歩兵中隊 14
先にちょい予定等のアナウンスします。
この話くらいから終盤です。
続きは来週の今日。だいたい書き終わっていますので予定通り投稿可能です(突っ込んだクライマックスなので長いです)。たぶん、全部で17話になるかと。もう少しの時間ですが、お付き合いください。
歩兵中隊14
籠城を始めて6日目。その間、砦の中では槌音が絶えた事はない。
「おい、と、トンコツ! そそそっちは、そんなに削るな。ききっちり、か勘合しなくなる。あ当て木して平行に叩き込むんだ。」
「へい、がってんでさ、中隊長!」
ファルダードは先頭に立って工事の陣頭指揮をとっていた。今は第五小隊と共に、西側に設置予定の防御用大型投石器の建造に携わっている。木材に関してはあらかじめ魔境から大量にきりだして備蓄しているので、今のところ資材には十分な余裕がある。
「だだ、だいぶ……進んだな」
感懐深く眺める。
と、ファルダードの視界に、全裸になった5人の兵士達の姿が飛びこんできた。
五人は城壁上で仲良く並んで、ヘコヘコ腰を振っている。ナニがブラブラ揺れている。
第二小隊、第二分隊の奴らである。サンマ、白雪姫、豆、石、鶏……伝令に行ったマイマイの仲間だ。中隊の中でも比較的強力な分隊だが、比較的アホな奴らでもある。
つまり、最良の兵士たちである。
先日の戦闘で軽傷を負っている奴が何人かおり、彼らの身体には包帯が巻かれている。だが、元気いっぱいのアホっぷりだ。
砦を見張っているモングの小部隊に向けて、アホ共は何やら叫び始めた。
「やーい、クソモング共!! お前らの父親は裸緑猿だろう! エテ公め!」
「裸緑猿が売女の股にぶっかけた子種の残り滓がお前らだ!」
「アルバールの女どもは、テメェらの粗末なモノなんかお呼びじゃねぇぞ! 満足出来ねぇってよ!」
「……」
「うっひょーっ! 顔真っ赤じゃねぇか! だっせぇ! お前らかわいそー! お前ら自分らのナニが粗末だって自覚してんだなー! おかあちゃんに慰めてもらいなー!」
「租チンの蛮族め! 山羊とでもやってろ! 人間の女はテメェらエテ公にはもったいねぇぜ!」
「悔しかったら女に送る詩のひとつも詠ってみな! どうせ人間の言葉はしゃべれねぇだろうけどよ!」
「おい白雪姫、詩なんてお前も詠えねぇだ「うるせっ!」ろ……」
「うひゃひゃひゃ!おもしれぇっ! おい、石おめぇもあのチンカスモング族になんか言ってやれ!」
石はクルリと背を向けると、城壁から尻を突き出した。無言のまま、引き締った自分の尻たぶを、「これでもか!」とばかりに両手で開く。
「うはははは! 石、良いな! おいモング! ここに来てケツの穴を舐めろってよ! 臭せぇおめぇらにはお似合いだぜ!」
サンマの解説で、周りから一斉に爆笑が沸き起こった。
「がはははは! 舐めに来いや!」
「うひょひょひょ! だっせーっ! ビビってやがるぜ! 根性ねぇな!」
「ゲラゲラゲラゲラ! 石のケツを舐めろ!」
「おう、石のケツを舐めろ!」
「石のケツを舐めろ!」
「石のケツを舐めろ!」
「石のケツを舐めろ!」
「石のケツを舐めろ!」
「石のケツを舐めろ!」
「石のケツを舐めろ!」
「石のケツを舐めろ!」
「石のケツを舐めろ!」
「石のケツを舐めろ!」
「石のケツを舐めろ!」
「石のケツを舐めろ!」
「石のケツを舐めろ!」
「石のケツを舐めろ!」
「石のケツを舐めろ!」
「石のケツを舐めろ!」
「石のケツを舐めろ!」
「石のケツを舐めろ!」
「石のケツを舐めろ!」
「石のケツを舐めろ!」
「石のケツを舐めろ!」
「石のケツを舐めろ!」
「石のケツを舐めろ!」
「石のケツを舐めろ!」
「石のケツを舐めろ!」
「石のケツを舐めろ!」
「石のケツを舐めろ!」
「石のケツを舐めろ!」
「石のケツを舐めろ!」
「石のケツを舐めろ!」
「石のケツを舐めろ!」
「石のケツを舐めろ!」
「石のケツを舐めろ!」
「「「石のケツを舐めろ!!!」」」
周りの兵を撒きこんで、延々と”ケツを舐めろ”コールを繰り返す。
