華の金曜日
新作始めました。
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(2014/7/12追記)
未開の地、群馬
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異世界ツーリング
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ハンマーのように、陽光が叩きつけてくる。
日本ではありえない強烈な日差し。空気は乾燥し、雲ひとつない。
水蒸気が殆どないからだろう。空はひたすら高く高く、蒼い。
砂漠である。
気温はそれほど高くはなかった。ただひたすらに乾いているだけだ。
風はなく、静寂に満ちた空気は、絵画のような非現実感を纏っていた。
薄茶色の大地はなだらかにうねりつつ、地平線までこぶし大の礫が散在している。
その殺風景な風景をナイフで左右に切りわけるように、一本の道がどこまでもまっすぐ走っていた。
周囲の砂漠から50センチほど高く、硬く押し固められた砂岩のように硬く土が盛られ、その上にレンガだか石畳だかよくわからない材質の舗装材が一様に敷き詰められている。5mほどの幅の平滑な道路だ。
道端に、バイクが停まっていた。
たくさんの荷物を積んだ、青と白のスポーツバイクである。
大柄な男がまたがっていた。
シンプルな黒いレザージャケットを羽織り、黒いレザージーンズを穿いた、黒ずくめの男である。
男は手の中のペットボトルからゴクゴクと水を飲み、「プァ!」と大きく息を吐き出した。
「さーて、行こうか相棒。今日中に街に着きたいもんな」
「はい相棒っ!飛ばしていきましょう!頑張りますヨっ!」
男が独白すると、何処からか声がした。少年のような、女のような、不思議な声だった。
男が銀色のヘルメットをかぶると、エンジンが勝手に始動した。
低いエンジンノイズが、徐々に薄く、乾いた空気に溶けていく。
男はグローブを手にはめ、左足の踵で軽くサイドスタンドを払った。
何千回と繰り返しルーチン化された、滑るような無駄のない動作だった。
クラッチを握り、カコンッ、と左のつま先でギアを一速に入れて、走り出す。
ゆっくりと加速して行ったバイクは、すぐに小さくなり、陽炎に溶け、やがて地平線に消えた。
そうしてまた、異世界の砂漠は静寂を取り戻した。
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とある6月の金曜日。ガード下の赤ちょうちん。ジャパニーズ・サラリーマンの憩いの場である。
今も3人の背広姿の男たちが、酒の力を借り、愚痴と嘆息を吐き出していた。3人で飲む、久しぶりの酒であった。
「斎藤課長…うちの会社大丈夫なんですかね…」
伊勢修一郎はすするようにコップのビールを飲みほし、どんよりと愚痴った。
「まあなんとかなるだろ。少なくとも俺達にはどうも出来ん」
「まあ、そりゃそうなんですけどね…うちらの開発部はともかく、結構不味い部署多いですよ?実際、製造も手が余りまくってるでしょ。リストラの嵐が吹くんじゃないですか?自主退職なんかはそろそろ募集始まるんじゃないですかね?」
伊勢の会社は中堅の半導体製造設備のメーカーである。業務分野としてはクリーンルームや付帯設備を主にやっているが、近年の円高と製造業不況により青息吐息だ。
社員一人一人は一生懸命でも、どうにもならないレベルの事である。誰が悪いのか、と言われれば、たぶんモノづくりを忘れつつある日本人全員が悪いのである。少し前のイギリスのごとく、このままではみんなが気付かないままにモノづくり大国は斜陽なのである。切なさ満点なのであった。
「ああ、まあうちの部署は大丈夫だろ。俺と伊勢との担当案件はもうすぐクローズして、現場に移れば収益デカイのは分かってるし。だけど製造関係部門は結構切るだろうな。子会社もいくつか売る所が出るだろうな」
斎藤課長は常に冷静だ。社内でひそかに「ダンディー斎藤」の異名を持つ30代後半バツイチの極渋の男である。数々の修羅場をくぐってきており、、自分の腕と経験とコネに自負があるため、どこでもやっていける自信を持っている。それゆえの冷静さである。本人が気づいているかは知らないが、20代後半以降の女子社員からの人気は極めて高い。自信のある男はモテる。うらやましい限りである。実に不愉快な男である。
伊勢は32歳の技術職の中堅社員だが、斎藤程の自信はない。2年前に結婚して、背伸びして買った中古一軒家のローンもある。当時はこれで一国一城の主か、などと古臭い感慨を抱きつつ悦に行っていたものだが、今となってはローンが背中に振りかかる。
正直いえば、自分の今後は心配でしかたないのだった。中途半端な腕、中途半端な経験、中途半端な頭のキレ、中途半端なコネ、中途半端な社内の評価、ついでに中途半端に良いルックスを持つ、どこまでも中途半端な良くもなく悪くもない男。それが伊勢であった。
自分の気の小ささと弱さと中途半端さを自覚しているから、とても不安である。不安が不安を呼ぶのである。
