雷光
どうも、お久しぶりです。身勝手極まりない理由から、3月中旬まで週一更新で凌ごうとしている作者です。その内更新ペースの遅さから読者離れが発生するのでは、と絶賛危惧中です。(というか既に去ってしまわれた方も、シクシク……)
まあ、それはおいといて。お付き合いいただいている読者様には、最大級の感謝を。多くの人々に、自分の文章を読んで頂けるのは幸せなことだなぁ、と痛感しております。
そしてその大切な読者の皆様から、色々なメッセージを頂きまして。私事を応援して下さる方もいらっしゃる中、意外と多いのが、前書きでのネタバレ止めろという旨の物。
いやあ、なんかあれなんですよ。小説書いてるとついついのめり込んでしまって、読者の方々には自分の力を入れた部分を知って貰いたいあまりにですね。
というわけで、毎度すいません。今度からは自粛していきたいです。できれば。
はい、では今回は控えめで、暗示程度ということで。
ライバルキャラって……いいよね……。
「あれ?」
案内されるままフロアを移動し、当初の目的地に着くなり俺がそう漏らしたのも無理はないだろう。
宮谷を交えた夕食の後、俺は研究部フロアの一角に案内された。そこで俺は一時の間、雅美さん、ユウリちゃん、宮谷とサヨナラをして、白衣を着た数人のオジサンに連行されると、全身の測定を受けた。
測定と言っても、大仰な物では無かった。シャワー室や殺菌室を通過した後、妙に滑った液体で満たされた卵型のカプセルに入っただけだ。
その奇妙な空間で過ごすこと数分もしない内に、カプセルから出て良い、という旨の指令を受けて素直に出てみると、俺の持っていた身体的情報は全て彼らの手に渡っていた。
僅か十数分で測定を終えた俺は、次に実際のデータを測るとのことで、再び宮谷一行と合流して移動を開始した。
そしてエレベータを使用して目的地に着いた今、俺の視界には何も存在しない。あるのは一面真っ白なフロアの床と壁のみで、訓練場での能力測定をすると言われていたからには、プレスやランニングマシーンのようなジム的設備があるだろう、と勝手な想像をしていた俺は、少々拍子抜けした気分にさせられた。
「ここが、本当に訓練場?」
「はい、そうですよ」
「いいえ、違うわ」
同時に全く正反対の答えが返ってきたことに、俺は少なからず困惑するが、それは言った張本人達も同じ事だ。両者とも互いに顔を見合わせて、すぐに苦笑い。
「まあ、違うと言えば違うんですけどね」
そうクスクス笑いながら答える雅美さんを無視するかの如く、俺の右腕の裾を掴んだ小さな手が引っ張る。
「恭司お兄ちゃん!早く早く!」
「わ、わ、待ってユウリちゃん……!」
そう俺を引っ張って急かすのは、研究部での測定を終えてから片時も離れなかったユウリちゃんだ。ユウリちゃん、と言った段階で隣の重力少女から確かな殺気が放たれたが、俺は敢えて無視する。
「うわー。何か、変な部屋だな」
満面笑顔の小柄な少女に導かれるままフロアに躍り出た俺は、まず最初に胸の内に抱いた感想をそのまま口にする。
フロア全体が白色のため、僅かな光も良く反射するのだ。おかげでフロア全体は想像以上の眩しさを保ち、視界に映る全てが白一色のためか、目眩を感じると同時に距離感が掴めなくなる。
そして俺達4人を運んできたエレベータがその口を閉じると、世界は完全に白色に包まれた。物音一つしない、視覚的にも聴覚的にも静かなフロアだった。
俺はユウリちゃんと手を繋いだまま、歩を進める。しかし歩いて数秒もしない内に、進路を白色の壁に遮られる。
「あれ?もう壁際?ICDAの各フロアって、半径100メートルはあるんだよね?」
俺の質問に対して、今に分かるわ、と短く答える宮谷。
「それじゃ、雅美お願い」
「了解です」