ファルダードは呆れ顔で首を振った。
「まま全く……アイツらどうしようも無いな……ややり過ぎだ」
「……すいません、中隊長」
呆れるファルダードの元に 何処からともなくジロウがやってきた。これまた呆れ顔をしながらファルダードに歩み寄る。
「まあ……いや、いい。すす少しは士気が上がるだろう。……た多分、ヴィシー兵も……少しはな」
「そう言ってもらえると助かります。……ところで、だいぶ出来てきましたね」
ジロウは苦笑しつつ、投石器を見て言った。
「ああ、じジロウ。かか数はまだ心もとないが、な無いよりは遥かに、まマシだ。くく組み上がるまでは、まだ少し、じ時間がかかるけどな」
モングもまた、魔境の木を切って投石器を大量に作っている。その投石器に対抗するには、こちらもより強力な投石器を用意するしか無い。
「それにしても正攻法で来ましたね……やはり、敵の指揮官はマトモそうですな」
「よ良い意味でも、わわ悪い意味でもな」
展開的にはファルダードの読み通りになっていた。セオリー通りという事だ。
敵は余計な出血を避け、騎兵の機動力を生かしてこちらを完全包囲し、補給を断つ手法をとっている。その上で多数の投石器を作り、入念な投石の後に本格的に押してくるつもりだ。敵の指揮官はどうやらモングにしては堅実で常識的な男のようだ。補給をたち、士気を削り、時間を駆けて攻める、ごく正攻法の攻城戦である。
正攻法ゆえに穴は無い。こちらは殆んど歩兵しかいないのだから、うって出ての奇襲もナンセンスである。反面、こちらに予定通りの援軍が来れば敵を倒せるだろう。仮に倒せずとも、少なくとも敵は退く可能性が高い。単純でわかりやすい戦だ。
「おお前の所にいる、びびヴィシー兵はどうだ?」
ファルダードは声を低くして、周りの兵に聞こえないようにジロウの耳に囁いた。
「作業を与えているうちは良いですけどね……忙しくさせて、出来るだけ考えさせないようにしています」
「よ、よし。それで良い。ひ一人でも多くの兵に、しし仕事を振り、で出来るだけたくさん、ほほ褒めてやるんだ。け決して、なな何もしていない兵が出ないようにしろ」
「ええ……わかってます」
昼間のヴィシー兵たちは20名程度の人数に細かく分け、中隊の各小隊長に分ける形で管理している。彼らは士気が低すぎるので、分散させて中隊兵士の空気に馴染ませた方が良いとの判断だ。
夜は元の隊舎に戻す。マフボド司令官の下に居た戦闘士のナヴィドが、ヴィシー兵の細かい面倒を見ている。
本来なら下士官がやる所だが、ヴィシー兵に下士官はいないので仕方がないのだ。中隊の下士官制度を導入しても、すぐに馴染めるわけでもない。機能しない制度を急造してあてはめても、無駄な無理である。
「みみ南門の、こ殺し間はどうだ?」
「それを報告に来ました。ばっちりですね。今の人員で、三日もあれば出来あがるでしょう。……ウチのハッパは、ああいうのを考えるのが上手いみたいですね。正直言って、縄張りと段取りは俺より上手いと思いますよ?」
「ふむ。おお覚えておこう……それにしても、ああいつは多芸だな。あの、きき機能的で素晴らしい、れ礼服を考えたのも、はハッパだからな」
「アー、ハイ、ソウデスネ……アレは……まあウチの子供達には大人気でした……」
そう、ジロウは遠い目をして答えた。
おそらくジロウは、あの礼服の機能性と実用性に思いを馳せているのだろうと、ファルダードは推測した。このジロウの様子……無理も無い。アレはそのくらい素晴らしい服だ。人の心を魅了する。魂が沸き立つ。アレを着ると、ファルダードは何故だか馬に乗って「ヒャッハー!」と叫びたくなるのだ。
まあ、それはともかくとして…
「わわかってるだろうが、じじジロウ、だ段取りはお前がやれよ? いい意見や、て提案を聞くのは非常に良いがな」
「ええ、ハッパには縄張りの計画だけをやらせています。人員と予定については俺が責………」
――中隊長!! 中隊長!! 中隊長!! 来て下さい!!
