防衛戦
「第210フロアの壁、突破されました!」
「211フロア管制室からの応答、ありません!」
「浦田主任、ダメです!止められません!まっすぐここへ上がってきます!」
くっ、と苦虫を噛んだかのような表情を浮かべた浦田は、形だけ報告に耳を傾け、その実、意識は目前のモニターへと注いでいた。フロア全体が、コンディション・レッドを告げる警報と共に周期的に赤く染まる。
「実行部の応援部隊を第220フロア周辺に回して貰うんだ!もう210階層はダメだ!ここで戦力を分散していれば、組織自体が崩壊する!」
はっ、と短く浦田の命令への了承を示した司令部の若者が、慌てた様子で下の階と連絡を取り始める。
今浦田がいるのは、第240フロア。大まかな区分でいけば司令部の拠点となるが、しかし今現在、浦田を含め大量の研究部の人員が駆け回っていた。
「まだか、まだバックアップは終わらないのか……!」
そう浦田は呟く。彼の額には、焦りと緊張からの大粒の汗が浮かんでいた。
この240フロアは、ICDA内部でも特別な役割を果たしている。それが、浦田を中心として構成された研究チームが現在面向かっている、超巨大コンピュータだ。
名を、『マザー・クリス』。
演算速度だけなら、彼の地に眠る悪魔の主、クラージェに負けるとも劣らない、超大規模量子コンピュータだ。
Fコードに纏わる情報、ICDA全域のシステム、その他電子関係。これらの処理、演算、管理は全て、このスーパーコンピュータによって統一的に行なわれている。
つまり言い換えれば、この『マザー・クリス』を失えば、ICDAに張り巡らされたネットワークは完全に分断。各組織が孤立。
最悪の事態として、Fコードに纏わる情報が外部に流出し、現実とヴァーチャルの両面で、ICDAという組織は終わりを迎える。
そして今現在、侵入者はこのフロアを目がけて着々と上昇を続けている。
その時。
低く籠もる爆発音と共に発生した衝撃が、ビル全域を震わせた。
「だめです!今の敵が起こした大規模爆発により、215フロア、突破されました!ICDA全体の損害、既に30%に到達!」
その報告に、再びフロアにいる者の動揺が増した。しかしその中、浦田だけは必死に平静を保ち、モニターに集中する。
「この際もうレベル4までの情報はいい!Fコード、クラージェ、不確定情報素によるタワー、リファポット、そして新型モールド!これらの情報のプロテクトとバックアップに専念するんだ!」
はい!と自身が受け持つ研究チームから、頼もしい返答が浦田に返る。それに頷いた浦田は、焦りの中でも微笑を浮かべて、再び高速でキーボードを叩き出した。
そんな中、浦田は自分自身が同時に別の思考をしていることに気づく。
―――――侵入者の目的はこの際置いておくとして、誰が侵入者を止められるのか。
まず彼の頭に真っ先に思い浮かんだのが、ライエル・ウェーバーだ。しかし今現在、彼は150フロアに小野寺雅美一行と共に閉じこめられている、と浦田は聞いていた。
ICDA日本本部に在中する、ナンバー10よりも上位の者は、僅か5人。
実行部ナンバー2、ライエル・ウェーバー。実行部ナンバー4、宮谷志穂。司令部ナンバー9、小野寺雅美。研究部ナンバー6、浦田勝也。
―――――僕を加えた4人に加えて、そして。
あの、男。
最後の一人を思い浮かべようととして、浦田は鳥肌と共に思考を止めた。今この瞬間も、このビルの何処かにいるあの男の姿は、彼に恐怖しか与えなかったからだ。
驚異的な力を持つICDAのメンバーと比較しても、侵入者の戦闘能力は驚くべきものだった。実際に実行部の多くの手練れが今この瞬間も打ち倒されているのだから、当然のことだろう。
だが、ICDAのナンバー10に入る者、アンダー10の能力が、これまた桁違いなのも事実。
この侵入者を止められる者が、アンダー10の者以外にはいない事を、浦田は心の何処かで確信していた。
―――――では、そのアンダー10の内、誰が侵入者を止めるのか。
ここで浦田は舌打ちをする。
戦闘能力だけならICDAで最も長けたライエルが現在、身動きできないのが非常に惜しい。指令系統では突飛した雅美も現在同じ状態であることが、戦線の被害を増やしていることもまた事実。
