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異世界ツーリング  作者: おにぎり
第八章~ケセラセラ
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二年と72~73日目

2年と72日目


 早朝4時。


 キルマウスがニヤニヤ笑っている。

 彼は、サイドカーの床に羊の毛皮を厚く厚く敷きつめているのだ。


「さあ、いけ。これで問題ない。間違いない。朝飯は食ったか?1日で到着しろ。俺は忙しいのだ。ファハーンでエルフの処理が残っている。火薬の手配もせねばならん。たっぷりとな。」

 無茶を言う男である。帝都グダードからファハーンに行くためには、千キロ以上を走らねばならない。このなんちゃってサイドカーで千キロをノンストップ…伊勢にとっては苦行でしか無かろう。


「キルマウス様、一日ではムリです」

「15時間も走ればいけるだろう。一日は24時間あるのだ。行け。」

 だだっ子に理屈は通用しない。張り飛ばすか、言う事を聞くしかないのだ。そしてキルマウス組長を張り飛ばす事は出来ぬ。状況は詰んでいるのであった。

「相棒、頑張りましょう」

「ああ…」



^^^

二年と73日


 数分前に日付が変わった。ファハーンの城門は閉ざされている。そこにとどろくような低音の唸りを響かせながら、閃光を放って近づく怪しい物体…伊勢とアールとおまけ一名である。

 

「誰だ!」

「門を開けろ…キルマウス・セルジャーンだ…開けろ…」

 キルマウスの声は嗄れきっている。

「嘘をつけ!キルマウス様の名を騙るなど!」

「嘘であるものか!バカがっ!開けろっ!開けろっ!許さんぞ貴様!俺の顔をみろっ!」

 嗄れきったはずの声は、怒りによって完全に修復されていた。見よ!まさに今、精神が肉体を凌駕した!奇跡の瞬間である!

 キルマウスの顔を確認した門番は、すぐに慌てて正門を開いた。

「イセ…送っていけ…」

 奇跡の瞬間は去った。キルマウスの声は嗄れきっていた。伊勢は無言でアールを走らせた。彼もまた、精も根も尽き果てているのであった。


 キルマウス邸にその主人を送り届ける。彼は「ご苦労…」と一言だけ言って門へ向かって言った。

 伊勢は「はい」とこれまた一言だけ言って、家路についた。


 伊勢が自宅に着くと、当然ながら門は閉ざされている。アールから降りて、無言で門のノッカーをぶったたいた。


――ワンワン、ワン


 中で犬の声がするが、今の伊勢にはどうでもいい事である。

「いま帰りましたヨ!開けて下さい!」

 アールが叫んでくれた。家の扉があき、短槍を構えたファリドとビジャンの姿が伊勢の眼に入ってきた。

「帰ったぞ…何やってんだお前ら…」

「兄貴!随分と…大変だったんすね…」

 ファリドが何やらショックを受けた顔で伊勢を見る。

「もう寝かせてくれ。みんなに無事帰ったと言っておけ」

 なんてことは無い、できの悪いサイドカーの運転で異常に疲れているだけ、なのである。だが、訂正するのも面倒であった。


 伊勢が自室に行こうとすると、小さな茶色い塊が奥から走ってきた。伊勢の足もとに来ると、革パンの裾にがぶりと噛みつき、フルフルと頭を振る。

「なんだ?この犬は…」

「……番犬…俺が連れてきた…」

 ビジャンが答えた。

 伊勢は完全に理解した。番犬なら仕方が無い。なぜならこの犬は番犬だからである。

「よし、わかった」

 伊勢は革バンの裾に番犬を噛みつかせたまま、部屋の方に向かった。若干、歩きにくい。

「わんちゃん、おいで!」

 アールが呼ぶと、番犬は伊勢の足から口を離して、彼女の方にしっぽを振りながら走り寄って行った。畜生め。

 

 伊勢は厨房の水瓶から水を汲み、タオルを濡らして体を拭くと、布団に入って寝た。

 横になってから数秒である。

 

