プロローグ(2)
2
その後、俺から状況を知った教師が駆けつけて、事態は収束した。
荒瀬の両親は、学校とも繋がりが深い組織のお偉いさんで、職を失うのが怖かったのか、教師は荒瀬に対して軽い注意しかしなかった。哲平の怪我は大杉というヤツよりもずっと酷く、体力測定後の午後の授業には参加せず、保健室で安息をとっていた。
俺が保健室を寄った際、哲平は意外にも元気だった。顔にはいくつかのガーゼが張ってあり、笑う度に変に歪んだ。その様子を見て、俺も思わず笑った。
そして現在、放課後。
俺と哲平は、公共の飛行船に乗っての帰宅途中だった。
飛行船といっても、10年前まで使われていた、ガスを入れて浮遊する飛行船ではない。空中で静止ができる飛行機とでも言ったらいいか。
俺と哲平は、飛行船内の窓側に座り、黙りこくっていた。
普通ならば、登下校の時間帯は混雑しそうなものだが、船内は閑散としており、俺と哲平を含めても数名しかいなかった。
窓の外は個人飛行船が忙しく行き来しており、沈みかけの夕日と相まって、都会らしい風景を映し出していた。
沈黙が続く中、俺の前に座っていた哲平が口を開く。
「サンキューな。大杉逃がしてくれて」
「何改まってるんだよ」
感謝される理由はない。むしろ俺が謝るべきなのだ。哲平を助けに入らなかったことを。
俺が言葉をつまらせていると、哲平が俺の心境を察したように言った。
「別に気にスンナ。第一俺が勝手に起こした行動だし、お前は止めるよう忠告してたろ」
「まあな。飛び込んだお前が悪い」
「くっ、コイツ開き直りやがって!」
「教師を呼んだことも感謝してほしいな」
「孤独な生涯を送っていくお前の姿が浮かんだよ……」
軽い談笑の最中、俺は哲平に一つの疑問を感じた。当然といえば当然の疑問であるが。
「なぁ、哲平」
「何?」
「お前、何であんなことした?」
あんなこと、とはもちろん、今日の荒瀬の件だ。
哲平が上を向く。
「恭司よ、俺が人助けしちゃダメなのか?」
「いや、そんなことは言ってない。ただ、とばっちりくらって負けるの知ってて、何で助けに入ったかなって」
哲平は少し唸った後、開き直ったように言う。
「何でだろ?」
「おい」
ハハハ、と軽笑の後に、哲平は明るい調子で言う。
「いやな、なんかああやって楽して得た力を振りかざしてるヤツ見てると、俺のオヤジやお袋を否定されたみたいでな。ついカッとなっちゃったんだよ」
しまった、と。哲平の話を聞いた後に、俺は激しく後悔した。
「わりぃ」
「気にスンナって」
バカだった。何で忘れていたんだろう、と自分を責める。
哲平の両親は、8年前に自殺をしていたのだった。
哲平が小さかった頃に、両親二人で経営していた会社が倒産。当然例の薬の影響だ。それから数年後に投身自殺。
哲平は明るい調子で続けた。
「だからさー、俺の親ってあれじゃん?割と努力家だったのよ。会社が潰れた後も、借金抱えても、元ライバル会社の平社員やりながら金貯めて、もう一度会社再建するんだって。無駄に一生懸命になってさー」
哲平の言葉に、俺は黙って耳を傾ける。
「結局才能の壁を越えられなくて、その会社すらクビになってさ。で、橋の下でおだぶつよ」
哲平が前から頭をのめりだして、笑顔で聞いてきた。
「俺の親、バカみたいだろ?」
「そんなことねーよ」
俺は一応、否定する。
「うそつけ。怒んねーから、本当のこと言ってみろよ」
「・・・・・・まあな。バカみたいだ」
「ん」
「お前の両親、バカだよ」
哲平は笑顔のままだ。
俺は哲平から視線を逸らすと、窓の外を眺めながら吐き出すように言う。
「だって、勝てもしないものに抗おうとするなんてバカじゃないか。それで、一番大切な命捨てて、息子に借金残して、ホント何がしたかったのか分かんないな。まあ、生き方なんて人それぞれだから、否定はしないけど。けどな、俺に言わせればバカだね。大バカだ」
