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Fの軌跡  作者: ひこうき
間章
46/60

オニゴッコ

すいません。後1回だけ続きます。

「何処に行くんだい、ぼーや」


 鬼の細長い手がヌゥッと伸び、俺の右足を掴んだ。


 出鼻オーナーの言葉が、頭の奥底で響いた。

『あの女の所には、絶対に戻るんじゃねぇ』


 俺の膝に、鬼の五指が鉤爪のようにして食い込む。それだけで体全体の動きが止められ、どれだけ足掻こうとも進むことができなくなった。

「わぁああ! ああ! ああ! 離して、離じてよぉおお……!」

 訳も分からず涙が溢れ出た。鼻水と交じって、顔全体がぐちゃぐちゃになる。視界もぐちゃぐちゃになる。

 あまりに輪郭の濃い恐怖と、静かに体を束縛する焦りが入り混じり、俺は何も考えられなくなった。ただ『逃げろ』という警鐘が、虚しいくらいに頭の中でガンガン響き渡る。

「きぇっへへ……! へえぇぇへへへへへッッ!」

 俺は何度も鬼を蹴りつける。効き目は無い。鬼はただ何度も奇声を上げて、獲物を捕らえた喜びを顔に滲ませていた。

 子供の俺が力で敵うハズもない。次第に逃げようとする気力だけが空回りするようになり、手足からは力が抜けていった。

 すぐ目の前に出口があるのに、たった数歩の階段を登れば光に満ちているのに、俺にはそのたったの数歩が絶望的なまでに遠く感じられた。もう二度と、表の世界を見ることができないんじゃないのか。この薄暗い部屋で、鬼に喰われて死んでしまうんじゃないのか。

 否定的な考えは次第に規模を増していき、いつしか逃げようとする気力さえ宙に消えて無くなってしまったようだ。瞬きするのも忘れて、泣きじゃくったまま喉を震わす。

「助けてよぅ……ラジオおばざん……死にだく……じにたくないよ"ぅ……!」

 振り絞って出てきた言葉は、紛うことなき子供の命乞いだった。その言葉を待っていたのか、それこそ、この命乞いこそ鬼の欲していた物なのではないのか。そう考えてしまうほどに、鬼は狂喜に身を震わせた。

「ああ……いい、いいよぉ! 幼い子供だけの持つ、とろけーるように甘い声ええぇ。泣きじゃくるその声がぁあああ!!」

 悍ましいまでに顔を歪ませ、涙をまき散らす鬼が。

 

 俺の首を掴み、床へと押し倒した。


「ガァッ! ハァッ……!」

 床に後頭部を叩きつけられた衝撃で、一瞬だけ視界がぐらつく。同時に首回りに異物を放られたかのような痛みが滲み、呼吸が見事に途絶えた。顔全体が膨らむような錯覚を覚え、少しずつ意識が遠のいていく。

「はっははは……! 可愛いよ、可愛いよぅ、ぼーやああぁ!」

 息ができずに悶え苦しむ俺とは対照的に、鬼は息を荒げる。そして急かされるようにしてポケットをまさぐると……。

 

 暗闇でギラリと輝く――――ナイフを取り出した。


「っ! むぐうう!!? むぐうう!?」

 その鋭利な刃物に視界を奪われた瞬間、俺の中の何かが焼き切れた。再び逃亡本能が働き、必死に抜け出そうと抵抗を始める。

「なぁに、殺しやしないさ、ぼーや。ただ、手と足をちょっくら貰うだけさ。すぐにあのマサキって子の所に戻してあげるよ……」

 優しい表情だった。その柔らかな微笑を見せられた瞬間、記憶の中に生きていたラジオおばさん、その優しげな笑顔全てが塗り替わる。

 ――――あの優しかったラジオおばさん、その笑顔は……全部ニセモノだったの?


 加えて言えば、彼女は足が弱いというのも、嘘っぱちだった。何故ならその動かないはずの足は、痛いくらいの強さで俺を踏んずけているから。 

 理由を知らなければ、知りたくもない。しかし、ラジオおばさんが人間の――それも子供の手足を集めていることは分かった。

 

 なら、最初からラジオおばさんは、俺たちの手足が目的で……?

