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Fの軌跡  作者: ひこうき
Fの覚醒 編
30/60

ライエル戦(1)

 ライエル・ウェーバー。

 ICDA実行部ナンバー2にして、適合率92%、SSSランクの男。

 モールドという超薬に染まった時点で彼からは、競いの場における敗北という可能性が消え失せた。

 その事実を、彼自身当然のことと考えている。そしてその事実は金輪際、不変だとも考えている。モールドという劇薬は、そのような思考に至らせるまでに、人間同士における格差を鮮烈な姿として認識できるようにしまったのだ。

 そしてライエル・ウェーバーという男は、その自身と他者との圧倒的なまでの格差を感じることに、この上ない快感を覚えている。いや、格差に、というよりは、彼はその圧倒的な力を振るうこと自体に、この上ない喜びを感じていた。その喜びを際立てる、絶対の能力差を生み出すのに必要不可欠な役割を担う点で、彼は低適合者の存在を肯定しているのだった。

 よって、彼が『支倉恭司』という少年から闘いを挑まれたとき。世界最弱の存在が、自ら首を差し出すような愚行を犯してきたとき。

 

 これから待ち受けるであろう、隔絶的なまでの能力差から受ける喜びを、ライエルの全身は待ち焦がれ、恋い焦がれて、震えているのだった。

 

 その場には司令部トップの女性に、ICDA副会長の少女までいたのだ。圧倒的弱者の言葉を鵜呑みにし、その上結果の分かりきった決闘を引き受けたのは、決して好印象な行動としては映らなかっただろう。状況を鑑みてなお少年の申し出を受諾したのは、ICDA高ポストとして好ましい対応ではない。

 だが、彼の持つ脆い理性では止められなかったのだ。

 彼を。圧倒的な喜びを求める、彼自身を。

 せき止められたダムを一度解き放てば、水は一気に大地を飲込むように。

 理性というダムが決壊したライエルは喜びへの期待に飲込まれ、実際に哄笑という形でそれを世界に溢れさせていたのだった。



「本当に、いいのかい?」

「ああ。問題ない。さっさと始めよう」

 形だけの質疑に対し、形だけ応えた少年に、ライエルは再び笑みを漏らした。

 ライエルは現在、モニタールームから訓練場へと戦いの場を移していた。先ほどのライエルの能力によって、訓練場は世紀末を彷彿とさせるような、瓦礫で満たされた荒れ地となっている。

 場所を移した理由は問うまでもないだろう。もちろん女性一行を巻き込まないという配慮もあるが、あの狭まれた空間でしか力を振るえないのは、彼としては不本意極まりなかったからだ。

 

 これで、思う存分やれる。

 

 そう細く笑んだライエルはしかし、強者としての最低限の礼儀を守るため、仕方なしに言う。

「『橙』のモールドの使用は止めよう。まだ君は測定すらしていないのだろう。私だけが強力な能力を使用して、一方の君が何の効果があるかも分からない能力しか振るえないのは、流石に可哀想だ」

「いや」

 しかし、少年はライエルの僅かな情けすらも拒否した。

「お互いに使用しよう。2つくらいは、まだ持っているよね? 片方を僕にくれ」

 なっ、と一瞬驚くライエルだったが、次の瞬間には残忍な笑みを浮かべ直していた。まさか少年の方から実力差を広げてくれるとは思っておらず、そのため反動からライエルの期待はいっそう高められたのだ。

 いいのかい、と形だけの心配の色を見せながら、ライエルはポケットから『橙』のモールドを2つ取り出した。そして数メートル離れた位置にいる少年に、片方を投げ渡す。

「こんな状況だ。『橙』のモールドを渡してしまった私が言うべきだな……互いに出来る限りの加減はしよう」

 もちろん私だけだが、とライエルは思いながら、指を3本立てる。

「3発だ。かすり傷でも何でもいい。威力の程度に関わらず、とにかく3発相手に決めた方の勝利、でいいかな?」

 ライエルの言葉を受けて、少年は迷うことなく頷く。

「よし、では早速始めるとしよう。時間も無いのだから」

 そう宣言したライエルはしかし、内心で自身の発言を否定していた。

 