^^^

 気持ちの良い朝である。

 やはり家は良い!いつもより1時間ほど寝坊だが、今日は許してもらおう。伊勢はベッドから起き出すと、大きく伸びをした。


 部屋を出て、土間で顔を洗い、階段を上って二階の居間に行くと、全員がそろっていた。

 朝食の膳が並んでいる。


「おはよう、俺を待ってたのか」

 伊勢としては起こしてくれても良かったが、まあ疲れている様子を見て、遠慮したのだろう。

「師匠!おはようございます!」

 ロスタムは満面の笑みである。子供らしさを微妙に引きずった、実にいい笑顔だ。

「お前、体はどうなんだ?」

「レイラー先生の治療を毎日受けているので、もう食事くらいは自分で大丈夫です。歩いたりまだ出来ませんけど」

「そうか。それならいいな」

 ロスタムは少し痩せた。だが、この調子なら一月もすれば殆ど良くなりそうだ。伊勢は一安心した。

 それは良いのだが…


「おい、この犬は何だ?」

 なぜ、この子犬は伊勢のズボンの裾を食い千切ろうとしているのだろうか…彼には訳が分からぬ。

「……番犬…」

 ビジャン、それはもう聞いた。だが、伊勢は一応この家の主人である。たぶん、そのはずだ。番犬に裾を食いちぎられる覚えは、無いと思う。

「わんちゃん、おいで!」

 アールが呼ぶと、子犬は尻尾を振って彼女の前に行き、腹を出して寝転んだ。伊勢とアールは同じタイミングで帰って来たというのに、この扱いの違いは何なのだろうか。…人徳か。

 伊勢は疑問を自己完結すると、「いただきます」と朝飯を食べ始めた。


「かわいいですねぇ…名前はなんて言うんですか?」

「いまのところは犬ですね」

「犬って呼んでるっす」

「犬だねキシシシ」

「ドッグです」

「……番犬…」


 確かに名が体を表している。だが、何という即物的な名前であることか。可哀想な犬である。


「不憫な犬だな。よし、俺が名付けてやる。お前の名前は――ツンだ。俺に対してツンツンしてるから」

 けっして変な名前では無い。これは由緒正しい名前である。

「相棒、上野で銅像になっている、あの人の犬の名前ですね?良いと思いますヨ」

「師匠、意外と良い名前ですね」

「いいんじゃねえっすかね?」

「旦那にしてはマトモだねクシシシ」

「ミスターイセ…」

「……番犬…」

 若干名、不満を持っているようだが、なぜか概ね好評だったので、これで行く事になった。


「さて、フィラー」

「はい、旦那様」

 フィラーは挨拶以外は殆んどしゃべっていない。伊勢と一緒の場で食事をするのは二度目だ。末席に座った彼女は、見るからにガチガチに緊張していた。顔にはまだ、ザンドに殴られた跡が、うっすらと残っている。

「ウチは朝飯は皆で食べる。昼食と夕食は色々だけどな。まあ、家のしきたりだよ」

「はい」

「フィラーには昼飯屋の仕事と雑用をやってもらおう。アールとマルヤムの指示に従ってくれ。」

「はい、かしこまりました」

 彼女は床に手をついて平伏した。伊勢の家では誰もこんなことはやらない。だが、フィラーの行いの方むしろ普通なのだ。

「読み書きと計算も覚えてもらうから。最低でもマルヤムくらいにはね」

「は、はい!頑張ります!」

 ついに彼女は額を床に擦りつけ始めた。これは少しやり過ぎである。伊勢の胸が痛い。


「フィラーさん、そこまで丁寧にする必要はありませんヨ。もう少し自然で良いですヨ」

「はい、かしこまりました。奥さま」

 そう言って、彼女はまた平伏した。もう、習い性になっているのだろう。これが彼女の『自然』なのだ。

「ボクは相棒の相棒です。奥さんでは無いですヨ」

「失礼いたしました。アール様」

 そして、また平伏である。

「相棒…」

 アールが困った目で伊勢を見てきた。彼女がこんな顔をするのは、なかなか珍しい事である。

「アール、時間がかかるんだよ。慣れてあげな。フィラーもそこまでかしこまらなくて良い。ここは前の家とは違うんだ」

「はい、旦那様」

 

 平伏する角度が、少しだけ小さくなったように、伊勢には見えた。いまはこれで良い事にしよう。




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