 

 その疑問が、口を突いて出ることは無かった。ラジオおばさんが、手にしたナイフを高々と振り上げたからだ。

 その獰猛な獣の目は、地面に伏せられた俺の右腕を狙っていた。

 既に思考は真っ白だ。こうしてボンヤリと状況把握をしているうちに、きっと俺は切られてしまうのだろう。四肢を失ってしまうのだろう。

 四肢を、失う?


 ここで、真っ白な頭の片隅に、とある人物の姿が浮かび上がった。


 そう、ポッチョだ――――四肢を失った。


 先ほど鬼は、何と言っていた?


『ただ、手と足をちょっくら貰うだけさ。すぐにあのマサキって子の所に戻してあげるよ……』


 そう、ポッチョは戻ってきた。四肢を失って、俺とマサキ、ハナズンの元に。

 まさか。ポッチョを殺したのは。


 ――――目の前の、ラジオおばさん?


 ついにナイフが降り下げられた。残された思考が死ぬ物狂いで回転しているのか、それとも死ぬ間際の生存本能のおかげか。その動きはとても遅緩に思え、一直線に向かってくるナイフの輪郭が、嫌にはっきり見えて。

 その後の数秒間に起こった出来事は、俺もよく思い出せない。

 ただ、突如響き渡った怒声にナイフの動きがピタリと止まり、俺に覆いかぶさっていたラジオおばさんが吹き飛んだのは覚えている。

 そして現在、俺の目の前には鉄パイプを握りしめ、肩で大きく息をしている――――ハナズンがいた。


 そう、俺の仲間だ。


「あっ、あっ……」

 

 助けに来てくれた。


 最初にこの言葉が浮かび上がり、途端に体中に熱い液体が滲んだようだった。次の瞬間には、俺はさらに涙を溢れさせていた。

「ゲッ、ゲホッゲホッ……! ……ハ、ハナズン! ハナズン!」

「フー! 間に合ってよかった……ズズッ!」

 目の前にいる仲間が頼もしくて、命を救われたこと、生きていることがこれ以上ないくらいに嬉しくて、俺はただただ泣いた。

 それでも、ハナズンの表情は険しかった。

「立てるか、フー? いいから早く逃げるぞ」

「ゲホッ……ッえ……?」

 頭がグルグルする。一気に入り込んできた空気が肺を焦がすようで、何度も咽ながらもハナズンの言葉に耳を傾けた。

 状況はよく分からないが、ハナズンの持つ鉄パイプからして、おそらく俺に覆いかぶさったラジオおばさんを殴打したのだろう。

 俺は半ば恐怖を抱きながら目をやると、ラジオおばさんは頭を抱えながら、既に起き上がりつつあった。

「早く! 逃げるぞ!」

 その言葉に俺は勢いよく立ち上がると、手を引いてくるハナズンに従って階段を駆け上がった。

 その途中後ろから化け物のような呻き声が聞こえ、ぞっと背中を凍らせた俺だったが、何とか表に出ることができた。

 しかし。

「マ……マテェエエエエエエエエェェッッ!」

 

 狂気の叫びをまき散らし、暗闇から鬼が、猛烈な勢いで迫ってきた。

 

 表現しようのない恐怖が全身を襲った。脚が竦み上がって動けなくなる。

「フーッ! 走れッッ!」

 張る様にして放たれたハナズンの言葉に、俺の体はようやく解れた。せり上がる恐怖、迫りくる化け物を必死に思考の外に押し出し、俺はようやく動き出す。

 

 俺が駈け出すのと、鬼の細長い指が俺の背中を掠るのは、ほぼ同時だった。

 

 つまり、立ち止まればすぐにでも捕まる。

「この!」

 ハナズンは小屋を出る直前に、手にしていた鉄パイプを投げつけた。確認している余裕は無いが、すぐ後ろで短い呻き声が聞こえたことから、少なからずヒットしたのだろう。

 これが多少の足止めになると信じて、俺とハナズンは小屋から脱出した。そのまま全力で来た道を駈け出す。

 そして数秒もしないうちに、鬼が勢いよく小屋から飛び出した。まるで獲物を追いかけるかのように、奇声を上げながら追いすがってくる。

 後ろを振り向きたかった。今鬼がどこにいるのか、確認したい。もしかしたらずっと遠くにいるかもしれないし、もしかしたら目と鼻の距離まで迫っているかもしれない。俺たちを掴もうと手を伸ばしているかもしれない。

