19日目
19日目
戦闘士というものはハンターではない。傭兵でも無い。『戦闘士』として認知される一つの職業である。尚武の気質のある国柄の為、戦闘士の立場はそれほど低いものではない。
市民と三級戦闘士以上の推薦が無ければ戦闘士になる事は出来ないため、戦闘士の数はそれほど多くは無い。ファハーン支部に属する戦闘士は200人ほど、人口2000人当たり一人程度の割合である。こうして絞り込むことで、質と信頼を担保している。臨時雇いの傭兵などとは訳が違うのである。
平時の戦闘士の仕事は主に3つ。
交易をする隊商の警護、各地の村や町や軍での訓練指導、そして「一部」の有害魔物の討伐である。加えて、有事においては臨時雇いの傭兵を指揮する現場士官・下士官の役割を担う。
さて、戦闘士はハンターギルドに所属しているわけではない。したがってハンター株も持てず、ゆえに魔境で好きなだけ自由に魔獣を狩る、といった事は出来ない。魔境も資源である為、管理の必要と縄張り争いがあるのだ。
戦闘士が自由に狩っていいのはアスラ熊、魔狼、ヤーマ獅子、赤虎、飛山猫、裸緑猿、裸赤狒々、棘猪といった有害魔獣である。その他の比較的温和な草食魔獣はハンターの得物である為、狩ったとしても肉や素材を公的には市場に流す事が出来ないのだ。
いずれにしてもハンターと戦闘士が適度な狩猟圧をかける事で魔獣の暴走を抑制し、きこりが木を切る事で魔境の規模そのものをキープしているのである。
つまり、この国では魔境と人間は共存しているのだった。
ファハーンの木材、肉、革製品、肥料、そして魔石を支える魔境は市街から40サング(60キロ)ほど離れた地点から広がる中規模魔境の森だ。ファハーン魔境とよばれるこの魔境は、南北に30サング(45キロ)東西に15サング(22キロ)ほどのピーナッツ型をしている。ピーナッツの大きく窪んだ中央部分は3サング(4.5キロ)程度の為、ここには強引に細い道が通してある。工事には大きな犠牲があった事だろう。
朝8時であった。伊勢はアールにまたがってファハーン魔境むかっていた。
魔境までの道は、魔法土木によって完全に舗装されているのでバイクで走るのに何の問題もない。自操車では必死に走って一日かかる距離でも、伊勢とアールならゆっくり流して一時間の距離だ。
ファハーン外壁を出てしばらく、魔境への道の途中には渇き気味の草原と、穀倉地帯が広がっている。水源からカナート(地下水道)で水を導き、灌漑農業で麦や大豆、瓜などの野菜や、かんきつ類など乾燥に強い果物を栽培しているのだ。魔境からまれに流れてくるハグレ魔獣を警戒してのことだろうか、家や村のみならず畑までも、2mほどの塀に囲まれているものが多い。いや、畑の壁は砂漠の風によって肥料分を飛ばされてしまう風乾を抑制しているのかもしれない。
「相棒、気持ちがいいですねぇ…はあ、空気がおいしい…久しぶりに走れてボクは嬉しいですヨ」
アールがのんびりと言う。伊勢も同じ気持ちだ。ポンポンとタンクを叩いてやる。
羊を遊牧している羊飼いや遊牧民の姿も、ちらほらと見かける。彼らの生活は過酷なものであろうが、はた目に見る限りはシンプルで長閑なもの。仕事に追われていたかつての日本人の感覚からすると、どこかうらやましい感じさえもするが、自分にはとても出来ないだろうとも思う。季節によって拠点となる遊牧を変えながら、数家から数十家の大家族として、ゆっくりと一生をかけて動いていくのだ。町の住民や農民などの定住民と金銭で時に物々交換で交易をし、場合によっては盗賊にもなる。生きているというだけで遊牧民は強く、そして強いものが遊牧民になるのである。
途中、何台もの自操車を追いぬいたりすれ違ったりするが、左手をあげて挨拶をしながらスル―である。伊勢にとってアールに乗らないという選択肢は考えられない以上、多少の愛想を振りまきながらスル―していくしかないのだ。御者や乗っているものらはギョッとして振りかえっているが、いちいち気にしてはいられない。
町からトリップメーターで30キロほど走ると、分かれ道だ。まっすぐはファハーン魔境に至る道であり、もう一方は魔境を迂回して東へ進む交易路である。徐々に草が無くなり、荒野と砂漠になる。伊勢とアールにとっては、もう見慣れた光景だ。
土色の砂と石ころの大地に、上下にうねりながらまっ直ぐと伸びる道を淡々と進む。
トリップメーターが55キロを指そうとするころから、また緑の草が生えてきた。地平線近くに、緑の塊も見えるようになる。ファハーン魔境である。
街道のそばに、それぞれ高い壁に囲まれたいくつかの施設と、何本もの高さ10mを超える石塔が立っている。
ハンターと戦闘士の宿泊所、魔境からとれた材木の製材所、食肉加工所、皮革加工所、そしてそれらの買取所である。高い石塔は、鳩の塔と呼ばれる肥料生産施設だ。鳥を住まわせて、その糞を集め、肥料とするのだ。