宮谷の手振りに目配せで相づちを打った雅美さんは、右手を軽く空中で振って、握った端末を起動させた。ボウッ、と僅かな起動音と共にスティック上の端末から青白いスクリーンが浮かび上がり、雅美さんは慣れた手つきでスクリーン上のコマンドを操作した。
次の瞬間。
「うわ!?」
低く唸る重音がフロア全体を包んだかと思うと、目を細めさせていた眩しさが、より一層その度合いを増す。僅かに広がる視界の先に映りこんできたのは、水面の波紋を想像させるような、フロアを走る純青色の輪っかだ。
辺りを包む音の周期に合わせるかの如く、このフロアの中心から規則的に広がっていく円のライン。まるで白色のキャンパスに描かれたように、広がる円輪の通った場所がその姿を少しずつ現していく。どこまで広がっていくのか、と思わせるほど、青色の輪はその規模を増す。
少しずつ輪郭の太さが失われていき、最終的には細い1本の線となって、遠く彼方に消え去った。
青色の波を見送った俺は視線を手前に戻すと、そこには完全に姿を現した、全く別の世界が存在していた。
「ここは……どこかのエリア1か?しかも……浮いてる!?」
先ほどまで真っ白な壁に囲まれていた俺達は今、幾百もの巨大高層ビルが佇む都市の上空に浮かんでいた。
ふと頭上を見上げると、先ほどまでは存在していたはずのフロアの白色天井は取り払われ、透き通るような青空が何処までも広がっている。
視線を下に送れば、数メートル先に普段見慣れたコンクリート製の路上が、ビルの隙間を縫うように伸びていた。
ただ唯一現実のエリア1との違いを挙げるとすれば、この突如現れた世界には人が一切見当たらない。
その時すぅっ、と俺の隣を小型の飛行船が通過する。路上同様、船内にも人の姿は見当たらない。思わず触れようとするが、伸ばされた俺の右手は見えざる壁によって阻まれた。
「ここは訓練所のモニタールーム兼、管制室ですね。床と壁は全て特殊素材となっていて、壁越しの訓練所全体を360度、上下左右どこからでも見渡せるようになっています。私達は今150フロアにいて、実行部の訓練場は147から153フロアまでの、7フロア分です」
「え、じゃあこの景色は?」
俺の質問に答えたのは、隣で腕組みをしている宮谷だ。
「HVSを利用した人工レイヤー建造物よ。スイッチ一つで簡単に作成、消去ができるシステムだけど、聞いたことくらいあるでしょ?」
宮谷の言葉に、俺は素直に頷く。
HVS、つまりハイパービジョンシステム。最近になって、地上を騒がせている最先端技術だ。
長年研究されてきた『エアビジョン』つまり、物理的スクリーン無しでの空気中への映像投影。このシステムは先ほどの雅美さんの端末のように、今でこそ世界中に普及しているが、以前は技術的に不可能とされてきた。
しかしモールドの登場によって、この見解は一変。あっと言う間に能力を底上げされた研究者達によって開発、実用化に至ることとなった。
そしてHVSは、このエアビジョンの延長線上に存在する技術だ。
このシステムによって構築された建造物が、映像であることに変わりは無い。しかしエアビジョンから大きく異なる点として、まず現実の建造物と遜色無い触覚が挙げられる。
例えば、構築されたビルに触れれば無機質な手触りは伝わってくるし、出血は無いものの、壁を殴れば本当に手を痛める。
投影された立体映像に触れられる。
一見超常現象とも思えるが、原理としては大したことはない。映像を投影するデバイスが、反映された空気を通して、ある種の電気情報を対象に流すだけだ。人間は全ての感覚を脳で電気信号として処理しているから、現実でのビルの手触りに相当する電気信号を流せば、まるで本物に触れているかのように脳が誤認識するというわけだ。
ただ、流石のHVSといっても、実際に人を載せられるような建造物を造ることは出来ない。
本質的には映像であることに違いは無いのだから。
