歩兵中隊 10
歩兵中隊 10
敵だ。
サンマの指さす先。狼煙を見た瞬間、すぐにわかった。
モングが来たのだ。
――俺はどうすれば良い?
ジロウの心臓は疾走する馬蹄の如く、鼓動を早めた。それなのに、顔面からは血の気が引いているのが自分でもわかる。指先もカタカタと少しだけ震えている。戦いの時はいつもそうだ。恐怖をなんとか根性だけで押さえつけて、必死に考える。
――早ければ数分で敵は姿を現すかもしれない。さて、どうする?
「敵襲! 敵襲! 敵襲! 太鼓鳴らせ!!」
ジロウは声の限りに叫んだ。まずは、それからだ。自分の小隊と、本隊のいる砦に危急を周知しなければならない。もしかしたら、太鼓の音は砦まで届かないかもしれないが……狼煙は見えているはずだ。だとしたら、すぐに砦から騎馬斥候が来るだろう。
次は……
「小隊、迎撃用意! 兜かぶれ! 土塁に大盾並べろ!」
ジロウの指示を受けて、兵士たちが一斉に走り出した。明確な命令さえ与えれば、彼らの体は考えるのと同じ速さで動く。中隊兵士は、そういうふうに訓練されている。
この土塁、正確に言えば土塁群は、言ってみれば局所的な重深陣である。さっきまで第二小隊が構築していた土塁だけでは無く、この二週間で他の小隊が構築した土塁や木の根などの障害物、そして罠が各所に幾重にも連なっている。これらは砦の迎撃準備が整うまで敵の行動を遅滞させ、出血を誘いつつ、敵を東側にある川向うのちょっとした湿地まで誘導するのを目的としている。
敵の規模如何によっては1個小隊では荷が重いだろうが……ここで第二小隊が抑えなければ、半ば奇襲になってしまう。しばらく耐えれば、砦から援軍が来るはずだ。
敵を隔てる土塁もある、罠もある、そして第二小隊は中隊で最強の打撃小隊だ。必ずやれる。ジロウはそう信じて、大きく息を吸い込んだ。
「各分隊長は聞け! 武器は弓が優先! 矢を無駄にするな!」
「了解!」
ここに来た時、すでに弓の弦は張ってある。槍の穂先には袋もかぶせていない。戦闘準備は早いはずだ。
「第一分隊から第三分隊は土塁上の左翼、第四分隊から第六分隊は右翼を担当しろ!」
西側の左翼に比較的強力な分隊を配置した。西から東に相手を誘導するのである。
「伝令!」
「はい!」
すぐに来た。伝令は常に小隊長の近くに居るようになっている。
「ファルダード中隊長に伝えろ。第二小隊はここで敵の侵攻を食い止め、遅滞させる。敵の規模はまだ不明。暫時したら退却できるように援軍を要請。少なくとも一個小隊ずつを、この地点と東側に展開させて欲しい。復唱しろ」
「第二小隊はここで敵の侵攻を食い止め、遅滞させる。敵規模不明。退却支援の援軍を要請。最小でも一個小隊ずつを、ここと東側に」
「よし、行け」
「了解!」
伝令はすぐさま背中を向けて、脱兎のごとく駆けだしていった。砦までは二分の一サングも無い。300を数えるうちに辿り着くだろう。
――よし、次は……
部下の兵士達が恐々として戦いの支度を始める中、ジロウはゆったりとした散歩のように、ブラブラと土塁の上を歩いて廻った。わざと、落ちついて見えるように。
「おいハッパ。お前の分隊はもう少し右に移動しとけ。」
「はい、小隊長」
土塁上にはあっという間に蔓を編んで作った大盾が並べられていく。置き盾に出来るように工夫されている軽量な盾だから、設置は楽なのだ。
兵士達は引っさらうように武器を取り、代わりに武器を置いていた場所には、各人が持っていた工事道具が放り出されている。大方の戦闘準備は、200を数える間に整った。極めて素早い。後は分隊内で矢のやり取りや、鎧や靴の具合を確認すればいつでも戦える。
