶対に退くな! 一歩も退くな!」

 叫んだ。

「負けるんじゃない! 死んでも敵をうち倒せ! 負けたら終わりだぞ!」

 ニタマゴの居るここは、最前線である。敵と味方、双方の命と命がぶつかり合っている場所だ。

 初撃で押し負ければ、一気に流れを持って行かれる。兵力と機動力、突破力では、騎兵部隊のモングの方が遥かに優位なのだ。


「負けたら終わりだ! 第三小隊! 死んでも負けるな!」

 本当は、ニタマゴだって怖い。怖くてたまらない。肌は泡立ち、顔面は土気色である。正直、小便も漏らしそうだ。

 いかに中隊最強の技前を持っているニタマゴであっても、戦では大して関係無い。なまなかな個人技など、集団戦の中では一切が埋没してしまう。

 戦におけるぶつかり合いでは、単純に根性があり、単純にデカく、単純に力が強い奴が最強なのだ。第二小隊の、豆や白雪姫のように。あるいはあのアール軍曹殿のように。

 だが…


「第三小隊、押せ! 押し負けるな! 根性だ!」

「「「応!」」」

 恐怖を押し殺して、ニタマゴは前に出る。夢中で槍を振るう。全身全霊を、ただ一撃一撃にかける。

 負ければ、全てを失う。全てだ。

 ニタマゴは小隊長である。部下が見ている。部下の心を支える支柱とならねばならぬ。

 敵に負けるわけにはいかぬ。恐怖に負けるわけにもいかぬ。負けるくらいなら、そこでくたばった方が遥かにマシだ。


 もう、負け犬の人生など真っ平御免! 


「負けるな! 根性だ! 根性! 根性!」

 叫んだ。


「根性!」

「根性!」

「根性!」

 周りの第三小隊の兵士達が唱和した。

「根性!」

「根性!」

「根性!」

 隣の第一小隊にも伝播する。

 七〇余名が一斉に、槍を振り下ろす。


 我が中隊は決して負けぬ。勝利し続ける限り、中隊は永遠である。つまりニタマゴも兵士達も永遠である。

 ニタマゴは信じる。

 心から、そう、信じる。


「根性!」

「根性!」

「根性!」

 槍を振り下ろす。突きだす。

 細かいことなどどうでもよい。小手先の技術などいらぬ。技などいらぬ。そんなものは糞の役にも立たぬ。

 身体にすべて任せてしまえ。

 心にすべて任せてしまえ。

 ただ今は、これまでの訓練を信じるのみ。

 努力の精華たるこの肉体を信じるのみ。

 中隊の勝利を信じるのみ。


 根性あるのみ。


 第一列の圧力に耐えかね、敵重装騎兵が、わずかに下がった。

 ニタマゴの勝ちだ。

 根性の勝ちだ。



 戦闘は継続する。



 第二列、第三列からは、矢がひっきりなしに放たれている。ここで持って来た矢をすべて撃ちつくす勢いだ。

 モングも騎上から応射してくる。軽やかな音を立てて大盾に矢が突き立つ。一本がファルダードにも当たって、胴鎧の表面を抉り落としていった。


「中隊長! 降りてください!」

「わわかった」

 サブロウの進言に素直に従い、ファルダードは馬から降りた。馬は近くに居たアオダヌキに任せた。

 そのまま急いで、第二列ヴィシー隊を率いるナヴィドの元に走る。

「なナヴィド!! も、もうしばらく、し辛抱して矢を放っていろ!」

「はっ!」

「びヴィシー兵! 狙いなどいらん! うう撃ちまくれ! う撃ち尽くせ! なナヴィド、だ第一列の直後まで、びヴィシー隊を前進させろ! 敵前線に接触し「赤虎がぁっ!!」た方が矢に撃たれない!――サブロウ!虎に対処!」


「了解!」

 ファルダードの指示に従い、サブロウは右後ろを振り返った。

 後方で警戒に当たっていた支援騎馬隊と第五小隊の一部の混乱が見える。距離は大体70ヤル。近い。

「ハカセ! お前ら来いっ!」

 予備兵力として持っていたハカセの一個分隊を連れて、全力で駆けた。


 駆け寄るうちに、徐々に詳細がわかってくる。草と兵士達の隙間から赤茶色の大きな獣が見え隠れしている。

 赤虎だ。

 すでに一人の負傷者、あるいは犠牲者が出ているようだが、今は一個分隊強の槍襖で、虎をなんとか封じ込めている。


「そのまま押さえてろ!」

 サブロウは駆け寄る勢いのまま長槍を目いっぱい長く持ち、投げ突きを放った。槍の穂先が、虎の顔を鋭く抉った。

――ゴァッ!

 赤虎が吼える。左右に細かく動いて、一人の兵士に向かって跳躍した。兵士は赤虎の前足を胸元に受けて、棒のように打ち倒された。たった今、サブロウが連れてきたハカセだった。