と、俺が解説混じりな思考をしていると、一般知識から大きく逸脱したことを、宮谷は言う。
「いっとくけど、これ普通のHVSじゃないからね?触覚情報だけじゃなくて、実際に掴んだり触れたりできるから」
「……はい?」
想定外も甚だしい言葉に俺が呆然としていると、雅美さんが補足をしてくれる。
「まあ、元々HVS自体が、研究部の一人が趣味半分で構築した物ですしね。今恭司さんの目の前に広がっている物全てが、限りなく本物に近い状態ですよ。私達の周りを飛んでいる飛行船にだって、乗ろうと思えば乗れますし、壁を殴れば実際に血が出ます。流石にここはビルの内部ですから、100メートルより先の光景は全て純粋な映像ですけど」
なんということだ、と俺は大きな衝撃を受け、言葉を失う。
この眼界に広がるビル、道路、飛行船。
これら全てが、現実の物と同一であると言うのか。
これほどの規模の建設物達をスイッチ一つで構築できるとなると、いよいよICDAの技術力が計り知れない。
「まあでも、その分構築には時間がかかるけどね」
と、再び俺の考えを読んだかのように宮谷が続ける。俺はすぐに聞き返した。
「時間がかかる?俺達が来たときに、雅美さんがスイッチ一つで組み立てたじゃないか」
違う違う、と宮谷は苦笑しながら、俺の隣に立つ。
そして奥に存在するビル群を見据えた。
「この建造物の設定をしたのは、雅美じゃないわ。さっきの操作は、このモニタールームから訓練場が見えるよう、壁と床を透明にしただけ。どうやらまたアイツがいたようね」
「アイツ……?」
宮谷曰く、トレーニングのためか測定のためかは知らないが、この訓練場には既に人が来ているらしい。つまりこのビルや道路は先客が構築した物、ということなのだろうか。
俺はそのアイツとやらを探そうと目を泳がすが、視界に存在するのは無数のビル群のみ。
しかしふと視界の端っこに何かを捉えたと思うと。
「……!あ、ほんとだ。いたいた」
宮谷の目線の先に合わせると、確かにそこには人がいた。
先ほど見つけることができなかったのも無理はない。そのアイツとやらは、ビルとビルの隙間、丁度人一人が入れる程度のスペースに身を潜め、じっと動かないでいたからだ。顔を含めた体の大部分がビルに隠されているため正確な判別はできないが、見たところ男のようだ。
「あの人は一体何をやっているんだ?」
俺の質問に対し答える気が無いのか、宮谷は全く見当違いな返事をしてくる。
「ライエル・ウェーバー、23歳。ICDA日本、実行部所属で、日本では最上位能力者のナンバー2よ」
宮谷から先客の名前を聞いた際、当然ながら俺は違和感を覚えた。
「ライエル……?外人か?何で外人がICDA日本本部にいるんだよ」
俺の疑問に答えてくれたのは、隣で裾を握るユウリちゃんだ。
「別に日本本部に外人が登録されていてもおかしく無いよ。ICDAは国際的な組織だしね」
ええ、といつの間にか隣に立っていた雅美さんが頷く。
「それに、彼が日本にいてくれるのは有りがたいことですよ。いくら組織設立者の母国だからって、普通は極東の小さな島国なんかに誰も来たがりません。実行部、研究部、司令部のそれぞれのナンバー10、合わせて合計30人の内、日本に留まっているのはわずか5名ですから。司令部にしてみれば彼は貴重な戦力です」
「まあ、日本に留まっている理由が納得いかないけどね……」
そう呟きながら、宮谷は自分の身を縮めると、何か嫌なことでも思い出したのだろうか。体を軽く震わせる。その様子を見た雅美さんとユウリちゃんは苦笑いを浮かべるが、当然ながら俺には何のことだかさっぱり分からない。
何だか仲間外れにされたような心持ちになった俺は、少し投げやりな口調で問いかける。
「じゃあ、その貴重な戦力であるライエル様とやらは、あんな所で何をやってるんだ?何かの測定か?」
