15日目
15日目
オアシス都市ファハーンの城壁は壮大である。
円形の主壁の直径は約2.6キロ。高さは20m。基部の厚さも20mを超える。防御塔は大小256。V字型の空堀の幅は30mである。主壁の外側1.5キロの位置には、高さ6mの外壁が設けられ、二重の守りとなっている。主壁の城門は8か所。全て分厚い鉄製であった。
もちろん全てが都市内に住んでいるわけではないが、人口は50万以上。アルバール国中部の交易の中心であり、地方政治的な中心であり、軍事的な集結地であり、オアシスを使った灌漑農業の拠点であり、文化的な学術都市の一面も持つ、この地方では最大級の都市である。
「おおおお~すげぇ…」
自操車に乗って、城壁の南門をくぐりながら、伊勢は感嘆の声をあげた。男子として、こういう分かりやすい土木には心動かさざるを得ない。一体どれほどの労力がここに投入されたのだろうか。人間の力の壮大さに感動である。
実際にどの程度の防御力があるかは別として、目に見える物理的な安心感は非常に大きいものだ。まさに城壁はパワーであった。
「相棒、すごいですねぇ…知っていたけど初めてみます」
アールも驚いている。ただし彼女の場合は城壁よりも道を行く沢山の人に驚いていた。
実質的に生まれて15日のアールには、こんなにたくさんの人を見るのは初めてなのだ。彼女の知識は伊勢のものを元にして形成されているため、頭ではこのファハーンより遥かに沢山の人がいるのを知っているが、実際の体験による感動はまた別なのである。こうした感動によって、心が頭に追い付いているのだ。
一行の自操車は商業区に繋がる大通りを走っている。防衛を考えてまっすぐは設置されておらず、意図的な屈曲が設けられたりして今一つ走りにくい。沢山の自操車や、この国の特徴である布を多く使った、ひらひらとした衣装を着た沢山の人々が行きかっている。
「いかがかな?ファハーンは」
どこかアミルも誇らしげである。これほどの都市ならば誇りたくもなるだろう。下手な日本の地方都市より大きいのだ。
ファハーンへの旅路を通じて、伊勢との会話もだいぶ砕けたものになっている。
「いやーすごい…、これほどの城壁は初めてだよアミルさん」
「中心街はもっと美しいよ。後で店の者に案内をさせても良い」
「ありがとうございます。俺は図書館に行きたいが、アールはどっか行きたいとこあるか?」
「ボクはバザールと宝石屋と鍛冶屋に行きたいですヨ」
首をかしげながら言った。女性としてもバイクとしても微妙なチョイスである。
自分の馬を引きながら、ファリドがでかい声をあげた。
「イセの兄貴、アール姉御、明日でよければ俺達が案内しますよ!俺とビジャンの地元っすから!」
ビジャンもその横で、無言で頷いている。ビジャンは口数が少ない男であった。
伊勢と彼らはアスラ熊の一件以降、すっかり仲良くなってしまった。完全に兄貴に姉御扱いである。
「アール殿がいるんだからあんまり変な所を案内するんじゃないぞ!」
とは、彼らの指揮官であるカスラーの談である。彼ら護衛とは、旅の間に武芸を互いに教えあったりしてきたので、すっかりと打ち融けてしまった。なんにしろ、男同士はエロ話をすればすぐに仲良くなれるのだ。エロは世界をつなぐ。男というのはそういう生物なのだ。簡単なのだ。
「おおそれは良い」とアミルもファリド達の案内に賛成したので
「よし、じゃあ頼むわ」
と、そう言う事になった。
十数分でアミル邸に着く。主壁からはあまり離れていないようで、それほどの時間は感じなかった。
二面を道に面した角地にある、住居兼店舗兼倉庫である。以外にもそれほど大きくは無く、コンパクトにまとまっていた。敷地は伊勢のテキトーな感覚で200坪くらいであろうか。店舗自体は狭くて、倉庫と駐車場と居住部分がほとんどを占めている感じだ。
「おーい、帰ったぞ」
数人の使用人が飛び出してきた。すぐに水を満たした陶器の椀を持ってくる。伊勢らもアミルと初めてあった時にされたように、この地では冷えた水を渡す事が、客人や旅人へのいたわりであり礼儀なのだ。伊勢は遊牧民と砂漠の国ならではの、良い習慣であると思う
「お帰りなさいませ、旦那さま。お疲れ様でございました。」
「おう、客人と皆の者にも水を。ご苦労だったな、みんな。ホスロー、荷は任せる。伊勢殿はついてきてくれ。カスラーも。サインするから。」
番頭のホスローに任せて、奥に進んでいく。内部の調度は華美ではなく質実剛健で、無駄が無く効率的ではあるものの、粗末さなどは一切感じない。まさにアミルの人柄を思わせる住居だと思う。
伊勢は居間に入って藤を編んで作ったソファーに座り、小間使いの奴隷が持ってきたレモンの香りづけをした水を飲んで、ホッとくつろいだ。旨い。