東側の城壁上の歩哨――支援騎馬隊のアオダヌキが槍を振って声の限りに叫んでいた。
「ほほ、報告しろ!」
ファルダードは叫びながら、そちらに全力で駆けだした。ジロウも後に付いてくる。
「ジャイアンが! ウチのジャイアンが敵に!」
「っ!」
その言葉だけで、ファルダードはすぐに理解した。理解はしたが……何かの間違いではないか、という希望的な想いも捨てきれない。
状況を確かめようと、城壁に駆けあがる。
城壁上に隙間なく並べられた置き盾の間から覗く。
「……クソッ!!」
100ヤルほど先、モングの集団がいた。さっき、サンマの分隊が裸踊りをして見せていた奴らかもしれない。30名ほどだろうか。
その先頭でジャイアンが裸馬に乗せられ、綱で後ろ手に縛られて引っ立てられている光景が、ファルダードの目に飛び込んできた。
「ああアオダヌキ、いつからだ」
「今です、中隊長。……さっきまでのんびりと歩いていました。単にいつもの偵察かと思ったのですが、いきなり停まると、馬群の中心からジャイアンが出てきました」
ジャイアンは手荒く扱われている様子はない。遠目には悠然としているように見えた。
「ジャイアンの奴、歌ってやがる……」
ジロウがつぶやいた。耳の悪いファルダードには殆んど聞こえないが、他の連中にはなんとか聞こえているらしい。
いつしか城壁の上には兵士達が鈴なりになっており、ジャイアンの姿を見守りながら耳をすましている。
ジャイアンはさらに20ヤルほど、ゆっくりと近付いて、止まった。
――中隊長! 砦のお前ら! 聞こえるか?!
ジャイアンは喉も裂けよと言わんばかりに、大音声で呼びかけてきた。これはファルダードの耳にも良く聞こえた
「お、おう! きき聞こえるぞ!」
そう、応えた。
――中隊長! 俺は敵に捕まり、援軍との接触は出来なかった! 援軍は来ない!
そこまで言ったジャイアンが、ニヤリと笑った。そのようにファルダードには思えた。
――そう言うようにモングに言われた! 嘘だっ! 援軍くるぞっ! ちゃんと呼んできたっ! あととう……
綱を強く引かれて、ジャイアンが馬から落ちた。
逃れようと暴れる。すぐさま周りの騎馬達に突き倒されて、踏みつぶされた。彼の上を何頭も何頭も、騎馬が通り過ぎて、ボロクズのようになって横たわった。
もう、ジャイアンは動いていない。
モングの一人が馬から降りる。そいつは横たわるジャイアンの傍らに立つと、首を一刀で切断した。無造作だった。
そいつはジャイアンの下顎に綱を通し、首だけゴロゴロ馬で引きずって自陣に駆け戻って行った。一瞬の鮮やかな手並だ。
後には、首の無い死体が一つ、コロンと草原に転がった。
そよ風が草を揺らして吹きわたった。
「あー、しんだ……ジャイアン、しんだ……あー……」
アオダヌキが呆然と呟く。
その声を聞いて、ようやくファルダードは我にかえった。……ジャイアンが、死んだのだ。
「じ、ジャイアンが死んだ!」
とりあへず、叫ぶ。無駄にしない為に。
「ええ援軍が来る!」
そうだ、援軍が来るとジャイアンは言っていた。
そこで一拍おいて大きく深呼吸した。それで、ファルダードはようやく再起動できた。
今は何をおいても、兵士達に話さなければいけない。言葉をひねり出せ!
「じジャイアンは、ままマイマイと共に、だ第四帝軍との繋ぎに走ってもらった! アイツは死んだが、みみ見事に仕事を果たした!」
そうだ、彼らは仕事を果たした。仕事以上の事を、ファルダードはさせてしまった。
「え援軍が来る! おそらく……に二週間以内に、だ第四帝軍が来る! 聞け! こここの砦は落ちない! お俺たちが頑張る限り、この、と砦は絶対に落ちない!」
砦内の全兵士が、城壁上のファルダードと外に転がるジャイアンの死体、どちらかに眼をやっている。
「き聞け、わ我が戦友たち!
こここの砦は300名の、ゆ勇敢なる将兵が守っている! てて敵は800名の、う烏合の衆だ! そんなクズ共に、ま負けるわけがない!