 何も分からないのは恐怖でしかなかった。この両目で見て確認したかった。

 それでも、それ以上に今振り向くだけの勇気が、俺には無かった。

 どうしようもない恐怖の板挟みに、脚が縺れる。今転べば確実に捕まるだろう。だから俺は足を動かす。

 恐怖で頭がどうにかなってしまいそうだった。腹の底から笑いたい衝動に駆られる。

 それでも、今笑ったら確実に終わる気がして、俺は必死に笑い出さない様に堪えた。

「早く! 人の多い大通りにまで!」

 今俺とハナズンが走っているのは、一般人のほとんど通らない裏道。普段なら蔓延っている孤児も、プログラムのおかげで一人として見当たらない。

 大通りに出るまで、ざっと見通して数分といった所だ。それまで絶対に捕まらない様にしなければ、助けてくれたハナズン、そして何より待ってくれているマサキを裏切ることになる。

 マサキ……?


「……あっ!」

「……!? どうした、フー!?」

 忘れていた。完全に忘れていた。

「俺、ラジオをあの家に置いてきちまった……」

 そう、あの努力の結晶を、マサキへのプレゼントを、何より大切な品物を、俺はラジオおばさんの――――鬼の家に置いてきてしまったのだ。

 そしてすぐ後ろには、狂気に身を投じた鬼そのものが迫っている。

 今戻れば、ラジオを取りに帰れば、確実に捕まる。そして最悪殺されるだろう。

 どうする。どうする。

 今すぐ翻して、ラジオを取り戻しに行くべきか。それとも諦めて、このまま逃げるべきなのか。

 俺はそんな自分に驚いた。この状況の中でも、命の危険に晒されている中でも、ラジオを諦め切れていない自分にだ。それほどまでに苦労して、それこそ命を張って手に入れたラジオは、俺の中では無二の存在となっていたのだ。

 いや、違う。ラジオではない。

 俺が欲しいのは。あんな機械なんかじゃなくて、もっと大切なモノ。かけがえのないモノ。お金じゃ、絶対に買えないモノ。

 ――――マサキの笑顔。

「おい! 変なこと考えるんじゃないぞ、フー!」

「っ……!?」

 目の前で走っているハナズンが、顔を歪めながら叫んできた。

「ラジオなんてまたいつか買える! そんな物に命を差し出すんじゃない! 死んだらそれで終わりだ、もう買うことすらできないぞ!」

「分かってる、分かってるよ……!」

「なら、そんな迷う素振りなんかどっかに捨てて、さっさと気合い入れて走れ!」

「えっ……」

 言われて初めて気がついた。いつの間にか、俺の走る速度は少しずつ遅くなっていたのだ。

 頭では分かってる。体でも分かってる。俺の全身は恐怖に絡みつかれ、ただひたすらに逃げることだけを望んでいた。

 望んでいた……はずなのに。

 マサキの笑顔を思い浮かべるだけで、心が叫びを上げてしまうのだ。その笑顔を、絶対に無くしてはいけないと。諦めてはいけないと。

 繰り返される逡巡の度に、俺の心の叫びは全身を支配していく。

 そして気づけば、ただ茫漠とした空間の中で、心ではなく、全身から叫んでいる自分がいた。


『なるようになれ』と。


「ゴメン! ゴメンよ、ハナズン!」

「フー!? おい、フー!!」

 気がつけば、俺は逆走していた。恐れを打ち消すかのように、恐怖を振り払うかのように、腹の底から叫びを上げて。

 思考という不安定な物が、塵一つ残らず振り切れた感覚だった。ただマサキの笑顔が浮かぶ度に、体は自然と動いた。思考を伴わなかった。

「うわああああああああああッッ!!」

 恐怖の権化である鬼に迫る。その姿がどんどん大きくなり、表情が切羽詰まった物から不気味に歪んだ笑顔へと変貌していくのが見て取れた。

 距離がみるみる近くなるにつれて、俺の体も重くなる。完全に解けたはずの思考だが、まだ欠片がこびり付いているのか、ふと全力で逃げ出したくなる。

 それでも俺は走った。何も考えずに闇雲に走った。両目から涙が溢れ出し、自分の顔が壊れたロボットのようなぎこちなさで歪んでいくのが分かった。

 後ろでハナズンの声が聞こえる。焦りを含んだ絶叫だ。

 その声に後ろ髪を引かれることなく、俺は全力で走り――――。

 

