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Fの軌跡  作者: ひこうき
Fの再会 編
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52/60

雨林にて

この土日にもう一回更新するかもです。

 熱帯雨林。

 この言葉を聞いて、果たして人々が抱く印象は如何なる物か。少なくとも好印象を抱く人物は、間違いなく少数派だろう。

 日本という、恵まれに恵まれた地域で育った者の大半ならば、このような環境に来て数時間もすれば、その過酷さに根を上げてしまうに違いない。

 ねっとりと絡みつくような湿った空気。体力を根こそぎ奪ってく高気温。

 鬱陶しくなるほど単調な木々が連なり、一度たりともその広大な木々の海に足を踏み入れれば、地元の者でも迷いかねない天然の迷路だ。

 さらに熱帯雨林という一つの世界には、未だ人類が遭遇したことのない未知の生物が待ち受けて――――というのは、実は一昔前の話。

 実際のところ、熱帯雨林の生態系はダニの一匹まで隅々と調べ上げられているし、蜘蛛の巣を彷彿とさせるおびただしい数の飛行船路が、雨林全域に敷き詰められた今となっては、雨林内部で迷う者などごく少数だ。

 だが、それこそどうしようもないのが、前述した熱帯特有の気候。この肌に絡みつくような、ねっとりじっとりした空気だけはどうしようもない。

 これまた先ほど述べたように、日本という、環境にせよ文化にせよ非常に快適な世界で過ごしてきた者ならば、まず間違いなく堪えられないような空間――それが熱帯雨林だ。

 そんなジメジメとした熱帯雨林のど真ん中で、暑苦しいスーツを身に着けているにも関わらず、汗一つ浮かべずに無邪気に動き回る人物が一人。

「や! これはまた珍しい植物だねぇ!」

 ICDA研究部ナンバー6、浦田勝也だ。

 現在浦田は、器用に足だけで木の枝にぶら下がり、さかさま状態で植物を観察している。暑苦しい空気をものともせず、まるで清涼剤の如く爽やかな雰囲気を醸し出し、子供のように目を輝かせていた。

「雨林の植物は大変興味深いねぇ! これなんか見てみたまえ、木から別種の植物が生えている。恐らく地上の外敵から身を守るために、独自の進化を遂げたのだろう」

 枝から足を離し、そのまま空中で一回転。ゆっくり着地してから、さわやかな笑顔を浮かべる。

「ほら、君もそんな所で突っ立ってないで、こっち来て見てみなよ」

「いえ、私は結構です」 

 と愛想笑いを浮かべて、浦田の爽やかな誘いを丁重に断ったのは、ICDA研究部の一員だ。

 この研究員の少女が命じられたのは、ICDA日本から派遣された浦田勝也を、彼女の属するICDAの施設まで案内すること。

 本来なら施設までの道行には、秘密裡に用意された専用航路の飛行船が使用される。それに搭乗しさえすれば、後は眠った状態でも目的の施設へたどり着けたはずだったのだが……。

 エアコンの効いた快適な飛行船を断念し、蒸し暑い雨林のど真ん中を突っ切ってICDAの施設まで向かうことになったのも、その上こうして道草を食うことになってしまったのも、全ては浦田が飛行船に乗る間際に呟いた「熱帯地域の植物を観察したい。薬に応用できるかもしれない」という私情丸出しの言葉と、それを汲んでしまった少女の失態によるものだった。

 しかしながら「せっかくの異国の地だし、行きだけでも観光気分を味わってもらおうかな」と、浦田の提案を許諾してしまった身としては……

「私の事は気にせず、どうぞごゆっくり観察していってください。ミスター浦田」

 ……と、半ばひきつった笑顔で言うしかなく。

 それに対して浦田が、もう眩しいくらいの心からの笑顔で……

「ありがとう! もうちょっと奥まで見てくるよ!」

 ……と言い残して、さっそうと木々の隙間へと消えていくのを、茫然と眺めるしかなかったのだった。

 躊躇いなく木々の暗闇へと入り込んでいく浦田を尻目に、少女は自身の端末を開いて現在時刻を確認する。当然のことながら予定到着時刻を大幅に過ぎている事実を飲み込んで、「後でミスター1に叱られるなぁ……」とションボリ肩を落とすのだった。