その時、再び怒声が響いた。
「侵入者、第220フロアに集結した、実行部の最大勢力と接触!抗争が始まりました!」
分かった、と短く答えた浦田は、引き続きモニターにのめり込む。
本来ならば研究部の主任である彼が、今この場での指揮を執っていることに、彼自身違和感を感じていた。しかしナンバー9の少女がいない状態で、最も的確な指示が出せるのが彼であることは、これまた彼自身理解していた。
目前の処理作業に専念しつつも、しかし状況を改善出来るに足る指示を、僅かに意識を割いて飛ばす。これほどの無茶をやってのけられるのは、やはりナンバー6としての実力があるからだろう。
「メインバックアップ、終了しました!」
「よし!」
部下の報告に、浦田は額の汗を拭う。しかし、僅かに気が緩んだ次の瞬間には。
「そ、そんな……実行部の最大勢力が……第220フロア……突破されました……!」
「……っ!?」
バカな、と短く浦田が呟いた後に、フロア全域を沈黙が走った。あまりの衝撃から動揺するのもバカらしくなったのか、全員がその口を閉ざす。
しかし、彼らにさらなる驚愕が訪れる。
「な、なんだ、これ……?嘘……だろ……?」
「どうした!?」
部下の掠れた悲鳴に、浦田が詰め寄る。
「そんな、そんな……」
震える指で、監視モニターを指し示す部下の青年。その傍に立った浦田の瞳に、ある物が映った。
モニターに映された物。半透明のレイヤー状に重ねられたICDA本部ビルのフロア構造の断面と、そこに指し示された赤く脈打つ一つのドット。
侵入者の現在位置を告げる赤色のポイント、侵入者が220フロアに居ることを示す赤色のドットが、一層赤く輝いたかと思った矢先。
スゥゥゥゥッ、と。
侵入者を現したドットが、浮上を開始した。
まるでフロアとフロアを絶つ天井、床が存在しないかの如く。エレベータに乗っているかの如く。
侵入者は、滑らかにここを目がけて上昇してきた。
「223、227、234、239……」
そして、青年が震える声で言った。
「に……240到達。ここに来ます……」
ドガァッ!と。
フロア全域を揺らす程の衝撃と共に、突如浦田のいるフロアの床が爆発した。紅蓮に膨れあがった爆発のエネルギーに、近場にいた数名が巻き込まれ。
小石の如く爆散する瓦礫の中、実に数百名以上の化物を打ち破った、全身を漆黒に染めた本当の化物が、その姿を宙に踊らせた。
「はっははははははは!!」
姿を現したのは、一人の少年だった。その瞳を残忍にぎらつかせ、そして登ってきたばかりのフロア下に視線を向けると。
笑い声と共に、純白の長剣を叩きつけた。
世界が揺れた。
裂けた、砕けた、崩落した。
少年の一振りを受けた床が、爆発的な衝撃波をまき散らしながら形を失い、瓦礫と共に数名が漆黒の闇へ落下していった。
「そ、総員、待避、待避―――――!!」
司令部のリーダー格の言葉に、警報音を掻き消すほどの悲鳴が渦巻いた。その場にいた全員が、この化物から逃れようと必死に駆け出し、されど逃げる当ても無く混乱が広がった。
「ハロー☆元気かな、ICDAの皆さん。俺としちゃあ、一応もうノルマは達成してるけど……まだ暴れ足りないしー」
そう笑顔の少年は、次の瞬間、表情をどす黒く歪めた。
「お前ら皆、ここで死ぬんだよ」
そして、ハハッ、と短いかけ声を発し、少年は剣を振るった。
本来ならば、剣先の届かないハズの距離で逃げ惑っていた人々が、それだけで体を四散させた。そこから噴き出した血を見た数名が、恐怖から愚かにも足を止めてしまう。そして次は彼らが的となり、少年の白剣によって容易くその身を散らした。
「ははははははははっ!!」
楽しくて仕方がない、といった、歳相応の笑い声を上げながら、少年はフロアを蹂躙していった。逃げ惑う人々は次々とその身を断ち切られ、一台何億とする機器が容易く壊され。
世界が、血と混乱で彩られた。
「あ……あ……」
一人の少女。
研究部で、浦田の元で熱心に働いていた少女が、恐怖でその場から動けずにへたり込んでいた。彼女の目は大きく見開かれ、そこからただ涙を溢れさせて呆然としている。