「各員、作業しながら手を止めずに聞け!」
土塁の真ん中あたりで、ジロウは小隊全員に向けて声を張り上げた。あえて、一語一語、ゆっくりと言葉を発する。
「敵はすぐに来るだろう。だが、後四分の一時間もすれば砦から援軍が到着する。そしたら順次撤退する。心配するな! 思いきって、全力で殺しまくれ!」
「「「おう!」」」
いい返事だ。兵士達は瞳孔の開いた眼でジロウを見る。一人残らず、蒼白な顔色をしている。
ガタガタと震えている奴もいるが、そんなのは戦闘になってしまえば関係無い。歯の根が合わぬほど震えていても、最初だけ無理やり体を動かせば、後は問題なく動く。そういうものだ。怯えていようが何だろうが、ここにいる兵士達がこの世の誰よりも勇敢に戦える事は、ジロウが一番よくわかっている。
「敵の先頭を集中して射殺せ。進行を遅らせて、後ろを詰まらせてやるんだ。敵の馬はこの土塁と掘を殆んど越えられないだろう。安心して撃て。だが、敵の矢だけには気をつけろ! 相手は騎射が上手いぞ!」
「「「おうっ!」」」
「敵部隊は弓を撃つ関係上、必ず右に旋回したがる。つまり俺達の向かって左側、西に。だが、俺達の左には木の根や罠と言った障害が多数置いてある。だから東に行くしかない。土塁も東側の方が『見かけ上は』低いから、そっちを攻めたがるだろう。敵を西から東に追い立てるんだ。いいか?! 向かって右側、東へだ!」
「「「おう!!」」」
「死ぬんじゃないぞ! ……ここで死んだ奴は便所掃除10日間だ!」
「小隊長! 死んだら掃除出来ねぇっす!」
近くにいた第3分隊の鶏がまぜっかえした。
「うるせぇ! 根性で掃除しろ!」
ジロウの下らない冗談のような何かに、兵士達がヤレヤレと首を振って苦笑した。
ジロウは「よし…」と小さくつぶやき、土塁の上から、深い緑に覆われた魔境の方を見た。いつも通り、鳥と猿の鳴き声が聞こえる。
モングの侵攻して来る魔境の道は、幅約50ヤル。道の両側は鬱蒼とした森。森から約60ヤル程度の位置に、道の出口をふさぐようにして土塁が作ってある。土塁は東側が見かけ上低くなっているが、代わりに堀が深いので実際には変わらない。土塁には根を結び合わせた逆茂木が植えられている。土塁の前方には作りかけの浅いが急峻な掘。その前10ヤルには、底に木の杭を据えた落とし穴が、草で擬装して市松模様に掘られている。さらに前方60ヤルの森の出口と左翼西側に障害物となる木の根が積んである。馬防柵代わりだ。これだけあれば、100や200の敵兵力なら、それほど苦労無く押し返せるだろう。
「よし……」
ジロウはもう一度振り返った。兵士一人一人の顔を見ると、余計なこわばりが取れているように見えた。さっき、下らない冗談を言った甲斐があったと、思った。
ついさっきまで上がっていた狼煙は、今はもう見えない。見張り兵は恐らく死んだ。600ヤル先に見張り櫓は立ててあるから、敵はもう、すぐそこのはずだ。敵の姿も吶喊も馬蹄の響きも聞こえてこない。草と湿った土が蹄の音を殺し、そしてその音も森に吸い込まれて、すぐに消えてしまう。
「戦闘準備!!」
指示を受けて、兵たちが盾の陰に隠れ、槍の石突を地面に突き刺し、弓の弦に矢を番えた。ジロウは盾の後ろに立ち、魔境の道をじっと見る。
まだ静かだった。
草に軽く湿った、緩やかな風。柔らかく、雨の直前のようだ。夏めいていた。近くの部下達の装備のぶつかり合う硬い音と、興奮した荒い息づかいだけがはっきりと聞こえてくる。
