番外編2 ~Another View~
勝手ランキングの方、まさかの一位になってしまいました……。
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夕暮れ時の裏路地で、一匹の黒獣が咆えた。
世界を染める太陽の輝きは薄れ初め、近未来的な景色はその姿を茜色に変えていた。
ここは、第25管区のエリア3。上位エリア2つには及ばないものの、全国で稀に見る大都市であることに相違は無い。
そんな、仕事帰りで賑わう表通りから外れた裏路地で、今この瞬間新たな『青』服用者が誕生した。
寂れた世界を震わすように、黒獣は雄叫びを上げる。これまで自身の身に降りかかった不幸を、体一杯に溜め込んだ悲しみを、吐き出すかのように叫びを上げる。
実際のところ、先ほどまでは何処にでも居そうな普通のサラリーマンであった男はしかし、黒色の化物へと姿を変えてしまった。
そして咆える黒獣の足下に、無惨にも散りばめられた通勤鞄と書類の中に、一枚の小さな通知書があった。
いわゆる、リストラ通知だ。
今こそ姿を変えてしまったが、元々のこの男性の適合率は、37%。
決して低い値では無い。しかし、世界中の大企業と渡り歩く企業の一社員としては、その数値はいささか不満な物だった。
世間一般で見れば、化物へと姿を変えた彼は、よく努力した部類の人間だろう。
彼は能力の差を、注ぎ込む時間によって埋め合わせてきた。大企業を支える一員であらんとするがため、休日という概念を頭の奥底に埋め込み、体を酷使して年中無休で働いてきた。
しかし時間だけで能力差が埋まらない世界が、モールドが浸透した差別的な社会なのである。
彼の会社での首は、昨夜まで親のスネを囓っていたような若造に容易く奪われた。その遊び人の適合率は46%で、この会社には暇潰しで働きに来た、という。
しかし、彼のいた会社の社長は踊って喜んだ。遊び人のポストを確保するために、骨を粉にして働いてきた彼を、何の躊躇いも無くはね除けた。
そして職を失うという、これまで経験したことも無かったような失意の底にいた彼に、優しく囁きかけて来た者達がいた。
クロと、シロ。
名乗った通り、全身黒尽くめの少年と、白尽くめの少女は彼に『青』色の液体が揺れるカプセルを渡してきたのだ。
心の底から、この世界に絶望した時に使うように、と。
通常危険物と思われる物は、受け取ったとしてもすぐに処分する彼であったが、心の内に流れ込んでくるかのような少年少女の言葉に囚われ、どうしても捨てることができずにいた。そして自暴自棄になり、貰って数分もしない内に、その青色の液体を体内に注ぎ込んでしまった。
そして、人で無くなった。
悲しみを消し去るように雄叫びを上げて、彼はその解放されたかのような感覚に大きく震えた。
感情が全て解き放たれ、一介の操り人形となっている事実をしかし、彼は知る由も無ければ、考えるだけの思考力さえ無かった。
ふと。
黒獣の見開いた白目に、表路地からある人物の姿が映る。
―――――あの、遊び人。俺から全てを奪った。
帰社途中なのか、ヘッドホンを被って軽快なステップを踏んでいるその遊び人へ、黒獣は一切の感情を持たなかった。
怒りも。嫉妬も。悔しさも。
全ては最早、失われた感情。
再び雄叫びを上げた黒獣は、Fコードからの破壊衝動に身を任せたまま、表通りへと飛び出した。
*
「ふぅ~、これで残るは32人っと」
そう満足気に呟いたクロは、望遠鏡から目を離すと、う~ん、と背伸びをする。リンゴ一つ入ってしまいそうな大きな欠伸をしてから、コンクリートの上に寝転がった。
今彼がいるのは、これまた何処かのビルの屋上だ。昼間300メートルを越えるタワーに登った際、相方から猛ブーイングを喰らって、オマケに彼自身大きなゲンコツを作る羽目になったのだから、今度はきちんと足場のある場所を選んでいるのだった。
しかし、クロがタワーから落下し地面に頭から激突した際、周囲の人々が何の心配もしてくれなかったことに、彼はいささかの不満を感じていた。泣きながら鉄筋を伝って降りてきたシロが、周囲の大人達から過保護なまでの関心を頂戴したことも、不満を起こす原因の一つではあった。