「包囲を崩すな! 槍で牽制し続けろ!」

 騎馬隊の連中が矢を放つ。赤虎の腹に数本の矢が突き立った。

 赤虎が叫び声をあげて、騎馬隊の方に眼をやる。

 その瞬間、

「ひぃぃっ!」

 甲高い叫び声をあげた兵士が突っ込んでいき、両手で槍を突き出した。槍は虎の脇腹にしたたかにめり込む。


「アパム!」

「ひっひぃぃぃ!」

 アパムである。

 アパムは、更にぐいっと虎の腹に槍を押し込んだ。虎が暴れ、槍の穂先が背中から突き出た。

 虎は脊髄を損傷して後足が萎え、倒れた。

 ただの、偶然だ。奇跡のような偶然である。

「ひっひひ……やった…僕にも出来た……ひひ……見たか子羊……見たか……」

 アパムは呆然としている。倒れた虎に、サブロウや周囲の兵士が槍を次々と差し込んだ。


「サブロウ小隊長! 魔狼が!」

 見ると、二頭の魔狼がマフボドの馬を追いかけている。

「来るな! 来るなぁっ!」

「マフボド司令! こっちへ!」

 サブロウの声が届いたのか、マフボドが必死の形相でこちらに馬を向けた。全速で駆け寄ってくる。

「来るなぁぁっ!」

 横を駆け抜けていくマフボドを無視し、サブロウは地面すれすれ、大きく横に槍をなぎ払った。

――ギャン

 穂先が一頭の魔狼の後足を捕え、斬り飛ばした。転倒する魔狼。サブロウは落ちついて槍を魔狼の胸に叩き込んだ。

 もう一頭は他の兵士達が処理していた。


「ほ、他の所に!どこか他に!」

 いきなりマフボドがサブロウにしがみついた、いつの間にやら落馬したようで、顔は擦りキズだらけ、体じゅう泥だらけだ。

「マフボド司令、我慢してください。ここより安全な場所などありません」

「うぁ……う……す、すまん。取りみだした……もう絶対に言わぬ。二度と言わぬ!」

「何も聞きませんでした。司令、ここでスネオと共にいてください」

「わかった!」


 それはともかくとして……、

「アパム!なぜお前がここにいる! お前はハチベェの分隊だろうが!」

「サブロウ小隊長! 僕にもやれます! ちゃんとやれます!」

 アパムはらんらんと眼を見開いて、誇らしげにサブロウを見ている。

 サブロウは横っ面をぶん殴った。


「ひいいいい……!」

「アパム…俺は貴様を……ああ、来い」

「はい……小隊長」

 サブロウはハカセの一個小隊を後方に置き、アパムを連れて前線に戻った。


 戦闘は継続する。



 ヴィシー兵の矢が、ほぼ尽きた。

「なナヴィド。やれ」

「ファルダード中隊長、さらば。神の御加護を。――ヴィシー隊、良く我慢した! 弓捨てろ! 槍持て!……行くぞ!」

 ナヴィドを先頭に、気違いヴィシー兵どもが阻塞の残骸を乗り越える。何やら雑多な奇声をあげながら、モング騎兵に突っ込んでいった。

 けれんも技もクソも無い。隊列も組まぬ。個々人のバラバラな突撃だ。槍捌きなどは不器用を通り越して、無様である。


 けれども、強かった。


「最低でも一人一殺! モングを血祭りに上げろ! ヴィシーの誇りを示そうぞ!」

 ナヴィドは絶叫して突っ込んでいく。もう誰も聴いちゃいない。だが、聞こうが聞くまいが、結果は同じだ。


「ひゃぁっ! らぁっ! いぃっ!」

「もう穴掘りはウンザリだぁぁ!」

「おかあさーん! おかぁさーん!」

「死んでくれ! 頼むから死んでくれ! しねぇっ!」

「嫌だぁァァァぁ! もう嫌だァァぁぁ!」

「あばばっひひひっひひひばばばひひひひぃぃぃ」


 気違いどもが、突っ込んで、死んで、殺す。

 刺されながら刺している。

 斬られながら斬っている。

 腹わたを噴き出しながら腹わたを抉っている。

 眼玉を貫かれながら眼玉をくりぬいている。

 殺されながら殺している。

 滅茶苦茶だ。わけがわからぬ。


 ヴィシー兵一人当たり、少なくとも二つずつ死を生産していく。

 敵と自分と。


「アイツだ!」

 ナヴィドが敵の士官らしき男を発見した。3騎の後ろに隠れ、剣を抜き、他の兵士より目立つ兜をかぶっている。

「お前ら来い!」

 まわりから数名のヴィシー兵をひきつれて、ナヴィドは士官に向けてまっすぐに突っ込んでいった。


「ぼぶう……」

「あぎぁ……」

「っ……いっ……」

 三人のヴィシー兵が突き殺されながら槍を繰り出し、相手を落馬させる。

 他の二人とナヴィドが、落馬したそいつらを突き殺し、撲り殺した。


 モング士官までの血路が開いた。

「アイツも馬から落とせ!」

 ナヴィドの声に誘導されて、一人のヴィシー兵が槍を掲げて走って行った。そのヴィシー兵は、あっさりとモング士官の馬上槍に頭を割られて、無駄に死んだ。


「あっ!サバーロが死んじゃったっ!……ええっ?!嘘っ?!死んじゃった?!」

 何故かビックリしている奴がいる。いまさら何を驚くか。意味がわからぬ。みんな死んでいるのに。死ぬためだけに、ここに居るのに。


「アイツのせいだ! アイツが悪い!」

 ナヴィドはモング士官を指差して、全部なすりつけた。

「アイツだ!」

「アイツが悪い!殺せ!」

「アイツが全部悪いんだ!!」

「全部アイツのせいだ!殺せ!」

「「「殺せ!殺せ!殺せ!」」」


 モング士官は面白いくらい顔をひきつらせ、馬を駆って、狭い戦場を逃げていく。右へ左へ……

 それをナヴィドを先頭とした二十余人の気違いが追う。

 足元は死体だらけだ。敵も味方もいたる所でぶつかり合っている。如何に騎馬と言っても、容易には逃げられない。そもそも戦域が狭い。


「お前ら、全員殺してしまえ! 死んでしまえ!」

 ナヴィドに率いられた気違い共の一団は、手が届く場所にある全ての生き物に槍をぶっこんでいく。

 邪魔する奴は皆殺し。

 邪魔しない奴も皆殺し。

 縦横無尽に皆殺し。

 どうせみんな死ぬ。死ねばよい。


 しね。


「おりゃ!」