 本来なら少女は今頃、浦田を施設まで案内するという任務を完了し、程よくエアコンの効いた自室にて束の間の休息を楽しんでいたはずなのに。それがどうしてこんな蒸し暑くてたまらない空間で無駄に体力を消耗し、熱帯特有の虫達から熱烈な歓迎を受けなければならないのか。

「ああっ、もうあっち行ってて!」

 と、彼女にしては珍しくイライラ気味に、寄ってくる虫たちを振り払う。

 少女は別に、この土地が嫌いというワケではない。そもそも生まれと育ちの両方がこの土地の彼女にとっては、このような蒸し暑い環境は気にも留めないことだったハズなのだ。

「やっぱり暫くこの土地で暮らして無かった分だけ、免疫力落ちたかなぁ……?」

 と項垂れながらつぶやく少女は、実のところつい最近――具体的には一年前――まで、ICDAアメリカ支部にて勤務していたのだ。そこでICDA研究部ナンバー1、通称ミスター1と知り合い、彼の部下となったがために、彼の研究に付き合う目的で、二度と戻ってくることは無いと思われたこの土地まではるばる舞い戻ってくることになったのだ。

 と、ここで少女の事情は置いておいて。

 目下彼女を悩ませているのは、ミスター1の旧友であり、ICDA研究部ナンバー6の大御所である浦田勝也の――その度を越えた自由奔放さである。

 浦田勝也とは、表では実力ある証券マンとして名が通っている人物であると聞いていた。一方の裏では、ICDA日本が誇る有能な研究者であるとも聞いていた。

 頭脳明晰、クールで真面目、かといって決して冷たい印象は無く、その物腰穏やかそうな雰囲気に違わぬ、他者への気遣いが行き渡った心優しい人物である。そのおかげか、ミスター浦田という名前はICDA日本ばかりでなく、ICDAアメリカにまで届いていた。

 因みに補足すると、ICDAという組織内部で密かに……というか本人が気づかないだけであって、明らかに女性から人気を集めている人物でもある。

 しかしながら、数多くの女性から黄色い声を浴びるということは、同時にゴシップの対象ともなり得るというワケで……。

 曰く――――『浦田勝也は、女性より薬を愛する』。

「こりゃ、この噂はアタリだったか……」

 薬の原料となり得る植生の数々に、ここまで周囲が読めない自由奔放な人物へと早変わりしてしまうのだから、まず間違い無い。

 友人たちと噂話に興じていた張本人である少女は、確信を持って呟くのだった。

「何がアタリだって?」

「きゃっ……!?」

 そう少女が呟いてから数秒もせずに、正面の草陰から浦田の顔がひょっこり生えてきた。

 内心冷や汗ダラダラ状態だった少女は、上機嫌で歩み寄ってくる浦田を前に、上手く話題を逸らそうと試みる。

「他愛もないことですので、どうぞお気になさらず。……そ、それよりも、何かいい発見はありましたか?」

「ああ! あったとも、たくさんあったとも! 聞いてくれ、見てくれ、驚いてくれ! 僕が集めてきたこの数々の植物たちを! いいかい、まずこのオオダラキズはね、こうした温暖湿潤の気候下にしか分布しない植生でね、これは人間の身体的――……」

