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Fの軌跡  作者: ひこうき
間章
44/60

ニホン

またまた遅れました。

何を言っても言い訳にしかなりませんが、言わせてください。大学の方がかなり忙しくて、週末以外に書く時間がとれないのが現状です。そのため、新生活が落ち着くまでは、週1回の更新になりそうです。

自分の発言の無責任さを痛感しているところです。本当に申し訳ありません。

 言った事をちゃんと守れる奴ほど、リーダーに相応しい奴はいないだろう。

 行動力がある無い以前に、自分の能力をきちんと把握して、それに沿った発言ができる奴は、結果的に皆から信頼を集められる。日々死の淵を彷徨っている俺達のようなストリートチルドレンなら、なおさらそうだ。

 4人グループのリーダーを張っていた俺はしかし、このリーダーに必要不可欠な資質をいささか欠いていたかもしれない。

 その資質を持ち合わせていなかった結果、自分の能力に釣り合わない『ラジオを買う』などという宣言をしてしまい、約束を守りきれない危機に陥ったのだ。

 それでも仲間の助けを得られて、俺はその宣言を実現できそうだった。ポッチョと4人グループの協力によって、無事にリアカーと丸太を指定の場所まで運びきったのだ。

 しかし時間ギリギリとは言え、きちんと約束の時間までに運びきった俺を、とてーもマズい状況が待ち伏せていた。

 その、とてーもマズい状況に瀕して、現在ロープで縛り上げられている俺は、こう思うのだった。


 やっぱり、人間勢いだけで物事をぶちまけるべきではない、と。


「ごめん、みんな。ドリー・マッドのパン、買えに行けそうにないや」

「うん。分かってる。この状況見れば、誰でも分かる。だって俺達動けないし。……ていうか」

 4人グループの中にいた一人が、おもむろに言う。


「買いに行く前に、もうドリー・マッドが目の前にあるし」


 そう。町外れの廃墟を目指していた俺達は現在、あのとてーも美味しいバゲット、婦人達の間で大人気らしいバゲットを売っているドリー・マッドのお店……の裏側で、全身をロープで縛り上げられてゴロリと転がっているのだ。

 いや、正しく言えば、俺達は町外れの廃墟には到着したのだ。約束の時間の数分前だったし、転がした丸太は大変な有様になってしまったが、ちゃんと目的地には辿り着いたのだ。

 仕事を完遂した達成感と、目の前にそびえ立つ廃墟への恐怖から皆のテンションがおかしくなり、6人が思い思いに騒いでいた所で、時間ちょうどに取引先の車が到着。車のバックドアに『ドリー・マッド』の看板マークがデカデカとプリントされているのを目撃した時点で俺とハナズンは冷や汗と共に逃走準備を始め、車から降りて俺達を見た瞬間に顔を真っ赤にして怒り出したデカ鼻のオーナーが「会いたかったぜええ!」という狂気の叫びを上げながら追いかけてくる頃には、俺とハナズンは既に遠方まで逃げていた。

 そして当然ながら逃げ切れるワケ無く簡単にトマト鼻のオーナーに捕まり、「どうしてラジオおばさんは取引先が『ドリー・マッド』だって教えてくれなかったんだ!」とあまりに無責任な叫びを放ちながらロープで縛り上げられ、運んできた丸太がひしめく運送車に6人全員が放り込まれると、4人グループの「何で俺達まで~!」という叫びも虚しく、6人仲良くこのドリー・マッドまで搬送されて、現在に至るというワケだ。

 そしてそのとてーもマズイ状況というのが、俺達の目の前で拳をポキポキと鳴らしているデカ鼻オーナーの存在。

「よぉ、会いたかったぜ。小僧達よぉ……」

「ヒイイイィィ!!」

 ドスの効いた声に、俺とハナズンが掠れた悲鳴を上げる。できることなら今すぐこの場から全力ダッシュで逃げ出したいところだったが、あいにく俺と4人グループは全身ロープで縛り上げられ身動きが取れず、同じく全身を縛り上げられたハナズンは先ほどから鼻を啜っているだけだから頼りない事この上ない。