まさか、と雅美さんは肩をすくめると、少しだけ厳しい表情を見せて、続けて言う。
「当然、戦闘訓練ですよ」
「戦闘?……おわ!?」
雅美さんの言葉とほぼ同時に、突如ナンバー2が身を潜めていたビルが爆発を起こした。
全長100メートルはあろう立派な高層ビルだ。その半ばから爆炎が噴き出したかと思うと、まるでスローモーションで見ているかのようにその身を傾かせ、隣のビルに盛大に激突する。窓ガラスを摺り合わせたかのような耳障りな衝突音を大音量でまき散らすと、自身の重みに耐えきれなくなったのかビルは真ん中から真っ二つに折れた。
隣接したビルの表面をえぐり取りながら、重力に導かれるまま地面に崩落する。窓ガラスや鉄筋の破片を周囲に纏ったそのビルは、未だに動きを見せないナンバー2の頭上に雪崩れ込むと、褐色の灰煙を吹き上げながら大地を揺るがした。
そしてその際発生した衝撃からか、隣接していたビルもその姿を歪めると、続けざまに崩落を開始した。
大地に張った根をねじ切られたかの如く急激に傾きを増し、最初に崩落したビルと同じ、ちょうどナンバー2がいた場所に倒れ込む。同時に先ほどを越える衝撃が周囲に伝播し、囲んでいた幾つものビルを激しく揺らした。加わるように巻き上げられた粉塵が辺りを灰色一色に染め上げ、俺の視界の先は完全に灰煙で満たされた。
「……生きてるかな?」
想定外もいいところな光景に、暫く開いた口が塞がらなかった俺だが、ようやく発せられた言葉は実に素朴な疑問だった。
「まあ、限りなく本物に近いビルですからね。一般人だったら普通に死んでると思いますよ」
処理速度が半分以下まで低下した頭で、雅美さんの言葉の意味するところを考える。
つまり彼女は、例えこの崩落に巻き込まれても、あのライエルと呼ばれる外人は生きていると言いたいのか。
チカッ、と。
空間全域に籠もった灰が漂う中。
倒壊したビルの足下周辺、つまり先ほどまでナンバー2がいた場所が一瞬光ったかと思うと、次の瞬間にはその地点を中心に紫電が走った。
キリキリキリッ、と何かを擦り合わせたかのような鋭い電撃音と共に、その紫電は球形状に規模を増す。数秒もしない内に視界全域が紫電によって包囲され、巻き上げられていた粉塵は一瞬にして掻き消された。
そして、再びクリアに広がった視界の先、崩落して重なるように横たわったビルの残骸の先端部に、一人の青年が悠々とした様子で立っていた。
「あれが、ICDA実行部ナンバー2、ライエル・ウェーバーか……?」
彼の能力は、電気操作なのだろうか。
バチバチッ、と全身に紫電を帯びた青年は、残留した電気を振り落とすかのように腕を払う。
全身に電気を帯びた人間とは奇妙な光景だが、確かに西欧人のようだ。肩まで伸びた髪は純粋な金色をしているし、すらっとした体格や色素の薄い肌も日本人離れしている。僅かに伺える顔は、整っている上に非常に中性的に感じられた。
だがしかし、何よりも俺を引きつけたのは髪でも体格でも無く、その身に纏う服装。
タキシードと聖職者の服を足して二で割ったような、ベンツが短い白色の服だ。袖や肩にかけて金色のラインが走っており、全体的に格式張った印象を与えてくる。優雅に佇むその様子も影響してか、どこか別時代の貴公子のイメージを彷彿させた。
「アナタも良く見てなさい。人格はともかくとして、戦闘スキルだけは超一流なのは間違いないから」
腕を組んだ宮谷は、視線を少し上に持ち上げる。
それにつられて俺も上を向くと、ある一つの高層ビルの屋上に、つい数時間前に目撃した姿があった。
「あれは―――――『青』服用者!?」
やけに静かな訓練場。
そこに建ったビルの屋上いる、真っ赤な長髪と、漆黒の胴体を持つ異形の化物。
俺の見間違いではない。間違いなく『青』服用者だ。どうやら先ほどのビル崩落の原因は、あの獣の仕業と見て間違いはないだろうが。