「さて、イセ殿。早速で悪いが、一息ついた所で、あなたの今後についてどうするか、考えを聞いて良いかな?」
アミルが水タバコに火を付け、切り出した。実のところ彼は気が短い。商人としてタイムイズマネーなのである。
伊勢もマルボロライトメンソールに火をつけながら答えた。
「俺としてはアールと一緒にツーリング…あー、旅をして、いろいろ見て回りたいですね。それがまあ、国を出た最大の目的なわけですし、客人としてアミルさんに甘えてばかりはいられないでしょう」
アミルとカスラーは思案顔である。
「ふむ、私としてはそれで結構なのだが、私が保障をする『客人』でない限り身を立てる証が要るな。でなければ無宿人として奴隷に落とされかねん…カスラー」
アミルはカスラーに話を振る。
「は。イセ、アール殿。あんた達さえ良ければ戦闘士にならんか?戦闘士になるには自由民以上の身分と、市民および3級以上の戦闘士からの推薦が要るが、それらは俺とアミル様でなんとかしよう。あんた達なら腕は充分だし、旅をするにも戦闘士という立場は便利なものだ。商人を一緒に名乗ってもいいがね」
アミルがその後に話を続ける。
「礼と言っては何だが、その代りにイセ殿たちは各地を回って得た着想を私に伝えてくれれば良い。アフシンに教えてくれたあの揚水水車…あのようなものだ。…どうかね?悪い話ではないと思うが」
伊勢は少し思案した。話の流れからして、アミルとカスラーは先に打ち合わせをしていたのであろう。
素人の伊勢からすれば、戦闘士という形で切ったはったで生きていくつもりはないが、立場的には自由でおいしいものである。更に身分保障は絶対に必要だ。『旅人』など言ってみれば宿なしの放浪者なのである。プーである。この提案はある意味、渡りに船であると伊勢は考えた。しかし…
「分かりました。御提案を受けましょう。ただ、条件があります」
「ふむ聞きましょう」
「特許、と言う考え方をご存知でしょうか?誰かが、何かこの世に無い新しいモノや機構を考えだしたします。我々はそれを『発明』と呼んでいますが…その発明者に対して、一定期間は利益がもたらされるという仕組みです。
例えばここに、ある発明があるとします。その発明を用いて製品をつくる場合、発明を所有する発明者に対して製品の製造者は発明の使用許可を願い出て、製品価格に応じた使用料を払う、という仕組みですね。さらには発明そのものの所有権を売買する事も出来ます。」
伊勢としては知識で対価を得なければならないのだ。霞を食って生きていくわけにはいかないのである。
「ふむ…初めて聞く考え方だ。我々の国にはそういう考え方は無い」
アミルは戸惑った。どう考えていいのか今一つはっきりとしなかった。
「特許、と言うのは発明者を守ることで発明を促進させ、モノづくりの技術や技術者の意欲を促進させる効果があります。発明の使用者も同様に守られます。使用権を独占できますからね」
「その使用権の契約は、発明ごとに別個になされればいいのですかな?」
「ええ、そう考えていただいて結構です。まあ…発明を守る社会機構が無いですから、実質的には俺の発明をアミルさんが使って売るときに、売り上げの何割かを貰うか、発明自体をアミルに売る、っていう二者間の契約になりますけどね」
アミルはヒゲをなでながらうなづいた。
「よろしいでしょう。いずれにしても新しき事を初めてやった人間には相応の報いがあるべきだ。わかりました。アール殿もそれでよろしいか?」
「ボクは相棒がそれで良ければOKですヨ?」
アールの返事を聞いて、伊勢は改めて承諾した。アミルはホッと安心したように頷いた。
「では明日の朝早くに、我が一門の長であるキウマルス・セルジャーン様に共に御挨拶に伺って、正式に自由民となる許可を頂こう」
「え?あの…お偉いさんですか?」
「セルジュ一門の長にしてファハーン行政地区では第二の官位を持っておられる方だ。異国人や異民族にも差別意識は無く、むしろ好んでその力を生かそうと思っておられる気さくな方だから心配はいらない。ああ、異国風の恰好の方が喜ばれるかもしれませんな」
キルマウス・セルジャーン。
セルジュ一門の長にしてファハーン地方議会副議長の席に着く大物であった。議長は中央から派遣される高級官僚や王族がつくから、実質は地方豪族のまとめ役と言う立場に立っている人物である。
ファハーンの市民はその3割強がセルジュ一門に属する。ファハーン地方における最大の派閥の長であり、部族長であった。
正直、伊勢はビビった。
いきなりのお偉いさんとの面会である。近代国家ではないのだから、その権力は日本の知事や市長とは比べ物にならんのだろう。
しかし、もはや引くわけにはいかぬのである。なんとか乗り越えなくてはならぬ。
「わ、わかりました。ではそのように」
そうして伊勢は、流されるままに流れていくのであった。