 ついに、鬼と接触した。


 心の何処かで分かっていた。敵うはずがないと。簡単に押さえつけられて、終わってしまうと。


 目の前に鬼が迫った途端に、俺は天地が掴めなくなった。強い衝撃を感じると、気がつけば地面に仰向けに倒れ込み、覆い被さるようにして鬼に押さえつけられていた。最初と同じように首根を掴まれ、地面にめり込むほどに押しつけられる。足で腹部を押さえつけられているから、身動き一つとれない。

 あっけなく捕まってしまった。後悔と恐怖の感情が入り交じって、頭の中を駆け巡る。

 ああ、やっぱり逃げておけば良かったんだ。

 明らかな判断ミス。どうしようもないくらいのバカだ。野犬の時と同じように、せっかく友人が助けに来てくれたのに。死の淵から救い出してくれたのに。俺は無駄にしてしまったのだ。

「ヒィ……ヒィヒィヒィ……ッ! 手間かけさせやがってねぇ……!」

 息を荒げた鬼は、グイッと覗き込んでくる。その狡猾そうな笑みが視界一杯に映ると、どうしようもないくらいの恐怖に襲われる。

 しかし、俺は心のどこかで納得してしまった。元々風前の灯だった命だ。ハナズンが助けに来てくれる前の状況に戻っただけ。

 だから、せめてハナズンだけは巻き込んではいけない。そう、俺の身勝手な理由につき合わされて、ハナズンが死ぬことだけはあってはならないのだ。

 だから、せめて仲間だけは助けようと、俺が最後の力を振り絞り、「逃げろ!」と叫ぼうとした瞬間。

「ちくしょおおお!! フーのバカ野郎!!」

 逆さになった視界の中、ハナズンが駆け寄ってきた。

 どうして、どうして。

 巻き込まれているだけなのに、自分の問題でも無いのに、どうしてハナズンは助けに来てくれるのか。殺されるのが怖くはないのか。

 ハナズンはそのまま鬼に体当たりする。

「ッ! こ、このガキッ!」

 抱きかかえるようにして鬼に突撃したハナズンは、鬼を俺から引き剥がした。そのまま密着状態で鬼と転げる。

 解放された俺が見たのは、地面で必死に抵抗するハナズンと、彼の息の根を止めんばかりに押さえつける鬼。

 そう、ハナズンは、俺の身代わりになってしまったのだ。

「このガキが……! 私の邪魔ばっかりしてねぇ……!」

「ぐ、ぐぎぎ……!」

 鬼の爪が、ハナズンの首に食い込む。爪が食い入った箇所から血が滴る。

「ガハァッ……!」

 ハナズンが吐血した。呼吸ができない状態での無理が祟ったのか、口から血を溢れさせた。

「あ、あ、あ……」

 助けに行かなくては。友人を、自分をかばった友人を失わせてはいけない。

 そう理解しているはずなのに、俺はその場から動けなかった。

 ふいに、ハナズンの血にまみれた口元が動いた。消えかけの微笑を俺に見せながら、言葉にならない空気を吐き出す。

 その口の動きだけで、ハナズンが何を言っているのか、分かった。分かってしまった。

『に……げ……ろ……』

「……! っ……っ……っ!」

 俺は、首を横に振るしかなかった。それ以外に、どうしようもなかった。

 その言葉を否定したからには、助けに入らなくてはいけないと分かっていても、やっぱり体が動かない。

 ただ俺が恐怖に震えている中、不意に鬼が言葉を繋げる。

「くひひ……! まあいいさ……。手間を掛けさせた分、追加の手足が手に入るからねぇ……!」