 誰が、早く終わらせるものか。


 目前で悠々とした様子で佇む少年。世界で最もひ弱な男。

 少年との接触を、ライエルは心待ちにしていたのだ。

 少年を圧倒的な力でねじ伏せることで、世界最弱の存在を自らの手で押し潰すことで、これまで経験したことの無い快楽の域へと到達できる。ライエルはそう確信していた。

 ゆっくり、ゆっくりといたぶって、目前の少年を余すことなく味わい尽くす。美味しい品こそ一気に平らげるのではなく、少しずつ摘んでいくのがライエルには合っているのだった。

 身の丈に収まりきらない興奮を必死で抑え、僅かに震える指を気にすることもなく、ライエルは『橙』のモールドを掲げた。

 そして、ライエルは自身の首へと刺す。

 少年もまるで真似するかのように、自身の腕に注入していた。


「ああ……」

 最早数え切れないほど経験してきた、世界が広がる感覚。

 しかし、今回はひと味違っていた。やはり少年の存在が大きいのだろう。砂漠に水を垂らしたように、ライエルの全身がモールドを吸い取っていく。

 広がる万物の輪郭が色濃く縁塗られ、されど解像度が向上したかの如くキレを増した視界。

 周囲を飛び交う音が掻き集められ、集約されたのかと錯覚させるほどクリアになった聴覚。

 

 それだけではない。

 

 嗅覚、触覚、味覚。

 ライエルを支配する5つの感覚全てが加速し、彼の脳へと叩き込まれていく。

 そして、一気に情報量を増した混沌の中、新たな感覚が生まれる。

 それは『橙』のモールドによって、地球という莫大な情報、その一端によって、現実に『形』を持って生み出された。


「ハハハハハハハハハハハハハハハッッ!!」

 

 ライエルの全身を、莫大な電撃が包み込んだ。


 空気を焦がし、世界を染め、ライエルは高らかに笑う。

 圧倒的なまでの情報量。それが惜しみなく、劣化することなく全て『電気』へと変換された結果、周囲の瓦礫を吹き飛ばす程の電撃を生み出した。

 狂ったかのように笑ったライエルは、次の瞬間その姿を消す。

 いや、消えたのではない。

 莫大な電撃を帯びたライエルは、周囲に張り巡らせた電界からの推進力を得、一瞬にして少年の背後へと身を躍らせたのだ。

 この電撃を全て少年に浴びせる気など、戦いを長引かせたいライエルには毛頭無い。もしこの電撃が掠りでもすれば、それだけで少年は塵になるだろう。

 そこで、一瞬にして相手の背中を取ったライエルは、電撃を帯びた拳を空へ向けて突き出した。

 いきなり背後でデカイ花火が上がれば、目前の少年はどういった反応を示すのか。手始めにライエルは、その恐怖と驚きに染まった少年の顔を見たかったのだが。

「ハハハハハハハハハ……ッ……!?」

 

 移動速度は、もはや常人が視認できるようなレベルでは無かったのに。

 確実に、少年の背後を取ったはずだったのに。


 ライエルの目前には、少年の姿は無い。


 ――――何故。


 まさに電撃を打ち上げようとしたその直前に、ライエルは少年の姿が無いことに気がつく。そして腕を掲げたまま、想定外の事態に困惑していると。


「けっこートロイんだね」


「――――ッ!?」

 少年の無邪気な声が、ライエルの脳を打った。突然脳を揺さぶった声に押され、ライエルを纏っていた電撃が掻き消える。

 しかし、そんな事実よりもライエルを驚かせたのは、その少年の声だ。

 

 ――――今、あの少年の声は何処からした?


 直接脳に語りかけるような、不思議な声。

 少年の姿を探そうとする中、再び少年の声が響く。


「こっちだよ」


「――――!」


 声の発せられた方向に、ライエルは即座に振り返った。

 つまり、彼の背後へと。

 

 そこには、笑顔の少年が佇んでいた。

 ライエルの顔を目がけて、まっすぐ伸ばされた腕。その腕の指先が構えられ、しなり、放たれる。


「まずは一発目」


 少年の指から放たれたデコピンが、ライエルのオデコを打った。


「――――」

 しばしの沈黙。

 ライエルとしては、目の前の少年が突如消えたこと、そして、いとも容易く先手を打たれたことから、唖然としている状態だった。

 デコピン。

 あの距離でなら、殴るなり蹴るなり何でもできたはずだったのに。少年はそれでもデコピンという行動をとった。

 それはライエルに、ある事実を深々と教えてくれる。

 