「しかし、何で『青』服用者がICDA内部の訓練場に?」
俺の質問に、隣の宮谷が、バカ、と短く呟く。
「HVSが創り出した映像に決まってるでしょ。これまでの実行部が対処した『青』服用者のデータを元に、限りなく本物に近い状態で生み出されたポリゴン映像。現実と違って、スイッチ一つで簡単に消えちゃうけどね」
どうやら宮谷曰く、この黒獣も映像で出来ているらしい。オマケにAI搭載で自動的に襲いかかってくるし、そいつらから攻撃を受ければ、実際にダメージを喰らうそうだ。
もう何でも有りだな、と俺がICDAの技術力に、驚きを通り越して呆れていると。
視界先の空間が歪んだかと思うと、そこに次々と新しい影が現れた。
新たな『青』服用者の軍団だ。
「5、7、9、11……!まだ増える……!?」
そして最初の『青』服用者を視界に捉えて20秒もしない内に、眼前のビル屋上に佇む黒獣の数は、悠に20人を超していた。
「ちょ、ちょっと待って……!これは、戦闘訓練なんだろう!?ライエルは、あんな数の『青』服用者を相手にできるのか?」
さあ、どうでしょう、と隣の雅美さんが肩をすくめる。
俺は、少なからず冷や汗が吹き出すのを感じた。
つい数時間前に、この異形の黒獣と化してしまった大杉。その戦闘能力は常識の範疇を超える程で、高適合者の荒瀬を軽く捻り、その後対峙した宮谷にも余裕は見られ無かったと思うが。
そんな化物20匹強を相手に、ICDAナンバー2と言えど、まともに相手ができるのだろうか。
「―――――!」
ビルの屋上にいた一匹の黒獣が高らかに咆えたのを合図に、大量の『青』服用者が一斉にビルから飛び降りた。
ビルとビルの隙間をジグザグに飛び移って降りる奴もいれば、まっすぐライエル目がけて落下する奴もいる。獲物を狩るライオンの集団のように、対象を錯乱させる連携的な動きを見せながら『青』服用者はライエル目がけて突撃していった。
そして、ライエルに最も近付いた一匹が殴りかかった瞬間。
ライエルが消えた。
いや、消えた訳ではない。
姿が見えなくなったと思い、瞬きする間も無く次の瞬間には、殴りかかってきていた黒獣の背後に回り込んでいたのだ。
そしてライエルはゆっくりとした挙動で、困惑する黒獣の背中に手を当てる。
一瞬チカッ、と輝いたかと思うと、次の瞬間には青年の掌を中心として紫電が放たれた。
鋭い電撃音と雷撃を身に纏いながら、黒獣が弾丸の如き速度で吹き飛ばされる。周囲に展開していた他の『青』服用者数匹を巻き込みながら、背後のビルに激突すると、その身をポリゴン状に爆発させた。
これがライエルが瞬間的な移動を見せてから、数秒にも満たない間に起きた出来事。
「……」
言葉を失うとはまさにこの事だ。それはAIによって動いているはずの『青』服用者達も同じようで、先ほどまで襲いかかろうと突撃していた全体が、その動きを止めた。
だがナンバー2の青年は、この行為を自身の勝利と捉えた。
再びライエルが消える。
次の瞬間には、一匹の黒獣が紫電を帯びながら吹き飛んでいた。そしてその黒獣が先ほどまで立っていた場所には、同じく紫電を帯びた右腕を、前に突き出すような形で佇むライエルがいる。
沈黙は一秒と保たなかった。
再びライエルが掻き消え、次の瞬間には別の黒獣が吹き飛んでいた。今度はビルに体を衝突させるまでも無く、空中で爆ぜて消える。そしてすぐにライエルの姿が消えると、次の瞬間にはまた別の黒獣が吹き飛んでいた。
蹂躙、という言葉が相応しかった。
この瞬間から、俺の視界にライエルが映ることは無かった。
否。
映らないというよりは、最早何処にいるのか分からなくなった、と言うべきか。
ある一点に現れたかと思うと、すぐに消えている。そして消えた先を探す間にも、ライエルは再びその姿を消し、別のポイントに移動している。これを繰り返す間に、電撃によって吹き飛ばされた黒獣の数は10を越えていた。