「特に、お前さんよぉ……。よくもまぁ、あれだけ強く俺の股間を蹴り上げてくれたよなぁ……」

「い、痛かったですか……?」

 俺は冷や汗ダラダラの状態で、力ない笑みを浮かべて聞いてみる。

 何処か遠くにトリップしたような情緒不安定の出鼻オーナーは、思い出すように話し始めた。

「ああ、痛かったよ……。それだけじゃないぜ。周りのゴミを掻き散らかして痛みに悶えていたら、偶然通りかかったお得意様の婦人にゴミを見るかのような視線を頂戴するし……挙げ句の果てに、それから一週間痛みに悶えて、腰を引いた状態で勤務していた俺を、店の若造共と客の婦人達は何て呼ぶようになったと思う……?」

「わ、分かりません……」

 出鼻オーナーは、こう言った。


「生まれたてのトナカイ」


「……ぶっ!!」

 俺とハナズンが、一斉に噴き出した。

 笑うなと言うのは酷だろう。だって、だって、あの厳つい顔で、トナカイみたいなデッカイ鼻をしたオーナーが、痛みに腰を引いて、震えながらパンを焼いている光景を想像すると……。ブフッ!

「あひゃひゃひゃひゃ!! ひぃ~! ぐるじい~!!」

 腹がよじれる位に笑い転げる。酸欠でヒーヒー言いながら、俺は地面をのたうち回って悶絶する。4人グループは必死に笑いを堪え、同じく笑い転げているハナズンに至っては、何と両方の鼻から鼻水を流していた。いつも片方の鼻からしか鼻水を流していないハナズンに、両鼻を使わせるとは。恐るべし『生まれたてのトナカイ』。

「てめぇら、殺されてぇか……?」

 両手両足を動かせず、芋虫のように笑いのたうち回る俺達を見て、出鼻オーナーの怒りゲージが着々と上昇しているようだった。

「ヒ~! ヒ~! おがじ~!! だって、だって、……アヒャヒャヒャヒャッ!!」

 ダメだった。視線を上げて、あの厳つい顔に付いたトマトみたいな鼻を見ちゃうと……トナカイ。

「ブハァッ!」

 ついに、笑いを堪えていた4人グループまでもが噴き出した。ワナワナと怒りに震える出鼻オーナーの状態を全く知らず、俺達6人はゲラゲラと笑い続ける。


 *


「暴力からは何も生まれないと思います」

「俺の股間を蹴ったお前が言うか……?」

 頭の上に見事な、そりゃもう、本当に見事な3段重ねタンコブを作った俺達6人は、バケツに座った出鼻オーナーの前に正座させられていた。

 正直、この態勢は非常に辛い。正座なんてお寺のお坊さんがするもので、当然俺はした事が無かったから、足が痛くて痛くて堪らない。隣りで同じく3段重ねタンコブを作るハナズンなんか、痛みで鼻水を地面まで垂らしている。正座が辛すぎて、鼻水を啜るという基本行動を忘れてしまっているのだ。

「で、僕達をどうするんですか?」

「質問をする立場が逆だ。それに、お前らの処理は俺が決める」

 異論は認めない、とばかりに、出鼻オーナーが聞いてきた。

「お前ら6人で、リアカーを運んできたのか?」

「いや、俺達は途中から……」

「はい! そうです! リアカーを運んだのは、僕達6人です!」

 と4人グループの発言を、うるさいくらいの返答で塗りつぶしたしたのは俺だ。過去にドリー・マッドのパンを盗んだ俺とハナズンはともかく、何故4人グループまで縛り上げられたのかは分からないが、恐らくその理由は今回の仕事の何処かに潜んでいる。ならば最初から6人で運んだことにして、最後まで運命を共にするのが仲間というものだろう。

 当初から運命共同体であるハナズンが「良くやった」と呟くのに対して、本来なら無関係なはずの4人グループは「フー、てめぇ巻き込んだな!?」と不平を溢さん勢いだった。

「そうか。運んだのは6人で、か……」

 そう呟く出鼻オーナーは、次にこう聞いてきた。


「なら、仕事の依頼を受けたのは誰だ」


「コイツです!」

「ちょ、まっ! てめぇハナズン、何で裏切ってるんだよ!」


 こ、こいつら裏切りやがって! と内心でも毒づく。まさか助かる見込みが出た瞬間、情に厚いハナズンまで見捨ててくるとは思わなかった。しかも事実なのだから反論しようがない。