 ――――つまり、舐められている。


「あれ? 痛くない?」

 少年の純粋な疑問の色を含んだ声に、ライエルは一気に現実に引き戻される。

 そして同時に。

 自らのプライドを傷つけられたこと。

 

 彼らの強弱関係がその一瞬だけ確実に入れ替わったことで、頭に血が登り、激しく激昂した。


「ふ、ふざけるなあああああぁぁッ!」

 

 少年の挑発にまともに取り合ってしまったライエルは、当初の目的を完全に忘れていた。

「ウラァァァアッ!!」 

 荒々しく叫び、ライエルは大地に拳を叩きつけた。

 雷光が爆ぜ、世界を塗りつぶす。

 生み出された莫大な電撃がまき散らされる。周囲の瓦礫が吹き飛ばされる。常人ならば、ライエルの近くにいただけで消し去られただろう。

 しかし、彼から目と鼻の距離にいたはずの少年が、ライエルの電撃に飲まれることは無かった。

 ライエルが放電した段階で、既にその姿は無い。

 そして数メートルほど離れた瓦礫の山に座って、悠々とした様子でライエルを見下ろしていた。

「――――!? ッ!?」

 

 ――――どういうことだ。


 かつてこれほどまで、この言葉が彼の思考を占めたことがあっただろうか。

 現在起きているこの状況は、ライエルに言葉を失わせるには十分過ぎる程の衝撃を伴っていた。

 しかし、一応は常人離れした思考能力を持つライエルだ。興奮する自分を必死になだめ、すぐに冷静さを取り戻すと、現状の把握に努める。

 ――――先ほど少年の背後に回り込んだとき、少年はその姿を消していた。取り乱して攻撃を行なった時も、少年はその姿を消していた。

 普通に考えれば、この現象は奇怪極まりないの一言だろう。適合率0%の少年が、ライエルほどの動体視力を持つ者が追いかけきれない速度で移動できるとは考えづらいからだ。

 しかしこの現象を可能にする、ライエルにも把握できていない要素が一つ。

 

 そう、少年の『橙』のモールドによる超能力だ。


 先ほど少年が見せた瞬間移動は、未だ誰も見たことがない、少年の具現化した超能力だとしたら。一応は、これまで目撃してきた奇怪な現象の説明がつく。

 では少年は瞬間移動という、実に稀で強力な能力を身につけたということなのだろうか。

 そこまで考えたライエルは、ふぅ、とため息にも似た吐息を漏らす。興ざめだ、とライエルは、自分の体に帯びていた熱が急速に冷めていくのを感じていた。

 ライエルが闘いたいのは、圧倒的に劣った弱者だ。決して瞬間移動のような超能力が使える強者ではない。

 もし目前の少年が『橙』のモールドによって、つまらない強者に成り上がってしまったのだとしたら。

 そう考えたライエルは、既にこの戦いにおける意味を見失い、諦めてしまった。

 ――――さっさと終わらせよう。

 冷めた心持ちのライエルは、再び電撃を身に纏う。そして直撃しても死なない程度に威力を調節してから、訓練場全域に行き渡るよう拡散した。

 狙いは単純なものだった。電撃による感電からの、少年の気絶。そして勝負を終わらせること。仮にこれで少年が何処に移動しようとも、ライエルの電流から逃れる術はない。


 しかしライエルの狙いを、少年は容易く打ち砕いた。


 電撃の渦が迫ろうとも、少年は微動だにしなかったのだ。先ほどのように瞬間移動で避けるわけでもなく、ただその場に座っているだけで悠々としていた。

 そして、電撃が少年を飲込もうとした直前。

 バチチィッ!と。


 うねるように拡散していた大規模の電撃が。

 まるで糸が切れたかの如くあっさりと、少年に迫っていた部分だけが掻き消えた。


「――――っ!」

 ライエルが驚きから息を飲む。

 バカな、と何度も心の中で反芻しながら、彼は想像を超える現象に目を見張った。

 手元が狂ったのではないことは明らかだ。つまりこの電撃が打ち消されたのは、少年の仕業と考えるのが妥当だろう。

 そのように考えたライエルは、当然ある矛盾にいきつく。


 つまり、『橙』のモールドによって発現する超能力は、一人に一つだけという拘束だ。

 

