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異世界ツーリング  作者: おにぎり
第八章~ケセラセラ
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二年と190日目

二年と190日目


 伊勢、ファリド、ビジャン、ロスタムの4人は剣と槍を振って朝練をしていた。毎日の日課である。

 伊勢はアルバール最強。ファリドとビジャンも伊勢と共に訓練しているから戦闘士の中でもかなり強い。

 一方、ロスタムは論外である。体も目も運動神経も、兵法に向いていないのだ。彼が10年死ぬ気で訓練しても、戦闘士になどなれぬ。動く盾になるくらいが精々のものである。

 それでも、やらないよりはマシである。

 ツンがそれらを寝ながら見ている。


「ご飯ですヨ!」

 アール軍曹殿からこの命令がかかると訓練は終了である。

 可及的速やかに水を浴びて、体を拭いて、居間に行くのだ。そして、「イタダキマス」の号令を受けて、白飯の朝食を喰う。これがこの家の男たちのジャスティスである。例外は無い。慈悲も無い。


 だが、今日は少し違う。


「よし、みんなちょっと聞いてくれ」

 伊勢は朝食の席で皆に声をかけた。静かになる。誰かの腹がぐぅと鳴った。

「さて、突然だが、フィラーに子供が出来た事は皆知っていると思う。みんなそのように接してくれ。重い物は持たせるな。無理をさせるな。あとは…俺にはわからん。

 でだ、このままにしておくと生まれてくる子も奴隷になってしまう。それはまずいので、フィラーを解放する事にした」

「「「おお」」」

 訳のわからない歓声である。多分わざとだ。


「まあ解放しても扱いは変わらないけどな。以降はマルヤムと同じく、住み込みで働きながら子供を育ててもらう。フィラー、いいな?」

「は、はい。旦那様。ありがとうございます。」

 フィラーはまた床に平伏した。この癖はなかなか治らないようだが、伊勢は無理やりに修正しようとは思っていない。彼女の心は疲れているから、あくまでも、ゆっくりと解きほぐしていくしかないのだ。


 フィラーは…体が成長しきっていないから、本当は子供がどうなってしまうかわからない。子供の事を言うのは早いのかもしれない。でも、ヘタに心配させるより、今は出来るだけ安心させた方が良いと伊勢は思っている。堕胎なんて出来ないのだから。

「よし、じゃあ飯にしよう。いただきます」

「「「イタダキマス」」」


 フィラーはちらちらと周りを気にしながら食事をしている。周囲の反応が気になるのだ。特にロスタムの。

 彼女の眼には、全員いつも通りに見えるだろう。


「兄貴は子供を育てた事があるんすか?」

 ファリドが伊勢に話しかけた。

「あるわけねぇだろ」

「そっすね」

 伊勢としては微妙に引っかかるものがあるが、まあいい。


「俺は下の兄弟がいるんで慣れてるっす。まあ、任せて下さいよ」

「お前に任せると子供が脳筋になりそうだな」

「ノウキンってなんすか?」

「純粋でまっすぐ健やか、って事だよ」

 間違ってはおるまい。伊勢は一部の意味を隠しているだけである。ファリドは嬉しそうなのだから、良いのではないだろうか。昔のえらい人が言う所の、嘘も方便である。

 こういう時に、いつでも明るく、まっすぐなファリドのキャラクターが活きる。伊勢は日本の木村を思い出した。


「ロスタム。飯の後、アミルさん所に頼む。」

「はい、師匠」

 ロスタムは急いでご飯をかっ込むと、「俺は準備してきます、ごちそうさまでした」と言って、自分のお膳を持って立ちあがった。洗い場に膳を下げる途中で、後ろを通り抜けざま、そっと軽くフィラーの背中に触れて行った。

 フィラーはそれだけで安心したようだ。彼女は荷物を一つ下ろしたような、ホッとした顔をしていた。


 ふと、伊勢は気がついた。ロスタムは『俺』と言ったのだ。ちょっとだけ、伊勢は嬉しかった。ロスタムはまだ、『俺』でいいのである。



^^^

 アミルの顔が、死んでいる。


「どうしたんですか?アミルさん…」

「イセ殿…ついに行ってしまうのだ。」

 これだけで、もう伊勢には十分である。娘、アフシャーネフの結婚の事だろう。キルマウスの次男、ダールとの結婚が二週間後に迫っているのである。期日が決まってからこのかた、アミルはこんな感じで生死をさまよっているのであった。

 式には伊勢とアールも出席する。当然ながら、その他大勢の中の一人(二人)に過ぎない。ロスタムなどは市民でないから、ダールの友人でも参加は出来ない。しきたりと家格というものがある。


「イセ殿…すまん。胃が痛い。アーブティン…後は頼む…」

「父がすいません、イセ殿」

 息子のアーブティンが引き継いだ。アミルはもうダメである。魂の83%が漏れ出てしまっているのだ。


「アーブティンさん。火薬はどうです?ナードラでの硝石の方は?」

「手榴弾は全国の保有許可を持つ部族に展開済みです。北東部を中心に売っていますよ。そろそろ自分たちで生産を計画してると思います。もう火薬を自分たちで作り始めていますからね。