「木村、お前のとこはたぶんダメだ」
斎藤のいきなりのキラーパスに3年目社員の木村は一撃で撃沈した。
「まじっすか!!嫌っすよ俺!せっかく苦労して就職したのに!!ようやく慣れてやりがい出てきたのに!!なんすかそれ!なんすかそれ!!」
持っていた焼き鳥の串を思わず放り出して、木村は泣いた。男泣きに泣いた。酒が木村を泣かせたのである。放り出した串に当たって、七味唐辛子の瓶が倒れた。ふたが外れて、中身が少しだけこぼれた。
伊勢も泣きそうになった。会社での部署は違うが、木村は伊勢の大学の後輩である。研究室も同じだ。同じ会社に入ったのは単なる偶然以外の何物でもなかったが、社内の飲み会で同じ先生に師事していた事がわかり、それからというもの先輩後輩として公私ともに面倒を見てきた。そして斎藤課長とともに、社内の数少ないバイク仲間であり、弟のようなものであった。少し軽く、要領は良くないが、明るく常に一生懸命で、芯が強く突破力のある木村を伊勢は気にいっていたし、人として尊敬していた。
「ああ、木村…なんか…すまんなぁ。どうにも出来ん…」
倒れた唐辛子の瓶を戻しつつ、伊勢は木村のコップにビールを注いだ。少しぬるくなっていて、泡立ちはあまり良くなかった。
「そんな!伊勢さんのせいじゃないっすよ!運が悪いんす…すんません。ありがとうございます」
確かに運が悪い。しかしもっと悪いものがある気もする。結果の陰には必ず原因があるのだ。
しばしの沈黙。誰も何もしゃべる事が出来ない、重い空気である。周囲の酔客の立てる楽しげな喧騒が、さらにこの場の空気の沈黙を引き立てていた。
図らずも、全員そろってコップのビールを飲み干し、3人の男は「「「はあ…」」」とそろって嘆息して、酒臭い息を吐き出した。
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伊勢は一点豪華主義の金のダンヒルでマルボロライトメンソールに火を付けた。深く吸って、ゆっくりと吐き出した。このライターは伊勢が社会人になって3年目に自分への誕生日プレゼントとして買ったものである。伊勢の持っている高級品にはそういうものの割合がかなり高い。具体的な数値を言うと90パーセントは越しているのである。
ちなみに、この3人とも喫煙者であった。大きめの灰皿には3人の吸い殻が山になっていた。
喫煙者の肩身は狭くなったが、この3人は頑なにやめるつもりはない。追い詰められてやめたのでは負けた気がして嫌なのである。
「大将。瓶ビールもう2本。あとシシトウとねぎまとハツ、3本ずつ」
斎藤課長は店主にそう言って注文すると、「まあ、飲み直そう」、そう言って伊勢と木村のコップに酒を注いだ。自分のコップには手酌である。手酌がさまになる男だ。実に心憎いものがある。
「「おいっす」」伊勢と木村は片手にコップを持って斎藤の酌を受けた。この3人のメンツには、互いに余計な遠慮はいらない。
それが3人でいる意味なのだ。
「ところで伊勢、お前有給余らせ過ぎ。総務がうるせぇんだよ。いま手が空いてるうちに消化しといてくれないか。俺がフォローしとくからドカンと休んでロングツーリングでも行ってきたら?最近バイク乗ってんの?」
斎藤課長はレモンを焼き鳥に絞りかけながら、伊勢に問いかけた。すかさず、伊勢はハツを、木村はねぎまを、斎藤はシシトウの串を手に取った。このあたりの選択にも性格が出るのかもしれぬ。
「あんまり乗れてないですね。土日は嫁の相手をしないと…そうですね…ああ、岩手の○×機工に例の筐体の打ち合わせに行かなきゃいけないんですよ。なので来週の金曜日に出張として、休日と合わせて再来週丸ごと休み、って欲張っても大丈夫ですか?北海道に行ってみたいんですよね。実は行ったこと無くて」
伊勢は北海道に対するバイク乗り特有のあこがれ、みたいなものはあまりないが、走ったら確かに楽しいだろうことは確信している。
バイクに乗って走る、バイク乗りにしかわからない、バイク乗りの感覚なのだ!
「おー、伊勢さん欲張りますね!でもやっぱ奥さんの尻に敷かれて「うるせ!」るんすね。あー大将、おでん10個くらい適当にください。おまかせで。」
木村は良く食べる。体もでかい。声もでかい。土曜日には伝統派空手の指導員などをやっていたりする。自分の体型にコンプレックスを持っている、チビガリの伊勢からしたらうらやましい限りである。ちなみに妻の話はしたくないのである。
「再来週丸ごとか…良いぞ。大丈夫だろ。行って来いよ。楽しんでこい。」
斎藤は男らしく快諾した。上司の鏡である。男の中の男、もとい、漢の中の漢であった。
「おおおお、ありがとうございます!」
伊勢は嬉しくなった。降ってわいた北海道ツーリングに興奮して、会社の事も、妻の事も、ほんの少しだけ忘れた。
「では伊勢さんの初北海道を記念して…乾杯!!」「「乾杯!!!」」
3人は少し嬉しくなって、いつもより少しだけ多めに飲んだ。
飲み代はあわせて9300円(税込)だった。
もちろん割り勘だ。それ以外の呑み方はこの三人の間ではありえないのである。
伊勢と木村が3000円ずつ、斎藤が3300円を出し、会計を済ますのだった。