 どこか気の抜ける声を発して、一人のヴィシー兵がモング士官の馬前に飛び出した。槍を腰だめに構えて突きだす。


――ぐぢゅん

 粘っこい音だった。そのヴィシー兵は肩を槍にかけられた後、蹄に轢かれた。馬は転倒して、モング士官は鞍上から放り出された。

「vybunimo,pou!!」

 四つん這いで何か叫びながら、モング士官は逃げ出そうとする。


 そこに……、

「ヴィシーを舐めるんじゃねぇ! 俺は戦闘士だぞ!」

 ナヴィドが組みついて押し倒し、短剣でしたたかに太股を突き刺した。

「お前がお前がお前がお前が!」

「しねしねいしねしねいしね!」

「おらぁ! しね糞モング!」 

 ヴィシー兵が寄ってたかって槍を振り下ろした。


「ああ! 悪党は死んだ!」

「かあちゃん!うちに帰れるよ!」

「これで大丈夫! もう大丈夫になった!」

「もう穴掘らなくて良いんだ! やった!」

「やった!やったぞ!」

「おかあさん!」


 ナヴィドごと、モング士官は赤黒く粘った土に沈んだ。

 生き残った二十余人のヴィシー兵たちは、歓声をあげて、同時に号泣し、糸が切れたようにその場に座り込んだ。


 ヴィシーの誇りは守られた。



 だが、戦闘は継続する。



「だ第一、第三、第四小隊、ぜぜ前進しろ!」

 ヴィシー隊が狂いまくったおかげで、中隊は戦列を再編する事が出来た。重装騎兵の突進で破壊された阻塞の再構築にも着手したが、それはまだ終わっていない。

 負傷兵を後ろに下げ、ほぼ無傷の第四小隊を前に出す。

「て敵前線まで一気に押し込め!」


――ホウッ! ホウッ! ホウッ!


 モング共は前線士官の一人をヴィシー隊に殺され、指揮系統が乱れている。

 好機である。敵が対処する前に戦列を前進させる。ヴィシー隊が血と骨とはらわたで稼いだ空間を埋めていく。

 こちらには予備兵力が少ない。阻塞より下がったら、負ける。ここで踏みとどまるか、進むしかない。

 涙を流しながら呆然と座り込むヴィシー兵を後ろに残し、中隊は槍の穂先を揃えて、わずかな距離を前進する。


「ふ負傷兵で動けるものは阻塞を再構築しろ! ま前で支えているうちに直せ! ニタマゴ! 俺は奇襲に出る!お前がここの指揮をとれ! 阻塞が再構築されたら戦線を整理しろ!」

「中隊長、了解!」

「よし――じジロウ!サブロウ! こ、こっちへ!」

 ファルダードは絶叫して二人の小隊長を呼んだ。もう、酷使した喉が破れそうだ。

 ジロウとサブロウの2人は自分の部隊を残したまま、ファルダードに走り寄った。


「て敵に横槍を付けに行く。もも森の中を短く迂回する。て敵は弓兵が多いから、ささ左翼から攻めよう。だ第二小隊は全部。第五小隊は、は半分でいい。た盾は置いていけ」

「了解。――お前ら、ようやく来た暴れ時だ! 装備を確認! モングの横っ面を張り飛ばすぞ!」

 とジロウ。

「了解。――第五小隊行くぞ。ハチベェ、モーチャン、トンコツ、お前らはまず阻塞の再構築、次に後方魔獣警戒と衛生をやれ。他は来い」

 とサブロウ。

 2人とも、手早く部下に指示を出した。


「よ、よし行こう」

 ファルダードを先頭とした42名の集団が、迅速に動き始めた。


 50ヤルほど後方に下がって、そこから森に入る。敵の前線士官は先程死んだばかりだし、最前線で三個小隊が戦線を維持しているから、見られはしないはずだ。戦闘時の人間の視野は思いのほか狭いものなのだ。まあ、仮に見られたとしても、対処される前に襲えば良い。

 森は比較的歩きやすかった。下草や低木はあまり多くない。長槍が多少かさばるものの、これなら徒歩での迅速な移動には十分だ。

 ファルダードは木々の間を縫って先頭を駆ける。槍は地面に引きずって運ぶ。

 ジロウとサブロウがその後ろをついてくる。

 更にその後ろを、多少扇状に広がりながら、各小隊の兵士がついてくる。


 ずっと無言だ。

 ファルダードとジロウ、サブロウ。三人の間に、無駄な言葉は要らない。

 中隊で、一番長く時間を過ごしてきた三人だ。

 軍曹殿の訓練を受けている時から、部下を率いる士官同士として、ずっと支え合って来た。

 歳も近い。

 親友でも、親子でも、兄弟でも、家族でもない。

 仲間や戦友という言葉では、足りない。

 もはや分身でもない。

 だが、やはり無駄な言葉は要らない。


 ファルダードの眼が攻撃すべき敵右翼の姿を映した。正面約30ヤル。

 手信号を出して部隊を止める。低くしゃがみ込んで、息を整える。30まで数えた。

 後ろを振り返る。

 41名の兵が槍を抱えて、あちこちの木々の根本にうずくまっている。

 既視感を覚える光景だった。

 一番最初の時、プーリー村でのあの時も、このような感じだったと思う。


「無音突撃」

 手信号を出しながら、ファルダードは声を押さえて命令した。

 右からジロウが、左からサブロウが、ファルダードの横を駆け抜けていく。続けて、彼らの兵達が一斉に駆け抜けていく。

 ファルダードは突撃しない。少し遅れて後に付ける。


 敵は気付いていない。前方の戦線に夢中だ。

 中隊の兵士達は、ジロウ、サブロウを筆頭に槍を連ねる。先頭が……今、森から出た。

 41本の横槍。一斉に突きこんだ。

 敵の絶叫が上がり、馬が暴れまくる。中隊兵士も暴れまくる。


「せせ戦列を構築しろ」

「「「応!」」」

 ジロウとサブロウを中心に第二、第五小隊が混然となって、瞬時に戦列を構築した。森を背にして、一列になる。小隊はもちろん、すでに分隊もバラバラに分かれている。それでも隊列を組むことくらい、寝ていても出来る。それが、仕事なのだ。


 ファルダードは森の際に立ち、後ろから部隊を監督した。

 長時間は無理だ。一瞬で打撃を与えて早々に退かねばならない。そう、判断した。

「ご五歩押せ!」


――ホウッ! ホウッ! ホウッ!