ここで働く人間の殆どは奴隷である。戦争奴隷や犯罪奴隷などが多い。当然ながら魔境近くで危険が大きい事、仕事自体がとてもきつい事、などがその理由だ。
伊勢とアールの姿に目を剥いている作業者の視線を無視しつつ、片手をあげてそのまま通り過ぎた。ここに用があるのは帰りだ。
だんだんと魔境が近づいて、木々の姿が見えてくる。広葉樹と針葉樹が入り混じった森だ。
砂漠の中にいきなり草原があり、その中心にこのような森があるのはとても違和感が強いが、まあそう言う世界なのだから仕方ないのである。
そのまま徐行して草木の陰に入り、バイクから降りてアールを人型に戻した。
「ふ~、気持ち良かった~最高ですヨ!相棒!!」
アールはつやつやした顔をして満面の笑みで言った。
「帰りはもっとぶっ飛ばしてみましょう!250キロくらいで!!いや、280キロくらいで!!ズバッといきましょうズバッと!!」
何気にスピード狂なのかもしれない。スポーツバイクなのだから、それも当たり前なのかもしれない。
「ま、まあ帰りの事は後で考えよう。今はまず狩りを、な?」
「はい!!」
返事は良いが、少し心配である。
「いいかアール、確認しよう。魔境の魔獣はとても多い。草食魔獣はこちらから手を出さねば、棘猪以外は殆ど襲ってこないそうだ。で、我々のターゲットは肉食魔獣だ。
肉食魔獣は、適当にあるいているだけでもバンバン人を襲ってくるらしい。一番恐ろしいのは赤虎とヤーマ獅子と飛山猫、次に棍棒を使う裸赤狒々だ。アスラ熊はデカ過ぎるから、注意して歩いていれば先にわかるらしい。逆に虎やヤーマ獅子や飛山猫はストーキングして一気に襲ってくる。
さて、一番数が多くて、一番弱いのは裸緑猿だ。コイツらも棍棒を使い凶暴だが、人間の子供程度の身体能力しか無いらしい。俺らの今日のターゲットはこの裸緑猿だ。売値は10ディルほどだが狩りやすい。」
裸緑猿。日本の専門用語でゴブリンともいう魔獣である。
「裸緑猿を10匹狩って、このずだ袋に左手と魔石を入れて無事に帰る、ってのが今日のミッションだ。OK?」
「分かりましたヨ相棒。虎でも獅子でもボクがぶっ刺してやりますから!!」
久しぶりに走ったせいで興奮しているアールである。心配である。
「い、いやアール…俺たちは裸緑猿を狙って…」
「緑猿ですね!100匹はやっちゃいましょう!!」
「あ、ああ…」
心配である。
狩りの基本は、待ち、だろう。
相手の獣に気がつかれないように待ち伏せして、一撃で仕留める。それがベストである。そう二人は考えた。
アールは昨日のうちに家でギリースーツモドキを作ってきていた。ざっくりとした網に緑色の短冊状の布を結びつけた迷彩用具である。
二人は武器を構えながら森に分け入った。このあたりはそれほど下草が多いわけではなく、歩くことはできる。
10分ほど奥に入って止まった。あまり深く入りすぎるのは危険なので、この地点で待つことにした。
伊勢は5mほど木に登って、槍を枝の上に載せ、枝にギリースーツモドキをかけて体を隠ぺいして弓に矢をつがえた。
アールは体重が200キロ近いので、ギリースーツを着て鉄の強弓に矢をつがえ、低く下草の間に伏せる。
一時間ほど、待った。―ホウッホウッ。遠くの方で猿の吠える声が聞こえる。
さらに三時間ほど、待った。鹿のような魔獣は時々見るが、狩るわけにはいかないので無視だ。
―キャーキャーッガサガサガサガサッ
突然、猿の叫び声が聞こえた。こちらに向けて、叫びをあげながら近づいてくるようだ。
伊勢はドキドキと高鳴る鼓動を抑えつつ、矢を構えた。
―キャウッ
木を伝いながら、裸緑猿が出てきた。一匹目の緑猿につがえた矢をヒョウ、と射る。猿の胸に刺さった。傾ぐようにして木から落ちていく。
伊勢が戦果にホッとしたのもつかの間、地面の上でも樹上でも、次から次へと猿が出てきた。どんどんこちらに迫ってくる。
―バンッードンッ
弓とも思えぬ音を立てて、アールの矢が放たれた。猿の脇腹を真横から貫き、そのまま木に縫いとめる。おそろしい威力だ。
「くっ」
軍勢になって迫ってくる裸緑猿に木の上では対処できないと思い、伊勢は槍を持って勢い良く飛び降りた。地面に転がる。
「えいっやっ」
アールは既に弓を手放し、飛び出してくる猿の進路に立ちふさがって、何やら気が抜ける声をあげながらブンブン槍を振り回す。ひと振りごとに裸緑猿が吹き飛ばされていく。すごい勢いだ。
伊勢はその姿に少しあきれつつ、アールがうち漏らした猿を槍でザクザクと狩っていくことにした。こっちに突っ込んでくる猿に槍を刺す。どんどん刺す。5匹位に槍を刺すと、抜けなくなったので抜刀して日本刀で切っていく。
何十回か何百回か剣を振り、いい加減腕が鉛のようにだるくなり、息が上がったころに裸緑猿は出てこなくなり…
―オキャァァァァァァァ!!!