 馬の訓練用の爆発音のみの爆弾も同時に売ってます。」

 手榴弾はもともと技術サンプルとして売り出しているので、これでいいのである。伊勢もアミルもコイツでたっぷりと儲け、たっぷりとキルマウスに吸い取られた。ヤクザめが…まあ、税金みたいなものだが。


「ナードラでの硝石探しはイマイチですねぇ…獣人はああいう事には向きませんな」

「あー」

 わかる。10歳の男の子に地質学者をやらせるようなものである。名探偵□ナンみたいな優秀な子供は、ファンタジーの中にもいないのである。


「ところで、ガラスペンの偽物が出てきたみたいですね」

「そうなんです。耳が早いですね、イセ殿。まあ、仕方ないですな」

「ですねぇ…」

「ところで傘の売り上げが…」

 など、アーブティンとの打ち合わせは、そのほか細々としたとした事で終わった。


「ところでイセ殿。モングへの逆侵攻の件は聞いていますか?」

 初耳である。

「父が気にしているのはそれなんです。ダール殿も出兵する事になるかもしれませんし。アフシャールの怪我の事もあって、最近少し弱気なんですよ」

 なるほど。アミルが優先順位のトップに置いているのは家族である。伊勢にも良くわかっている。

「いつなんですか?」

「まだ1年以上は先でしょう。砦を増強するみたいです」

 砦の機能を強化して、それから斥候を何度も出して、じっくりと攻める、という事かも知れない。

 

 現在の北東部の情勢は悪くないと伊勢は思っている。

 フシャング将軍の帝軍2個軍団と、へラーンを中心とした東方諸侯軍が展開し、軍事的圧力を背景として周囲の部族と小規模一門を調略している。防衛戦なら、あの地方での動員兵力は4万を超えるだろう。

 じっくりと腰を据えるのは悪い事ではないのだ。時間がたつほど、こちらは組織的防衛基盤を強化できるのである。この国はやる気になりさえすれば、そこそこ強いのだ。


「では。アミルさんに宜しく伝えて下さい」

「はい」

 伊勢には、アミルにかけるべき言葉が良くわからなかった。すでに伊勢の手が届く範囲を遥かに超えているのだ。


^^^

「さて、役所に行くぞ。フィラーの奴隷登録を抹消しないとな」

「はい、師匠」

 昨日の今日というのに、ロスタムは落ちついたものである。ロスタムの半分の精神力が伊勢の肉体に宿っていたら、無敵の戦闘士が出来上がるであろう。


「ロスタム、お前、ダール殿の結婚祝いに何を送るんだ?」

「方位磁針です。俺と鍛冶屋の親父が作ったものですけどね」

「…おお!いいじゃねぇか!」

「でしょう?」

 電磁力に魅せられているロスタムらしい贈り物だ。まことに実践的でかつ象徴的である。ガキのくせに心憎い奴である。


「師匠とアールさんは何おくるんですか?」

「俺達はプリザーブドフラワーと鎧と剣だ。親父の所のドワーフが作った奴だけどな」

 鎧は定番のCFRP製ラメラーアーマー。剣は親父が2年以上研究してきた日本刀の製法で作られている。形状そのものは片手で使うシャムシールに似ているが。拵えに関しても、質実剛健ながら、たっぷりと金をかけてある。組長の息子にヘタなものは送れぬのだ!


「師匠…プリザーブドフラワーは…宣伝ですね?」

「なはは、何を言ってるのかね!明智君!」

 ロスタム鋭い!伊勢は石鹸廃液から取り出したグリセリンを使って、プリザーブドフラワーの偽物を作ってみたのである。

 廃液を脱塩して脱水するのはかなり難しく、設備の調達も含めて非常に時間がかかった。今でも不完全ではあるが、一応モノらしきものは出来る。ただし生産量はへなちょこである。否、生産量というのもおこがましい。


「プリザーブドフラワーって、アールさんの誕生日に贈ったものと同じじゃないですか」

「うん。アールには了解を貰った」

「そういうのは女に聞いて大丈夫なものなんですか?」

 ロスタムが、疑わしきものを見るような目で伊勢を見た。専門用語でこれをジト目という。決して師匠に向けるべき目では無い。

「俺の相棒に関しては良い。一般論はダメだろう」

「ですよね」

 アールは特別だ。相棒だから。


「フィラーの誕生日はいつなんでしょうね…」

「ロスタム、お前はフィラーをどうする?」

「俺は…わかりません」

 本当にわからないのだ。ロスタムにとって、フィラーは守るべきものに過ぎない。女性として好きなわけではない。恋人では、ないのだ。

「ケセラセラでいこうか?フィラーの誕生日はアールと同じにしておこう。これからは、アールの誕生日に全員分の誕生会をやる」

「はい」


 今後、どうなるかなんて、誰にもわからない。だから精一杯やって、ケセラセラ。

 伊勢は、それで良いんだと思うようになった。

 これ以上は無理だったのだ。

 それでも、人の糸はつながっていくのだ。

 ロスタムがそうだったように。

 縁である。


「師匠」

「ん?」

「これからも宜しくお願いします」

「まあ、あと5年は弟子だな」

「はい!」


 師弟の自操車は、眩しい太陽を跳ね返しながら進んでいく。




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