 41名は槍を揃えて、未だ混乱おさまらない敵にもう一度突っ込む。


「おらぁっ!エテ公が!」

「死ねや糞モング!」

 隊列の中央で豆と白雪姫が並んで槍を振っている。豪快だが、巧みな槍捌きだ。敵を一切寄せ付けない。

「ひゃぁー! うっひょっ!」

 右翼では鶏がうるさく叫びまわりながら敵をいなしている。


 隊列の左翼では、

「……」

「おっとあぶねっ!」

 石が怖れも無く踏み込み、槍をつきこんでいる。さりげなく、その援護をサンマがする。

 皆、強い。第二小隊の主打撃力を担っているだけの事はある。


 他の連中も負けていない。コロスケなどは狂ったように槍を突き込みまくっている。また一人殺した。

 勢いに怖気づいて、敵は若干後退した。

 こちらの戦列がその空間を埋めるべく、前進しようとした瞬間――


 石の首を斜め横から敵の矢が貫き通した。

「い、石! 石ぃっ!」

 石本人ではなく、隣に居た分隊長のサンマが悲鳴を上げる。


「……」

 石は黙って槍を地面に突き刺した。右手で首に刺さった矢の鏃を折り、左手で一気に矢を引き抜いた。痛みに歯を食いしばり、ぶるぶると震えた。

 悲鳴も唸り声も漏らさない。そのかわりに激しく咳こんで、口から鮮やかな血霧を吹く。

 荒い呼吸の度に、左右に開いた首の穴から血泡が噴き出る。見る見るうちに、石の両肩から上半身が、自らの血で染まっていく。


「い石、下がれ!もういい!」

「……」

 戦いの喧騒の中、石はサンマの眼を見た。真っ白な丸い石のような顔で莞爾と笑って――


 もう一度右手に槍をとると、サンマの横で戦線に復帰した。


「い、石!」

「……」

 石の槍捌きは鈍らない。

 モングの馬を刺し、落馬させ、敵の頭を打ち砕く。


「……」

 石の槍捌きは鈍らない。

 ほのかに笑って槍を振るう。楽しくてたまらないかのようだ。

 戦線から一歩も退かず、サンマの隣で思うさま槍を振るう。


「……」

 一騎の重装騎兵が突っ込んできた。

 石は手のうちの槍を思い切り投げつけた。

 投げ槍では無い。綺麗には飛ばせない。

 それでも石の槍は、敵騎兵の腰に激しく突き刺さり、そいつは悲鳴をあげて落馬した。


「……」

 もう一騎突っ込んできた。

 槍はもう無い。投げてしまった。

 石は短剣を抜いた。戦列から飛びだして、自分の地にぬめる短剣を落とすまいと力いっぱい握りしめ、まっすぐその一騎に突っ込んでいった。

 石の胸を、重装騎兵の馬上槍が貫き通した。

 石の短剣は、敵にかすりもしなかった。


「いしぃっ!」

 敵重装騎兵は石の身体に馬上槍をとられた。

「ftgyhujo!」

 何か叫んで抜こうと足掻くそいつのどてっ腹に、サンマが槍をぶち込んで片を付けた。


「石!……石!」

 石は仰向けに転がっている。

 胸の中央に槍を突っ込まれた石は、焦点の無いぼうっとした眼で、死んでいる。その辺に落ちている石のような顔。いつも通りの、無表情だった。

 いつも通り、とても楽しそうに、サンマには見えた。


「クソバカが! バカが!」

 サンマはまた、戦いに戻った。



 戦闘は継続する。



「だ第二、第五小隊! じジロウ、サブロウ! 一度強く押せ!そして、も森へ後退しろ!」

「了解!」

 これ以上此処で粘っても戦果は増えない。被害がどんどん拡大するだけだ。ファルダードは奇襲部隊に退却の指示を出すことにした。

 攻めきってはいないが、30騎やそこらは討ちとった。心理的にも間違いなく痛撃を与えたはず。おそらく、いつ森から奇襲がかかるか……恐ろしくてたまらないだろう。


「ち中隊、声出せ!」

――ホウッ! ホウッ! ホウッ!

 第二、第五小隊がいつもの声をあげた。

――ホウッ! ホウッ! ホウッ!

 正面の主力も、呼応して声をあげた。


「今だ、お押せっ!」

「「「応!」」」

 兵士たちは、一斉に槍を振り上げ、振り下ろした。近くの敵、数人が殴り倒され、地に伏す。

 さらに二度、三度……

「ひ退け!」

 四度目に槍を叩きつけて、一斉に森に飛びこんだ。


 木々の間を全力で走る。配置は無い。先頭も殿も、特に決めない。各自、バラバラになって自陣に戻る。どうせ近いのだ。迷いようがない。

 敵は追ってこない。騎兵ではこの森の中に入れないし、かといって騎馬民族たるモングが馬を捨てて最高錬度の歩兵と戦うなど自殺行為だ。冗談にもならぬ。

 途中で数頭の魔狼と遭遇したが、戦いに高揚している兵たちはあっという間にこれを刺殺した。あどれなりんが脳内を駆け廻っているので、感覚も槍の技前も普段より鋭くなっている。こういう時の兵は、強い。極めて強い。


