歩兵中隊 6
歩兵中隊 6
中隊は草原を疾走していく。
誰も吶喊は発さない。抑えた声で鋭く短い指示が飛び交っているだけだ。
「こいっ!」
ハチベェ分隊長も稜線を飛び越えて行く。アパムも彼の後を追った。
アパムには、なぜか周りがよく見えていた。少なくとも、彼は自分でそう思った。
地面は、ごく丈の低い草原。走りやすい。朝露に少し濡れた草。膝下が冷たい。
サブロウ中隊長代理が先頭となって走っている。全力疾走はしていないから、ついて行くのは楽だ。5割くらいの力で、持久走のようなものだ。戦う力を残さねばならないから、力いっぱいは走れない。それでも、集落までは百と余を数えるうちに到達するだろう。
「はぁはぁ…」
右手に槍、左手に綱。
子羊はアパムのすぐ横を走っている。分隊の仲間達もすぐ近くだ。
第三小隊はアパムのいる第五小隊の左側、少し前方を走っている。右側の第四小隊は盛大に水しぶきを上げて、すでに小川を渡河しつつある。
敵集落まで残り半分。200ヤル。
敵にはまだ動きが……いや、物見やぐらの見張りが気付いた。慌てふためいている。はははっ、もう遅い!
残り100ヤル。
物見やぐらの上で、太鼓が鳴らされた。さあ敵が出てくるぞ!
「行けっ!」
サブロウ中隊長代理が叫んで、中隊の走る速度が全力疾走に移った。
アパムも懸命に走る。あっという間に馬の入れられた柵が、アパムの目の前に近づいてくる。
先頭を走っていたサブロウ中隊長代理と第三小隊は、集落を囲む馬防柵にすでに取り付いている。アパムもすぐに柵に到達した。少し、息が上がった。
おお?!おお!敵が…出てきた!
第三小隊と敵が馬防柵を挟んで槍を突き出し合っている!
これが殺しあいだ!
すげぇ!
アパムの胸は興奮にうち震えた。
「アパーム!!何やってんだ!ぼっとしてんな!こっちだ!」
「り、り了解!」
ハチベェ分隊長は自分の綱をすでに馬場の柵にひっかけていた。その周りに敵はまだいない。
「おらっ!引けっ!引けっ!」
アパムは綱にとりついた。分隊の仲間達と力いっぱい引っ張る。
「拍子を合わせろ!一、二、三!一、二、三!一、二、三!よしっ!」
おお!すげぇ!
メキメキと音を立てて、柵の一部が引き倒された。
「次だ!」
分隊の兵士達は、各々の判断で柵の穴を広げるように綱を引っ掛けた。
「ひひひひひ」
アパムは楽しくなって来た。
何かをぶっ壊すのは、すさまじく爽快である。周りでは殺し合いが行われている。その中で、アパムは殺し合いを無視して柵をぶっ倒しているのだ。……クソ面白い。バカどもめ!僕が柵をぶち倒し終わるまで敵を残しておけよ!
「一、二、三!一、二、三!」
――メキメキメキ
「一、二、三!一、二、三!」
――メキメキメキ
すごい!…どんどん倒れてく!うひひひひひ…
「次はこの綱だ!」
…おう!次は僕の綱だ!
「一、二、三!一、二、三!」
――メキメキメキ
アパムのひっかけた綱も、分隊が力をあわせて引っ張って倒した。柵の穴が広がった。
「よし!馬追い出せ!」
「了解!」
適当に柵をぶち倒した後は、馬場に入って馬を追いだす。馬のケツを槍でぶったたいて追いたてるのだ。
「おらぁっ!出てけ馬!」
アパムは馬のケツに槍を突き立てた。馬は狂乱状態である。
「おらおらおらおら!うひひひひひ!」
暴れまくった馬がアパムの開いた柵の穴から次々と駆けだして、どこかにすっ飛んで行く。
あっという間に、ほとんどの馬を追い出してしまった。
馬は…?もういない…
アパムは何をやれば良いかわからなくなった。突っ立ったまま周りを見回した。
馬はいなくなってしまった…
集落を囲む馬防柵は所々引き倒されて、穴があいている。
その周りで、敵の黒馬族と中隊の兵士が槍で突っつき合っている。弓で撃たれないように、蔓を編んだ大盾を地面に置いて壁を作り、その隙間から槍や弓で攻撃している。
敵は奇襲で右往左往しているし、中隊も集落に押し入って暴れるつもりはない。戦線は柵を境にお見合いしている。膠着状態だ。
……あれ?僕は何をすれば良い?
