歩兵中隊 4
歩兵中隊 4
「よし、これでいいだろう。包帯は毎日代えなよ。毒が入るから。十日後に糸を抜くけど、まずは五日後に見せに来て」
「おう、アパム。すまねぇな」
切創の縫合を終えた第一小隊の兵士が、礼を言って出て行った。
昼間の中隊の医務室(仮)には、衛生兵が常時詰めている。怪我から腹いたまで何でもござれだ。そのおかげで、毎日のように体に不調のある兵士がやってくる。第一兵団と第二兵団、および新設された第四兵団の兵士もだ。ここは怪我をした兵士たちのオアシスなのである。
おかげでアパムの治療師として腕も磨かれるし、みんなから感謝もされる。治療費はとっていないが、差し入れはしばしば貰う。その差し入れを中隊の仲間に配れば、また感謝される。…おいしい役得である。
衛生兵のアパムは、兵士の傷の縫合に使った針と、その他の道具を鍋に入れ、熱魔法を使って煮た。消毒という作業である。
消毒を行わないと、器具を通じて毒が傷口から体内に入り込む恐れがあるのだ。空気中や土や諸々の場所には、自然に増殖する毒がある…これは中隊における治療では、必須概念とされる知識である。検証が不十分だが、経験上たぶん本当だ。まあ、軍曹殿の言っていた事なのだから、間違っている事などあり得ない。
魔法を使いながら窓の外を見てみると、第二小隊の連中が槍を振っているのが見えた。
「うーん、僕にももっと良い身体があればなぁ…」
アパムの体は細い。持久力はそこそこあるが、接近してのぶつかり合いでは、へなちょこもいい所である。正直、学者肌の彼には、兵士になど向いていないのだ。
「今更ながら、よく僕なんかが軍曹殿の訓練に耐えられたもんだよ…」
アパムはそっと独りごちた。
軍曹殿に鍛えられたあの6週間を、アパムはいま一つ鮮明に思い出す事が出来ない。記憶に霞がかかっている。教えてもらった内容は良く覚えているのだが、他は苦しかった「はず」という、後付けの推測しかない。アパムという名前の由来すらわからない。
彼はプーリー村に後処理として残っていたので、訓練中のあの戦いで、モングとも戦っていない。中隊が経験したその後の戦闘でも、2回とも後方支援に回っている。刃を向けてくる敵を見た事のない、唯一の古参兵士が彼なのである。
正直、仲間に対して、負い目を感じる。
自分だけが、命を張った事が無いのだ。
彼に限らず、仲間が戦っている時に、自分が遊んでいるなど我慢が出来ない事だ。中隊の兵士達は皆そう思う。ただ…
「僕も戦いたいなぁ。敵を眼前とした時に、人はどんな衝動に駆られるのだろう…高揚、勇気、恐怖、克己、絶望、諦観、憤怒…」
このような事を呟くアパムは、他の兵士達とは、少し違う思いを持っているのかもしれない。
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その日の夕方、第五小隊の面々が、一堂に集められた。突然の事だ。
「注目!」
サブロウ小隊長の声が響き渡る。堅い声だった。
「これは訓練では無い。心して聞け。
我々は明日の5時にジャハーンギールを進発し、黒馬族の根拠地を強襲する。これによって黒馬族の完全な恭順を求め、ジャハーンギールの統治下におさめるのが本作戦の目的だ。
知っての通り、黒馬族はモングとのつながりが噂されている部族だ。確証は無いが、おそらく事実だろう。これ以上、奴らの存在を放置する事は出来んし、奴らは交易路を荒らし過ぎている。民の商いを安んずるためにも、いま叩いておかねばならん。
主力は第2兵団150騎と白山羊族の200騎。我々の中隊からは騎馬部隊10騎と第三、第四、第五小隊が参加する。混成部隊だ。総大将はファルダード中隊長、中隊の指揮は俺がとる。
我々は歩兵隊だが、今回の作戦では白山羊族と、周囲の遊牧民から臨時に調達した馬で移動する。4日で黒馬族の根拠地まで到達し、一気に片を付ける計画だ。すでに数ヶ月前からの内偵作業により奴らの居場所は把握している。今の時期なら移動もしていないから捕捉は容易と考えている。二週間程度の作戦行動になるはずだ。
―質問はあるか?」
質問など、あるはずもない。一同シンとして、しわぶき一つない。
「よし、お前ら第五小隊には実戦経験のない新兵が多いが、訓練はみっちりやって来た。私が鍛えているのだから間違いはない。自信を持ってやれ。