「後、コイツもです!」

「ちょ、お前ら……ズズッ!」

 何といい様な事か、ハナズンまで4人グループに裏切られた。

「い、いや! 俺は依頼なんて受けてない! ……ズズッ!」

「お前、フーが依頼受ける所を盗み聞きしたっていったじゃないか! なら、仕事の説明を受けたフーと同じだろ!?」

「全然違くないか!?」

 よし、と出鼻オーナーが立ち上がる。

「お前ら4人は、実質関係ないらしいな。反省しているようだし、解放してやるよ」

 や、やったぁ! と4人の表情が一斉に明るくなる。出鼻オーナーは4人の後ろに回ると、手を拘束していたロープを解いた。

「ちょ、ちょっとオーナーさん。……俺は? ……ズズッ」

「鼻水小僧。テメェはダメだ」

「ノオオオオオオオオ!!」

「ま、待てお前ら! 俺達を見捨てるのか!?」 

「そ、そうだ! フーの言うとおりだ! 俺達を置いていくつもりか!?」

「うるさい! 元々俺達は関係なかっただろ! これ以上のトラブルはゴメンだね!」

「ちょ、まっ……」

「ニホンで会おう」

「待ってくれえええええええ!!」

 残酷にも俺とハナズンを置いて、解放された4人は消え去ってしまった。

「さて、後はお前らだが……」

「ど、どうするんですか……?」

「股間の件に加えて、ドリー・マッドのパンを盗んだ事もある。……本来ならボコボコに殴って、ゴミ捨て場に放棄するところだが……」

 まるで判決を言い渡される罪人の気分で、俺とハナズンが生唾を飲む。

 しかし、次に出鼻オーナーが言った言葉は、俺達の想像の斜め上を行くものだった。


「すまなかった」


「……………………………………は?」

 頭を下げてくる出鼻オーナーを見て、想定外もいいところな状況にたっぷり十秒以上も硬直した俺が、最初に発した言葉が『は?』の一言だ。

 そして、最初の言葉からさらに数秒かけて、俺が発した言葉がこれだ。

「……………………………………は?」

 同じ言葉を、合計20秒近くかけて綺麗に繰り返す。人気パン屋のオーナーが二人の孤児に頭を下げている時点で、色々と立場的な強弱関係が崩壊しつつあるし、なにより本来ならば全力の謝罪を貰う立場の人間が、自ら謝っているというこの状況が疑問でならなかった。

 突然の状況に完全にフリーズしている俺とハナズンを、出鼻オーナーは交互に見ると、ゆっくりと立ち上がった。そして俺達の後ろに回って、縛っていたロープを解いてくれる。

「え、え!? 何で!?」

 突然の対応に、俺はさらに困惑する。一体何があって、出鼻オーナーは俺達を解放したのか。巧妙に仕組まれた罠が潜在しているのではないか。そう何度もオーナーを疑ってしまうが、彼が次に口にした言葉はさらなる混乱を招いた。

「待ってろ。ウチ特製のバゲットを持ってきてやる」

 その言葉を、俺は理解できなかった。一瞬別の言語を話しているのかと思ってしまうが、一字一字思い返してみると明らかに『パンをプレゼントしてやる』という意味に思えてしまい、いよいよ出鼻オーナーが気を病んでしまったのかと思う。ハナズンも同意見らしく、鼻水を垂らしながら半ば怯えていた。

 しかし店内へと入ってから程なくして、2本のバゲットを抱えた出鼻オーナーが出てきた。僅かに暖かみのある、香ばしい香を漂わせたバゲットを、無造作に俺達へと渡してくる。

「ま、持ってけや」

「あ、ありがとう……ございま……す?」

 もう状況が奇怪過ぎて、疑うのもバカらしくなってきた。一番利口なのは、食料を貰った今この瞬間に翻して全力で逃げる事だが、その気力すら無かった。

 隣を見れば、ハナズンが貰ったバゲットをマジマジと眺めている。何が何だかさっぱり分からなくなった俺は、この状況の唯一の理解者である……はずの出鼻オーナーの言葉を待った。

 そして僅かに躊躇う素振りを見せてから、出鼻オーナーがゆっくりと話し出す。

「お前達に運んで貰った木はよ。薪にしてから、パンを焼くのに使うんだ。ある一部の地域でしか採れない種の木々でよ。ウチのパンの香ばしい香と味わいの秘密は、この木にあるんだ。他のパン屋にウチの味の秘密がバレると、まずいんだな」

「へ、へぇ。だから、ああやって人気のない所まで運ばせてから、回収するんですね……」

「そういうこった。……で、だ」

 出鼻オーナーは口ごもるが、僅かに逡巡の色を残したまま、こう言ってきた。


「お前達に謝っている理由はよ。その木の搬送依頼先が、俺の元妻なんだ……」


「……」

 思考停止、などという表現をよく聞いてきたが、まさに今自身に起きていたことを言うんだなぁ、なんて、思考を回復した俺は思う。人間夢にも思わなかった事を言われると、ほんとに頭の中が真っ白になるものなのだ。