そのまま待った。60を数えた。
馬蹄の音。かすかに耳に届く。だんだんと、はっきり、大きくなる。ぶ厚い木々の陰になり、敵の姿はまだ見えない。
「来るぞ! 150ヤルから撃ち始めろ! まだだぞ!」
馬蹄の音が大きい気がした。嫌な予感がする。
……ようやく、敵が見えた。事前に設置した目印と見比べて、距離を測る。250ヤル。矢を番えた兵士達は、盾の隙間から息を殺して敵の姿を見る。
「来たぞ! まだ撃つなよ!」
敵もこっちを認めた。先頭の騎兵が何か叫びながら、手に手に槍や弓を振り回している。随分と多い。百や二百ではきかないように、ジロウには思えた。
――ヒョロロロロロ……
モング特有の、甲高い吶喊が戦場に響き渡る。心を逆撫でするような音だ。200ヤル。
「まだだ!」
敵は土を跳ね上げながら、一気に速度を上げて突っ込んでくる。150ヤル。
「撃ち方始め!」
ジロウの指示で一斉に弓弦が鳴り、盾の間から36本の矢が放たれた。山なりの放物線を描きながら、敵に向かっていく。敵の数から比べたら、悲しいほど貧弱な攻撃だ。
「各個に射ろ! 先頭を倒せ!」
騎兵は速い。最初の斉射で算を乱したものの、あっという間に50ヤル先の木の根の障害まで達した。
「先頭を射ろ! 先頭を射るんだ!」
「「「おう!」」」
馬防柵代わりの木の根で速度が緩み、混雑した敵騎兵に矢が集中する。
「うあっ!うあああっ!」
悲鳴をあげながら、数騎が落馬した。敵の混乱に拍車がかかった。たった36本の矢だが、距離は50ヤルしかないのだ。そして敵は密集している。矢は当たる。
「小隊は今の場所を射ろ! 密集してる所を撃つんだ! ……サンマ! コロスケ!」
「はい!」
「おう!」
「抜けてきた奴はお前の分隊がやれ! 他の奴らは密集してる所を撃て!」
言ってる傍から数騎抜けてきた。一騎、二騎、…五騎。ジロウは自分の弓を持ち、矢を番えた。
「おめぇら撃てっ! 殺せっ!」
サンマとコロスケの分隊から矢が6本ずつ飛び、二騎が撃ち倒された。残りの三騎がまっすぐこっちに突っ込んできて……一騎が落とし穴に足を取られてつんのめる様に落馬した。地面に放り出されたモングは衝撃で気絶したのだろうか。手足を糸の切れた人形のように投げ出して、ピクリとも動かない。
「殺せっ!」
更に二騎。ジロウの目の前。馬上槍を持った重装騎兵が突進してくる。ジロウは瞬間的に弓を引き絞って、放った。矢は一騎の馬の眼に突き立った。
馬に矢が当たるのと同時に敵は叫び声をあげて、仲良く二騎並んで堀を飛んだ。だが、そんな事で土塁は越えられない。ぶち当たって、逆茂木を粉砕しつつ、堀に落ちて激しく横倒しになった。湿っぽい土煙が少しだけ上がる。
大きく口と眼を見開いて落馬していくモングの表情が、ジロウにはしっかりと見えた。垢じみて薄汚れたやつらだった。
「殺せっ!」
サンマが叫ぶ。サンマはさっきからこれしか言っていない。
「死ね死ね死ね死ね死ね!!」
「クソが死ね!! おらぁっ! らっ!」
堀の上から白雪姫と豆が槍を突きだし、右手一本の投げ突きで、敵を何度もめった刺しに刺し殺した。重い長槍を自在に使っている。
コイツらは随分と強くなった。頼もしい奴らだ。コイツらの本名はなんだったか……。こんな忙しい時なのに、ジロウはふとそう思った。
白雪姫と豆に騎手を殺された二頭の馬は、身体をひねり、半狂乱になって立ち上がった。後足を蹴り上げ蹴りあげ、堀の底を横に駆け抜けて、どこかへと逃げ去っっていく。一頭の馬の眼には、ジロウの矢が刺さったままだった。