あまつさえ、じじジャイアンとまマイマイが命を賭して、ええ援軍を呼んできてくれたのだ! あアルバール帝国の誇る精鋭中の精鋭、だだ第四帝軍の、せ先遣隊を!
ならば、ゆ勇敢に戦う限り、わ我々の勝利は神に約束されている!
ジャイアンは、い命を賭けたのだ! わわ我々も、奴の男意気に応えなければならない! そそそうでなければ、か顔向けが出来ん! し至高なる神と、先祖と、命を捨てた、じジャイアンに顔向けできん!
おお前ら、そうだろう?!」
「あのクソども! 俺のジャイアンを! 絶対にぶっ殺す! 死んでも殺してやるよ!」
ファルダードの目の前で、アオダヌキが叫んだ。コイツは支援騎馬隊だ。ジャイアンがまめに面倒を見ていた若い兵士だ。
「そんだ中隊長! そんだ! やってやんべ! おら戦うだ!」
馬房の前でノビタクンが叫んでいる。コイツも支援騎馬隊、ジャイアンの部下だ。部下だった。
「そうだ!中隊長!その通りだ! ぶっ殺してやる」
「俺らを殺した奴は殺す! 絶対殺す!」
ファルダードの足元、城壁の下で白雪姫と豆が叫んでいる。先程の全裸のまま、槍を持っている。コイツらは第二小隊の第二分隊。マイマイとよくじゃれ合ってる奴らだ。
「俺達はぶっ殺す!」
「モング共を蹴散らしてやる!」
「一人残らず殺してやる!」
「皮を剥いでやる!」
「ジャイアンと同じめに合わせてやる!」
兵士達一人一人、火が付いたように叫び出した。
冷静な奴は誰もいない。たった今、眼の前で仲間が惨たらしく殺されたのだ。
ヴィシー兵も中隊兵士も区別無く、誰も彼もが目をかっぴらいて興奮している。狂っている。
ファルダードはしばらくして両手を広げた。それを見た兵士達は、物騒な光を眼に宿したまま、静まり返った。
「わ我が戦友たちよ! ぜぜ全力を尽くすと全身全霊で誓え! さすれば、わ我々は勝利する!
ももモングの臭い頭を叩き潰し、皆殺しにして、わ我々は勝つ!
お前ら………とと鬨の声を上げろ!!」
――うわぁぁぁぁぁ!!! うわぁぁぁぁぁ!!! うわぁぁぁぁぁ!!! うわぁぁぁぁぁ!!! うわぁぁぁぁぁ!!! うわぁぁぁぁぁ!!! うわぁぁぁぁぁ!!!
鬨の声は、いつまでも鳴りやむ事が無かった
ファルダードは顔を引き結んだまま何も言わず、ただそれを聞いていた。
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興奮と熱気を背にして、司令室に戻る。ジロウも後に付いて来た。ここに今、特に用など無いが、外に出てファルダード自身が煽った兵士達の中に居る事は出来なかった。
なんとなく、机の前の椅子に深く座って、置いてある水差しから木椀に水を注ぐ。一気に飲んだ。朝に汲んだ、ぬるくて古い水だ。うまくも無い。
「お俺の、し失敗だ」
耐えきれず、歯の隙間から呟きをもらした。
「中隊長?」
聞き咎めたジロウが、怪訝そうにファルダードの顔を覗き込む。
「いや、なな何でも無い……まマイマイはどうなったかな……生きてると良いが」
「祈りましょう、中隊長」
「ああ……」
ジャイアンが、死んだ。戻ってきて、叫んで、死んだ。
ジャイアンとマイマイを砦から伝令として送り出す時、ファルダードは「戻ってくる必要はない」、と言った。
……大きな間違いだった。あまりに愚かだ。今ごろ気がついても、すでに遅い。
ファルダードは瞼を閉じ、天を仰いだ。
兵士は上官の許可無く死ぬ事を許されない。何よりも優先されるべき鉄則だ。
ジャイアンとマイマイには、「戻って来い」あるいは「戻ってくるな」と、はっきり命じるべきだったのだ。
彼らは砦の置かれた現状を、十分に理解していた。だからこそ、もしかしたら、彼らが戻ってきてしまうのではないかと、心の底では思っていた。
否。ヴィシー兵の士気を考えると、無事に戻ってきて報告をくれたら非常にありがたいと、期待していた。内心で強く望んでいた。アイツらは優秀な兵士だ。アイツらなら、何とかなるようになるんじゃないかという、クソ甘ったれた、おめでたい願望が心のどこかに巣くっていたのだろう。
あの時、無意識のうちに、死を命令する重圧から逃げたのだ。
「クソ……」