くれぐれも他の部隊と面倒は起こすな。中隊も一応は馬の訓練はしているが、もちろん遊牧民や専門の騎兵からすれば、一歩も二歩も我々は劣る。そのつもりで、無理をするな。限界を把握しろ。特に第五小隊の仕事は後詰と後処理が主だったからな。
装備は4式を準備しろ。戦闘服は緑色。鎧にも緑の網を付けろ。蔓で編んだ大盾も持って行け。それと……衛生兵はいつもの倍の医療品を持って行け。えたのぅるもだ。重量は馬だから問題はないだろう。
よし…―では準備しろ。各分隊長はちょっと来い」
サブロウ小隊長は、分隊長6人を連れて出て行った。
サブロウ小隊長からの通達を聞きながら、アパムは呆気にとられて棒立ちになった。
戦いたいなぁ、と思ったらこれである。あまりに都合がよすぎる。これは…神の采配なのだろうか。いや、そんな事は…
「アパム」
「…ん?なんだい子羊」
声をかけられてアパムは我に戻った。子羊は第一小隊の羊の従弟である。彼は新兵で、実戦は初めてのはずだ。
「ああ、…いや、なんでもねぇ」
彼はきっと、怖いのだ。アパムは何故か…怖くない。胸がドキドキするだけだ。うん、そうだ…楽しみですらある。
「大丈夫さ子羊。僕達はきっちり訓練して来たからね」
「お、おう」
そう、確かに大丈夫なはずだ。白兵戦闘は苦手でも、アパムだって軍曹殿の訓練を乗り越えて来たのだから。
自分に向けて、そう再確認して、アパムは装備の準備を始めた。
しっかり準備をしておかねば。
明日から戦場に行くのだ。
殺し合いをやりに行くのだ。
それが、僕が待ち望んでいた事なのだ。
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混成兵団は乾いた草原を進んでいた。
慣れない者にとって、騎行は大変な労働である。もちろんサブロウにとっても。
馬に乗っているだけで、物凄い体力を使うものなのだ。鍛え上げられている中隊兵士にも、なかなかに堪える。使う筋肉が違うからである。尻も痛い。
ただ、中隊の面々は野営には慣れているので、天幕を張ったり飯を炊いたりという作業では、遊牧民以上に手際が良い。この三日、そのおかげでどうやらこうやら付いていけている。疲れはあるが、兵士という職業には疲れない仕事など一つも無いのだ。
さて、中隊は本日の宿泊地となる小川に到着した。ひと跨ぎで越えられそうな小さな川だ。
「よし、中隊は天幕張れ!第五小隊の衛生隊からだ!…今日は夜のうちに移動するからな!今のうちによく休んでおくんだ!各自、飯を食って寝る準備をしろ!」
サブロウは中隊に向けて怒鳴った。怒鳴らなければ隅々まで届かないからである。それぞれが馬に乗っているから、距離が遠い。
兵士達は各々の分隊長の指示に従って、えっちらおっちら馬から荷物を下ろし始めた。もう今日で3度目なので、後は分隊長達が上手く処理してくれる。一から十まで指示する必要など無い。
「ニタマゴ!キムタク!こっちに!」
「はい、中隊長代理」
現在の中隊指揮官はサブロウである。ファルダード中隊長は混成軍全体の指揮を取っている。これは、白山羊族族長の娘婿という立場が大きい。ジャハーンギール軍の傘下ではなく、族長の娘婿の下で戦ったとなれば、彼らのメンツは充分に立つからだ。
「第三、第四小隊の状態は?」
「第三小隊問題ありません。落伍者、傷病者、共に無し」
「第四小隊同じく」
「第五小隊も問題ない、よし、軍議に行こう」
サブロウは馬上でささっと確認だけすると、軍議に向かう事とした。他の部隊は先に野営地に着いて、食事の準備を始めているのだ。時間がない。
三人はそのまま馬でファルダードの元に向かった。
「よよし来たか、でででは始めよう」
軍議の場では、すでに全員がそろって床几に腰かけ、地図が広げられていた。サブロウ達は微妙に遅参して来たような空気になっている。生真面目なサブロウにはちょっと堪える雰囲気だ。
軍議の出席者は、総指揮官のファルダード中隊長、中隊の士官三名と中隊付き騎馬隊のジャイアン、第二兵団から二名、白山羊族から二名、計9名である。
「じじジャイアン、説明しろ」
