Fコード
「アナタに世界の真実を理解してもらうためには、全ての根源である、『少年F』について話す必要があるわ」
宮谷の重く放った言葉を、俺はすぐに聞き返す。
「少年F?名前は?」
「分からないのよ。データが無いから」
少年F。一体、誰のことだろうか。そして、何故今回の話に関連が。
俺の疑問をよそに、真剣な表情の宮谷は話し始める。
「今から約25年前。まだ人類を飛躍的に進化させる、モールドと呼ばれる薬品が登場する前ね。少年Fは、ごく普通の子供として、ある発展途上国の小さな村で生活していたわ。彼の両親は農業を営んでいて、別段貧しかったわけでも無く、ごく一般的な環境下に少年Fはいたの。普通の学校に行き、普通の物を食べて、普通の子として育ったわ」
でもね、と宮谷は短く区切る。
「異変は、少しずつ現れ始めたの。10歳を過ぎた頃から、彼の頭脳は進化し始めた。その勢いは異常と言ってもいい。11歳になる頃には、少年Fは村で一番の秀才になっていた。当然すぐに、少年Fの才能は、小さな村では抱えきれなくなったわ。彼自身は反対したけど、両親からの強い勧めで、最終的に少年Fは都会の大きい学校に行くことになったの」
モールドが登場する前から、そんな人間もいたんだなぁ、と俺は心の中で呟く。
「そこでも、彼の才能の伸びは止まらなかった。むしろ加速した。彼にとって、先達の知識を教わることは退屈そのものだった。彼はまた、物事を自分の五感で感じなければ信じようとはしなかった。そして段々と、少年Fは事象を知ることより、事象を創り出すことに夢中になった」
支倉恭司、と宮谷は突如俺の名前を呼ぶ。俺は思わず、教師に注意された学生の如く姿勢を正す。
「アナタは、フロートシステムについて知っているわよね?」
当然、と俺は答える。
フロートシステム。
11年前に開発された、世界を大きく変えることになった最重要技術。簡単に言えば、空中で物体の静止状態を作り出すシステムのことだ。なおかつそれに必要なエネルギーがごく僅かで、そのシステム本体だけなら大気汚染物質も排出しない。フロートエンジンも低コストで大量生産が可能で、地面に接していない分、より少ない動力で長距離を移動することが出来る。
このシステムによって自動車が粗大ゴミと化し、急遽世界中で飛行船用の通路が整備されたのだ。
それが今から10年前の出来事。最近ではエレベータや、子供の玩具にまで利用されている。
「実はね、このフロートシステムの原理は、少年Fが12歳の頃に提唱していたの。それが11年前に、能力を底上げされた科学者達によって実用化されただけ」
「え?」
刹那の驚きが俺を包む。
「少年Fはフロートシステムだけで無く、今の現代社会を支える様々な技術を創り上げていったわ。その内少年Fは、医療面や、経済面、果てには形の無い精神面にまで介入するようになった。それが、彼が12歳の時」
「ちょ、ちょっと待って!」
両手を前に突き出す。一拍置いてから、俺は宮谷に聞いた。
「その話が本当だとして、でも俺はその少年Fのことなんてこれっぽっちも知らなかったぞ。それだけ天才なら、普通はあっという間に世界中に知れ渡るだろ?」
俺の質問に対して、宮谷は無表情のまま答える。
「少年Fの住んでいた国が、情報操作で隠蔽していたのよ。こんな天才がいると知ったら、世界中からその頭脳を利用しようと悪い連中が来るに決まってるじゃない」
12歳で、フロートシステムの原理を提唱。
そんな化物がこの世に存在したなんて、俺は聞いたことも無かった。
「少年Fのことは、今となってはICDAのメンバーしか知らないわ。だから、アナタが知らなくて当然」
俺の心を読んだかのように、宮谷は続ける。
「そう、まさに言葉の通り、少年Fは化物よ。人間じゃない。何千年と人類が抱えてきた問題を、12歳の子供がたかだか数十分で解決していく。天才と呼ばれてきた大人達は、指を咥えてそれを見ているだけ」
でもね、と宮谷は少しだけ表情を曇らせた。
「その内科学者達は、ある一つの疑問を感じるようになる。その疑問は、当然といえば当然かもしれない。けど、この疑問が世界を変えた、変えてしまった」
宮谷は一拍置く。俺は唾を飲込んだ。