ファルダードにとって、中隊兵士達は、自分の分身みたいなものだ。
物心ついたときからファルダードはどもりだった。
母はもの心つく前に死んだ。父は常に強く、厳格で、怖かった。兄の歳は九つも離れていた。周囲には殆ど大人しかいなかった。
父が用意した、年の近い数人の友人とも言えぬ友人たち。彼らは、ホライヤーン家の威光を恐れて誰も口には出さずとも、ファルダードを蔑みの眼で見ていた。そういうのは……如何に子供でも、はっきりとわかるのだ。
誰もが表面上は優しい。ファルダードを下には置かぬ。しかし、蔑んでいる。
だが、そのような蔑みは、なんていう事も無い。本当につらいのは、それでは無い。
世の中に不幸は幾多あると思う。
家族との死別、友人との絶縁、名誉の失墜、恋人との別離、神の喪失、飢餓、赤貧、病……世は無情だ。
だが、最もつらい事は、神の御技と父母により創造された自らを肯定する事が出来ない事だと、ファルダードは思う。
世の人は全て、自分で自分を肯定せんが為に、神の教えを守り、名誉を守り、躍起になって努力し続けているのだ。それが殆どの根源的な原動力だと思う。
良い事だ。
それで世の中は上手く回っている。
だが……どもりのファルダードには、自分が周囲と比べて、極めて劣等な価値の全くない存在にしか思えなかった。
学問は良く出来たし、運動も苦手ではない。幼少からの教育により、客観的に見ても読み書きと算術には長けているし、家庭教師からは教養や礼儀作法も叩きこまれている。
しかし……どもりだ。
いかに努力しようが、神へ祈ろうが、どもりを治すことは決して出来なかった。
義務として、社交の場に出る事は多かった。だが、教養に富んだ高尚な会話どころか、満足に人と話をすることも出来ぬ。叩き込まれた礼儀作法を生かせた事など、一度も無い。
全ては無駄であった。
そうして、ひたすら自らを蔑んだ。
ジャハーンギールの名家であるホライヤーン家に生まれた出来損ない。外に出せぬ家の恥部。それがファルダードの自己評価であった。客観的評価も似たようなものだろう。
命を断とうと思った事も、一度や二度では無い。結局は死ななかったが、死が怖かったわけではない。自殺という大罪、不名誉を残したくなかったから、生きていただけだ。ひねくれた意地のようなものだ。
結果、家族や使用人以外の人間と話すことを避け、ただ一人でいることを好んだ。
「あ、あの時……」
父に無理やりこの中隊を与えられていなければ、部下達とであえなければ、考える事が出来ぬほど休まず軍曹殿に扱いて頂けなければ、今でも闇の中に埋没していたかも知れぬ。
彼らがいたからこそ、ファルダードは光の中に出てこられたのだ。
中隊は……全てと言っても良い。他に代わるものは何も無い。
ここが、ファルダード・ホライヤーンの居場所であり、家である。
兵士達一人一人がファルダードの家族であり、彼を包む光の粒である。
そして兵士である以上、自分自身も光の粒である。
だからこそ、分身なのだ。
ファルダードは中隊を愛する。兵士達を愛する。それは、自分を愛する事が出来るという事である。
幼少のころから恋い焦がれ、何よりも求めていた事だ。
兵士が死ぬのは仕方がない。
兵士の仕事は国を護って戦う事だ。そして、自分自身たる仲間の為に戦う事だ。戦えば誰かが死ぬ。自分が死ぬ。当たり前の事だ。
だが、分身だからこそ、出来なかった。
あの時、とある一つの光の粒に「死ね」と命じる事が出来なかった。怖かった。だから無意識のうちに逃げた。
惰弱な精神だと思わざるを得ない。卑怯としか言いようがない。
「情けない……」
その惰弱さのせいで、ジャイアンはあくまで自身の独断の末に死ぬ事になったのだ。
兵士は許可無く死ぬ事を許されない。これは絶対の原則である。
だが、ジャイアンは、ファルダードの許可無く死んだ。
ファルダードはジャイアンに死ぬ許可を与えなかった。死ぬ命令を出さなかった。甘い期待を持って、曖昧に誤魔化した。ある意味で、彼の名誉を穢してしまった。兵士としての彼の死を、完全なものにしてやる事が出来なかった。
そして、余計な負担を肩代わりさせたまま、死なせた。