 ようやく思考能力を回復した俺は、オーナーの言葉を何度かリピート再生して、ようやく意味を理解する。


 つまり、搬送依頼先――ラジオおばさんと、出鼻オーナーが結婚していた。


「って、えええええええええ!? ラジオおばさんと!? 出鼻が!?」

「うるせぇ、出鼻言うな」

「……え、で、でもどういう関係……元妻ってことは、もう離婚して!? じゃ、じゃあ、仕事の関係で……!?」

「落ち着けや」

 ゲンコツが4段重ねになった。

「落ち着きました」

「よし」

 出鼻オーナーは、深い、それはもうふかーいため息をついてから、ゆっくりと話し始める。声色が真面目な物だったから、俺は真剣に聞くことにした。

「俺とアイツとの関係について、これ以上話すつもりもなければ、義務もねぇ。ただ、俺の元妻が迷惑を『かける』。だから、すまない。このバゲットはそのお詫びだ」

「え、迷惑どころか、いつもラジオを聞かせてくれるし、それに、仕事もくれ……」

 俺が言い切る前に。

「それ以上言うんじゃねぇ」

 ギロ、と。

 これまでとは別人と思ってしまうほどに、オーナーの表情が激変した。

 まるで触れられたくない事に触れられたように。出鼻オーナーは震える俺を尻目に、ハッキリこう言ってきた。

「それ以上、あの女の事は言うな」

 完全に竦み上がってしまった俺は、全身の血が急降下していくのを感じる。オーナーのその睨み殺さんばかりの視線に、動悸が激しくなり。

「――――っ! ゲホッ、ゲホッ!」

「っ! フー!」

 恐怖から息を詰まらせ、呼吸困難に陥った。何度も咳き込んでから、息を整える。

 そんな俺を哀れむような視線で見下ろしながら、出鼻オーナーは一つの袋を投げ渡してきた。

「開けてみな」

「ゲホッ……! ッ……?」

 状況が掴めないまま、俺は手前に落とされた小さな布袋を開けてみる。駆け寄ってきたハナズンも加わる形で、二人で覗き込むと。

「こ、これは……お金!?」

 布袋の中身は、これまで見たこともないような大量のお金だった。ジャラジャラと音を立てる小銭は悠に数十枚を越え、ラジオの購入には十分な金額に到達していることは明白だった。

「それをお前らにくれてやる。今回の搬送の報酬だ」

「え、でも……ラジオおばさんがくれるって……」


「――――戻るなッ!!」


 ビクゥッ! と、突如声を張り上げた出鼻オーナーに、俺とハナズンは肩を跳ねさせる。

 目頭を摘んだ出鼻オーナーは、何度か首を振りながら、ゆっくりと続ける。

「戻るな。あの女の所には、絶対に戻るんじゃねぇ……二度とだ、いいな?」

「で、でも……」

「そのための報酬だ。土産でバゲットも渡してやっただろ? ……戻っちゃいけない理由は聞くなよ、お前らみたいな孤児に話すつもりはねぇ」

 ジロリ、とオーナーが睨んでくる。そのあまりの迫力に気圧された俺とハナズンは、小刻みに震えながら何度も高速で頷く。

 よし、と出鼻オーナーはそれだけ呟くと、身を翻して店内へと戻っていった。そして裏口のドアを閉める直前に、視線は向けないまま話しかけてくる。

「分かったら、さっさとお金とバゲット持って、何処かへ行け。もう二度とウチの店には現れるなよ」

 そして、出鼻オーナーはドアを完全に閉めた。お店の裏側にある細道に取り残された俺とハナズンは、何事かと混乱したまま、互いに顔を見合わせるのだった。



 人間、嬉しさがメーターを振り切ってしまった時には、その喜びが行動に現れるものだ。

 例えば今、俺が両手でラジオを抱えて、鼻歌を歌っているように。

 その後ろでバゲット2本を持たされ、呆れた様子のハナズンに気づかないまま、笑顔で歩いているように。

「フー、お前……疲れないか?」

「全然」

「いや、だってお前よ、電気屋からココまで、ずっとラジオ持ちっぱじゃん。それ俺達の体重の半分はあるぞ」

「全然」

「いや、そうは言ってもお前……」

 はぁ、と後ろからハナズンのため息が聞こえてくる。どうやら、俺への説得が不可能と判断したらしい。

 俺が両手一杯に抱えているのは、出鼻オーナーから貰ったお金で買った、マサキにプレゼントするためのラジオ。一週間前の車拭きとゴミ回収に始まり、餓死への淵を彷徨った後に、マサキとの一方的なケンカ、リアカー運び、野犬との戦闘、そして仲間の協力からの出鼻オーナーと、様々な困難を乗り越えてようやく手にした戦利品は、俺の手の中でズッシリとその存在感を放っていた。