後から、ドカドカと馬蹄の音がした事にジロウは気がついた。直ぐに振り返る。
「伝令! 伝令! ジロウ小隊長は?!」
「おう、そこから報告しろ!」
砦からやってきた支援騎馬隊の一騎だった。全力疾走して来たのか、馬も騎手も激しく息を乱している。若干遅れて、数騎が駆けてくるのが見えた。
「砦から第三第四小隊が出撃します! 少しだけ耐えてください!」
どうやら砦でも狼煙を観測できたようだ。おそらく伝令が出る前にファルダード中隊長が即応してくれたのだろう。
「お前ら聞いたか?! すぐに援軍が来るぞ! すぐに二個小隊が来る! 耐えろ!耐えろ!」
「「「おう!」」」
ジロウががなりたてると、部下達が忙しそう矢を射ながら応じた。士気はまだ高い。大丈夫だ。
「矢を置いていきます!」
「助かる!」
後続の騎馬隊が各分隊に駆け寄り、投げ捨てるように矢束を放り出して戻っていった。
ジロウはそのまま伝令を捨て置き、戦場全体をもう一度見わたした。最初に矢を放ってから、200数える時間も経っていない。左右の部下には、負傷者は出ていない。まだ、今のところは。
敵は、多い。後方からまだどんどん来ている。敵の先頭は木の根で上手く詰まってくれているが、崩れたら一気にやられるだろう。断続的に木の根を抜けてくる敵はサンマとコロスケの分隊だけで上手く処理できている。敵が百名なら、全く問題なく勝てる。二百でも勝てるだろう。だがそれ以上は……。
先頭近くの敵が、弓を構え始めるのがジロウの眼に映った。
「矢が来るぞ! 盾に隠れながら射ろ!」
改めて注意を発した。最初から兵士達は置き盾の隙間から矢を放っているものの、戦っている時は、自分でも意外なほど頭が働かないからだ。
短く鋭い風切り音が聞こえた。矢が降ってくる。近い敵の射撃は直線的に、遠くは山なりに。上から角度をつけて降ってくる分、後者の方が怖い。威力は大してないものの、置き盾では身体の上方は守れない。
ジロウは弓を肩に担ぐと、大盾を右手に取って、少しだけ掲げた。
「全員膝立ちで射撃しろ!」
掲げる盾に、矢が二本、立て続けに突き立った。ジロウの耳には音も聞こえなかった。カツンッという、小さな衝撃があっただけだ。
盾は蔓を何重か荒く編んだだけである。矢は拳一つか二つ分だけ、裏側に貫通してくる。身体から離しておけば大丈夫な事はわかっているが……盾を抜けて眼の前で震える石鏃を見ると、ジロウは何とも言えない嫌な気分になった。怖さ…ではないと思う。
ジロウは少しだけ身体から盾を離した。取っ手を持つ拳の部分だけは木を張ってある。
「敵に矢を送り続けろ! 絶やすな!」
兵士たちは返事をする代わりに矢を飛ばす。
矢による圧力が無くなったら、一気に押し寄せられて対処できなくなる可能性が高い。罠と土塁があっても、元々の兵力差がありすぎるのだ。矢あわせをしばらく続け、時間を稼がねばならない。そんな事は、兵士達にも良くわかっている。
わかっているが、しかし……
「ジロウ小隊長! 矢がそんなにねぇっすよ!」
「あるだけ放て! 良く狙え!」
「ちくしょう!」
矢は各員が矢筒に30本やそこらしか持っていない。支援騎馬隊が多少は持ってきてくれたが、所詮は焼け石に水だ。
ジロウは後ろを振り向いた。砦から、この前線に向かって駆けている小隊が二つか、三つ見えた。
――よし! あいつらが到着するまで耐えれば……後、二百か三百数える間だけだ!
