二年と142日目 幕間
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二年と142日目 幕間
今日は昼飯屋は休みだから、新料理の実験である。
朝からアールは厨房で麺を打っていた。
先日、相棒とロスタム君が電気分解の実験で作った、かん水を使っている。整流器がマシになってきたみたいだ。
えいっ!
力のある彼女の事、黄色い生地をぐいぐいと伸ばしていく。
テーブルの下ではツンが欠片の落下を待っているけど、アールはそんなへまはしない。
「フィラーさん、これから焼きそばを作りますヨ。作り方を覚えて下さいね」
「ヤキソバ、ですか?」
「ボクと相棒の国の、国民食の一つです」
うむうむ、とアールは大きく頷いた。なんたって焼きそばなのだ。絶対に間違いはないのだ!
かん水が無かったからラーメンや焼きそばは作れなかったけど、ようやく夢がかなうんだ。灰や天然ソーダでもできるけど…何かそれは嫌だったのだ。
それはともかく、ラーメンや焼きそばを嫌いな日本人がいようか…いや、いない。アールはまだ食べた事が無いけど、相棒の記憶により美味しい事は知っている。
相棒はごく普通の醤油ラーメンが好きだ。そして焼きそばには芥子マヨネーズが必須だ。
「そのヤキソバっていうのは美味しいんですか?」
「日本の縁日の定番です。美味しい事は間違いないですヨ!」
最近のアールは、相棒のくれた記憶を掘り返して、色んな料理を作る事にしている。
味の記憶もあるのだけど、自分で食べて見るとやっぱり少し違うんだ。それが面白い。
「アール」
相棒が部屋から顔を出して、アールに呼びかけた。
ツンが相棒のズボンのすそを噛みに行った。ツンはすっかり大きくなった。細身の短毛の薄茶色の中型犬。サルーキに似ている。
「今年の誕生日に贈ったものを、売り出そうと思うんだが良いかい?本格的じゃなくて技術サンプルだけどさ」
「ん?構いませんヨ。あれは喜ばれます」
「ん。サンキュ」
別にわざわざ自分に確認を取る必要はないけど、聞いてもらって悪い気はしないとアールは思った。
みんなに喜ばれるものは、どんどん形にすべきなんだ。
アールにとって、あれは嬉しかった。みんなにもおすそ分けしたい。
「アール様、旦那様から何を贈られたんですか?」
「相棒が作ったプリザーブド…枯れない薔薇ですヨ」
「…すごい!!」
ほら、フィラーさんだってこんなに目を輝かせる。
相棒の仕事で喜ぶ人が増えるのは良い事だ。いつでも綺麗な花が見られるなんて、本当に素敵だとアールは思う。
「旦那様はすごいんですね!!」
「相棒はすごくないですヨ。時々、すごいだけです」
フィラーさんには、まだわからないみたいだ。
相棒のすごく無さと、すごさを、本当にわかっているのは、多分アールだけだろう。アールは相棒の相棒だから当然だけど。
まあ、アールにとっては相棒がすごかろうと、そうでなかろうと、そんなのはどっちでもいい。相棒は相棒だ。
それにしてもフィラーさんはだんだん良く話すようになってきた、とアールは思う。体重も増えて、随分とふっくらしてきたと思う。
彼女は色々と引きずってるモノがあるから、「アール様」とか呼んできたりするけど、それにはアールはもう慣れた。
ただ、お風呂にも一番最後に独りで入るし、まだ借りてきた猫のような雰囲気があるのはいただけない。まあ、「慣れろ」と相棒が言っていたし、あんまり言わないようにしている。ゆっくりと変わっていけばいいのだろう。
よし。麺の生地を伸ばして…包丁で切って…軽く揉めば出来あがり。見た目は良い。
蒸し器で5分くらい蒸して…ほぐして…ごま油をまわしかけて馴染ませれば…うん、良い感じ。
「さて、じゃあ具を作りますヨ。玉ねぎとニンジンを千切りにしてください。それと…」
豚肉は無いので、棘猪のベーコンを使う事にする。むしろ、こちらの方がおいしいかもしれない。
味の決め手は自家製ウスターソース。これは昼飯屋でも使うので、大量生産しているのだ。
ふとそこで、アールは困った。キャベツが無い。…とりあへずゲルカードを使う事にした。緑の葉野菜だ。
「フィラーさん、ちょっと庭の菜園からゲルカードを取ってきますね」
「はい」
野菜作りは面白い。土からどんどん育って行くのを見ると、不思議だと思う。どんな事だって、根っこのところは不思議なのだ。
「ゲルカードっと……あれ?」
アールが庭に出ると、ツンが畑を荒らして遊んでいるのが目に入った。出てきたばっかりの芽をパクパクつまんでいる。
「……ツン!!こらぁぁ!!」
「っっっ!!!」
アールの怒声に、ツンは全力疾走で家の中に逃げて行った。異常に速い。サイトハウンドだけの事はある。
「もうっ…せっかく出てきたのに……まあ仕方ないか。ゲルカードっと。」
アールは一瞬で気分を切り替えると、ゲルカードを摘んで、洗ってから厨房に戻った。
アールが戻ってくると、フィラーが厨房でわたわたしていた。
「フィラーさん、どうしたですか?」
「アール様、ちょっと目を離した隙に、ツンが…麺を…」
「ツン!!!」
シューイチロー家は今日も平和である。
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