 サブロウは、すぐ横をジロウが走っている事に気がついた。偶然である。

 ジロウもサブロウに気がついていたようだ。彼は蒼白な顔をしつつも器用に口の端に苦笑を滲ませ、「シッシッ! あっちに行け!」と手をひらひら振っている。

 小隊長が二人、同じ所に居るのは、あまり好ましく無い。できるだけ広く、兵たちを監督しなければならないからだ。敵に狙われたら、同時に死んでしまう危険もある。


 サブロウが薄く笑いかえして進路を少し変えようとした時、ジロウが激しく転倒した。

 転倒などよくある事。サブロウは無視して走り去ろうとしたが……ジロウが起き上がって走りだした気配が無い。

 転倒で負傷した可能性があった。サブロウは20ヤルほど戻って、ジロウの様子を見舞いに行った。


「おい、ジロウ、大丈夫か?」

 ジロウはうつ伏せに倒れていた。彼の頭頂部から、綺麗に真っすぐ、一本の矢が生えていた。


 サブロウは一瞬だけ、冗談かと思った。ジロウは偶に、人の悪い冗談を飛ばす。人を驚かせるのが好きだ。堅いサブロウは、良くジロウの冗談のネタにされる。良く、からかわれる。気の置けない友人同士の下らない冗談は、いつだって楽しいものだ。


「ジロウ!」

 冗談なわけが無かった。


 ジロウの肩を持って、慎重に横向きにした。

「ジロウ!」

「たーたーブシュー……、たーたーたーたーたーたー…ブシュー……たーたーたー……」

 瞳が縦に、カタカタカタカタと小刻みに揺れている。左右の動きもバラバラだ。

「ジロウ、わかるか?!」

 ほんの少しだけジロウが頷いたように、サブロウには思えた。気のせいかもしれない。


「たーたーたーたーたーブシュー……たーたーたー……ブシュブシュー……たーたー」

「言え! 言って死ね!」

「たーたーブシューブシュー……………たーブシュブシュブシュー……んっんっ……んっ……」

 それっきり全身を硬直させて、何も言わなくなった。


「……」

 サブロウは短剣を抜き、ジロウの頸動脈を切り裂いた。

 心臓の拍動と共に、激しく血がしぶく。サブロウの腿をしとどに濡らした。

 温かかった。ジロウの熱だ。

 すぐに血は出なくなった。


 サブロウはジロウの腕章と首のメダルを引きちぎり、走りだした。

 赤く濡れた腿は風に冷やされて冷たくなった。


 もう、ジロウはいない。



 戦闘は継続する。


 

 ファルダードは奇襲から一番早く自陣に戻った。ここを出て、奇襲に走ってから、まだ糞を垂れるくらいの時間しか経っていない。

 すぐに戦線に眼をやる。

 第一、第三、第四小隊が支える戦線は阻塞の所まで後退していた。……というより、奇襲で動揺を与えつつ戦線を前で支えている間に、阻塞をざっと修復し、そこを防御線として再構築したのだ。奇襲前にファルダードが指示した通りになっている。

 阻塞に隠れつつ迎撃しているおかげで、戦線は良い具合に膠着し、落ち付いている。今現在は、ごく散発的な矢のやり取りがあるだけだ。


 奇襲をかけた第二、第五小隊がバラバラと自陣に戻ってきた。

「おお前ら、よよくやった。じジロウ、サブロウ、こっちへ」

 サブロウが息を弾ませながら、ファルダードのもとに駆けてくる。そして、端的に言った。

「中隊長、ジロウは戦死。森の中だというのに、運悪く流れ矢にやられました。」

「え?……そそそそそうか。……はハッパ!」

「はい!」

 ハッパが駆けよってくる。

「じジロウが戦死した。いい今からお前を、し士官とする。だ第二小隊長を引き継げ」

「……え?!……あ……了解しました、中隊長」


 皆、色々と言いたい事がある。思っている事がある。だが、何も言わぬ。意味が無い。言っても、戦には勝てないから。


 サブロウが、ジロウの腕章をハッパに渡す。

 ハッパは自分の腕章を急ぎ外し、ジロウのものだった士官用の腕章を左腕に留めた。

 新第二小隊長の完成だ。



「しシズカチャン!い居るか?!……こっちだ!」

「はい、今!」

 シズカチャンが後方からファルダードのもとに馬を飛ばしてくる。後方でも、支援騎馬隊を中心として魔獣との戦闘が断続的に行われている。後方のスネオと共にいるはずのマフボド司令官が心配だが……畢竟、命など時の運だ。


「中隊長」

 シズカチャンがファルダードのもとに到着した。

「え援軍の、い位置」

 彼は馬上から南に眼をやり、しばし考え、冷静に答えた。

「おそらく二サング半も無いかと」

「よし、わわかった。――ち中隊長より全隊に通達! ち中隊長より全隊に通達!」


 ファルダード中隊長は兵士たち全員に向けて、怒鳴った。酷使した喉から出る声は汚く割れている。だが、中隊の兵士たちにとっては聞きなれた声だ。不思議に耳に良く届いた。

 戦闘は継続しつつ、それでも少しだけ静かになった。


「兵士諸君! も、もうすぐ、え援軍が到着する! て敵はもう一度だけ、つ強く押してくるだろう! し凌げ!もう一度! さすれば、我々は勝利する! わ我々は勝利する!」