「……敵の矢を拾って使え!」
敵の矢は次々に飛んでくる。だんだん数も多くなって来たようだ。皮肉にも、ある意味で供給は潤沢である。
中隊と敵の弓矢とは弦と矢筈が違うが、長さは大体同じだ。矢筈の溝幅が広すぎるので狙いにくいが、なんとか使うことはできる。
「クソッ!」
兵たちは文句をいいながらも、分隊ごとにすばしこい者を使って敵の矢を集めはじめた。盾に刺さっている矢も盾の裏から引き抜いて使う。多少曲がっていても、鏃が取れかけていても、そんな事に頓着しては居られない。いま大事なのは数だ。
「ち、ちくしょう! ひいっ! あぶねぇっ! くそっ! うひょっ! ほわっ! ひえっ!」
ジロウの近くでは、サンマの分隊の鶏が、盾をかかげながら身を低くして矢を拾っている。こんな時でもうるさい。誰も相手にはしない。
「痛ぇっ!!」
鶏の左肩に斜め上から矢が突き立った。ジロウとサンマが鶏の方を振り向いた。
「鶏、こっち来い! ヘタに抜くな!」
サンマが呼ぶ。
「あれ? いや、なんでもねぇ…痛くねぇ!」
「そんなら騒ぐな、バカ!」
「すまねぇ!」
ジロウとサンマが戦闘に集中を戻すと、鶏は右手で矢の根本を持って、無造作に引き抜いた。大した抵抗も無く、素直に抜けた。
「あれ?」
石の鏃は赤く濡れている。鶏は鏃の血を見ると、一瞬だけ不思議そうに片眉を上げた。
「クソぅ……」
口の中だけで呟いて、引き抜いた矢を矢筒に入れ、あとは黙々と矢を拾い集め続けた。
持って来た矢が、ほとんど無くなった。後は敵の放った矢を集めて再利用するしかない……だが、到底それで追いつくものではない。射撃速度は遥かに遅くなってしまう。
敵は数が少ないこちらを、ほとんど舐め切っているようにジロウには思えた。敵の射撃もかなり薄くなってきている。敵の一部は馬を降り、徒歩でこの土塁を処理する気のようだ。
――援軍はまだか?!
ジロウが振り向くと、一個小隊が背後まで来ているのが見えた。そのすぐ後ろに、もう一個小隊。両隊とも後300ヤルくらい。土塁が視線を遮るので、モングには気付かれていない。
よし……
「小隊、聞け! 俺が20数えたら急射開始! 各員、五射したら撃ち方やめろ!」
「「「了解!」」」
一、二、三……敵の様子、部下の様子、後方から近づく援軍の様子、ジロウはそれらを見ながら声に出して数を数える。自軍からは、バシリ、バシリと、ごく散発的に矢が放たれている。
「十九、二十! 急射開始!」
準備万端整えていた部下達が、この時とばかりに弓を引き絞り、次々と青い空に矢を解き放つ。
各員五射、合計して約150本の矢が、短い間に敵部隊を襲った。数人の敵兵に重傷を与え、あるいは殺し、数人の敵兵に傷を作り、数頭の馬に当たって敵陣に混乱をもたらした。
「撃ち方やめ!」
後ろを振り向けば、援軍はもう150ヤルまで近づいていた。おそらく、余力を残す為に速度をわざと落としているはずだ。隊の動きを見るに、ニタマゴの第三小隊のように思える。そのすぐ後方はキムタクの第四小隊だろう。
敵陣はどうか……ジロウは盾の隙間から60ヤル向こうの敵陣を観察した。馬上から一人の敵指揮官が腕を振り回し、烈火のごとく怒鳴り倒していた。剣を抜いてこちらを指し示し、兵を叱咤している。
「よし、来るぞ。敵も援軍も同時にな!……総員白兵戦闘用意!」
「いつでも行けまさぁ!」
小隊の誰かが、そう言った。兵士達は蒼白な顔をしながら、ニヤニヤ笑っている。凄烈な笑顔だが、どこか清々しくもあった。