 その確かな重み、存在を感じる度に、俺は喜びに満たされる。

 やったんだ、自分はやったんだ、と。

 男らしく、不可能と思われた事を可能にしたと。マサキへの宣言を実現したと。約束を守ったのだと。

 その達成感が新たな喜びの感情を生み、俺はどうしても落ち着いていられなかった。喜びに満たされている現在、あの電気屋の店長の横暴さは、これっぽっちも気になっていなかった。

 俺とハナズンがラジオを買いに行った店の店長は、それはそれはドリー・マッドのオーナーに匹敵する程に横暴な人物だった。

 その横暴な人物に何をされたかというと、俺とハナズンは、店内へと一歩踏み込んだ瞬間に叩きだされたのだ。

 俺とハナズンを盗人と判断した結果、たった一歩店内へと入っただけでホウキを振り回してきた店長の形相はそれはそれはもう恐ろしく、俺とハナズンはあっと言う間に店外へと追い出された。

 最初っから客の足下を見て門前払いをするその腐った商魂も十分にカチンと来たが、俺が袋に入ったお金を示した後の気持ち悪いくらいの歓迎っぷりもまた腹立たしい事この上無かった。最初は「出てけぇ~!」などと客に対して吐く物とは思えないような言葉を連発しているのが、袋の中で騒ぐお金達を認識した瞬間に腰を低くして「本日はどのような商品をお求めでしょうか~」などと両手を揉みながら猫撫で声を発してくる物だから、俺とハナズンの店長に対する評価は一瞬にして取り返しのつかない底辺にまで下落したのだった。

 確かにお金など持っていない孤児だし、薄汚い服装を纏っていたから盗人と勘違いされても仕方が無かったかもしれないが、それでも店内へと入っただけで追い出されるのでは、わざわざ買いに来た身としては不愉快この上ない。

 よって普段ならば経験できない高額商品の購入という状況を利用して、その不愉快を店長に払拭して貰うためにも、さっさと目的の商品を買って立ち去れば良いところを俺とハナズンはわざと店内を物色し、よく知りもしないまま陳列された商品を片っ端から説明させて、その全てにダメ出しして、店長の喉がガラガラになった所で一番最初に紹介されていたラジオを購入してノコノコと帰ってきたのだ。

 しかし、いざ目的のラジオを入手してみると、そんな横暴極まりない店長への苛立ちなど一瞬にして消え失せ、思考の全てが「早くマサキにプレゼントしたい」という内容に染まった。この一週間全ては彼女のためだけに頑張ってきたのであって、それが実を結ばんとしているのだから、俺が完全にその思考に囚われて、ハナズンだとか、ラジオを持つ腕の疲れだとかに対して盲目になるのも無理はなかった。

 しかし、そんな喜びの片隅にも、今だに張り付いている疑問はある。

 それは、出鼻オーナーの言った「戻るな」という言葉の意味。

 何故オーナーは、俺達にそのような忠告をしてきたのか。俺達に大金を渡してまで、ラジオおばさんの元へと戻るのを阻止したかった理由は何なのか。些細なようで、実は重大な何かが潜んでいそうなその疑問が、今だに頭の中にしつこく残っているのだ。

「それで、フー。これからどうするんだよ……ズズッ」

「どうするって?」

「ラジオおばさんの事。戻るのか?……ズズッ」

「……」

 ハナズンのその言葉に、俺は歩く速度を落とす。

 普通に考えれば、戻るのが当然だろう。本来ならば彼女から報酬を貰ってラジオを購入する予定だったワケだし、もうラジオを入手してしまった今でも、仕事を完遂した報告などもするべきだ。