お前らしいな、と哲平は笑顔を見せた後、前向きに座り直す。
「俺も、オヤジとお袋はバカだったと思うよ。けど、間違っていたとは思えない。だって、この世に絶対なんてものは存在しないじゃないか。そりゃ、この薬の壁を超えられる可能性なんてほぼ0に等しいけど、それでも抗い続けた俺の両親はスゲェと思うよ」
「借金背負わされて、辛いバイトの毎日を送っていてもか?」
哲平は、迷いのない声色で返してくる。
「ああ。俺のオヤジとお袋は、尊敬に値するってな。だから、俺も『諦め』ない。荒瀬にだって、いつかはケンカで勝ってやろうと思ってるし、適合率なんて関係ないね」
俺は少し考え込む。そして浮かんだ疑問を哲平に投げかける。
「お前、大杉を助けようとしたのは初めてか?」
「んにゃ?何でそんなこと聞くんだ?」
「いや、お前のバカ具合を測定するため」
「助けに入った数なんて、もう数え切れないな」
高一の頃から、時々キズを作って帰ってきたのはそのためだったか、と納得する。と同時に呆れつつも、笑みをこぼす。
「お前は大バカだよ。いや、大バカ超えて超大バカだ」
「おう。最高の誉め言葉だ」
しばらくお互いに苦笑していたが、ため息で一区切り付けて、俺から切り出す。
「まーでも、俺はお前みたいにはなれないな。能力が低いからって、自分から無茶なことに挑戦しようとは思わない。抗う辛さは知らなくても、負けることは、その行動が無意味なのは知っているからな」
それでいいだろ、と哲平は優しげに呟く。
「俺とお前は正反対の人間なんだよ、恭司。俺は、抗うことの辛さを知っていても抗う。お前は、抗うことの辛さを知らないが抗わない。俺はバカでお前は利口だ。俺の方が高適合者だけどな」
うっせ、と俺は投げやりに返す。
自分で言うのも何だが、俺自身、俺は低適合者の中でもかなり利口な方だと思う。
過去に栄光を手にしていた大人と同じで、低適合者の現代学生は、足掻けば何とかなると思い上がりやすい。
過去に一度成功しているから、その時以上に努力すればなんとかなる。
そういう思考で足掻く大人に対して、考査などの他者と競う場を無くした俺達には、本格的な敗北と失敗を喫するような機会があまり無い。
だから、無駄だともしらずに才能の壁に挑戦する。
そして、足掻いて足掻いて足掻いては、不変の現実を思い知らされる。
結局最後は『諦める』。哲平の両親のような大人になるのを未然に防いでいる点では、彼らには有益な挑戦かもしれないが。
だけど、俺は違う。
その挑戦が自身にとって無益であることを理解している。なぜなら俺は常に正しく現実を知り、それを受け入れているから。
哲平の両親のような大人にはなり得ない、なれないから。
これからの時代では必要ないと判断された上で廃止された、考査やテストがいい証拠だ。こういうものが、努力が無価値だという現実を俺に正確に教えてくれる。
だから、挑戦しない、抗わない、失敗しない。
過去も今もこれからも。
勝ち目が無く成功率が低いと断定できた物事には挑戦せず、もっとも確実で安定した道を選ぶ。これほど利口な低適合者が他にいるだろうか。
その点、俺に言わせれば哲平はバカの極みだ。
コイツは他の低適合者と違って、挑戦の無意味さを知っている。抗うことの辛さを理解している。結局は無駄骨に終わることを確信している。
なのに、挑戦する。抗う。失敗する。そして何度も挑戦する。
荒瀬の件がいい例だ。負けても負けても何度も挑戦する。
本当に哲平は、バカだ。
俺がそんなことを考えていると、哲平が再び身を乗り出してきた。
「なぁ、恭司。俺前から気になってんだけどよ」
少し躊躇うような素振りを挟んでから、哲平は俺に聞いてくる。
「お前、何でそんな『諦め』グセがついたんだ?」
俺は少しだけ、頭を揺さぶられた気分だった。一度軽いため息をついてから、自分の目頭を摘む。