 中隊長が、割れた声で叫ぶ。



 我々は勝利する――全ての中隊兵士は、中隊長の言葉を、信じた。ただ、信じた。



 中隊長は、中隊を裏切らない。あらゆる一兵卒を裏切らない。全ての中隊兵士は、それを確信している。

 兵士達は知っている。

 中隊が出来た瞬間から、あのどもりのボンボンが、可能な限り最大限の努力をしてきた事を知っている。

 軍曹殿に殴られ、罵倒され、誰よりも扱かれ抜き、それでも負けず、一切の弱音を吐かず、この中隊を引っ張ってきた事を知っている。

 ボンボンの不細工な面は、右耳を失って更に不細工になり、音も半分聞こえぬ。半ば、カタワかもしれぬ。見る者に不快感を与える面だ。

 だが、それは中隊の誇りである。


 ある兵士はボンボンに膝の薬を貰った。

 ある兵士は文字を学んだ。

 ある兵士は厨房から食い物を盗む事を学んだ。

 そして、ボンボンは常に中隊を勝利に導いて来た。努力でも才能でも無い、神への祈りでもない何かによって。


 そのボンボン中隊長が『我々は勝利する』と言うのであれば、すでに、我が中隊の勝利は約束されている。

 なぜならば、俺達が戦うから。俺達が勝利させるから。

 俺達は期待に応える。

 仲間の期待に応える。

 戦友であるから。


 だから中隊兵士は勝利を宣言するファルダード中隊長の叫びに、

「「「応!!」」」

 とだけ、叫び返す。



 モングが80ヤルほど下がった。

 もはや30騎以下となった重装騎兵が隊列を整えている。その背後には、まだ沢山の軽装騎兵部隊。乾坤一擲の突撃を加えてくるつもりなのだろう。

「だ第一、第三、だだ第四小隊、せ戦列を組め! だ第二、第五小隊、弓構え!俺の、あ合図で急射! 全隊、てて敵の突撃に備えよ!」

 聞き取り難い、聴き慣れたどもりの指示。

「「「応!!」」」

 とだけ、こたえる。


 敵陣の太鼓が鳴る。重装騎兵が拍車を蹴る。突撃が開始された。


「う撃て!」

 第二、第五小隊が矢を放つ、猛烈な急射だ。

 だが、それで削れる数などタカが知れている。モングは若干の動揺を見せながらも、驚くべきクソ気違いな精神力でそれをねじ伏せ、阻塞へとまっしぐらに突っ込んできた。


 本日、二度目の衝突。


 阻塞は再度、半壊した。また、さっき見たような光景が繰り返される。

 ただ、今回は7騎が阻塞を突破する事に成功した。初回よりも多かった。

 敵重装騎兵は初回より数が少ないし、助走距離が短いので速度も出ていない。逆にそれが幸いしたのかもしれない。


 だが、中隊がやるべき事は同じだ。

「せせ戦列は阻塞まで前進せよ!」

「「「応!!」」」

 戦列は命令に従い、阻塞までの7ヤルを前進する。10歩程度だ。本当に目の鼻の先だ。

 前進を邪魔する糞モングの7騎には、

「おらぁっ!」

「っ! しね!」

 徹底的に槍がぶち込まれる。


 だが、敵も黙って死んではくれない。薄汚れたモング共もまた、ゴミクズなりに生きているから。


 ある中隊兵士の頬を矢が貫いた。

 鏃が頬の肉を存分に斬り裂き、奥歯を割り砕いて止まった。

「ブッ! ぺっ!」

 口が二つになった兵士は、血と一緒に、鏃と砕け散った奥歯とを吐きだした。

 そして、目の前の敵に向かって槍を振るう。顔が無くても槍は振るえるから。


 ある中隊兵士を重装騎兵の槍が打った。

 槍の柄は重い。一撃で兵士の左鎖骨をぶち折った。

「ギャッ! うぅぅ……」

 衝撃のあまり、小便を全て垂れ流した。槍も手から取り落とす。

 戦列から数歩下がった。鎖骨が折れては槍を振れない。持てない。もう終わりだ。

 仕方が無いので、そこら辺の石やら木片やらを投げ始めた。右手は生きている。千個ほど石を投げれば、一人くらいは殺せるかもしれない。

 

 敵の軽装騎兵が味方の死体を踏み付けて、阻塞を突破してきた。右手に長剣、左手に手綱。

「ホウッ!」

 気合い一閃。あっという間にそいつは下腹に槍をぶちこまれて吹き飛んだ。剣で槍にかなうものかバカめ。


 次の軽装騎兵は、身体を倒して、自分の馬を盾に突っ込んできた。一人の若い中隊兵士が、木槍を持って馬の前に立ちふさがる。

「うわ……うわぁぁぁ!」

 中隊兵士は絶叫しながらも、逃げない。木槍の石突を地面に斜めに刺し、その先端を馬の胸に向けて、逃げない。

 馬は木槍に心臓を貫かれて即死した。

 中隊兵士は馬に蹴られ、首を折って即死した。

 軽装騎兵のモングは落馬した所をぶん殴られて即死した。

 

 血と腸と吐瀉物と糞尿をしぶかせて命の花が咲き乱れて散る。


 皇帝陛下の為に、

 アルバール帝国の為に、

 ジャハーンギールの為に、

 ヴィシーの為に、

 金の為に、

 民の為に、

 家族の為に、

 名誉の為に、

 勝利の為に、


 どれもこれも違う。

 違わないが、そうじゃない。


「トリガラ! とどめ差せ!」

 ある中隊兵士が、残り少なくなった重装騎兵に槍を繰り出す。馬の顔をしたたかに切り裂いた。

 馬は棹立ちになった。前足を振り上げ、眼の前の中隊兵士の頭を蹴った。

 兵士は耳から血を出して、棒のように倒れた。

 重装騎兵は体勢を崩して落馬しまいとしがみつき、槍をとり落とす。

「てめぇ! 鳩胸を!」

 トリガラと呼ばれた中隊兵士が一気に踏み込む。投げ突きが、その重装騎兵の首を貫いた。


 ある身体のデカい中隊兵士が、ブンブンと槍を振り回している。敵を全く寄せ付けない。

 だが、

「つぁっ!」

 右の踵に矢を受けた。踏ん張りが利かず、横倒しに倒れる。

 好機とばかりに敵は馬を寄せようとする。

「白雪姫!」

 もっと身体のデカい兵士が、すぐさま走り寄って白雪姫と呼ばれた中隊兵士をまもる。

 駆け寄った彼のデカい身体にも、もう数本の矢が立っている。戦闘服は真っ赤だ。


 なにも難しい事じゃ無い。

 仲間の為だ。

 隣で戦う仲間の為に戦って死ぬ。

 戦友であるから。


「ち中隊! こ声を上げろ!」

 どもりの戦友が戦列のすぐ後ろで絶叫する。

――ホウッ! ホウッ! ホウッ!