 と子供の如くルンルンと目を輝かせて(しかし同時に爽やかさも発しながら)、浦田は畳み掛けるようにして解説を始めてしまう。

 『しまった、墓穴掘っちゃった』と後悔するも、時すでに遅し。後の祭り。浦田のマシンガントークは止まらない。

 大量の植物を抱えての浦田の解説は、その後たっぷり30分も続いたのだった。


 *


「いや~、すまないね。僕のワガママに付き合って貰っちゃって」

 しれっと悪気も無さそうに言う辺り、果たして浦田勝也という男は天然なのだろうか、と思う少女である。

 済ました顔で――大事な休息時間を奪われたことに腹を立てているのか――これまた少女にしては非常に珍しく、微妙な嫌味を込めて返す。

「いえ、お気になさらず。ミスター浦田がたっぷり知識を叩き込んで下さったおかげで、私も植物に興味が沸いてきましたので」

「そうか! ならこれからキルヌイの樹木でも……」

「行きませんっ!」

 と、ついつい強く言い返してしまう。同時に、浦田勝也という男は正真正銘の天然であると確信する少女だった。

 これまでとは打って変わって強くなった少女の口調に、浦田も驚きを隠せない様子だった。

 再び自己嫌悪に陥りそうになるのを必死に抑えて、もうこの際開き直った方が楽になれるのでは、と少女は腹をくくる。

「ミスター浦田がそうやって植物ばっかりに現を抜かしてるから……ほら、とっくに集合時間過ぎてますよ?」

 完全に開き直って、強気の態度で端末の時計を示す少女。

 一方の浦田といえば、その示された時刻をじっくり眺めて、鈍感なりにようやく気付いたのか、慌てた様子で頭を下げてきた。

「ああ、すまない! これは悪いことをした。つい見境なく趣味に走ってしまって……これは本当に申し訳ないことをしたな。ミスター1が待ちくたびれていることだろう」

 ムカっ、と少女の堪忍袋の緒がとうとう切れてしまう。

「そういう意味で言ったんじゃないです――! 私のことも少しは気にかけてくださいよ! 付き合わされてるのはこっちなんですよ!? 師匠じゃありません!」

「むっ、でも君はさっき植物が好きと言っていたじゃないか。君は好きで僕に付き合ってくれていたんじゃなかったのか?」

 と、恐らく志穂がいれば間違いなく「だから浦田さんは結婚できないのよ、かっこいいのに」と嘆きそうな言葉を平然と漏らす浦田。

 呆気にとられるという状態を久しぶりに体験した少女は、数秒間ものあいだ間抜けに口をアングリと開け――呆けが抜けた後、自分も少々取り乱していたことに気づく。

 同時に、何故だかこの男に文句なり嫌味を言うのは、どうしようもなく非生産的な行為だと理解し、これ以上の言葉を重ねるのを諦めたのだった。

「はぁ……もういいです、先を急ぎましょう。ミスター浦田の言うとおり、師匠も首を長くして待たれているようですし」

「そうだね、急ごうか」

 と、最後はやっぱり笑顔の浦田さんなのだった。

「じゃ、お詫びというワケでもないけど、ちょっと失礼」

 浦田は少女の腰とひざ裏に、自身の両腕をまわした。そしてそのまま持ち上げる。


 いわゆる、お姫様抱っこというヤツである。


 最初は自分の身に何が起きているのか、一切合点分からない様子の少女だったが。

 ゆっくりと首を回し、

「ん? どうしたんだい?」

 と笑顔な浦田の顔が、すぐ目の前にあると視認するや否や――。

「なっなっ、なっ……きゃああああああ!!」

「ゲフッ!」

 ボンッ、と音が聞こえてきそうなほど顔を真っ赤にし、浦田の右頬に全力のビンタをお見舞いしていた。

「何するんですか――!」

 そのあまりの大声に、周囲の草陰から鳥たちが一斉に飛び立つ。

 ふぅふぅ、と肩で息をする少女は、顔をユデダコ状態にしたまま、まるで浦田を目の敵にするかのように睨み付けていた。

「それはこっちのセリフだよ……。どうして僕が殴られなくてはならないんだい?」