「わりぃ、聞いちゃいけないことだったか?」
哲平が苦笑いで聞いてくる。俺が泣くほど悲惨な境遇でも歩んできたと思っているのだろうか、コイツは。強ち間違いでも無かったが。
「孤児だったんだよ、俺」
「・・・・・・は?」
哲平が目を丸くする。
「政府の育児施設に引き取られる、えーと・・・・・・7歳までだったかな。それまでは、路上での生活だよ。物心ついた頃には、途上国の路地にいたんだ。まあ、生き残る為には、色々妥協しなきゃいけないことがあってな。親がいなかったから、俺自身で出した結論。生き残るには『諦め』が肝心。大人の連中相手に食料奪おうとしても、どうせ力で負けて、無駄なエネルギー使うだけだし。黙って食料を恵んでもらうのを待つか、動けるだけ元気だったら自分で探すか。『諦め』ぐせがついたのは、そのせいかな」
哲平はまだ目を丸くしている。数秒フリーズした後、慌てた様子で再起動。
「ばっ、お前何でそんな重要なこと言わなかったんだよ」
「進んで言う話題でも無いだろ?周りに変に気味悪がられるのも嫌だったしな」
数回の瞬きの後、はっー、と哲平がため息。
「お前がそんな壮絶な人生を送っていたなんてなー」
哲平に遠い目で見られる。気持ち悪い。
「なんだよ」
「いや、恭司君に対する感情が180度変わったな、と」
「気持ち悪いこと言うな、俺にそんな趣味は無い」
「ちげーよ。同情してるだけだよ」
「してもらわなくて結構」
ん?と哲平が首を傾げる。
「さっきお前、物心ついた時には途上国にいたって言ってたよな。じゃあ何でお前日本にいんの?」
「別に。俺を引き取ってくれた施設が日本にあったんだよ。施設の人が偶然途上国に来ていて、路上で倒れている俺を含めた子供達を引き取ってくれたってワケ。支倉は施設長の名字だし、恭司だって施設のお姉さんにつけられた。顔立ちはアジア系だけど、俺は何処の国出身か未だに分からないしな」
いつの間にか、船内は俺と哲平だけになっていた。夕日も大分沈み、空は少しずつ闇に飲まれていく。深い沈黙の中、飛行船の駆動音だけが聞こえていた。
俺の話を聞いた哲平は、そっか、と軽く呟くと、完全に沈黙した。俺の前席に座り直し、こちらからはその表情を伺えない。
両者の間を沈黙が包む。
その耐え難い雰囲気に、俺は思わず席を立った。哲平がどうした、と尋ねてくる。
「いや、今日バイトのシフト入れてるの忘れててな。先に寮に戻っといてくれ」
嘘だった。その場の空気に耐えきれずのとっさの小嘘。
高校に入った際、俺は育児施設を出た。
規定では、18歳までは施設に残っていてもいいことになっていたが、俺の同期は既に全員施設を出ていたので、俺一人が施設で温々お世話になるのは我慢ならなかったからだ。
現在住むべき家が無い俺と哲平は、学校の持つ学生寮に住んでいる。
入寮者の多くは、実家が遠いとの理由だが、10年前に比べ交通手段が著しく発達した現在では、よほど遠くからの生徒でない限り、寮というものは利用しない。つまり、寮を利用している人はもの凄く少ない。
「バイトって、ああ、あの安時給の工場か」
哲平は手を叩くと、思い出したように言った。俺は若干バカにされているようで、投げやりに応答する。
「悪かったな、才能がない俺には、能力が関係ないあのバイトが合ってるんだよ」
俺も哲平も、国からの生活補助金は貰っている。ただ、欲望旺盛な高校生にはその金額は少々頼りないのだ。俺は箱詰め工場で、哲平は引っ越し業者。二人とも週の大半はバイトで埋め尽くされている。
俺の言葉に対し、少し考えるような素振りを見せた後、哲平は笑顔で答える。
「ん。分かった。じゃあな」
「おう」
普段通りの、何気ない会話。
特に意味のない、ただの挨拶。
それが、俺が聞いた哲平の最後の言葉であり、俺の非日常の始まりを告げるものだった。