宮谷が倒すのに数十秒はかかった化物が、抵抗を見せる暇もなく次々と消されていく。
まさかゲームとかで出てくるワープの能力持ちなのか、と俺が実に外れた思考をしていると、困惑しているのが目に留まったのか、雅美さんが微笑を浮かべてくる。
「恭司さん、ライエルの能力が気になりますか」
「気になるっていうか、アイツは瞬間移動が出来るのか?それとも電撃使い?宮谷から、能力は一つだけ、って聞いてたから、二つ能力を持つのはおかしいな、とね」
なるほど、と雅美さんは頷く。
「そう思ってしまうのも、無理は有りません。でも彼の能力は一つだけ、電磁気操作ですよ。それにライエルは、別にワープしているワケではありません。高速で移動しているだけです」
「高速で……移動?」
バカな、と俺は再びの驚きを覚える。
適合率87%である宮谷ですら、100メートルを走りきるのに1秒はかかるだろう。これでも卒倒しそうな程、衝撃的な移動速度だが、ライエルの移動は最早視認することができなかった。
果たして本当に、ただの人間が目で追えない程の速度で移動ができるのだろうか。
「信じられない程の速度で移動できる原理は、とっても簡単」
と、口を開いたのは宮谷だ。続けて解説をする。
「単なる磁石の反発の原理よ。ライエルは、自分の肉体を強制的に磁界に近い情報に書き換えているの」
「えっ、磁界……?ライエル自身が、人間が、か?」
宮谷は頷く。
「そう、つまり彼の能力である電気操作によって周囲に莫大な電流を発生させ、強力な磁場を生み出すことで、超高速移動を実現しているの」
「ちょ、いやでも……」
信じろという方が難しい程、ぶっ飛んだ話だ。
電磁気操作の能力によって自身の肉体を磁石に似せ、その上で周囲に張り巡らせた電界による、磁界からのクーロン力による高速移動。
机上の空論どころの話では無いだろう。もし仮に宮谷の言っていることが正しいとして、だがライエルは俺が視認できない程の速度で移動しているのだ。
通常、一瞬にして消えたと錯覚させるほどの加速度、速度で移動して、果たして人間の肉体が耐えられ得るのだろうか。
加えて彼は、超高速移動の最中に急停止しているワケなのだから、体に加わる慣性力は想像を絶する程の物だろう。
さらには自身の超高速移動に沿っていけるだけの、驚異的なまでの反射速度と状況判断能力。
そういった問題点を解決しているのは、やはりナンバー2に選ばれるだけの高適合率なのだろうか。
最早ワープと遜色無い高速の世界の中、瞬間的に電界と磁界の切り替えを行ない、自由に空間を高速移動する。
この常人なら不可能な極論を、本当にその身を持ってこなしているのだったら、感服せいずにはいられない。
と、俺が未だに納得しきれていない内に、いつの間にかライエルは動きを止めていた。気がつけば、20を越えていた『青』服用者は全て消え去っているではないか。
「まだまだ驚くのは早いですよ。彼の実力の見せ場は、ここからです」
その言葉を合図にしてだろうか。突如目の前に、小型のパネルが映し出される。『ENEMY COUNT START』という文字が表示されると同時に、視界に異変が起きた。
ヒュンッ、ヒュンッ、という風切り音と共に、突如大量の『青』服用者が現れたのだ。
パネル上では―恐らく新たに出現した黒獣の数を記しているのだろう――文字の横に数字が映し出され、10、100、1000と急速にその値を大きくしていった。まるで何処かに溜まっていた虫が沸いてきたか、と思うほどにその全体数を増やし、ビルの屋上だけでなく、建物内や、道路や、果てには飛行船内部にまで黒獣が現れる。
そして最終的には、先ほどまで閑散としていた空間が、黒一色で埋め尽くされた。
