会いに来い
―第2章―
1
その日、予定されていた時刻よりも大幅に早く放課後が到来した。それはそうだ。学校のど真ん中で、あんな事件が起きてしまったのだから。今日は生徒を家に帰し、以後3日間を休みにする。これが、事件でショックを受けた生徒達への学校側からの措置だった。
その後駆けつけた救急隊員によって荒瀬は病院へと搬送された。救急船内からの連絡では、衰弱してはいるが命に別状は無く、切り取られた右腕と左足もくっつくとのことだった。
そして今は早すぎる放課後。太陽はまだ大地を神々と照らしている。普段ならば午後の授業の時間帯なのだ。保健室で背中の傷を手当してもらい、体中に付着した荒瀬の血を落としてから予備のシャツに着替えた俺は、学校の正門前で壁に背を着いて呆然と空を見上げている。学校側からはすぐに家へ帰るよう指示が出ており、事件発生後1時間以内に全生徒が学校外に追い出されたが、今は呑気に寮などに戻っている場合ではない。
俺はまず混乱する頭を押さえて、それから現在の混乱要素を全て脳裏に書き出す。
混乱要素その1。大杉。超人的な力を与える、モールドの恩恵をあまり受けられない彼が、どうやって高適合者の荒瀬に勝る結果となったか。
混乱要素その2。大杉。あの変わり果てた、真っ黒の獣のような姿はなんなのか。
混乱要素その3。宮谷。大杉に同じく学年屈指の低適合者である。そんな少女が何故あんな異様じみた力を発揮したのか。
混乱要素その4。複数回に渡って発生した、あの謎の圧力。鋭利な破片の雨から生徒を守り、最後は大杉を地面に押さえつけた、あの力。あれは一体何なのか。
混乱要素その5。宮谷。人を殺しちゃったよ。
混乱要素その6。大杉と宮谷。二人の言葉に含まれていた、『青』、『イレイサー』、『コード』、『緑』、『ICDA』。これらの謎の単語が指す物とは?
そして、混乱要素その7。
俺を除くその場にいた全ての人物が、記憶を書き換えられている。
彼らは今日の事件を、全て学校に侵入した通り魔の仕業と思っているのだ。
その通り魔は『荒瀬と大杉を襲い、ご丁寧に校舎の窓ガラスを全て割って桜の木を切り倒し、小型爆弾で大量のクレーターを造ってから逃走した』そうで。
もし本当に存在するなら、何とも意味不明な殺人鬼である。
それに加え、ベランダで真実を目撃していない生徒と教師の記憶まで書き換えられ、全員がそのことを納得しているのだ。
そして、どうして俺だけ記憶が書き換えられていないのか。
これまでの話から推測すると、恐らく宮谷はあの『イレイサー』と呼ばれた、ボールペン状の物体を使用して他者の記憶を改竄していた。だが彼女は俺が意識を失わない、つまり『イレイサー』の影響を受けていないことを大層驚いていたのだ。それはつまるところ、俺という人間が彼女にとって想定外だったということになる。俺の記憶が書き換えられていないのは、宮谷の意志では断じて無いのだ。
「どうしたもんかな・・・・・・」
分からないことだらけで今にも頭がパンクしそうだったが、この場でこれ以上思考を巡らせても、良い結果はあまり期待できそうに無い。
太陽からの恩恵を存分に受け、俺は背伸びをする。
そして。
「アイタタタタタタタタ!!!」
背中に鋭い痛みが走り、俺はその場にうずくまる。浅いとはいえ、一応傷と呼べる傷を作っていたことを完全に忘れていた。
うずくまった際に保健室で巻かれた包帯が傷口からズレた感触を感じつつも、俺はその場にゆっくりと起き上がってから次の行動を考える。
といっても、何をするかは決まっていたが。
「宮谷はどこに行ったか」
俺は自分の周囲を見回す。が、俺の周囲には人一人いなかった。
俺は当然、宮谷を捜している。別れ際、死にたくなければ会いに来い、と宮谷が言っていたのを思い出したのだ。
とは言っても。
「どうやって会いに行けばいいのだろうか」
俺はつい数時間前まで、宮谷という存在を全く気にしていなかった。知っていたのは、宮谷茜という名前と、彼女が一学年の最低適合者であるということだけ。しかもその記憶すら、脳の奥深くに沈んでいたのだ。
だから当然、彼女の自宅はおろか、帰り道さえ知らないのである。
大体会いに来いって、俺に用があるなら自分で来いよな、と少女への不平を鳴らしつつも、何とか宮谷と接触するための手段を考える。
まず一つ目は、学校の事務室に行き、宮谷茜の自宅の電話番号を聞くという方法がある。
「けどな・・・・・・」
俺は正門の隙間から校舎の中を覗く。中庭辺りでいつの間にか集まってきた警察数十名が、鑑識やら何やら忙しく動いていた。
学校の事務員も偽りの事件の後処理に追われているのだ。自宅に帰れ、の指示も相まって、まず俺の要求など聞かないに違いない。
ならいっそのこと、学校のシステムをハッキングして、宮谷茜の個人情報を盗みだすか、とも考えたが、第一俺はそんな高度な技術を持ち合わせていない。その上仮に成功したとしても、すぐに目の前の方々のお世話になるのは目に見えていた。
二つ目は、このまま会いに行かず宮谷を待つ、という方法だ。これならば確実に宮谷に会えるし、わざわざこちらから出向く手間も省ける。そして、俺の命も確実に奪われる―――。
「本末転倒じゃないか!」
自分で自分にツッコミを入れる。何故俺は、観客ゼロの中で一人コントをしているのだか。
しばらく考えてもいい方法は浮かばず、俺はある覚悟を決めた。
「こうなったら・・・・・・」
右手に持った学校指定鞄から、俺は携帯電話を取り出す。約50名がアドレス帳登録されたこのケータイで、宮谷茜に行き着くまでメールアドレスを聞いて行くのだ。
理想としては、50名の中で一年生女子のメアドを持ってそうな人→一年生女子→一年生の女子で宮谷茜の友達→宮谷茜
といった感じだが、これはあくまで理想。完全に運任せなのだから、実際に実行すれば聞く人数は十人を超えるだろう。最初の人物はともかく2人目以降は当然、見ず知らずの人に他人のメアドを譲渡するのを嫌がるはず。その点については、『宮谷茜に告白したいから、教えてください』とでも書けば大丈夫だろう。俺の平凡な学校生活を引き替えに。恋人禁止令を破った罰として、ほぼ間違いなく野生児達から制裁が下される。
俺はこの覚悟が薄れない内に、自らのケータイを開く、と。
「あれ?」
俺の携帯に、差出人不明のメールが一通届いていた。送られてきた時刻は今から1時間程前。
俺は迷わずそのメールを開く。
メールの内容は、以下のようなものだった。
『宮谷です。3時半までに、第25管区エリア1の駅のホーム前に集合。1秒でも遅刻した場合は処刑』
宮谷が示す場所までは、公共の飛行船を利用すれば3時間はかかるほど距離が開いていた。
俺は左腕のデジタル時計を見る。現在時刻は2時5分を回ったところだった。約束の時間まで1時間半もない。
これは。
「死ぬかもしれないなぁ・・・・・・」
そう悟ったように呟いた俺は、次の瞬間全力で駆け出していた。