そんな様子の少女が目に入ったのか。少年はニィッ、と口元を吊り上げると、空中で態勢を変える。
「女の悲鳴、俺は大スキだぜ」
少女へ向けて優しい笑顔を浮かべた少年は、笑い声と共に剣を振り下げた。
少女の儚い命が、あと少しで断ち切られる、その直前。
一陣の風が、趨った。
少年の振り下げた剣の軌道が、少女から僅かに逸れた。そして剣は少女の真横を通るようにして床に叩きつけられ、そこを中心に爆発が起きた。
少女がその衝撃を全身で受け、宙を舞う。
そして、放物線を描きながら落下する彼女を受け止めたのは。
いつもは穏便な微笑を浮かべているはずの。
されど今は、きつく締まった表情を浮かべた男。
ICDAナンバー6、浦田勝也だった。
その男は、少年に向けられていた怒りの眼差しを解くと、いつもの優しい笑顔に戻る。そして、包むような声色で、腕で抱えた少女に問いかけた。
「大丈夫かい?」
「あ、あ……」
少女は、しばらく涙を流しながら浦田を見つめていた。そして、風前の灯火だった自身の命が、今その煌めきを増したのを認識し、安堵の涙をさらに溢れさせた。
「っ!てっめぇ……」
全力では無かったとはいえ、自身の攻撃を容易く逸らされたことに、少年は驚きと同時に怒りを感じていた。彼の楽しみを妨害したキザな男に、怒りの眼差しを送る。
そんな、侵入者からの視線を汲むことも無く、浦田は両手で抱えた少女を、後ろにいた男性に預けた。
「彼女を頼む。今この場で生き残っている者は、バックアップデータを持って、今すぐこの本部施設から脱出するように」
いつの間にか、敵を見据えた浦田の背後には、残った生存者、数十名全員が集っていた。
彼の言葉に、数名の者が息を飲む。
「しゅ、主任は……主任はどうされるのですか!?」
「僕は……」
浦田は、表情をきつく縛る。
「僕はここで、あの侵入者を止める。だから、その内に君達は早く脱出をするんだ」
「!?」
一人の青年が声を上げる。
「浦田主任!む、無茶です!お一人で相手をされるなど……!なら、私も……」
急げ!と珍しく怒声を上げた浦田の声に、背後にいた人々が肩を震わす。
「はっきり言おう。あのふざけた少年とまともに対峙できるのは、おそらくこの場で僕だけだ。自身の血でこのICDAを汚したくなければ、今すぐこの場から消えてくれ」
足手まといだ、と浦田は付け足す。
その言葉に、一瞬全員が口を閉ざすが、しかしすぐに彼らは微笑を浮かべた。
彼らは、感じ取ったのだ。
彼らのリーダーが。彼らの身を、自分の身以上に案じていることを。
そして、先ほどまで頑なな表情を浮かべていた人々は、僅かな微笑を浮かべながら、その足を翻した。
「主任、今度は一緒に飲みに行きましょう!」
「主任は薬と仕事しか興味が無いから、明日とか俺と一緒に合コンにでも行きませんか!」
「主任が死んじゃ、カワイイ薬達が泣きますよ!」
そう軽い言葉を投げかけながら、彼らは、自身のリーダーへの確かな信頼を持って、次々とその姿を消していった。
そのまばらな足音の中で、一人少女が立ち残る。先ほど浦田が助けた、研究部の後輩の少女だ。
その様子を一瞥した浦田は、視線は向けないまま語りかけた。
「さあ、君も早く行くんだ」
「あ、あの……!」
少女は一歩前に踏み出す。
「あの、主任。私、なんてお礼を言っていいか……」
「え……?」
この状況下で、律儀に浦田にお礼を述べようとした少女に、思わず浦田は疑問の音を上げてしまった。
しかし次の瞬間には、彼女の天然っぷりに苦笑を漏らしていた。
「そうだね、じゃあお礼に、今度一緒に残業して貰おうかな。ここんとこ『青』の研究で忙しくて、人手が足りないからね」
え?と今度は少女が顔を上げた。そして僅かに驚きの余韻を残しながら、少女は満面の笑顔を魅せた。
「分かりました。朝まで付き合います、浦田主任」
「よしきた」
と短い応答をしてから、浦田は続けた。
「それで、もう一個お願いがあるんだ」
「?」
少しだけ表情を険しくした彼は、早口で告げる。
「ナンバー4の、あの重力を司る少女を連れてきて欲しい。一秒でも早く。ライエルが閉じこめられている今、あの化物を止めるには彼女がどうしても必要だ」