「『この少年は、一体何者なんだろう?』ってね」
宮谷は立ち上がった。そして壁に近づくと、傍にあった小さなパネルを指で押す。途端に部屋が暗くなり、壁一面が透けたかの如く外の都会の景色が映し出された。どうやらこのビルの外にあるカメラの映像を利用しているようだ。
宮谷は特殊素材の壁に背を持たれると、腕を組んだまま続ける。
「ここから見える景色」
「え?」
「この景色内に存在する物全ては、人が過去の自分を超えた際の産物を利用しているわよね」
「ま、まあ、そう考えられなくは無いけど」
少々無理矢理な気もするが、確かにそうだ。
新たな技術が産まれるということは、昨日まで不可能だったことが可能になったということ。その点では過去の自分を超えたといっても、まあ強ち間違いではないだろう。
ただ、新たな技術が産まれたことの方が重要だとは思うが。
「今から20年程前は、ちょうど人類が限界を感じていた時期でもあったの。いくら足掻いても、昨日の人類は今日の人類。既存の技術は極限まで高められ、新発見なんてものは空想になりかけていた。そんな中で、その人間の限界をいとも容易く乗り越えた少年Fは、一体何者なのか。そう疑問に感じて当然でしょ?」
宮谷は再びパネルを押す。部屋に光が戻り、風景は壁に戻った。
「そして彼ら科学者は、そんな少年Fを心の何処かで恐れていたのかもね。自分達の主張していることが支離滅裂であることを理解した上で、たった12歳の少年を陥れるために詭弁ばかりを弄した。そして終いには、少年Fは人間では無い、と無理矢理に断言して、ついに人道を踏み外した行動に出た」
どんな?と俺は生唾を飲みながら聞く。再び正面のソファに座った宮谷は無表情だった。
「少年Fと関わってきた人間全てをこの世から抹消した上で、彼を実験体、つまりモルモットとして拘束したの」
「!?」
目前の少女は続ける。
「科学者達の出したバカな結論は、『少年Fは人間を超越した存在。彼を調べることで、人類はさらなる進化を遂げられるはず』というものだったわ。少年Fの両親は当然、彼の故郷の人から、通っていた学校の教師、生徒、その第2段階までの関係者。これらの人全てを、過去の形跡が一切残らないようにしてこの世から消し去った上で、少年Fは、熱帯の森林奥深くに極秘で建設されていた超巨大研究施設に監禁されたのよ」
俺は一瞬言葉を失うが、すぐに疑問に感じて口にした。
「でも待てよ、そんな大規模な事件を、国が見落とすなんてことは無いだろ?」
「協力したのよ、国も。いや、それどころか世界中がね」
俺の質問に、宮谷は即座に返す。
「人間がさらに進化を遂げる。その魅力溢れる言葉に、少年Fに関与した人間の抹消に協力した上で、世界中の国から資金が集中。各国のトップの科学者達が、赤道近くの熱帯雨林、その奥深くに建設された超巨大研究施設に集まって、日々彼をベースに研究を進めた。この時、少年Fはまだ13歳」
このことを話している宮谷は、全くの無表情だった。ただ淡々と語られる彼女の言葉に、俺は黙って耳を傾ける。
「それはそれは、常識のタガが外れた非道い研究ばかりだったそうよ。聞くところによると、命に関わる実験以外は何でもしたらしいわ。両親を殺され、友達を殺され、そして有る意味で実験動物よりも非道い扱いに、少しずつ精神をすり減らしていった少年Fは、科学者達への憎しみを確実に募らせていった。
そして、彼が14歳になった誕生日の日。全ての始まりを告げる、人類史上最悪の事件が起こった」
宮谷は一度息を大きく吸ってから、俺に言う。
「その超巨大研究施設にいた科学者、警備員、物資輸送者、外界連絡者。総勢1024名全員が、その日一日だけで殺害されたの。どのような手段を用いてかは分からないけど、一人残らずよ。そして、非常事態宣言を受けて特殊部隊が駆けつけた時には、既に少年Fは施設から消え去っていた」
1024名もの人が、殺された。たった一日で。
「一体誰が、施設の人達を・・・・・・?」
俺は、半ば答えが分かっていた。だが、信じたくない気持ちも含めて、敢えて聞いた。宮谷は無表情のまま答える。
「恐らくは、何処かに消えた少年Fに」
口から漏れそうな声を抑えて、宮谷の続く言葉の消化活動に努める。