「アパーム!こっちだ!槍持ってこい!」
ハチベェが呼んでる…ハチベェ達は馬を追いだした後、他の分隊と合流して馬防柵に開けた穴を確保していた。
…え?…僕は?………ああ!僕も行かなくちゃ!敵を僕の槍でぶっ刺してやるんだ!
走った。
「分隊長!」
「槍振れ!」
走って来た勢いのまま、槍を振った。外れた。
「ひぃっ!ひぃっ!ひぃっ!」
振った。何度も振った。何度も突いた。
ガツガツと相手の身体にアパムの槍が当たる。身体の各所から真っ赤な血が流れ出ている。だが敵は倒れない。
寝起きで鎧も着ていない癖にしぶといっ!しねっしねっ!
「ひぃぃぃ!ひひひっ」
アパムの目の前にいる敵の男は口をとんがらせて、槍をぶん回している。まだ十代半ばのガキだった。
「ひいいっ!」
アパムはヤケクソになって盾の前まで出て、思い切り槍をつきこんだ。
自分でも驚くほど会心の突き込みだった。槍はガキの腹にぶっ刺さった。
ガキは口をとんがらせたまま血を吐いて、後ろにぶっ倒れた。
アパムは更に前に出て、ガキの腹に何度も何度も何度も槍をぶっこんだ。
ガキはすぐに眠そうな目をして死んだ。
「ひひひぃぃぃぃぃぃっ!」
やった!僕がぶっ殺した!敵をぶっ殺してやった!
「何やってんだ!アパム!死ぬぞ!こっち来い!こっちにもどって来い!」
盾の陰からハチベェが叫んでいる。臆病ものめ!僕みたいに戦ってみろ!
「ひひぃぃ…ハチベェ…ぶっ殺したった…僕がぶっ殺した…」
「矢を撃たれてるぞ!隠れろ!」
うるさい!敵のヘロヘロ矢なんて僕に当たるか!
「ひいっ!」
アパムの目の前に新しい敵が出てきた。よぼよぼのジジイだ。弓を持っている。
「ひいっ!お前もぶっ殺してやる!」
ジジイが矢を放った。矢はアパムの身体をギリギリにそれて飛んで行った。
「ひいっ!」
ほら!矢なんて僕には当たらない!しねジジイ!
アパムはへらへら笑い、槍を両手で突き出しながらジジイにまっすぐ駆けよってぶつかった。鎧も着ていないジジイの胸に、根元まで槍をぶっ刺してやった。
ジジイの温かくて真っ赤な血が、アパムの全身に降りかかる。血の色はジジイもガキも一緒だ。綺麗な赤だ。真っ赤だ!
ジジイは声も出さずに胸から血を噴き出し、これまた眠そうな顔をして死んだ。
「ひひひひ!しんだっ!しんだっ!」
しにやがった!俺の槍でまたしにやがった!一撃だ!
アパムはその場で跳び上がって喜んだ。
―ガツンッ!
「ひいぃぃっ?!」
アパムの兜が後ろからぶん殴られた。わけもわからず地面にぶっ倒れる。馬糞と血の混じり合った生臭い土が、容赦なく口の中に入って来た。
「ぐひぃぃ!?」
わけもわからずバタバタ暴れるアパムを、容赦なく何本かの腕が引きずっていく。
「ひぃぃぃ?!……あ?!な、なんで?!」
ハチベェだった。
「黙れバカ!浮かれやがって!ぶっ殺すぞ!」
ハチベェはもう一人の兵士に手伝わせてアパムをズルズル引っ張っていく。盾の裏まで引き込むと、彼はアパムの顔を地面に押さえつけて拳を握って滅多打ちに殴り付けた。
「ひぃっ!ぶばっ!ぐひぃ!…やめて!っ!ぎぃっ!ぐほぉっ!がふっ!げへっ!」
「大人しくしてろクソが!」
アパムは臭い地面の上に身体を小さく丸めて、震えた。
槍も無くなってしまったから、もう何もできない。ぶたれると痛い。怖い。
そのまま少しのあいだ、横になって顔を臭い土に押し付けていると、馬蹄の振動が伝わって来た。どんどん大きくなる。怖い!
「立て!アパム!邪魔なんだよ!」
ハチベェの声にアパムは条件反射で飛び起きた。ぶたれる!怖い!