ファルダード中隊長の指示を受け、騎馬隊のジャイアンが地図に進み出た。非常に小柄な遊牧民出身の兵士で、騎馬偵察のために生れてきたような男であった。彼は今日まで数カ月ものあいだ、徹底して黒馬族と周囲の偵察を行ってきたのだ。今回の作戦は彼の努力の精華といってもいい。
長きにわたる偵察の労苦から、ジャイアンの頬は痩せてこけ、肌もカサカサに乾いている。普段は極めて明るく、歌が上手で闊達な優しい男なのだが、その面影は今は無い。深く落ち窪んだ彼の目には、ほの暗い光が宿っていた。
彼は言葉を置くようにして、淡々と話し始めた。
「では説明します。…我々の攻撃目標は二つ。第一目標は、いま我々の居る北方、小川の下流15サング(約22キロ)。岸の左右に天幕がありますが、川はひざ丈なので、越えるのに問題はありません。敵の集落の規模は約500名。脅威となるのは200名ほどでしょう。ここに黒馬族の族長、ザヒルがいるはずです。
第二攻撃目標は、そこから更に下流8サング(12キロ)。規模は200名。この一群をまとめているのはザヒルの弟サハールです。さて―――」
ジャイアンの説明は、周囲の地形、集落の形状や馬の場所など、次第に詳細になりながら続いていく。
今回の作戦の要諦は、族長ザヒルとサハール、およびその直属の一族を撃滅する事だ。これによって黒馬族の族長を、より穏健な第三位のシャルカスという男に入れ替える。もちろん、ジャハーンギール『族長』のホライヤーン家の傘下として、である。
「じジャイアンご苦労だった。さ、さて、わ私の考えを話す。こ今回の作戦は単純だ。まず、ふふ払暁戦で奇襲を仕掛け、だ第一目標を撃滅する。次に、にに二個小隊を残して、すぐさま第二目標を、きき強襲する」
ファルダード中隊長は地図にガラスペンで行動経路を描き込みながら説明した。彼の手の中にある青く優美なガラスペンに一同の視線が集まる。サブロウは少しばかり意外に思い、同時に感心した。中隊長はモノに拘らないくせに、効果的なモノの使い方を良くわかっているらしい。
「だだ第一目標は北側、川の下流の丘の陰から、せせ攻める。だ第一と第二、てて敵兵力が、ご合流しないようにするんだ。だ第一目標の、う馬は集落の北側、かか川の両岸に集められているから、かか開戦と同時に、さ三個小隊で敵と馬を分断する。同時に馬防柵を引き倒し、きき騎馬隊は突っ込んで、て敵の男を殺しまくるだけだ。
だだ第二目標はさ更に単純だ。き騎馬隊で突っ込んで、じ蹂躙するだけだ。
どうだ?質問は?」
第二兵団の士官が、少々不満そうに口を出して来た。
「ファルダード殿、敵は我々より遥かに少ないのだから兵を二分したら如何か?我々だけで第二目標のサハールを潰したいが」
「それはダメだ」
ファルダード中隊長は一言で切り捨てた。
「む!…何故だ」
「たたかいは数だよ、兄貴、というここ言葉がある。へ兵力の分散は、て敵を利する事になる。ここは、てて敵勢力圏内だ。て敵は地の利もあり、へへ兵力の補充も効く。確実に、つ潰しておかねば、わ我々は3日も逃げ続けなければならない」
「……確かに道理だ。失礼した」
「ととんでもない。だ第二兵団は、き騎兵の専門家だ。気がついた事があればどんどん言って欲しい。そうしてもらえると、た助かる」
上手い。相手をしっかりと持ちあげる。どうやら中隊長はサブロウが思っていた以上に、したたからしい。意見を退けられた士官も、まんざらではなさそうだ。こういうのは極めて大事な事だ。
「ファルダード殿、略奪は?」
白山羊族の頭のサルゲスという男がニヤニヤと笑いながら聞いた。すでに戦う前から、期待の皮算用に胸ふくらましているらしい。遊牧民のいくさは略奪が最大の目的だから、この質問は当然のことであろう。
「りり略奪は許可しない」
「何故だ?!!!」
白山羊族は憤然と床几を蹴って立ち上がった。
「ほ本作戦の目的は、くく黒馬族を完全に恭順させる事だ。う奪い、犯せば、い遺恨が残る。そそれでは民を安らげる事が出来ない。……さサルゲス殿、しし白山羊族の尽力と、ぎ犠牲に対しては、かか必ず相応の対価を、そちらのぞ族長に手渡す。さサルゲス殿、わ私はここに誓おう」
「しかし!それでは…!」
中隊長の目の色が変わった。
「………おい、ささサルゲス…お俺の誓いが、ふ不満なのか?え?…どうなんだ?」
