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蝋燭が短くなってきたのか、座敷の四隅に配された行燈の光源が下がってきた。それに比例して、天井から夜の暗闇が近付いている。王都にはもっと安定したランプが普及して久しいと言うのに、花街は雰囲気を演出するためかいつまでも古い行燈頼りである。

不規則に揺れる光の中でも、ヴィリの視線の変化には気付いたらしい。ニニアンはすぐ脇にいる護衛官を振り仰いだ。

「イツァン、わたくしは何かおかしなことを言ったかしら」

「まぁ、お嬢さんにしてみれば、この状況がまさにおかしなことだろうさ」

間違いない。

イツァンはヴィリに向き直り、真面目くさった顔で言った。

「お嬢さん、誤解のないように言っておくが、ニニアンが言ったのは『王女だから薬が効かない』って意味じゃないからな」

「いやね、そんなはずないじゃない」

「ニニアンの言い方は、そう聞こえるってことだよ」

やれやれ、とイツァンが肩を竦める。

「そうだったかしら?」

ニニアンが不思議そうに尋ねるのに、ヴィリはげんなりしながら頷いた。

だいたい、この短時間でニニアンの人間性など掴めていないのだ。主従で成立するからと、分かりづらい言い回しを他人に押し付けないでもらいたい。

とにかく、ニニアンが自我を保っているのは、体質ではなく立場に因るものだと言う見当はついたので、ヴィリは先を促した。

「神官も、どこの誰とも知れない白子なら別として、さすがに一国の王女を薬漬けにして殺すことへのためらいはあったのでしょうね」

「神は見えないけど、王族は国の歴史だからな。ましてニニアンは第一子。王女としての役割もある上、下手すりゃ次期女王。神官たちも迂闊に手を出せない」

当時の神官たちはさぞ頭を悩ませたことだろう。白子である以上、御子として神託を受けてもらわねば、過去の御子たちの業績と整合性が取れない。ただでさえ、民の多くは王族にザキラの加護が示されたと沸き立っているのだ。

しかし王族殺しは大罪だ。国王の娘に対し、結果的に死ぬと分かっていて薬を使うことには異を唱える神官も多かった。だが一方で、自我を残したままでは、神託が偽りであることを王に告発されかねないという懸念も根強くあったのである。

「そして、膠着しかけた状況に一石を投じた男がいた」

――白子として生まれた子供は、等しく神の愛し子。そこに身分など関係ありましょうか。殿下も神殿へお入りになれば、ただの御子となられましょう。

王の信頼の厚かった当時の副宰相が、神官長に囁いた。

――とは言え、殿下は初めてのお子。陛下も手放すのは本意ではないご様子。ですから時折、陛下の元へお返しすればよいのです。殿下が御子としてご成長あそばせば、陛下とてお世継ぎにとまでは望まれますまい。

「……つまり『御子になってしまえば王女でもなくなるし、物心つかない内なら、外へ出しても問題ない。御子になることが決まってしまえば、国王さまも世継ぎの為に次の子を作るだろうよ』ってこと?」

「実際、父はまだ若かったし、そう思われても仕方なかったでしょう」

ニニアンはヴィリの翻訳を否定しなかったが、それはつまり城の中に王を軽んじる者がいたことの肯定だ。

「いつの世も、為政者は身の内の毒を飼い馴らすことに、苦労するものよ」

――その毒に飼い殺されようとしているのは、わたくしだけれど。

小さく自嘲して、ニニアンは足首を戒める枷を撫でた。

「ニニアン」

「……分かっているわ」

逸れかけた彼女の意識を、イツァンが呼びかけひとつで修正する。

花街に友人と呼べるほどの相手がいないヴィリは、息の合った彼らの関係が羨ましくなった。そして、心無い言葉を投げつけたグーニャが思い出された。

「――結局、神殿は当時の副宰相の提案を採用したわ。物心つく頃までは頻繁に父とは会わせてもらえたけど、7歳になったくらいから父との面会は減って、神殿にいる間の記憶が曖昧になり始めたの。恐らく、その辺りから薬を使われていたのね。勿論、父に怪しまれないよう、少量ずつ。それから神官長はわたくしを正式な御子だと父に牽制するために、流行り病の神託を発表したわ。それで父が諦めると思ったのでしょう」