その言葉に、少女は僅かに目を見開く。
しかし次の瞬間には、再び笑顔を溢しながら翻り、自信に満ちた足取りで駆け出した。
「任せてください、主任!すぐに連れてきますから!どうか、どうかご無事でっ…!」
新たな使命を負った少女は、先ほどの恐怖など忘れたかのように駆けていった。
その様子を背中で見送った浦田は、ふぅと短いため息をつく。
彼は、自身の相変わらずな不器用さを嘆いていた。どうしてここで食事一つ誘えないのか、と盛大に落胆する。
「いいのかよ?」
そんな浦田に挑戦的な声色で話しかけてきたのは、ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべる少年だった。
「俺様の剣は、お前じゃあ止められないよ。いや、この世で止められるヤツなんて、あのシロいのくらいだがよ」
そんな少年の言葉に、浦田はふっ、と微笑を浮かべた。
「確か君は、実行部の主力部隊を5分で壊滅させたそうだね」
「?ああ、そんなもんだっけ?」
腕を組んで思い出すようにする少年に、浦田は同じく不敵な笑みを浮かべて続けた。
「なら君は、僕を倒すのに一週間はかかる」
そう言い切った浦田は、右斜め下に右手をかざした。途端に、異変は現れる。
まず最初に、このフロアを包んでいた空間に、揺れが生じた。
次に、まるで円軌道を描くように空気が渦巻く。
その規模は少しずつ増していき、下から上へと巻き上がっていく。初めはリンゴ一つ転がす程度、それがイス、机、そして、車を反復させかねないほどの暴風に発達し、フロア全域を包みこんだ。
「!……これは!」
少年が、初めて目を見開く。あまりの暴風に目が眩むのか、左腕で顔を覆うようにして堪える。その様子に満足したかのような、得意気な微笑を浮かべた浦田は、掲げた自身の右手に一層の力を込めた。
ギュゥゥゥゥゥッと。
渦巻く暴風が、その規模を小さくしていく。されどその風力に乱れは無く、整合したまま密度を高め、掲げられた腕へと集中していく。
そして最終的には、浦田の右手を取り囲むように、超高密度に圧縮された風の槍が出来上がっていた。
その槍は、浦田の風力操作によって形状を保っているのであって、本質的には風に相違無い。だが、莫大な風力が全て圧縮され、加速的に渦巻くその風の槍は、同時に如何なる物をも切り裂く刃となっていた。
ギリッ、と。浦田の目前の少年が歯ぎしりをする。
そして、憎悪の色を瞳に宿し、次の瞬間には浦田目がけて突撃していた。
ほとんど瞬間移動と遜色ない速度で移動し、浦田の目前で身を躍らせた少年は、右手に構えた白剣を勢いよく振った。
同時に、構えられた浦田の風槍と衝突する。
ギャラララララララララッ!と、耳を劈く鬩ぎ合いの音を響かせながら、両者の携える剣と槍が交錯する。
時間にして、僅か数秒。束の間の均衡を保っていた鬩ぎ合いは、少年のかけ声と共に終わりを迎えた。
「ッラァ!」
少年が、力任せに白剣を振り切った。ボシュウッ、と風槍が掻き消され、剣は勢いを保ち、そのままフロアに叩きつけられた。
フロア一つを壊しかねない爆撃が、叩きつけられた点を中心に跳ね上がる。
その爆風に、少年と浦田はどちらも巻き込まれ、後方に弾丸の如き速度で吹き飛ばされた。
少年は、背後の壁に激突して、フロアの壁を盛大に砕き。
しかし、浦田が壁に背を当てることは無かった。風力操作によって莫大な風流を生み出し、爆風によって跳ねられた自身の体を優しく押さえ込んで、ゆっくりと着地する。
そして、壁に激突した少年は、額から一線の血を流して立ち上がり。
それを、悠々と佇む浦田が、優越の瞳で見下ろしていた。
ギリギリッ。
少年が額に血管を浮かべ、先ほどよりも強く歯ぎしりする。
「殺す……」
そして少年は、俯いた顔を憎悪に染め上げて晒した。
「お前は絶対に、この俺様が殺すッッ!」
爆発的な衝撃波を身に纏い、再び少年が浦田に飛びかかった。
そんな中、僅かな微笑を浮かべて浦田が呟く。
「全く、志穂君。早く来てくれよ」
そう長くは保たないな、と自嘲気味に呟いた浦田の右腕では。
――――先ほどの白剣で斬られた箇所から、多量の鮮血が滴っていた。