 瞬間移動こそが、少年に発現した能力だとライエルは考えていた。

 しかし放たれたライエルの電撃を打ち消したのは、どう考えても『橙』のモールドによる超能力でしか成しえない事だった。

 では、彼に発現した能力は『電撃を打ち消せる』何か、なのだろうか。

 しかし、それでは先ほどの瞬間移動の現象が説明できない。

 ――――どういうことだ。何が起きている。

 ただ疑問の言葉だけが次々と浮かび上がる中で、ライエルは自身に向かう視線に気がつく。

 瓦礫の上に座る少年が、ライエルを哀れむような視線で見下ろしていたのだ。

 まるで、本当にライエルが弱者であるかのように。こんなことも分からないのか、とでも言いたげに。


「――――!」

 戸惑いで満たされていた彼の心を、その事実が怒りと焦り、その一色に塗り替えた。

「な、何なんだお前はあああああ!!」

 ライエルは目を見開き、少年にくってかかる。

「ふざけるなぁ!どうしてぇ!どうしてお前が私を見下ろしているッ!!」

 狂犬の如く喚くライエルは、少年に向けて勢いよく手をかざす。

「消えろ消えろ消えろッ!こんなことはあってはならないぃ!」

 ライエルの掌が煌めくと同時に、青白い光を帯びた電撃が少年目がけて放たれる。

 大地をえぐり取り、周囲の空間を切り裂き、規模と共に鋭さを持ち合わせた一撃として、少年に直撃した。


 はずだった。


「――――ッ!!」

 目前に繰り広げられた光景に、ライエルが声にならない奇声を上げる。

 電撃の進路が、少年から逸れた。いや、逸らされている、と表現するのが適切だろうか。

 ライエルの腕から生まれた電撃は、まるで少年を恐れるかのように進む道を変え、少年の背後へと流れていく。そして爆発的な衝撃音と共に、電撃が世界を焼き尽くした。

 辺り一帯の瓦礫を、一瞬にして塵へと変えるがしかし、当の少年は全くの無傷。

 

 ライエルの抱える驚愕と焦りが、一層強められる。

 偶然ではない。奇跡ではない。少年は確実に何かの力を保持し、ライエルの放つ攻撃を防いでいる。

 その事実を受け入れようとしたライエルはしかし、どうしても体が、心が拒絶してしまうのを感じていた。

 彼、支倉恭司は、一体何者なのか。

 適合率0%の落ちこぼれではなかったのか。

 どうして適合率92%、SSSランクの者を見下ろせているのか。

 何故これほど多くの能力を行使しているのか。

 動揺、驚愕、戸惑い、疑問。

 様々な感情がライエルを支配する中、ほんの僅かな隙間に、その一点に、新たな感情が芽生える。

 

 すなわち、恐怖。

 

 未知の力を行使し、ライエルの攻撃を容易くいなす少年に、ライエルは恐怖を抱き始めていた。

 そして目前の少年への恐怖が、確実に心の一部分を占めるようになった時、ライエルはがむしゃらに電撃を叩き込んでいた。

「だ、誰だッ! お前は誰だッ! 何故、何故効かないッ!!」

 威力も範囲もバラバラな放撃を、ただひたすら少年目がけて叩き付ける。しかし、少年目がけて放たれた電撃は逸らされるか、途中で完全に掻き消えた。

 ――――何故。どうして。どうして電撃が効かない。

 目前で繰り広げられる想像を絶した奇怪な現象に、ライエルはただ目を剥ぐだけだった。

 そんな必死な様子のライエルを見下ろす少年が、その口をゆっくり開く。


「飽きたな……」


 少年は電撃を放っていたライエルの腕を一瞥してから、ゆっくり立ち上がる。

「強者と自称するものだから、どれくらいのものか期待してたんだけど、この程度か」

 そう言い切った少年は、すっと身を縮めて構えると、不敵に笑う。

「それじゃ、そろそろいかせて貰うね」

「――――ッ」

 その言葉と共に、少年の発する雰囲気が一変した。

 これまで抑えていた力が一気に解き放たれたかの如く、少年の存在が空間を支配していく。先ほどまでの悠々とした趣からは想像もできないほどの圧倒的なプレッシャーを周囲にまき散らしながら、少年はライエルを見据えた。