ジロウも笑い返した。兵士達と全く同じ笑顔だった。
第二小隊の得意は、近距離で槍を使ったぶん殴りあいだ。ぶん殴りあいなら、誰にも負けない自信がある。いわんや馬から降りたモングなど、物の数ではない。矢戦より、ぶん殴りあいの方が遥かに良いと小隊全員が思っている。ジロウもだ。
「小隊、聞け! この土塁は後ろの援軍に任せてしまえ! 俺達は前に出てモングのケツをぶっ飛ばす! 西側から押すぞ!」
「「「おう!」」」
「自分達で作った落とし穴に嵌るんじゃないぞ! 嵌った奴は便所掃除一ヶ月だ! 死んだら二ヶ月だ!」
「「「おう!」」」
――ヒョロロロロロロロロ
甲高い吶喊を上げながら、敵が徒歩でこちらに向けて、一斉に駆け始めた。先頭は徒歩が100くらい、その後ろから騎馬が押してくる。徒歩の兵で土塁を一気に制圧し、その後に騎馬兵で完全に蹂躙するつもりだろう。
同時に、援軍の第三小隊が到着した。計算通りだ。
「ジロウ小隊長、遅くなりました」
「おう、ニタマゴ!助かったぞ。 俺達はちょっと行ってくる。援護頼む……第二小隊、行くぞ!!」
「「「おう!」」」
ジロウは剣をかかげて先頭に立った。その後ろから剣または長槍を持った第二小隊全員が、一斉に土塁を駆け下る。
槍の石突を堀の底に突き立てて、それを支点として一気に堀を飛び越えた。枯れ草で擬装した千鳥模様の落とし穴群の背後で止まる。若干西側に寄り、隊列を組んで押し寄せる敵を待ち受けた。
「声出せ!」
「「「ホウッ! ホウッ! ホウッ!」」」
敵と比べれば小さな鬨の声だ。だが、気合いは十分。それだけで十分だ。
モングの歩兵が槍や剣やこん棒や斧、雑多な武器をかかげて、小隊に向けて突っ込んで来た。小隊の眼の前で、敵の何割かが落とし穴にはまり、速度が緩んだ。穴の底に据えられた杭で足をつきとおされ、もがいている。
「ぶっ殺せ!」
混乱しつつ押し寄せるモングに、隊列を組んだ小隊兵士の長槍が、一斉に振り下ろされた。
「ぎゃっ!」
「アバッ!」
血が、指が、腕が、腹わたが飛んだ。
長槍で思い切り一撃されれば、人の体は耐えられるものではない。最前線のモング共は次々と昏倒し、あるいは死んだ。
数人のモングが第二小隊の槍衾を抜け出して突進してきた。ジロウの目の前にも一人。伸びあがるように右手で剣を振りかざし、叩きつけてくる。ジロウは剣の中ほどで強く擦りあげた。鎬を削って火花を散らしながら互いの剣が交錯し、刃が毀れる。相手の剣が流れた。ジロウの身体の横を通り過ぎていく。ジロウは肘を小さく畳むようにして、振り上げた剣を相手の首に落とし、したたかに斬り割った。鮮やかな鮮血が頸動脈から噴き出た。
他に接敵して来た少数の敵兵も、剣を持っている各分隊長があっという間に片付けた。
「もう一発!」
「うおらぁ!」
「イヤーッ!」
「死ねぇ!」
仲間の身体を踏み越えて押し寄せようとするモングに、再度、息を合わせた槍が振り下ろされた。ガツガツとぶつかり合う音がして、また十数人のモングが臭い肉の塊になった。
眼の前で量産される仲間の死に、モング共の前進しようとする圧力が緩む。
「小隊前進!前進! 声出せ!」
「「「ホウッ! ホウッ! ホウッ!」」」
第二小隊は雄たけびを上げながら、ゆっくりと前進する。兵士達は敵の死骸を踏みつけ、次々と槍を繰り出す。背後の土塁からは、第三小隊の援護射撃が間断なく繰り返されている。
ジロウは隊列の中央に立ち、ゆっくりと前進した。足元で仰向けになってもがいているモングが居た。顔を、軍靴の踵で二度三度と思い切り踏みつけ、蹴り潰す。モングの黄ばんだ歯が砕け、抜け落ちて、軍靴の踵に残った。