ファルダード中隊長は拳を握りしめながら、手元に剣を引き寄せた。軍議の場にビリビリとした緊張が走った。
…たぶん…中隊長はそれほど怒っていない。サブロウの判断では半ば演技だろうと思う。だが、対価を誓ったと言う事は、命を俎上に載せたということだ。それを疑ったとなっては、殺し合いになってもおかしくはない。名誉というのはそういうものだ。…特に遊牧民の間では。
サブロウの脇から、冷たい汗が噴き出して来た。
「どど、どうなんだ、サルゲス。…おお前は俺と、け決闘するのか…?」
中隊長の強く冷えた視線が、サルゲスを刺す。瞳孔の開いた目だった。顔面は蒼白だ。
ああ、これはいけない…。中隊長は一瞬で覚悟を決めている…。サブロウには、わかった。彼は、ここに勝負をかけているのだ。
「お、おい…さサルゲス…」
「も、申し訳…婿殿っ!…申し訳ないっ!申し訳ないっ…!」
一瞬後に、サルゲスは床几をぶん投げ、その場に這いつくばって土下座した。額を土に何度も擦り付けた。顔面は蒼白で、滝のように脂汗を流している。汗と泥が混じって顔が真っ黒になったが、誰も彼を笑う事は出来ぬ。滑稽でも何でもない。
「申し訳ないっ!申し訳ござらん!!」
サルゲスは何度も何度も地面に額を叩きつけている。ファルダード中隊長は、しばらくの間、黙ってそれを眺め、それから剣を投げ捨てた。
「…わわかった。お互いにただの、か勘違いだったと言う事だ。さサルゲス殿、すす、すまなかった」
中隊長は長く震えたため息をつくと、握りしめていた手をほどき、汗を戦闘服でぬぐった。彼もまた、ギリギリなのだ。
「はっ!かたじけない!申し訳ないっ!」
双方の和解で、場の空気が一気に緩んだ。そこかしこでため息が起こる。
「りり略奪はしない。よろしいな?」
「誓いましょうぞ!」
サブロウは理解した。
この瞬間、ファルダード中隊長は完全に部隊を掌握したのである。
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軍議が終わり、解散した後、サブロウはファルダード中隊長の天幕を訪れた。
「中隊長」
「お、おう、どうした?」
「あー」
特に用はないのである。中隊長の気晴らしに、何か話しておこうと思っただけなのだ。本来ならこういう事はジロウの役目なのだが…
「ふん、ししっかり寝ておけよ。おお俺も寝るから心配はいらないぞ」
サブロウは苦笑してしまった。魂胆はバレているようだ。
「…奥さんとは如何ですか?」
「な、なかなかズバリと聞いてくるじゃないか」
搦め手が苦手なサブロウに、今度はファルダードが苦笑である。
「ま、まあ変わらないよ。まだ子供だからな。むむ無理もないさ」
「そうですか?」
「ぎぎ逆の立場ならどうだ?た例えば…お前が10歳の時に、詩文は多少上手いが、ぶぶ不細工で、どもりの娘と、けけ結婚させられたら?しかも、お前には、む娘の書く詩の上手さが、か欠片も分からんのだ」
「親を恨みます」
「ははははは!そ、そういうことだ!しばらく、し社交に出さねば良いだけだ」
ファルダード中隊長は快活に笑うと、木椀に湯ざましを汲んでサブロウに手渡した。
「まままあ、ききっと時間の問題さ」
「そうですね」
「おお前は、け結婚しないのか?」
「さて……」
サブロウは答えない。ファルダードは特に追及しない。
「それにしても、さっきは危なかったですね」
「そそ、そうでもない。だいたい思っていた通りだ…り略奪やごご強姦は嫌だからな。少なくとも、ぐぐ軍曹殿は決してお許しにならんだろう」
それは間違いないと、サブロウも思う。軍曹殿はプーリー村の生き残りを面倒見ているほどなのだ。名前は何と言ったか…。
しかし今回は……出来るだけ、配慮するしかない。それが限界である。二人ともわかっているので、あえて今更口にはしない。
「それにしても、中隊長はなかなか腹芸がお得意なのですね。驚きました」
「おい、お俺の親父はあの、しし執政官閣下だぜ?」
「血は争えませんな」
「ふはは、ぬかせ!」
「ははは」
ひとしきり笑いあい、サブロウは木椀の水を一気に飲み干した。
「さて、では私も隊を見廻って休みます」
「ああ、そうしろ」
サブロウは何か少しだけすっきりして、中隊長の天幕を後にした。
さて、寝て起きたら、いくさだ。
神よ。
我らに勝利を。