 思えば、少年は一度たりとも全力を出すような素振りは見せていなかったのだ。先ほどのライエルに放った先制攻撃も、デコピンという実に舐めきった攻撃だったからだ。

 ――――来る。

 直感的に、ライエルはそう判断した。少年から広がっていたプレッシャーが全て掻き集められ、自身へと向けられた今、ライエルは身構えずにはいられなかった。

 そして、その彼の直感は裏切られず。


 次の瞬間、少年の姿が掻き消えた。


 そしてその姿を認識した時には、少年は既にライエルの懐に入り込んでいた。

「シッ!」

 かけ声と共に、少年から手刀が放たれる。

「――――! ッ!」

 唸りを上げながら顔面に迫る刃に、咄嗟にライエルは顔を伏せた。つい先ほどまで彼の頭が存在していた空間を、少年の手刀が掠める。

 明らかに常人の攻撃速度では無かった。適合率0%の少年が繰り出す攻撃とは思えない。

 しかしその事実に、ライエルは最早驚くことができなかった。いや、驚くだけの余裕が無かったと言うべきだろう。

「こっこのッッ!!」

 両者が肉迫したこの状況。ライエルは紫電を帯びた右腕を、力の限り振るった。

 しかし無造作に振り払われた一撃を、少年は態勢を低くすることで容易くかわす。


 突如、少年がさらに加速する。


 まるで通常再生から早送りにしたように、少年の一挙手一投足が加速的に速められたのだ。

 少年から放たれる無数の手刀、蹴り。これらは確実にその鋭さを増していき、最終的にはライエルが電界の力を受けなければ避けられない速度域にまで到達した。

 電界からの推進力を得、放たれる攻撃をライエルは必死にかわす。

 当初の目的など微塵も残っていない。ただ目前の、世界最弱だったはずの少年から放たれる圧倒的なまでの猛攻を逸らすのに、全神経を集中していた。

 目前の少年は何らかの力を行使し、今やライエルと同格以上の能力を発揮している。

 その事実を、ようやくライエルは受け入れ始めた。猛攻の中で反撃を試みようとも、それが許されるだけの僅かな隙すら無い。


 そして、ライエルはついに少年から背を背けた。

 莫大な電界を生み出し、一瞬にして少年から距離をとろうとする。最後に残された強者としてのプライドはズタズタに引き裂かれたが、それよりもライエルは一刻も早くこの未知の存在から距離を置きたかったのだ。

 

 しかし、少年はそれすら許さない。

 

 驚異的な速度で移動するライエルに、少年は背後にぴったりと追い縋っていたのだ。

 

 どうして。何故。どうしてこれほどの速度で移動できる。

 ライエルは断片的な疑問を繰り返し、息をつまらせる。

 『瞬間移動』でもない。『電撃を打ち消す』何かでもない。確実に保持しているこれらの能力に加えて、少年にさらなる力が発現したとでも言うのだろうか。

 楽しくなど無い。優越などない。あまりの恐怖から、ライエルは思わず短い悲鳴をあげた。

「な、何なんだ!お前はああああ!!」

 世界最弱の少年が。

 適合率92%の全力の攻撃を全て打ち消し、常人ならば絶対に到達できない速度で追いかけてきている。

 ついにライエルの心を、恐怖が満たした。

「来るな来るな来るな来るな来るな――――!!」

 絶叫と共にライエルは後ろの少年目がけて、電撃を放った。

 しかし、まるでそれを知っていたかのように、少年は僅かな動作で容易く避ける。電撃は少年のすぐ横を通り過ぎ、背後の瓦礫の山を吹き飛ばした。

 目を剥いだライエルは、再びがむしゃらに電撃を放ち始めた。しかし少年には当たらない。まるで電撃のうねるような動きを見切っているかのように容易くかわして、超高速で移動するライエルにぴったりと付いてきている。

「うおおおぉぉぉぉぉおおッ!!」

 恐怖。

 たった一つの感情に支配されたライエルは、この少年を止めるべくありとあらゆる手を尽くした。

 電撃を放つ。

 電撃を拡散させる。

 瓦礫の弾丸を電気で射出する。

 しかし、それらの行為全てが水泡に帰した。少年はライエルの放つ様々な攻撃をかわし、いなし、打ち消していく。


 まるで、未来が見えているかのように。


 迫り来る攻撃をかわせる『答え』を、知っているかのように。


 放たれた攻撃を全て避けた少年は今、常人ならば視認すらできない速度で高速移動するライエルに、ぴったりと付いている。

 そして追い縋る少年が僅かに態勢を崩し、速度が緩んだと思った矢先。


 少年の足下で、小規模な爆発が起きた。


 少年がこれまでとは比較にならない程の力で、フロアを蹴り飛ばした結果だ。周囲に広がった無数の瓦礫を、まとめて吹き飛ばすほどの衝撃を大地に与えた少年は、反作用から爆発的な速度を得、均衡を保っていたライエルとの距離を一気に縮めてきたのだ。