日中のエリア1を遙かに超える密度で黒獣がひしめき合い、最早ライエルという一人の青年の姿は完全に埋もれ、何処にも見あたらなかった。パネルの『青』服用者の表示数を見れば、その数は悠に5000を超している。
つまり、今俺の視界の先には、5000匹もの『青』服用者がひしめきあっている。
例え偽物の映像であると分かっていても、鳥肌を感じずにはいられない。一体これほどの敵を出現させて、ライエルは何がしたいというのか。
俺の疑問に答えたのは、同じく鳥肌から腕をさすっている宮谷だった。
「ライエルは大の機械嫌いでね」
「は?」
「能力のせいか、機械との相性が最悪なの。それで自身の能力が機械如きに劣るのが、どうしても許せないそうよ」
始まるわ、と宮谷が呟く。
「ICDA創設以来、最初に『橙』のモールドによる超能力でSSSランクに到達した男。ライエル・ウェーバーの織りなす、彼を能力者として頂点たらしめている最高速の世界が」
「―――――」
次の瞬間。
―――――視界が、消えた。
一瞬にして世界が白色に塗りつぶされたかと思うと、光はその身を収縮させ、黒獣がひしめく中の、ある一点へと凝縮する。
―――――ライエルの元へと。
そして、爆発と同時に雷閃が走った。
その青白色の雷光は黒色の塊を貫くと、急激にその身をねじ曲げ、軌道を変える。そして次の『青』適合者の束へと突撃し、彼らを一瞬にして消し去ると、再びその軌道を次なる狙いへと向ける。
いや、実際にその一連の動きを追えたワケではない。
最初の光が凝縮し、爆発を起こしたと錯覚した次の瞬間には、ある意味で幾何学的にも思える、折れ曲がった幾千もの雷閃による残留電撃が空間を支配していたのだ。
そして高速で飛行する雷閃、恐らくは先ほどの遙か上を行く速度で移動するライエルだろう。
彼が通過した地点の黒獣が、跡形もなく消え去っている。その数は恐らく数千を下らない。
ライエルが通った場所だけではない。その近辺に佇んでいた数多の黒獣でさえ、切り裂く刃と化した衝撃波によって身を散らしていく。
目前で繰り広げられる、常識を逸した、などという表現が稚拙に感じられるほどの光景を、俺はただ黙って眺めるしか出来なかった。
そこで気がついたように右下のパネルを眺める。急激に『青』服用者が消し去られたため、そこに表示されている数は、既に1000を切っていた。
あまりに軽々しく消されているため忘れかけていたが、あのライエルが相手にしているのは全員が宮谷に追随できるレベルの化物なのだ。そんな難敵に一切の抵抗を見せる暇も与えず、動かぬ的を一方的に貫いていくその様と言ったら。
いや、実際に彼ほどの境地に達すれば、全てが止まって見えるのかも知れない。
パネルの数字がさらにその減少速度を速め、残り黒獣の数が100を切った瞬間。
世界を覆う雷撃音の他に、俺の耳が、腹に響く起動音を捉えた。
HVSが、出力を上げたのだろうか。
同時に、青白く染まった世界に再び、黒色の化物が次々と姿を現す。パネルの数字を見れば、急激にその数を増して、2000まで回復していた。
つまり消された黒獣を補おうと、HVSが新たに『青』服用者を創り出しているのだ。
数字の増加は止まらない。ライエルに消されればその分だけ、HVSが新たな黒獣を生み出す。
そこで俺は、ようやく宮谷の言葉の意味するところを理解した。
「機械嫌いって……まさか……!」
そう、と、俺と同じく視線を固定させた宮谷が頷く。
「彼、ライエル・ウェーバーは今、このフロアに設置されたHVSの処理速度と勝負しているのよ。ライエルの『青』服用者を消す速度が勝り、このカウントを0にすることができれば彼の勝ち。HVSの『青』服用者を生成する速度がより速く、総数が10000まで回復すればHVSの勝ち」
単純明快な勝負であることは認めよう。
だけど、規模が少しおかしくない?