「しかも、彼らはただ殺害されただけじゃない。彼らの体が、骨、内臓、血、肉、皮膚、とにかくありとあらゆるものに分解された上で、1024人分のそれら全てが、少年Fが過ごしていた部屋に所狭しと並べられていたの」
「ど、どうしてそんなこと・・・・・・」
俺は、腹の奥からこみ上げてくる何かを必死で抑圧しつつ、宮谷に恐る恐る聞く。
「文字よ」
「?」
「ある、一連の文字を形作るため。一つの『式』を書くために、彼らの死体は利用されたの」
宮谷は続ける。
「事件発生当初は、並べられた死体に意味があるなんて、誰も思っても無かった。けど、偶然研究施設の様子見に来ていた一人の科学者が、その存在に気がついたの」
宮谷は、表情を曇らせる。
「その科学者の名前は、宮谷郷一郎。私の父よ。彼が現ベアリングの社長で、ICDAという組織のトップ」
「宮谷の、父さん?」
宮谷の発した新たな事実を消化しようと、必死で脳を回転させる。
「まあ、確かに宮谷の父さんがベアリングの社長兼ICDAのトップなら、組織の隠蔽も可能だよな。ビル建設の段階でわざと階をズラせたのも納得でき・・・・・・」
今はそんなことどうでもいいでしょ、と宮谷は曇った表情のまま返す。
「とにかく、私の父、宮谷郷一郎がその存在に気がついた。気がついた、というよりは、不自然に感じたそうよ。『どうして死体を分解した上で、並べる必要があったのだろうか。少年Fは、何かメッセージを残そうとしたのではないか』ってね。そして、彼は動いた。彼は、その並べられた死体が意味を持つ可能性があるということを他の科学者に知らせた上で、独自の研究チームを結成、その後、死体の配列の解析に移った。そして、研究を始めてから丁度2年が経過した日に、一見不規則に見られたその死体の山が、ある一つの『コード』に収束した」
今日の事件で、宮谷が頻繁に発していた言葉、コード。俺は自分が手汗握っていることに気がつく。
「そのコードは、少年Fの名を冠して『Fコード』と呼ばれているわ。Fコードは、697個の主要コードと、そこから枝分かれした7000個の小規模コードによって構成されている。つまり、合計で4879000個のコードで、一つのFコードになる。そして研究者達は、この世に誕生したFコードの驚異的な力を、重く、深く思い知ることになる」
無表情の宮谷は、大きな瞳をまっすぐ俺に向ける。
「Fコードの力、未知の可能性は、その特性にある」
「特性?」
俺の声に宮谷は頷く。
「Fコードは、言わば手動の回答生成機。ある事柄の『答え』が欲しいと思い、その事柄に関連する全ての『要素』をFコードに投下すると、その事柄の『答え』が導き出される」
「そ、それはつまり、どういうこと?」
俺の疑問は解消されない。宮谷は、少しだけ笑った後、例えば、と右人差し指を上に上げる。
「支倉恭司が、ファミレスに夕食を食べに行ったとする。そこで、彼が夕食に何を食べるか、という『答え』が欲しくなったとしましょう。支倉恭司の精神状態、周りの雰囲気、店のメニュー、彼の財政状態、時間帯、注文を採る店員、店の仕入れ具合。こういった、支倉恭司の夕食に関わりそうな『要素』を全て数値化した上で、そのFコードに当てはめると、支倉恭司が食べる夕食が何か、という『答え』が得られる」
なんじゃそりゃ、と俺。
「言葉の通りよ。つまり、周囲の環境などの情報から正しい答えを導き出すことができる、超便利な恒等式だと思ってもらえればいいわ。複数の『要素』から、『答え』を導きだすために利用する道具。まず、最重要『要素』、さっきの例だとアナタの財政状態かしら。最も重要な『要素』を数値化した上で、697個の主要コードの中から属するコードに投下。そして、残った『要素』を7000個の小規模コードに投下することで、莫大な計算をした後、最終的には必ず正しい『答え』が導き出せる。これだけでも、数多くの謎が解決されたわ。今まで絶対に解けなかった数学界の超難問もあっという間に解決されたし、環境面だと、深海や地球内部の構造を完全に把握できた。Fコードを利用することで、ある種の未来予知もできた」
でもね、と宮谷は少しだけ声のトーンを下げる。