 

 その少年が、普通を超越した速度からさらに一枚勝る速度で、大気を切り裂きながら自身に迫ってくるのを、ライエルは恐怖に染まった瞳で捉えた。両者の差は確実に縮まり、ライエルの推測ではあと数秒で肉迫することになる。

 ――――追いつかれる。

 加速された世界で、恐怖と焦りに染まったライエルは、再び電撃を発生させた。

 しかし、これまで生み出してきた物とは規模が違う。

 ライエルの感情出力。つまり、一度に能力に変換できる感情のほとんどを、ライエルはこの電撃を生み出すのに使用した。

 感情出力のほとんどを費やしたのだから、当然高速移動はできない。自由に空間を駆け回れる翼を与えていた電界はその姿を完全に消し、ライエルは慣性の法則に従って宙に放り出される。

 ライエルの右腕に、彼の全力が掻き集められた。生み出した電撃を1Wたりともロスさせることなく、ライエルはその右手に莫大な電撃を溜め込んだ。

 そして、慣性から高速で放り投げられる最中。

 ライエルは空中で後方へと態勢を変え、迫り来る少年へと向き直ると。

 渾身の力を振り絞って、右腕に掻き集めた電撃、その全てを撃ち放った。

 

 射出の際の反作用で、再びライエルの体が浮く。圧倒的な衝撃から、後方にさらに吹き飛ばされる。


 この瞬間から10分の1秒にも満たない時間に起きた出来事を、ライエルの網膜はしかと焼き付けた。


 先ほどまでとは比較にならない程のエネルギーを持った電撃は、一線の電槍となって少年へと吸い込まれていく。

 ライエルが電撃に槍の形式情報を与えたワケではない。あまりの速度から、空気抵抗によって最も流動性に優れた形へと電撃が変形してしまったのだ。

 音速を超える速度の電撃が生み出した衝撃波がフロアを砕き、通過した空気が真っ黒に焦げる。

 そして、莫大な量の電撃が圧縮されて創られた電槍が、少年に直撃するその直前。

 

 

 ――――少年が、微笑を浮かべたのだ。


 少年の右腕を、謎の光が包み込む。それはまるで生きているかの如く少年の腕を取り巻きながら、不規則に蠢く。

 そして迫った電槍に向けて、少年がその右腕を突きだした。


 直撃。


 電槍が、少年の右腕に叩き付けられた。一瞬の均衡を保ってから、拡散した電撃が少年の掌を、手の甲を、肘を、二の腕を飲込んでいく。


 しかし、電撃が少年の右肩より奥に到達することは無かった。


 まるで、与えられた餌に齧り付くかの如く。貪り尽くすかの如く。ライエルの生み出した電撃を。


 ――――右腕の光が、喰っていた。

 

 ゴリゴリッ、という噛み砕く音を錯覚するほど、衝撃的な光景だった。ライエルの生み出した電撃は、光の粒子に包み込まれると、搾り取られたかのように消えていった。

 そして、莫大な電撃を食らい尽くした右腕を、少年は自身の後方にかざした。

 

 轟!と。

 

 少年の右腕から後方に向けて、ライエルの放ったはずの電撃が射出された。


「――――ッ!」


 これらの一瞬の間に起こった出来事を、空中に放り出されているライエルは驚きと共に見届けた。と同時に、今起こっている事態を否応なく実感させられる。

 少年が、自分の放ったエネルギーを全て、加速するためのエネルギーに置き換えたのだと。

 あの謎の光子を用いて電撃を吸収し。さらなる加速を得るための推進力として、ブースターとして背後に噴射したのだと。


 そうライエルが認識したとき、両者は既に肉迫していた。


 推進力を失い、空中でただ浮いているライエルと、それにさらなる推進力を得て迫る少年。


「こ、こっのおおおおおおおぉぉぉッッ!!」


 空中で態勢を変えられないライエルは目前に迫る少年に向け、自身の右腕を構えた。

 同調するかの如く、少年も自身の右腕を限界まで引き。


 ――――廃墟と化した世界の宙で、両者の拳が、交錯した。

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