彼が満足して死んだかどうか、そんな事は関係ない。勇気ある行動かどうかの問題でもない。彼が死んだ事で士気が上がった事も関係無い。表向きが云々などの問題でも無い。
問題は、彼が一分の瑕疵も疑問も無く、完全なる兵士として死ねたかどうか、その点である。
取り返しのつかない失敗だ。ジャイアンは死んだ。マイマイも死んだのかもしれない。いまさら後悔しても、無駄だ。
甘かったのだ。自分自身に甘すぎたのである。
「ああ、ばバカめ……」
愛するだけでは駄目なのだ。
全力を尽くすだけでも駄目なのだ。
結果を出すだけでも駄目なのだ。
そんなのは最低限以下、やって当たり前、出来て当たり前の事だったのだ。
ファルダード・ホライヤーンは兵士であったが、同時に指揮官である。そして政治的には、ジャハーンギール執政官の息子であり、白山羊族族長の婿――単なる現場の指揮官以上の存在である。
ファルダード・ホライヤーンは中隊を愛している。中隊の兵士達を愛している。これからも愛する。全身全霊。心から。誓っても良い。
だが、そんな想いなど、これっぽっちも関係無かった。そんなものは、ただの惰弱な依存、情けない言い訳であった。
愛するゆえに決断出来ないのなら、愛してるとは言えないではないか!
「お、俺は……」
ファルダード・ホライヤーンである。
ファルダード・ホライヤーンには責任がある。
今も、これからも、ファルダード・ホライヤーンをやめる事は絶対に出来ぬ。
ジャハーンギールの民を護らねばならぬ。
アルバール帝国を護らねばならぬ。
ホライヤーン家の名誉を守らねばならぬ。
侵略者たるモング族を撃滅し続けねばならぬ。
白山羊族をホライヤーン家に引き寄せ続けなければならぬ。
未だ安定しない黒馬族への抑止力にならなければならぬ。
死ぬ事すら許されぬ。
中隊兵士が一兵残らず死に絶え、無様に自分独りが生き残ってでも、……それでも絶対に責任を果たせねばならぬ。
精々やるだけやって、後はなるようになると神に祈るなど……そんなゴミクズのような甘えた性根では、護るべきものも守れぬ。
全てを把握し、管理し続けねばならぬ。自分自身や自分の隊はもちろん、手の届かない所にある全てをも。
それが出来て、なんとかファルダード・ホライヤーンの負うべき責任に追い付く。
中隊は、道具だ。
ならばファルダード・ホライヤーンが中隊兵士に与えてやれるのは、一分の瑕疵も無い完全なる兵士としての死、それだけである。
それだけは、最低限、何としてでも用意してやらねばならぬ。
金輪際、誰にもジャイアンのような死にざまを味あわせてはならぬ。
ようやく理解した。ようやく自覚した。
だったら、もう……もう、ファルダード・ホライヤーンは兵士でなくていい。
もう、光の粒で無くて良い。
あきらめる。光は捨てる。
そうして、これから先の全てを抱え込もう。
部下の生も死も、自分たちが護るだろう民の命も、結果も原因も行動も人生さえも、ありとあらゆる全ては自分の責任である。
たった今、決心した。
「もう……」
これ以上、握った指の隙間から砂はこぼさない。
ファルダードは、そう、至高なる神に誓った。
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俯いて考え込んでいる間、ジロウは机の向こう側でじっと黙って立っていた。あえて何も言わないでいてくれる事が、こんなにもありがたい事だと、ファルダードは生まれて初めて身にしみた。
つい漏らしそうになるため息を無理やり飲み込むと、
「ジロウ、ぐ軍議だ。い1時間後に、しし士官全員を集めろ。もう一度。ぼ防衛計画を再検討する。砦の確保を第一目標とする事は変わらない。が、もモングを、げ撃滅する作戦を同時に練っておこう……びヴィシー兵には、し死力を尽くさせる。もう、二度と四の五の言わさん」
顔を昂然と上げて、そうジロウに言った。
「わかりました」
「……ああ、ま待て」
指示を受け、司令室を出ていこうとするジロウを制して訊いた。
「じじジャイアンは、な何を歌っていたんだ?」
「良く聞き取れませんでしたが、羊が何匹とか……おそらく、童謡かと」
「そそうか」
ジャイアンらしいと、ファルダードは何故だかそう思った。