 戦友たち全員がこたえる。

 そして、前進する。


「隙を見て、そ阻塞の、お置き盾を立て直せ!」

 どもりの戦友が戦術を指示する。

 戦友たちがその通りにやる。やれない事もあるが、精々全力でやれるだけ、やる。

 戦友の言うとおりにやれば間違いないからだ。それ以上の事は神様にお任せだ。


「きき騎射が来るぞ!! おお置き盾に半身を隠せ! だ第五小隊は、う右翼にもっと援護射撃を集中!」

 数十騎、軽装騎兵の一団が押し出してきた。窮屈そうに右旋回する。騎射だ。

 馬上から放たれる弓は、近距離で直線的に兵士達を狙う。

 矢の多くが地に落ち、一部は置き盾に突き立ち、また一部は、

「あっ!」

「いぐぅっ!」

 中隊兵士の手足、あるいは胴体を抉った。

 中隊のお返しする矢も、同様にモングの馬と騎兵を抉った。


「中隊、耐えろ! 兵士諸君、あ後少しだけ、たた耐えろ! そ、それだけで勝てる! 我々は勝利する!!」

 どもりの戦友の声。

 戦友たちにとって、勝利など、もはやどうでもいい。

 だが、戦友が耐えろというのなら、戦友たちはいくらでも耐える。糞と小便を漏らしながら我慢する。

 少しだけ我慢できるという事は、永遠に我慢できるという事なのだ。耐えられなくなるまでは耐える。いくらでも戦う。いくらでもだ。


「ち中隊! こ声を上げろ!」

――ホウッ! ホウッ! ホウッ!

「も、もっとだ!」

――ホウッ! ホウッ! ホウッ!

――ホウッ! ホウッ! ホウッ!

――ホウッ! ホウッ! ホウッ!


 中隊は退かない。決して退かない。



 押しこんできていたモングの圧力が、ふと緩んだ。

「中隊長、敵後方で太鼓! 敵後方で太鼓!」

 シズカチャンが叫ぶ。

「き気がついたか!」

 ファルダードは安堵のあまり、膝がくじけそうになった。

 敵は無傷の後方から、急速に戦域を離脱していく。南に向けて。

 

「か勝った……」

 ソンシノ軍略書には、敵の退路を完全に断ってはならない、とあるらしい。退路の無い兵は、がむしゃらな死兵となるからである。


 ファルダードは、モングに退路を一つだけ残した。

 砦である。


 砦にこもれば、何とかなるかもしれない。

 息を長らえる事が出来るかもしれない。

 その希望が、敵兵の心を捕えた。

 その希望が、兵の心を弱くした。

 さっきまで必死で戦っていた敵は、もう何処にもいない。

 敵兵は全て、逃げ惑うだけの弱卒に変わった。


 こうなれば、もう……

「ち中隊長より全隊に通達! ちち中隊長より全隊に通達!」

 命令は簡単でよい。頭を使う必要はない。いつも訓練している行進と、なんら変わらぬ。


「だ第一、第三、第四小隊、に二列横隊を組め!――な並み足!ぜ前進…始めぇっ!!」


――ホウッ! ホウッ! ホウッ!


 すでに、ほぼ隊列は出来ている。中隊は並み足で、ゆっくりと、だが確実に前進する。

 まだ擬装撤退の可能性が残されるから、あえて急がない。ゆっくりと行けばそれで良い。


「じジロ……はハッパ、さサブロウ、シズカチャン。だ第二、第五小隊、および支援騎馬隊は、ふふ負傷者の回収。その後、か可及的速やかに退避しろ。てて敵の残していった、う馬はどんどん使え」

「了解」

「しシズカチャンはノビタクンとアオダルマを、お俺の所によこせ。――さサブロウ、ここは任せる。い急げよ」

「はい、中隊長。ご心配無く」


 中隊は、つい先ほど捨ててきた、自分たちの砦に向けて前進する。

モング共は槍を交えようとはしない。ひたすらに交戦を避け、あわてふためいて退却していく。

 歩兵である中隊が騎兵部隊であるモングに追いつけるわけも無いが、それでいい。敵は放っておいても勝手に砦に入ってくれる。中隊は、敵が見捨てていった負傷兵にとどめを刺しながら前進する。


 ファルダードは戦列から一歩下がってついていく。

 ちょうど良く、モングが乗り捨てた馬を見つけた。尻にごく浅く矢が刺さっている。それほど良い馬では無かった。体格は十分だが、少し老いている。

「どうどう……よしよし……」

 慎重に矢を抜くと、よく宥めて、乗った。馬など乗れれば何でもいい。

 高くなった視点で、南南東に眼をやる。


「……ああ、た確かに来ているな」

 援軍の立てる薄い土埃が、ファルダードの眼にもはっきり見えた。砦に退却するモングも、しっかりと確認できる。春の通り雨のように、全隊が潔く退いていく。さっきまでの猛攻が嘘のようだ。

「ハッ」

 馬側を蹴り、戦列の中ほどにいるニタマゴの所まで、馬を駆った。

「にニタマゴ、この戦列の指揮を任せる。し進路を南東に。あと200ヤル、ぜ前進して停止。ぜ全隊で方陣を組んで待機しろ」

「了解」


 蹄の音が聞こえた。右後ろを振り返る。

「お、おう」

 弓を担いだノビタクンとアオダヌキ、そして体じゅうが泥だらけになったマフボド司令官が来ていた。ファルダードのすぐ近くだが、右から来られたので、彼にはギリギリまで気付けなかった。