「こんな代物に頼らなくても、多少の未来予知くらいは人類にもできた。その当時世界最大規模の量子コンピュータ『クラージェ』は、82、4%で当たる未来予知ができたそうよ。そうね、帰納的って言えばいいかしら。色んな要素から、一つの答えが導き出される。規模は違っても、私達は普段から帰納的に答えを出してきた。だから誕生すぐには、Fコードは大して重宝されなかった」
言われてみれば確かにそうだ。人は普段から周囲の環境、状況を把握し、それを行動の原点としている。
ただ、そんなことを一々考えている人間は中々いないだろうが。些細な事であればあるほど、普通は無意識下で処理される。
でもね、と宮谷は続ける。
「Fコードの本当の力は、そんな程度じゃないの。Fコードには、もう一つの超絶的な機能が備わっていた」
俺は思わず生唾を飲込む。
「さっき、Fコードは恒等式だ、て言ったわよね。それはつまり、『要素』の集合と『答え』が同価値であるということを言っている」
「ああ」
宮谷は、何か恐ろしいことでも話すかのように、告げた。
「Fコードのもう一つの特性。それは、『答え』にたどり着くために必要な『要素』の集合、つまり『過程』すら、導出することができるの」
『答え』にたどり着く『過程』。宮谷の言葉を自分の中で何度か反復再生したが、良く分からない。宮谷は続ける。
「演繹的って言えばいいかしら。そうね・・・・・・例えば、支倉恭司が20年後にベアリングの副社長になるという『答え』を用意するとします」
それは絶対に無理だ、と心の中で俺はツッコミを入れる。
「そして、その『答え』をFコードに投下すると、何が起こると思う?」
宮谷は身を乗り出し、クリアテーブルに両手をついて、俺をのぞき込むような態勢になる。突然の動きに困惑しつつ、視線を逸らして答える。
「そ、それは、その『過程』が出るんじゃないのか?」
「そうよ」
宮谷は一度区切ってから言う。
「支倉恭司が、何年の何月何日何時何分何秒に、何処何処の場所で何々をする。ベアリングの副社長になる20年後までの行動が、一つ残らず導出されるの。11時21分23秒、自宅近くの公園で息を吸った、3時45分23秒、学校の机で人差し指を上に2㎝動かした、みたいなどんなに些細な行動もよ。そして、その行動の際に起こる感情や周囲への影響までもが、完全に導出される」
目の前で語られる宮谷の言葉に一瞬、俺は鳥肌めいたものを感じた。
それじゃ、まるで。
「そう、まるで、私達人間が神に操られているみたいよね。私達人間の未来に起こす行動が、全て神によって構築済みであるかのように。他にも、例えば誰かを殺したいという願いがあれば、Fコードはその殺人の手段と手順を教えてくれる。それにそって行動すれば、必ず望んだ『答え』にたどり着ける」
俺の心を読んだかのように、宮谷はソファに座りながら言う。そして無表情のまま続ける。
「そして愚かな科学者達、当然私の父もよ。彼らは、このFコードの誕生を、ポジティブに考えてしまった。このFコードは、我々人類のさらなる進化を神が望んでいることの証だってね。科学者らしくない考えよ。このFコードが、人間を超えた存在である少年Fからの、人類への最悪のプレセントとも知らずにね」
俺は、再び生唾を飲込む。部屋がやけに寒く感じられた。
ねぇ、と宮谷。
「仮にアナタがFコードから『過程』を教えてもらって、それを完璧に実行できると思う?」
「無理だな」
俺は断言する。そんな毎秒毎秒、指定された行動を取るなんてできやしない。
「そう。だから、例え『答え』に必要な『過程』が出たとしても、それを実行できないのだから意味がない。しかし科学者達は『進化』という言葉に囚われすぎた結果、このFコードを最大限に活かす、ある無謀な計画を立てるに至った」
「計画?」
俺が聞き返すと、宮谷は無表情のまま頷く。
「さっき話した、世界最大規模の量子コンピュータ『クラージェ』があるわよね。実はこのハイパーコンピュータは、少年Fが監禁されていた超巨大施設内部に存在していて、地球そのものと情報的リンクをしていたの。地球の事象を細かく数値に置き換えて、深海、地中、空中など、地球上のありとあらゆる場所に配置された『リファポット』と呼ばれる、球形型特殊情報干渉装置を使用して人間独自の情報を混ぜ加える。