「おらこいクソが!」
アパムは戦闘服の袖をひっぱられて、柵の前から退かされた。
次の瞬間、
―ウワァァァァァァ!
柵に開いた穴に、馬群が突っ込んで行った。
ファルダード中隊長の指揮する白山羊族と第二兵団の騎馬隊である。アパムの殺したガキとジジイの死体が、何百もの馬に踏まれて、赤黒い泥になっていく。
「ひぃぃ………」
アパムの目の前の穴から騎馬隊は集落に突入した。さっきまでアパムがいた所だ。騎馬隊は縦横無尽に駆け巡って、敵を槍にかけ、跳ね飛ばし、ひき潰していった。
まるで夢のようだ。
敵がどんどん死んでいく。
叫び声も、馬蹄の音も、全てが遠い夢のようだ。
「よし、ひと段落だ!……アパム、怪我はないか?」
「ひっひぃ…な、ないっ!」
「そうか」
ぶんぶんと首を振るアパムに対して、ハチベェは目を細めて優しく笑った。笑いながら彼の身体を触って、怪我がないか確認してくれた。さっきはあんなにぶん殴ったのに、今はこんなに優しい…アパムにはわけがわからない。
「よし、大丈夫そうだな……アパム、子羊は死んだぞ」
「……ひひ…ひいぃっぃぃっ!」
アパムは糞と小便を盛大に漏らして、その場にぶっ倒れた。
彼の戦いはそれで終わりだ。
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サブロウは集落に入らず、馬防柵の外で指揮をとっていた。
「……よし、もう終わりだな」
馬に乗らぬ遊牧民など、何ほどのものでもない。彼らの弓以外は中隊にとって、大した脅威ではないのだ。
すでにファルダード中隊長の率いてきた騎馬隊が、集落内を徹底的に蹂躙している。辺り一面に満ち満ちていた馬蹄と絶叫も、殆んど止みつつあった。
まだ突入から四分の一時間くらいしか経っていないが、天幕の外に出ている敵は、ことごとく排除されている。まあ、寝起きに500人からなる軍の奇襲をうければこんなものだ。鎧も着ていない相手なら、制圧するのはさほど難しくない。こちらの損害もほとんどない。文字通り、朝飯前だ。
「伝令!」
「はっ!」
「第四小隊のキムタクに伝えろ。天幕内の残敵を投降させろ。無駄に殺すな、だが、断固としてやれ」
サブロウの指示を持って、伝令は川の対岸の第四小隊に向けて駆けて行った。
「ニタマゴ。やれ。」
「了解」
ニタマゴの第三小隊が、集落内の天幕を制圧に行った。元は500人の集落だ、かなりの時間がかかるだろう。
「ささサブロウ!」
ファルダード中隊長の声。ふと眼をやる。
「っっ!中隊長!大丈夫ですか?!」
馬上のファルダード中隊長の顔面と右半身は血だらけである。右耳を手で強く押さえていた。
「ぞ族長の、ざザヒルは大天幕内だ!……けけ剣を一発くらってしまったんだ!だ大丈夫では無いが、まあ、し死ぬ事はないだろう!もう、ち血は止まりつつある!!」
中隊長は妙に大きな声で叫んだ。聴覚がおかしいのだと、サブロウにはわかった。
「……第二攻撃目標へは?」
「も、もう行く!ふ負傷兵と、だだダーヴード殿が指揮する第二兵団を50騎ほど、お置いていく!ざザヒルを、たた頼んだ!」
「お気をつけて」
「ああ!……ささサルゲス殿!!行くぞ!―ハッ!」
ファルダードは白山羊族の指揮官に叫ぶと、怪我などないかのように勢いよく馬側を蹴った。
彼に率いられた300騎が続々と集落を出て行く。これから近くの草原で部隊を再編成して第二攻撃目標に向かうのである。
サブロウとしては怪我をしている中隊長に代わって自分が攻撃に行きたい所であるが、混成部隊の総大将の代わりなど、誰にも出来ない。それでなくとも素直に代わってくれる中隊長では無いだろう。
「クソッ」
サブロウは兜を脱いでガリガリと頭をかくと、頭を切り替えて、やるべき事をやることにした。ザヒルの確保と集落の制圧である。
「第二兵団はそのまま集落内外を巡回してくれ!投降者は馬場に集めろ!」
「応!」
第二兵団は素直に指示に従ってくれるようだ。サブロウにとっては実にありがたい。