真打が登場したのだった。
裸赤狒々のつがいであった。棍棒を持っている。大きい。
さっきの裸緑猿はこの狒々のつがいから逃げて、混乱していたのだ。
一瞬、時が止まった。
アールが一番先に動いた。
「やぁぁぁぁぁぁ」
先頭の狒々に槍を構えたまま突っ込んでいって…そのままぶち当たった。どんっ。槍は狒々の腹を貫通し、押し込まれて後ろの木に縫いつけた。
それでも狒々は止まらない、槍を握ったアールを爪でひっかき、激しく頭に噛みついた。
「アール!!」
ヤバい!!伊勢は焦った。アールを助けには走ろうとした時、もう一頭の裸赤狒々が棍棒を持って突っ込んできた。転がりながらかわし、すぐに立ち上がる。
相手は棍棒で殴りつけてくる。技術はまるで無いが、力がある分、速い。鍔元で受けると手がしびれ、刀を取り落としそうになった。日本刀は折れずに耐えてくれた。
「アール!!」
伊勢は叫んだ。早く助けに行かないと!
「大丈夫です相棒!ちょっと待ってて!!」
アールの声はしっかりしている。力ではアールが上回っているが、腹を突き刺されて滅茶苦茶に暴れる狒々を抑えているのが精いっぱいなのだ。
伊勢はとりあえず、目の前の狒々に集中した。コイツが邪魔だ。
狒々は何度も棍棒で叩きつけてくる。ヘタに受けたら刀を取り落とすし、悪ければ折れるだろう。小さく捌きながら、小さく切りつけていくんだ…
よけて狒々の手首を刺し、流して脚を切り、何度も何度もコンパクトに切りつけて出血を誘っていった。次第に狒々の動きが悪くなる。
殴りつけてくる棍棒を斜めに受け流しながら剣を滑らせ、指を切った。赤子の手首ほどもある指がボロボロと落ちた。
伊勢には叫ぶ狒々の声など既に聞こえていない。左に抜けながら右ひざに剣を叩きつけた。半ばまで斬れ、狒々の頭が下がった。
「ああああ」
上段から頭に切りおろした。二度、三度、四度目に狒々の動きが止まった。
「アール!!」
アールは暴れる狒々を木に押し付けていた。
伊勢は狒々の横腹に突っ込み、日本刀を突き刺した。剣を残したまま転がるように離れた。
アールが狒々の横腹に刺さった剣をこじる。次第に動きが無くなり、狒々はどんよりした眼をして死んだ。
「相棒!しっかりしてください!相棒!」
アールの声。
「あ、ああ…大丈夫だ」
血と内臓と糞の匂いがたちこめる中、しばし呆然としていた伊勢はアールの声で目を覚ました。
「急いで集めないとな」
ゲロを吐くのはもう少し後で良い。今は早い所、討伐証明と魔石を集めなければならない。
アールが狒々の左手を切り落とし、頭をトマホークで割る。伊勢が手を突っ込んで探り、魔石を取り出した。
日本から持ってきたトマホークがようやく役に立ったなぁ、など詰まらない事を考える。
20分ほどかけて裸赤狒々と裸緑猿の魔石と左手を大体集めきった。ずっしりと重くなったずだ袋を抱えて、外にむかって走って逃げる。血の匂いをさせたままのんびりはしていられないのだ。
深く分け入ったわけではないので、数分して森の外に出る事が出来た。バイクに変形したアールに乗って数キロ走り、周りに人の姿が無いのを確認して、また人型に戻した。岩陰に座って、水を頭からかぶり、しばし休んだ。
「ああ…つかれたなぁアール…怪我、大丈夫か?」
伊勢は魂が抜けたような声で話した。頑張っていても伊勢は所詮素人で、命のやり取りはおろか、狩りの経験もないのだ。精神をギリギリと削られて、限界であった。水を口に含んで、少し胃液を吐いた。
「ボクは大丈夫ですヨ、相棒。へこんでちょっと穴あいただけだからもう直しました。…相棒、頑張りましたね。かっこ良かったですヨ」
こんな風に褒められるのは、久しぶりだった。
涙が出そうだったから、立ち上がってタバコを取り出し、街道を歩きながら吸った。
アールは小さく震える相棒の背中を見ないようにして、少し後ろをついていった。