 ラジオおばさんが、腰からナイフを取り出す。その鋭利な凶器を、ハナズン目がけて掲げる。

 そのナイフを見ただけで、俺はさらに竦み上がってしまった。明確なまでの死の輪郭が視界を支配して、体が他人の物の如く言うことを聞かなくなってしまう。

 しかし、ハナズンは違った。その鋭利な刃物が自分を狙っていると分かっていても、恐怖を感じていないかのごとく抵抗してみせる。首を抑えていた手が片手だけになったのを好機に、両手を使って、絡まった五指をはぎ取っていた。そして目の前の鬼を睨み付ける。

「ゴホッ……! 俺とフーは……まだこんな所じゃ死なないよ……ラジオおばさんッ……! 俺たち4人は、絶対にニホンに行くんだ……!」

 せき込みながら、振り絞るようにして放たれたハナズンの言葉に、ラジオおばさんは眉を寄せた。

「4人? ああ、アンタたちはいつも、4人で活動してたねぇ……。結局あのポッチョって子は、死ななかったのかい?」

「なっ……ポ、ポッチョ……?」

 ハナズンの肩が跳ねた。その名が鬼の口から出てくるのが、想定外だったのだろう。

 ラジオおばさんの口元が、一気につり上がった。

「健気な子だったよ。アンタたちと一緒で、『仕事が欲しいか?』と聞いたら二つ返事で飛びついてきたさ。私が最初から手足を狙って近づいているとも知らずに、私のために一生懸命働いてくれたさねぇ……」

「お、お前……俺たちに近づいてきていたのは……」

「そうさよ……。アンタたちみたいなゴミに近づいたのも、毎週ラジオを聞かせてやってたのも、全てアンタたちの手足が目的さ……。そりゃ普通の子供に刃物を突き立てたらマズイだろうけど、アンタたちみたいな、人知れず死んでいくようなゴミから手足をはぎ取ったところで、警察は動きやしないからねぇ……」

 ハナズンの目が濁る。

「お前が、お前がポッチョを……!」

「ああ、そうさよ。アンタたちみたいなゴミの集まりの中でも、私のコレクションに加われるだけのいい手足を持ってる子がいるのさ……。そういった子を見つけたら、私は決まって仕事の話を持ちかけるんだよ。日頃の私に慣れ親しみ過ぎて、みーんな全く疑ってこないから面白いねぇ……。ポッチョって子はいい物を持っていたから、奪ってあげたのさ。命までは獲ってないよ。

 ちゃーんと生きてる状態で、リアカーでゴミ捨て場まで捨てに行ったんだよ……?」

「っ! リ、リアカー……!?」

 その単語に、俺は反応してしまった。頭の中に、昼間の奇怪な出来事がフラッシュバックする。

 そう、俺を襲った犬たちは、獲物である俺を逃したと判断するや否や、リアカーの丸太を襲いだした。

 だが、真実は違ったのだ。あの野犬たちは丸太を襲っていたのではなく。


 リアカーに残った、ポッチョの血の匂いに惹かれていたのだ。


 俺が新たに浮かび上がってきた真実に驚いている中、ハナズンは鬼を睨み付けていた。

 そう、まるで食い入るように、憎悪の色を宿して。

「お前が……お前が、ポッチョを……!」

「感謝して欲しいくらいだねぇ……。アンタたちみたいなゴミに、私のコレクションに加われるチャンスをあげているんだからねぇ。それに大金を手に入れられる夢気分だって味わえるだろう? ポッチョってガキも滑稽だったねぇ! 『俺、いっぱい働いて、フーやハナズン、マサキに美味い物食わせてやるんだ!』だっけ? まぁ、最初からお金なんてあげる気は無かったんだけどねぇ……!」