「でも……」

ヴィリが口をはさむと、ニニアンが頷く。

「その目論見は外れたわ」

理由はヴィリも知っている。

ニニアンには兄弟がいないのだ。

「正妃であった母は、わたくしが生まれてすぐ亡くなっている。それだけなら、すぐに側娼をあてがえば済むと考えていたんでしょうね。ところが、周囲が思っていた以上に父は母を愛していて……愛し続けたまま死んでしまったわ」

先王は正妃だけを妻とし、新たな世継ぎを作らないまま神託の通りに病で崩御した。

神に祝福された御子である王女ならば、国を繁栄させてくれると信じて――と続くのは、民が子供に語る寝物語である。

「計画は総崩れで、神官長とか副宰相は焦ったんじゃない?」

「いい気味よ」

ニニアンが鼻で笑う。

“王女”としての彼女は、たいがい人間的であるらしい。

だがヴィリにはそちらの方が好ましく思えた。

「けれど、副宰相は動じなかった。彼は初めから、わたくしを生かしておくつもりなんてなかったのよ。父が亡くなったのは渡りに船だったでしょうね」

「下剋上でも狙ってた訳?」

「えぇ。副宰相は王位を狙っていたの」

「本当なんだ」

ヴィリはぐるりと目を回す。

妓楼でも妓女同士でどろどろの愛憎劇、などと言うのも多々あることだが、国の中枢ともなるとさすがに規模が違う。もっとも、トップになりたくて策を弄し足を引っ張り合うのは、妓女も大臣も神官も同じらしい。

「当時副宰相だった男は、父の従弟よ。けして王位に近いとは言えない身分だったけれど、同年代だったからか、父とは比較的仲が良かったと聞いているわ」

「仲が良かったって……」

その従弟に殺されかかっているのは誰だと言いたくなるほど、ニニアンの言い方は他人事だった。

「副宰相はすぐ次の手に出た」

神託を受けた時点で、御子は既に神に近い者となった。それを人の事情で俗世へ戻すことは、御子の清浄なイメージを損なわせる。

副宰相は議会の場でそう並べ立て、ニニアンを御子のまま神殿に残すべきだと主張した。

更に、神に捧げた身を人が穢すことは民の信仰心だけでなく、王家の威光が陰ることになりかねないとして、彼女が女王として子を成すことへの懸念も公に語った。

「そんな屁理屈、まともに聞く人がいたの?」

「残念ながら、大多数よ。議会の半数近くが副宰相に同調したわ。神なんて信じていない、神殿と癒着している貴族たちがね」

「腐ってる」

ヴィリが吐き捨てるのを、ニニアンは思いのほか優しい目で見つめた。

「宰相が、そう思った一人だった。数える程しか会ったことはないけれど、穏やかな老爺だったわ。長く国を支えてきた宰相は、政治の腐敗も目にしてきていた。そして、止められなかった負い目があったのね。彼はその場での決定を避け、わたくしが成人した後に改めて議論することを定めたわ。それまでは慣習通り、未成年の王族としてわたくしを扱うことを条件に、彼は宰相の座を退いたの」

「いい爺さんだったな。最後までニニアンの心配をしてた」

イツァンがしみじみと回想する。

ヴィリは宰相とやらを直接目にしたこともないが、何となく白髪とひげを垂らした好々爺のイメージが浮かんだ。

「王族として扱うことが決まった以上、神殿はわたくしを国家の公式行事に参加させなければならない。公式な場でわたくしがただの人形では困ると言うことで、それまでと同じように薬は神殿にいる時にだけ使われてきたわ」

「なるほど、薬効が切れれば今みたいに普通にしゃべれるってことなんだ」

「そう。納得できたかしら」

かなり大回りをした気はするが、話は一応戻ってきた。




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