簡単に言うと、ある程度は人間の手で、地球の制約や動きに干渉出来るって事ね。局部的な質量操作で一部の重力を弱めたり、大気の流れを変えたり、プレートの動きを加速させたり。莫大な数の『リファポット』を全て制御、統括しているクラージェを通して、これらの干渉をすることができた。
でも、いくら技術的に可能でも、地球上の複雑な事象を完全に把握するための頭脳が、人間には無かった。何の規則性も見出ず、加えて配分も未解明のまま地球に独自情報を混ぜ込んだら、期待の結果所か、下手すれば惑星の命運に関わる事態になってしまう。でも仮に地球の事象情報という『答え』と、混ぜ加え方、配分という『過程』が分かれば、地球の環境を一変させることができる。未来永劫、環境問題の心配が取り払われる。
そこで、科学者達はどうしたと思う?」
あっ、と俺は思わず声を上げる。
「その、Fコードとかっていうヤツを、頭脳代わりに使用した?Fコードを利用して、複雑怪奇な地球上の現象全てを数値に置換して、混ぜ加える情報の配分までも導出した?」
「そう」
宮谷は頷く。
「クラージェとFコード。両者の相性は、科学者達の愚行を引き起こすには十分な物だった。。彼らの計画は、まずFコードをクラージェの中枢に読み込ませる。そして森羅万象を余すことなくFコードで解析。もちろん解析演算はクラージェね。そして莫大なデータを入手したら、再びFコードを使用して、混入情報の配分を導出。
後はサルでも出来るわ。どんな難題だって『回答の手順』と『答え』が分かれば、問題ですら無くなるでしょ。Fコードから得た『過程』と『答え』を元に、リファポットを経由して大地に情報を流し込むだけ。万一地球が吹っ飛びそうになったって、すぐに修正案がFコードによって導出、クラージェに統帥されるのだから」
でもね、と宮谷はため息をつく。
「彼らのこの馬鹿げた計画が、今の世界を大きく変えてしまったのよ。Fコードはそれまで、形の無い抽象的な、単なる一連の『式』として存在していた。人間だってそうでしょ?『精神』があっても、それを載せる『肉体』が無ければ、一つの個体としては完成されない。そして科学者達は・・・・・・」
「Fコードという『精神』に、クラージェという『肉体』を与えてしまった・・・・・・のか?」
「理解が早くて何よりだわ」
宮谷は俺に微笑を見せる。
「そして、Fコードという得体の知れない代物に、クラージェという自由に動かせる肉体を渡した結果。最悪の事態が引き起こされたわ。クラージェが、Fコードに完全に乗っ取られたのよ。そして今すぐこの研究施設から、関係者を含む人間全員が退却しなければ、秘密漏洩防止の為に組まれていたA-1ラインの自爆プログラムを起動させて、この研究施設全体を吹き飛ばす、という脅しすらかかった。世界最高峰の量子コンピュータと自分の命惜しさに、研究者達は我先にと逃げ出したわ。一度内部から離れたら、二度とその愛しいコンピュータを取り返せないことにも気づかないままね」
「その言い方だと、そのFコードが生きてるみたいじゃないか」
「そう、生きているの」
俺の指摘に、宮谷は人差し指を立てる。
「どういう原理でかは知らない。クラージェの内部構成を理解していた少年Fによって、意図的に組み込まれていたプログラムだったかもしれないし、それこそFコードは神の所有物だったのかもしれない。とにかく、Fコードを世界最大級の量子コンピュータに読み込ませた結果、メインからサブまで、全てのシステムが操作不能に陥った。そして、Fコードが乗っ取ったクラージェから、まんまと逃げ出した愚かな科学者達に向けて、外部の世界に向けて、ある要求が出された」
「要求?」
俺の疑問の声に対し、宮谷はからかいの笑顔を浮かべる。
「これでようやく、現代と話が繋がるわ。アナタもやっと、混乱から逃れられるわよ」
「いいから早く言えよ」
俺に急かされた宮谷は、真剣な表情を見せて、はっきりと言った。
「Fコード、クラージュからの第一にして絶対の要求。それは、特殊情報処理補助液状薬品、通称『モールド』を、5年以内に全人類が摂取すること」