「よし、――第五小隊、ついてこい!衛生分隊は負傷者の治療だ!」
「「了解!」」
指示に従い、すぐに兵士が集まってくる。
二十名ほど兵士が集まった所で集落の中に入った。
ザヒルの立てこもる大天幕へと進む。
集落内は血と武器と死体が、いたるところに散乱している。転がっているのは敵の黒馬族の死体ばかりだ。死体は糸の切れた操り人形のようだ。人間には見えない。さわやかな朝の光に照らされている死体は、現実のようには思えない。サブロウは死体を見るたびに、いつもそう思う。
殆んどは男の死体だが、まれに女や子供の死体も混ざっている。血と泥にまみれて死んでいる赤子も見えた。母親の死体が守るように覆いかぶさっていた。赤子を抱いて逃げようとした所を、馬蹄にかけられたのだろう。ジロウがここに居なくて良かったと、サブロウは思った。これを見たら、あいつはひどく落ち込むだろう。
周囲の天幕の中から聞こえる子供の泣き声が、大きく響いていた。それだけが妙に現実的に思え、突き付けられているような気がした。泣き声を振り払うように、サブロウは足を速めた。
「戦は終わった!投降しろ!天幕内で大人しくしていれば殺さない!略奪も強姦もしない!俺達は誓うぞ!」
そう、ニタマゴの第三小隊が叫んでいるのがサブロウの耳に届いた。いい判断だ。これ以上殺したくはない。その必要はない。もう十分だ。
第三小隊に倣って、他の兵士達も同様に叫び始めた。
投降を促しながら、大天幕の前まで進む。他の天幕の三倍も大きな天幕だ。
第二兵団の騎馬隊15騎ほどが、馬に乗ったまま大天幕を取り囲んでいる。
「ダーヴード殿」
サブロウは第二兵団の騎馬隊を指揮する士官に声をかけた。
「サブロウ殿、中にはザヒル他20名ほどの男女が立て籠っているぞ」
「投降勧告は?」
「試みた。が、出てこない。下る気はないらしいな」
「面倒な…私が話してみてよいか?」
「ああ、お願いする」
一歩前に出て息を吸い込んだ。
「黒馬族族長、ザヒル殿!私はジャハーンギール第三兵団第五小隊長のサブロウ!話がしたい!」
サブロウが声を張り上げると、天幕の入口が一瞬だけペロリとめくれて、中から剣が投げつけられた。剣はサブロウまで全く届かず、地面に突き刺さって土を抉り、ガランと虚しく転がった。
「黙れクソめ!黒馬族は降伏しない!俺は族長として最後まで戦う!黒馬族は誰も降伏しない!誇りだ!」
聞き取りにくい嗄れきった怒鳴り声。ザヒルだろう。
「何が誇りか!!愚かな裏切り者!モングの走狗めが!ザヒル!貴様は裏切り者だ!モングと結託したものは裏切り者だ!素直に投降すれば、命だけは助けてやろうと思ったが、もはやこれまで!裏切り者は裏切り者として死ね!!」
サブロウは心底、ウンザリした。族長のザヒルを生かしておくつもりなど、ハナからない。こういう搦め手めいた事は苦手である…必要とはわかっていても、嘘はできるだけ吐きたくない。矜持などという高尚な物では無く、ただ嫌なのだ。
「貴様には黒馬族の指導者たる資格は無い!貴様はモングと結託し、黒馬族の歴史と名誉を穢したゴミだ!死んで先祖に詫びるがいい!!」
サブロウはザヒルに聞かせているわけではない。兵士達と集落の人間達に聞かせるために怒鳴っている。モングと結託した裏切り者だから殺さざるを得ない…という事である。単なる自己弁護込みの理由付けだが、極めて重要な事だ。見せしめであり、これが前例になるのだ。
「うるさい!俺は裏切り者じゃ無い!黙れ!俺の部族を舐めるな!クソクソクソ!!」
天幕の中からは激高したザヒルの怒鳴り声が聞こえてくるが、支離滅裂で何を言っているかもわからぬ。いや、もう、どうでもいい事か…。
「第五小隊、火をかけろ。槍隊と弓隊は天幕の出口で待機、出てきた奴を全部殺せ」
サブロウの命令はすぐさま実行された。
族長ザヒルとその家族および側近、計22名は、子供も含めて全員が死んだ。
この役目をやったのが自分で良かったと、サブロウはそう思った。
多忙につき、次話投稿は28日です