「まマフボド殿。ず随分と、ごご御苦労なさったようですね」

「魔狼が……虎が……」

 マフボドは、いまだに蒼白だ。彼の姿は、敵と一合も打ちあっていないファルダードよりも、見た目にはずっと苦労していたように見える。

 顔は擦過傷だらけ。細かく震え、髪の中まで泥にまみれている。兜は無い。魔境のどこかに転がっているのだろう。


「戦というのは……恐ろしいものですな。……あなた方軍人は……よく平気でこんな事が出来る」

「へ平気ではありませんよ。さあ、ささ先に、ほ方陣へ行ってください。――よ、よし、のノビタクン、ああアオダヌキ、仕上げに行くぞ。い急ごう」

「がってん」

「了解」

 マフボドを残し、ファルダードとノビタクンとアオダヌキは、三騎だけで砦に向かう。

 馬側を蹴って急かした。直接的な行動は敵の部隊が砦に入り切った後で良いが、すべからく余裕はあってしかるべきだ。


 砦の北北東500ヤルの地点で停止して様子を見る。まだ敵兵は収容されきってはいない。

「のノビタクン、ゆ弓と矢の調子は?」

「ばっちりでがす」

「あアオダヌキ、ひ火種と油」

「大丈夫です、中隊長」

「お大盾もあるな。よ、よし」

 砦はまだ濃い灰色の煙を燻らせている。中隊が出るときに放った火が、完全に鎮火していないのだ。戦闘は激烈だったが、それほど長い間では無かった。

 モング共はバラバラになりながら、続々と砦に退却していく。もうすぐ全隊が収容され、城門が締められるだろう。もうすぐ、終わるのだ。


――最後の敵兵が入った。

 城門が閉まる。油に気づいても、もはや遅い。兵は城内に全て入ってしまっているのだから、閉めるしかないのだ。


「い行くぞっ! ハッ!」

 三人は全速力で馬を飛ばす。どの馬も相応に疲労しているが、今はそれでもいい。大して距離は走らない。

 一気に砦から200ヤルの地点まで急接近した。正面には北門が見える。

「や、やれ!」

「はいっ!」

 三人は、まだ停まりきっていない馬から飛びおりた。ファルダードはアオダヌキとノビタクンの馬から蔓を編んだ大盾を下ろし、地面に据える。

 その横でアオダヌキが腰にぶら下げている壺を外し、地面に中身をぶちまけた。ナフサだ。

 壺を投げ捨てると、さらに反対側の腰から火種を取り出した。地面に落とす。真っ赤な炎が青い草を舐めて立ち上った。


「ノビタクン、良いよ!」

「よっしゃよっしゃ!」

 ノビタクンの出番だ。彼の左手には、常識外れの野太い強弓。麻の弦はビンビンに張り切っている。中隊内でも、こんな気違いじみた弓を満足に扱える兵士は彼だけだ。

 背に負った大きな矢筒から、右手で矢をとりだした。鏃には油を浸した布が巻いてある。火矢だ。

 地面の炎で点火した。

 流れるように矢筈を弦にかけて番える。広い背中を撓めて一気に引く。

 引き切った。何の溜めも躊躇いも無く、射た。

 赤い軌跡を引き、弧を描いて矢が飛んでいく。城門を飛び越えて中に入った。


「よっしゃ、ていげぇわかったでがしょ」

 無造作に、二本、三本、四本、五本、六本。ノビタクンは次々に射た。四本が城門に突き立った。見事な技前だ。

 砦の方からはそれなりの応射がある。稀に届きはするが、この距離ではまともに狙えるものではない。念の為に設置した大盾にも当たらない。ノビタクンの射撃が異常なのだ。


「あ、中隊長、……もう燃えてるみたいです……ああ、燃えてます」

 ナフサの燃える黒い煙が、俄かに強く立ち昇ってきた。門の下の方から、赤い色が徐々に渦を巻く。

「よ、よし。ノビタクン、さ流石だ」

「へへっ、ガキん頃から弓の技じゃ誰にも負けねぇで」

 中隊が砦を出る前に、城門にはナフサをたっぷりかけてある。油をしみこませた粗朶も打ちつけてある。

 良く燃える。

 火を消したくても、城内に水は無い。井戸は埋めたし、樽に入った防火用の水は、全てぶちまけてある。土をかけたくても、土を掘る道具が無い。

 もう、消火は出来ない。燃え落ちるに任せるしかない。


「い急いで、み、南門に行くぞ」

「了解」

「へい、がってん」

 三人は馬に飛び乗った。全速力で大きく迂回し、東側にある小川に出てから南下した。



 そうして、南門でも同じことが繰り返された。


 

^^^

 三騎は東に離脱する。このまま小川を越え、小規模な沼沢地を迂回してから中隊の待つ方陣へ向かう。

 まだ追手はついていない。門が燃えているせいで、砦から馬を出せないのだ。

 ファルダードは馬に鞭をくれた。軽くグンッと加速する。老いぼれ馬だと思ったが…なかなかどうして、悪くない。これなら問題無く、離脱できるだろう。

 帝軍はすでに眼と鼻の先まで接近している。ファルダードの眼でも馬影を確認できる程だ。モングが行動を起こす事は、もはや不可能である。


 ファルダードは馬上で首を回し、振り返った。

 砦から黒い煙が吹き上がっている。緩やかな東の風になびいて、太陽を薄く隠している。

 ファルダード・ホライヤーンの、中隊の、これが勝利の証だ。

 一生忘れる事は出来ないだろう。そのつもりも無い。


「おお前ら、よ、良くやったな」

「へぇ」

「はい」

 ノビタクンもアオダヌキも、大して嬉しそうでは無かった。

 勝利の高揚は一瞬で過ぎ去る。

 いつだってそうだ。




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