「当・た・り・前・ですっ! いきなり女の子を、お、お姫様抱っこなんて……」

 先ほどの行為の一体何処が、少女の心の琴線に触れてしまったのか。珍しくも浦田は即座に理解した。

「い、いやいや! 僕は君を連れて、施設の方まで一っ跳びしようかなと思って……決して他意は無いんだ!」

「一っ跳び?」

 ほら、と浦田はポケットから『橙』のモールドを取り出す。

「僕の能力だよ。研究部の端くれなら、君も知ってるだろう?」

 と言いながら、スーツの袖を捲り上げ、そこにモールドの入ったカプセルを刺す浦田。

 全ての液体が浦田の体へと注入されてから程なく、彼の周囲に微風が渦巻きだす。

 その風は、まるで空間の風をかき集めるようにして、次第に規模を増していき。

 次の瞬間に一際風圧が高まり、思わず少女が目を瞬かせる間には、浦田の体は宙に浮いていた。

 その光景を見て、少女は素直にも驚きと感心の交じった感情を抱いた。

「へぇ……体を浮かせるほどの上昇気流を生み出せるなんて……」

 流石に研究部のトップ10に入るだけの力はあるんだな、と心の中だけで感心の言葉を漏らす少女だった。

「ほらっ、君もおいで」

 浦田が空中でフワフワと浮かびながら、手を差し出してくる。相変わらずの笑顔で。

 ここまでさせておいて、彼の誘いに乗らないのも悪い気がした少女は、短い嘆息を漏らした後、差し出された手を握る。

「言っておきますけど……私、『あの人』以外に心を許す気はありませんからね」

「あの人? 君の意中の相手かい?」

「はい。誰かは言いませんけどね……」

 続く少女の言葉は、鈍感な浦田ですら風力操作を誤ってしまいかねないほど、聞かされた人物の動揺を誘うものだった。


「……私の初めては、全てその人に捧げると決めてあるんです」


 少女の発言こそ、口を突いて憚れるほどの大胆極まりないものだったが――彼女にしてみれば固く誓った思いであるのか――その表情に、迷いや恥じらいの色は一切無かった。

 だからこそ、一瞬だけ動揺してしまったものの、浦田も真面目に返答することができた。

「君は、随分その人に対して思い入れているんだね」

「はい。お分かり頂けますか。お姫様抱っこも含めて、私の初めての体験は、全てあの人が貰ってくれなければダメなんです」

 なるほど、と浦田は実際に呟いてみせた。

「じゃあ、逆に聞くけど。今こうして僕と手を握っているが、君はその想い人とは手を握ったことがあるのかい?」

 軽い気持ちで尋ねた浦田だったが、予想外にも少女は言葉を濁してしまった。

 ふと、寂しそうな表情を浮かべた後に、ゆっくり頷く。

「はい、何度も」

 まるで現在の思考を振り解くかのように、少女は珍しく笑顔を浮かべる。

「だから、どうぞお気になさらず」

「そうか、なら遠慮なく握らせて貰うよ」

 と宣言通り、少女が僅かに表情を歪めてしまう程度には、浦田は少女の両手を強く握りしめる。

「それじゃ、離陸するから。ちゃんと捕まっていてね」

 ホントはお姫様抱っこの方が運びやすいんだけど、と苦笑交じりに呟やかれた浦田の言葉を、少女は暴風音に遮られて聞き取ることができなかった。

 代わりに落ちないよう、浦田の右手を全力で握り返した少女は、大地が遠ざかり始めた時に大きな声で言った。

「なるべく早く移動してくださいよ! 私、あまり高い所得意じゃないんです!」

「承諾した!」

 こうして地上から10メートルはあろう上空でパニックに陥らない時点で、十分に高所には耐性があると思ってしまう浦田だったが、わざわざ言葉にすることは無かった。彼なりに多少は反省はしているようだった。

 それを口にする代わりに、浦田はこう呟いていた。

「君、強いじゃないか」

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