「前進! 前進!」
「「「ホウッ! ホウッ! ホウッ!」」」
第二小隊は、ゆっくりと徐々に前進する。西から東へ。
小隊兵士が槍を振り下ろすたびに、突きだすたびに、モング共は頭を割られ、血を吐き、絶叫し、臭くて赤黒い腹わたをブリブリと吹き出しながら倒れていく。
「ひぃぃぃ!」
最前線の若いモングの一人が背を向けた。まだ少年の面影を引きずった若い男だ。ジロウはぐっと近寄って、その背中に剣を叩きつけた。
「ぎゃあぁぁ!」
うつぶせになって倒れた若いモングに、近くにいた白雪姫が槍を突き刺した。槍は股の間に深く突き刺さって、存分に腹わたを抉った。絶叫し、新しく出来た尻の穴から赤黒い糞をひり出して、その若いモングは眼を開いたまま死んだ。
「前進! 前進!」
「「「ホウッ! ホウッ! ホウッ!」」」
第二小隊はゆっくりと前進する。西から東へ。隊列を組んで。
小隊に面したモング歩兵はズルズルと後退していく。小隊が槍を突き出すたびに、何人かのモングが地に這う。
ジロウは落ちていたモングの手斧を手に取った。大きくふりかぶって、近くのモングに投げつけた。斧は狙ったモングには当たらず、その後ろに居る槍を構えたモングの右手に当たった。槍の柄と斧の刃に挟まれて、モングの指は親指を残して全て落ちた。
指を失って絶叫するモングの首筋に、石が槍の柄を叩きつけた。石は気を失って仰向けに倒れたモングの顔に、槍の石突を突き立てる。先端が眼窩から飛びこんで脳味噌を掻きまわし、モングは即死した。眼窩から槍を引くと、紐のようなもので眼球がくっついてきて、槍に引きずられるように抜け落ちると、地面にころころ転がった。
「前進! 前進!」
「「「ホウッ! ホウッ! ホウッ!」」」
第二小隊は前進する。西から東へ。隊列を組んで、次第に速く。
前線のモング歩兵はすでに戦う事をあきらめ、潰走しつつある。
背を向けようとするモング達に向けて、豆が力任せに槍を振り下ろし、叩きつけている。豆の身体はデカい。力も図抜けて強い。槍がぶつかるたびにモングが倒れ、他の小隊兵士にとどめを差されていく。
一人のモングが意を決して豆に立ち向かった。そのモングの頭は、真上から振り下ろされた豆の槍に一瞬で叩き潰された。そいつは、顔中の全ての穴から血だか脳味噌だかわからないものを噴き出して、垂直に崩れ落ち、死んだ。
「前進! 前進!」
「「「ホウッ! ホウッ! ホウッ!」」」
第二小隊は前進する。西から東へ。隊列を組んで、小走りで駆けていく。
モング前線の動揺は、すでに敵の全軍に伝わっている。第二小隊に立ち向かってくる敵兵は、ほぼ皆無だ。第二小隊と土塁から飛来する援護射撃に怖れをなし、予定通りにどんどんと東に向けて逃げていこうとしている。半ば潰走に近い。
こうなってしまえば、もはや兵力の多寡など関係無い。
怯えきったモングに、小隊兵士が背中から槍を突き刺す。頭や脊髄を潰されたモングはその場で糸が切れたように崩れ落ちる。腹を刺されたモングはしばらく走って逃げられる。胸を刺されたモングも、血を吐きながら少しは動ける。
だが、どちらにしろ、死ぬ。腹わたが傷つけば、死ぬしかないのだ。
「はぁはぁ……小隊止まれ!」
敵を追撃する前進が疾走に移りそうになる頃、ジロウは小隊を停止させた。
「はぁはぁ……勝ったぞ! 勝鬨を上げろ!」
――ウワァァァァァ! ウワァァァァァ! ウワァァァァァ!
