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妓楼が用意したのは、昨日着せられたものと大差ないほど豪華な衣装だった。

帯もスカートもさらさらとして肌触りがよく、上着の幾何学模様は色鮮やかだが嫌味ではなかった。

3人の禿によって湯屋で丁寧に磨かれた体に衣を重ね、今は妓楼の座敷で髪を梳かれている。

明るくしゃべりながら櫛を持つのはグーニャで、座敷に他の禿はいない。

この妓楼では、禿から客を取る娼妓になると個人の部屋があてがわれる。かと言って特別広い訳でもなく、客を取るのもその部屋となるため、どの娼妓も自分の持ち物など最低限しか置くことができない。売れっ妓になればもっと大きな座敷が二部屋もらえるが、それだけ身を売らなければならなかった。

沈んだヴィリの表情に気付かず、グーニャは話し続ける。

だいたいは先ほど見た神殿の話だ。

「――それで、今代の姫御子さまは凄く綺麗だって有名なんですよ」

「そりゃ、王女さまなんでしょ?王女さまが不細工だって話、聞いたことないし。どんな不細工でも、御子なら美人だって伝わるんじゃないの?」

「ヴィリ姉さん、それ不敬と冒涜ですよ」

気のない返事を返せば、グーニャはぷっと頬を膨らませる。

このビフレスト王国の国教は、創造主ザキラを絶対神とするザキラ教である。王城に隣接する神殿が大本となり、ザキラを祭っていた。そして、ザキラ教で創造主の次に崇められているのが“御子”だ。何十年、もしくは何百年に1人、ビフレストには“色”を神に捧げた子供が生まれてくる。その子供は“神の遣い”とされ、神託を授かることができるのだとか。

今代、100年ぶりだかに生まれた“御子”は、ビフレスト王家の王女だ。

王家から“御子”が生まれるのは初めてのことで、誕生した時は王家がザキラに祝福されている証だと大いに盛り上がった。だったら今までは祝福されていなかったのかとヴィリなら思うが、その辺りは誰も突っ込まない。

現在“御子”である王女は、手厚い保護の元に城と神殿を行き来しているらしい。

――随分、優雅なご身分だな。

「ザキラと姫御子さまの神託は確かですよ。一昨年は日照りの続いてた夏に、半年先の冬は水難があるって神託で。結局、あんな酷い年はないって言うくらいに雪が降って。山間部では雪崩とか、貧民街では寒さでかなりの数が死んだって聞きます」

「へぇ」

「それだけじゃないです。先王陛下が崩御した時も、事前に流行り病で高貴な人が亡くなるって神託があったそうです」

「ふーん」

「ザキラは私たちに警告を与えてくれるんです。そのザキラの声を聴く姫御子さまは、やはり特別な存在なんですよ。だから信じて祈れば、きっといつか救われます」

「はぁ」

ついには手を合わせて祈り始めるグーニャに、興味なさそうに相槌を打ったヴィリは、整えられた髪に手を入れると、がしがしと掻き回した。

「あー!せっかく梳かしたのに」

グーニャが慌てて直しにかかる。

そろそろ女将がヴィリを呼びに来る。準備ができていなければ叱られるのはグーニャだ。

「……ヴィリ姉さんって、本当に黒い髪をしてますね」

絡んだ髪を解きながら、グーニャはため息をついた。

「目も髪も真っ黒で。神殿の白さと対になるくらい……」

「――っ」

パシッと音がするくらいの力で、グーニャの手を払いのけた。

「あたしは神殿と違って汚れてるって言いたい訳?」

「そんな、違います!」

真っ青になったグーニャが言うが、ヴィリは拒否するように立ち上がって引き戸に手をかけた。

「そんなこと言ってられるのも今だけ。覚悟しなよ。あんただって、2年後には見ず知らずのジジイに抱かれるんだから」

びくっと肩を跳ねさせたグーニャは、しかし膝に置いた櫛を握りしめて笑った。

「それは、分かっています。そのために私を買ったお金で、家族が飢えずにすんだんですから」

「…………」

すぐに悟った。覚悟ができていなかったのはヴィリの方であったこと。

まっすぐな目を見返すことができずに、ヴィリは部屋から逃げ出した。

――情けない。

完璧な八つ当たりだ。

機嫌が悪かったからと言って、禿に当たっていい道理はない。しかもグーニャの方が余程、ここの現実を受け入れていた。

もう後戻りできない状況になっても、後ろ向きの自分とは違って。

「ヴィリ、準備はできたか」

部屋の前で自己嫌悪に沈んでいたヴィリを迎えに来たのは、女将でなく楼主だった。

白髪だらけになった、女将とは対照的にひょろりとした初老の男。ここ数年で随分老けたが、目だけは気力に満ちている。

「もう先方がお待ちだ。急ぎなさい」

「はい……」

湯屋へ送り出した時の女将と違って、楼主は上機嫌だった。

「お前はやはりイソウドの娘だな。大物を呼び寄せる才能がある」

ヴィリは冷たい板張りの廊下を、無言で楼主に続いた。

夕刻を過ぎ、左右の部屋には既に明かりが灯り、客の来訪を待ちわびている。娼妓に用事を言いつけられた禿たちが忙しそうに2人の脇をすり抜けて行った。

「水揚は政府のさる大臣だったし、今回の客もかなりの身分と見える。ただ会うだけにかなりの金を寄越した。何より父親が――」

それは大物ではなく厄介者の間違いだろう。

ヴィリはしゃべり続ける楼主に気付かれないように息をついた。

「――ここだ。くれぐれも無礼のないように」

連れてこられたのは、妓楼でも奥まったところにある座敷だった。

ここは位の高い娼妓の部屋としても使われていたが、つい2週間ばかり前にその娼妓がどこぞの商家へ身請けされて行ってから空室となっている。

「お客様、楼主でございます。ヴィリが参りました」

「ご苦労。中へは妓女だけを通し、お前は下がれ。以後、人払いを」

扉を開けようとした楼主に、中から男の声が返ってきた。

意外にも若い。

ヴィリが驚いていると、楼主は怪訝そうな顔をしたが顎で扉を示した。

「いいな。くれぐれも」

楼主は注意を繰り返して、ヴィリに場所を譲る。

「――失礼いたします」

ヴィリは仕込まれた通りの作法で扉を開けて中へ入った。

すぐに扉を閉めて、視線は上げずにその場に座る。客に声をかけられてから、娼妓は相手と向き合うのが妓楼での作法だ。

「……………」

ところが、ヴィリが腰を下ろしてからしばらくしても、客から声はかからなかった。

じっくり観察でもされているのかと思ったが、そんな視線も感じない。

何の動きもないまま、じりじりと時が流れる。

そしてふと、ヴィリは思いついた。

もしかして、この客は妓楼の作法を知らないのではないか。

声からするに、かなり若い男だった。貴族の御曹司が初めて女を抱くのに、妓楼を使うのはよく聞く話だ。

いやしかし、女将は「そっちの客じゃない」と言った。少なくとも抱きに来た訳ではないのだろう。では一体、男は何をしにここへ来て、なぜ先ほどから黙りこくっているのだろうか。

――あぁ、らちが明かない。

ヴィリはイライラと正座した足の指先を動かしていたが、すぐに我慢できなくなった。

大体、そちらの都合で呼びつけておいて、長々と無視する方にも非がある。正規の客でないなら遠慮はいらない。叱責されたら張り倒して出て行ってやる。

そう決心すると、ヴィリは膝で合わせた両手に力を入れて視線を上げ――呼吸を忘れた。




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