 しかし、出鼻オーナーにあれほどの大金を貰っておいて、その上で要求された「ラジオおばさんの元に戻らない」という条件を無視するのは、流石に気が引けた。

「……確かに、どうしようかな……」

「こんな大金貰っちゃったんだし。やっぱり出鼻オーナーとの約束を守って、このままマサキの所に帰ろうか……ズズッ」

「いや、でも……」

 それはそれで、ラジオおばさんに失礼というものだろう。ラジオを買おうと藻掻く俺を応援してくれて、わざわざ仕事をくれた優しいラジオおばさんに、もう報酬を貰ったからという理由で会いに行かないのはあまりに酷い。

 加えて言えば、現在俺のポケットには非常に高価そうな懐中時計がある。仕事中に時間が確認できなければ不便だろうと、俺を信頼した上でラジオおばさんが貸してくれたのだ。このままマサキの所に戻ったら、ラジオおばさんへの重大な裏切りと共に、あんなにお世話になった彼女に対して盗みを働いたことになる。それだけは避けなければいけないことは、子供の俺でもしっかり理解していた。

「やっぱり俺、ラジオおばさんの所に戻るよ」

「そうか……?」

「うん、この懐中時計も返さないといけないし、何より一言お礼を言ってからじゃないと。それに、ラジオおばさんも俺が仕事を完遂できたか、心配してるかもしれないし」

 ハナズンはうーん、と唸ってから、眉間を寄せたままゆっくりと頷いた。

「出鼻オーナーの言葉は気になるけど、確かにフーは会ってきた方がいいかもな……ズズッ」

「よし、じゃあ先にマサキの所に戻っていてくれ」

「おう、分かった。……それで、フー」

 ハナズンの声色に変化が見られた。

 僅かにトーンを落としていたので、真剣な雰囲気を感じ取った俺は歩くのを止め、ラジオを抱えたまま振り向く。

 向き合ったハナズンが、俺に聞いてきた。


「お前、ニホン行くのか」


「……ああ」

「本当に、いいんだな」

「ああ、いいよ」

 ハナズンは俺の返答を聞いて、ずっと尾を引いていた物が切れたような、そんな穏やかな表情をしていた。

「じゃあ、俺も行く。マサキとフー、それから俺の3人で、ニホンに行こう……ズズッ」

「いや、違うだろ」

 首を傾げるハナズンに、俺は迷い無く、自信を込めて言った。

「俺とハナズン、マサキに、それから……ポッチョの4人でだろ?」

 俺の言葉に、ハナズンが目を丸くする。その大きく見開かれた目を潤ませながら、俺の肩を強く叩いてきた。

「当然だ……ズズッ」

「おう」

「あの小屋ともお別れだな……ズズッ。俺達4人グループが、泥だらけになって、ようやく造ったボロ小屋だけど……」

「今更になって恋しくなってきたか? 何ならハナズンだけニホンに行くの止めて、あの小屋で暮らしてもいいんだぜ?」

「バカ野郎。俺達4人は、いつだって一緒だ……ズズッ」

「その通り」

 俺は得意げな笑顔で返す。ハナズンも薄汚れた袖でゴシゴシ涙を拭き取ってから、同じくニカッと笑顔を見せてきた。

「じゃ、さっさとラジオおばさんの所に挨拶行ってこい……ズズッ。俺とマサキ、ポッチョの3人で、あの小屋で待ってるから」

 ハナズンの言葉を聞いて、俺は首を横に振った。

「いや、先にプログラムに参加しに行ってくれ」

「え? で、でも……」

「いいから。俺がラジオおばさんの家まで行って、そこから小屋に戻ってる時間は無いよ。これで全員プログラムに参加しそこねたら、それこそ笑い話じゃすまなくなるだろ」

「……ズズッ。じゃあ、せめてラジオは俺が」

「ハナズンはバゲット持ってるじゃないか。ラジオは俺に持たせてくれ。ラジオおばさんに見せたいって理由もあるし、何より俺の手からマサキにプレゼントしたいんだ」

 俺のワガママとも言える説得で、ハナズンは迷った様子を見せていたが、最終的には頷いてくれた。「分かった」と短く呟いてから身を翻し、バゲットを両腕で大切に抱えながら、小屋の方を目がけて駆けていく。

 その途中で、ハナズンが立ち止まる。見送っていた俺が何事かと思っていると、こちらに振り返って、大声で叫んできた。

「必ず全員で、ニホン行こうな~!!」

 ニィ、とハナズンが口元を吊り上げる。

 だから俺も笑顔で、思いっきりこう叫んだ。

「おう! もちろんだ!」

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