実際大人達は、クロが300メートル上空から落ちてきたという事実を知らず、恐らくは近場の木から滑り落ちたとでも勘違いしていたのだろうが、そんなことは彼の意識下では関係の無いことだった。いつものことではあるが、道行く先でシロへの待遇ばかりが分厚い物になっていくのは、やはり彼女が女の子だからだろうか。
「いつの世も、男は辛いね~」
などと実にオヤジ臭いセリフを吐いた少年は、既に沈みかけの太陽に視線を送った。
クロが先ほどまで覗いていた望遠鏡の先では、突如現れた『青』服用者に、表通りの人々がパニックを起こしている。ヘッドホンを被った金髪のチャラそうな男が、黒獣によってその身を引き千切られていたが、クロの興味の対象では無かったようだ。彼としては、とにかく『青』の配布人数がノルマを越えればいいという事らしい。
「ま、どーせICDAの連中が始末しに来るしよー」
と投げやりに呟いたクロは、何かを思い出したかのように飛び上がった。すぐに自身の背後へ視線を送る。
その先にいたのは、先ほどからずっと動かずに目を閉じている相方こと、シロだった。
「そうだった!シロ、フェーズ2の方はどうなった!?」
焦りを含んだ少年の言葉に、目を瞑ったまま少女はゆっくりと答えた。
「今確認中。クロ君慌てすぎだよ」
このツインテールの白銀少女は現在、端から見れば非常に奇妙な状況下にいる。
宙に張られたロープに立っているわけでもなく、しかしまるでバランスを取るかように、か細い両腕を精一杯広げている。そしてその垂直姿勢を維持したまま、瞳を閉じて眉間に皺を寄せていた。
そんな一見可愛らしくも思える彼女の姿を、実のところ奇怪たらしめているのが、少女の両肘辺りから手の甲にかけて沿うように浮かぶ、二対の巨大な盾だった。彼女の純白の容姿とは好対照に黒色をした2枚の巨盾は、沈みかけの太陽の光を浴びてなおその身を漆黒に染め上げている。見る人全員が、違和感を感じてもおかしくない光景だった。
暫くの沈黙が挟む。遠くからは定期的に飛行船の飛行音が響く。
少しずつ冷気を帯び始めた春風がクロを僅かに擽ったかと思うと、彼の視界の先にいる彼女は、ゆっくりとその大きな瞳を開けた。
「うん、どうやら恭司お兄ちゃんは、全てを知ったみたいだね」
「おしっ!」
とクロがニッ、と生意気そうな笑顔を見せる。
右拳と左掌を合わせて小気味よい音を出してから、右腕を小柄な胴体と垂直になるよう、勢い良く横に伸ばす。
途端に、限界まで広げられた彼の右掌周囲に、バチバチッと紫電が走った。
「―――――はっ!」
威勢良く放たれたクロのかけ声に、彼を中心として屋上全域に亀裂が走る。次の瞬間、眩い輝きと共に一本の巨剣が空間をねじ曲げ、その姿を現す。
透き通っているのかと錯覚してしまうほど、剣身が磨き上げられた純白のロングソードだった。
自身の背丈に迫らんばかりの剣の柄を、クロはきつく握った。途端に巨剣を纏っていた光の粒子が空中に溶け消え、辺りは再び茜色に飲まれた。
「コイツを使うのは、久しぶりだなぁ」
そう笑顔を溢すクロは、ブンブンとその巨大な剣を容易く振り回す。空中に浮かんだ二対の巨盾を従えた白銀の少女に、得意げな視線を送った。
少女は頷く。
「それじゃ、クロ君。作戦をフェーズ3に移行するね」
そう頑なな表情を見せた少女に対して、頷いて応えたクロはその場にしゃがみ込む。
これから走り出す陸上選手のような態勢を取ったクロは、再び生意気そうな笑顔を見せた。
「ひっさびさに、暴れるぜっ!!」
そう言い切ったと同時に、少年は足下のコンクリートを蹴る。爆発的な衝撃波を身に纏いながら、茜色に染まる空を翔け、目的とする場所を目指して消えていった。
*
「ふぅ」
少年の消え去った後の屋上で、少女は初めて疲れから来るため息を漏らした。
しかし、今彼女の心持ちは、どうしようもないくらいに昂ぶっていた。
これから、長年捜し求めていたあの少年に、再びまみえることができるのだから。
「それじゃ、私も会いに行ってきますね、マスター……」
いいえ、と白銀の少女は言い直す。
「マスターと呼ぶと、アナタは怒るんですよね。言い直します」
一息置いて。
「行ってきます、哲平様」