第二小隊の声に合わせて、第三、第四小隊も声を上げる。たった100名と少しの勝鬨だが、モング共は音に押されるようにして、我先にと東の川向うに逃げ去っていく。
勝利だ。
「よし、退くぞ。各分隊長は被害を確認しておけ」
第二小隊の面々は全員が全員、泥と血で濡れそぼっている。緑色の戦闘服と鎧に染みこんだ血は、ジロウの目には真っ黒に見えた。
「お前ら、良く戦ったな」
「なんてこたぁねぇです。これが仕事っすから」
白雪姫が言った。
「そうか。砦に帰ろう。お前らはもう十分働いた」
ジロウは剣をぶら下げたまま辺りを見回す。一面にゴロゴロとモングの死体が転がっていた。おそらく、百人近い。それだけ殺せば今日の仕事は十分だと、疲労に痺れた頭でジロウは思った。
東に逃げ去ったモングは、今日の所はもう動かないだろう。
後の事はまた明日だ。
^^^
第二小隊が砦に戻ると、湯が沸かされ、飯が用意されていた。だが、負傷兵達は衛生兵が救護所に引っ張っていく。残念ながら、すぐに座って飯にあり付けた幸運な第二小隊の兵はほんの数人だろう。
砦の城壁上から戦いを観察していたファルダード中隊長が、ジロウに駆けよってくる。
「じじ、ジロウ!御苦労だったな。みみ水を飲め。さっき汲んだばっかりだ」
中隊長は自分の腰から水筒を取り上げると、ジロウの手を取って押し付けた。ジロウはありがたく飲んだ。水は結構冷えていて、実に美味かった。
「だ第二小隊の、ひひ被害は?」
「戦死5、重傷5、軽傷19です。戦線復帰できない重傷者は居ないと思います。おそらくですが」
小隊のほとんどの者が多かれ少なかれ傷ついている。かつてないほど、激しい戦闘だった。
中隊長はもう無い右耳の傷を軽く掻いただけだ。何も言わず、表情にも現さなかった。
「ああ、そ、そうか。それにしてもよ良く戦ってくれた。せ戦死者は誰だ?」
「ブタゴリラ、バッタ、石臼、下駄、団子鼻の五人です。取り急ぎ、砦の外に埋めました。南の道の傍に。遺品と遺書は後ほどお渡しします」
「てて、敵はどうだ?」
「敵は少なくとも80名ほど倒したと思います。ただ……敵兵力は最終的に800近いかもしれません。1000は居ないでしょう」
この報告にも、ファルダード中隊長は眉一つ動かさない。内心では歯ぎしりしているだろうが、疲れ切ったジロウ相手に顔に出さない態度はさすがだと、ジロウは思った。
「わわかった。明日も忙しくなる。あ後は任せて、だだ第二小隊はできるだけゆっくり休め。一時間後に軍議だ」
「了解。ちょっと負傷兵の慰問に行ってきます」
「おお、俺も行こう」
「お願いします」
傷ついた部下を見舞い、第二小隊の再編成と軍議と今後の計画立案に、夜までかかった。
夕飯を食い、新月手前のごく薄い眉月が空高く上がる頃に、ジロウはようやく隊舎の自分の部屋に戻ってこれた。たぶんもう9時は過ぎている。
重い身体を引きずるようにして水差しから直接水を飲み、床にどっかりと胡坐をかくと剣と弓、そして鎧を脱いで入念な手入れをはじめた。弓は問題ないが、剣は刃こぼれがかなりひどい。腰も伸びて来ている。砥石を当てて砥ぎ、油を塗ったが、もう一戦使えばもう寿命だろう。鎧には大した傷も緩みも無かった。
一通り武具を整備した後、背嚢を漁った。拳ほどの木片を二つ取り出す。作りかけの馬と羊の木彫り。子供たちのおもちゃだ。彫刻など素人の手慰みで大して上手くも無いが、いくつも作ったので最近はマシになって来たように思う。本当につまらないおもちゃだと自分でも思うが、給料の安いジロウに出来る事はこのくらいしかない。
腰に付けた帯から細工用の小さなナイフを抜き、木片にあてて丁寧に彫りはじめた。戦闘で酷使した手が、筋肉疲労の為に小さく震える。震えを無視しながら、ただ黙って彫った。
「……ああ」
手を見る。
「……クソ」
木片とナイフをベッドに投げだして、立ち上がった。部屋を出て大股で歩き、井戸に向かう。
備え付けの釣瓶を井戸に投げ込んで水を汲むと、傍のバケツにそそいで手を洗った。水を換えて、何度も何度も静かに丁寧に手を洗う。水はとても冷たく感じた。冷たい方が良い。
「……クソが」
今はこの手で、子供たちのおもちゃを触りたくはなかった。