 鬼は、さも愉快そうに哄笑する。

 そう、全てはこの鬼の仕業だった。

 ポッチョが2週間帰ってこなかったのも、コイツがポッチョを騙して仕事をさせていたからだ。俺が仕事をさせられる前に、鬼が言っていた言葉が思い出される。


『私はね、物資搬送の仲介の仕事をしているんだよ……。いつも運んでいるのは、私じゃないのさ……。今回は、搬送係が行方不明になってしまってね……』


 この搬送係とは、つまりポッチョ、いや、あのコレクションに加えられていた無数の孤児のことだったのだ。

 そんな事実を知らなくても、ハナズンは怒りに駆られているようだった。彼の全身から、鬼への憎しみがにじみ出ているようだった。

「許さねぇ……ポッチョをあんな目に遭わせて、死に追いやったお前を……」

 ハナズンは、血反吐を吐きながら叫んだ。


「――――絶対に、許さねぇッッ!!」


 ハナズンは両手で鬼の左腕を掴むと、勢いよく噛みついた。


「ッ!? こ、このガキッ!!」

 鬼はナイフの柄で、噛みついたハナズンの頭を殴打する。ハナズンは目をきつく閉じてその攻撃に耐え、しぶとく噛み続ける。

「離せ! 離せっていってるんだよ!!」

 鬼が左腕を振り、ハナズンを地面にたたきつける。何度も何度も。強烈な蹴りをハナズンの腹部に見舞う。

 それでもハナズンは、しぶとく噛み続けた。許さない、と主張するかのように、血だらけになってもしがみ付いていた。

「この……――――クソガキがぁああああああ!!」

 

 鬼がついに、ナイフを振りかぶった。


「や――――止めろおおおお!!!!」


 俺の叫びも虚しく。


 鬼の持ったナイフが、ハナズンの胸部に深々と突き刺さった。


 ハナズンの背中から、ぞっとするほどの血飛沫が飛び散った。


「ハナズン、ハナズンッッ!!」


 それでも、ハナズンは噛みついた口を離さなかった。


「このッ! ガキッ! さっさとッ! 離せッ!」

 

 鬼が何度もナイフを突き刺す。その度にハナズンの体からは血が噴き出す。


 けど、やっぱりハナズンは噛みついたままだった。


 そしてついにハナズンが、腕をごっそり噛み千切った。


「ギャアアアアアアアアアアアッッ!!」


 耳障りな絶叫をあげて、鬼が倒れ込んだ。二の腕の肉がごっそり噛み千切られた痛みに悶え、地面をのた打ち回っている。

 

 ――――その傍で、血の海に沈み、ピクリとも動かなくなったハナズンがいた。


「ハ、ハナズン……?」

 

 鬼への恐怖も忘れて、俺は歩き出す。


 まっすぐ、仲間の元を目指して。


 地面に伏せるハナズンまでの距離が、どうしようもなく長かった。


 たった数メートルの距離が、どうしようもなく長かった。



 茫然とした状態で歩み寄り、視界いっぱいにハナズンが映ったところで、現実は嫌というほどはっきりと俺の意識に飛び込んできた。


 ――――地面に横たわるハナズンの瞳からは、既に生気が抜け落ちていた。


「――――うっ……!」

 

 息が苦しい。心臓が破れそうなくらいに鼓動を刻み、思考が少しずつ真っ白に塗り潰されていく。


 全身から、嫌な汗が噴き出す。すぐ目の前に横たわった現実が、あまりに非現実的過ぎて、体が認めることを拒絶しているかのように。

 

 涙も出てこない。吐き気も起きてこない。ただ胸の奥がぎゅっと締め付けられ、どうしようもないくらいに苦しくなった。


「なぁ、ハナズン……。何寝てるんだよ、早く起きろよ……」

 ハナズンは言葉を発しない。

「なぁ、一緒にニホン行くって約束しただろ……早く起きないと、プログラムに乗り遅れるよ……」

 ハナズンは、黙ったままだ。

「約束破るのかよ……。ほら、いつもみたいに笑えよ……。鼻啜れよ……」

 

 ハナズンは、死んだ。

 

 もう、帰ってこない。


「あっ、あっ、ああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」


 死んでくれ。


 頼むから、死んでくれよ。


 俺。


 どうしてお前が息をしている。どうしてハナズンが息をしていない。


 どうしてワガママを言った。どうしてラジオを取り戻そうとした。どうしてハナズンの忠告を破った。


 ――――どうして、ハナズンを殺した。


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