という疑問を口にすること無く、俺は事態の消化に努める。
宮谷に代わって、雅美さんが解説を加える。
「桁違いな能力によって生み出される最大規模の電界と、それによって発生する、空間をねじ曲げかねない程の磁界。その中でライエル自身が電撃の槍となり、空間を自由に駆けめぐる。最大速度は、秒速3㎞」
「3㎞!?」
俺は、今度こそ顎が外れるかと思った。一秒数えれば、あの青年は3㎞先まで飛んでいっているというのか。音速どころの話ではない。
しかし、いよいよライエルという男が計り知れない。
第一、それほどの速度で移動して、肉体は保つのだろうか。普通その速度に生身の人間が晒されれば、一瞬にして塵になって消えるだろうに。
そんな驚愕する俺を横目に、雅美さんが続けた。
「でも、未だ彼は全力じゃないですよ」
ほら、とパネルを指し示してくる。
黒獣の数を示すその値は少しずつ大きくなり、現在は8000近くまで到達していた。視界では未だに雷撃が駆け巡っているが、数字の上昇は止まる気配を見せない。
このままでは、ライエルはHVSに負けるのではないだろうか、と俺がボンヤリ考えていると。
「そろそろ、最大加速に入る頃ね」
という宮谷の言葉に頷いた雅美さんは、再び端末からスクリーンを投影させると、何やら操作を始めた。
「最初に彼がこの能力を発動させたとき、磁界と衝撃波の影響でフロアが大破して、ベアリングの方々に気づかれてしまいましたからね」
もちろん記憶を消しましたが、と笑顔の雅美さん。
「それからの反省として、訓練場全体の強化を施しましたが、それでも被害が出るのには困ったものです」
と言い終えたと同時に、景色が僅かにズレた。どうやらこのモニタールームを囲む透明な壁の外側に、もう何層かの壁を構築したらしい。それほどまでにこの後突入するという最大加速は、凄まじい物なのか。
そして、一瞬だけ空間を引き裂く雷閃の勢いが弱まった、と思った矢先。
「最大加速来るわよ!衝撃に備えて!」
宮谷がそう言い終える前に。
これまで経験した中で最大規模の閃光が、視界全てを塗りつぶした。
少し遅れて、衝撃波がモニタールームを直撃した。
数枚の頑丈な壁を隔てても、衝撃は俺の体まで伝わり、全身を振るわせた。
最後に、空間を裂けんばかりの雷撃音が、世界を貫いた。
「―――――」
全てが、一瞬の出来事だった。
最大加速に入ってから一秒もしない内に、勝負は決してしまったのだ。
「―――――!」
衝撃波からダメージを受けたのか、それとも強力な磁界の影響か。壁に表示される、ノイズ混じりのパネル上に示された数字は、ただ一つ。
0、と。
あの一瞬で、9000近くまで達していた黒獣が、全て掻き消されたというのか。
俺の視界の先。
つい先ほどまで戦争をしていたのか、と思うほど、世紀末な光景へと成り果てた世界。
大量に積み上げられた瓦礫の上に立つ青年、ICDAナンバー2。
最初にSSSランクに到達した男、ライエル・ウェーバーがこちらを振り向くと、意味深な笑みを浮かべた。
そして、ゆっくりと口を開く。
「初めまして、支倉恭司君。私の用意した余興はいかがだったかな?」